二十五万ドル

 江城病院に呉徳力という医者がいた。彼には会ったことも、手紙をやりとりしたこともない資産家の叔父がアメリカにいた。
 父と母はあの文革の動乱時代の複雑な社会の中で繰り返し糾弾され死んでしまった、そして彼もそのかかわりで農村に送られ思想改造の労働をさせられたが、やっと二年前、病院に再び内科医として戻ることができた。
 しかし、もうすでに37歳、しかも家族もない独り者で結婚が長い間の彼の問題であった。勿論何人かの熱心な女性の世話好きが彼を心配してくれたが、年齢がひっかかるうえ、体が小柄で、若い娘たちには好かれない。現代の娘はみんな夫は背の高い男がいいと思っているから、みすみす背の低い呉徳力との結婚を望む娘はいなかったのである。

 さて、この叔父は大いに働き、小さな町の江城の風雲児となり、多くの若い娘たちの中から熱心に結婚相手を求めて結婚し、資産家になったのだが叔父には子供ができず、彼はいろいろ考え、姉の子供に資産を継がせようと決めて中国の姉に手紙を出した、呉徳力は叔父から母あての手紙を受け取るとすぐ父と母は既に世を去り、自分も祖国を離れたくないと返事を書き、婉曲に叔父の申し出を断った。アメリカの叔父は甥の手紙を受け取るとすぐ25万ドルを送金してきた。
 このことはたちまち病院に伝わり、また町中にひろがった。すると多くの浅はかな娘たちが呉徳力に恋文を書いたり、紹介を頼んだり、セ−タ−を編んだり、映画館のキップを送ったりして、モ−ションをかけてきた。だがこういうことはみんな若者と娘が交際しようとする時の常套手段で呉徳力もわかっている。
 おかしなものでこうなると呉徳力はかえって焦らず、これらの娘のいろいろな誘いを婉曲に断った。それは彼が結婚を考えていなかったり、彼の気位が特別に高かったりしたからではない。彼は娘たちの心が自分に向いているのではなく、25万ドルに向いていると感じていたからである。考えてもみよ、こうして結ばれるのが本当の愛情であろうか、呉徳力は一生独身でもいい、愛情のない結婚はしないと思っていたのである。

 ある月夜の晩、呉徳力は夜勤から帰り自分の家のある横丁に入ろうとすると、前に白いワンピ−スを着た若い娘がゆっくり歩いているのが見えたが突然、この娘は体をフラリとゆらし、そのままぐったり倒れた。呉徳力は急いで駆けよって見ると、街灯の下でこの娘は血の気をなくし、二つの目を閉じている、脈拍が弱くて力がない、あたりを見ても手助けしてくれる人もいない、彼は一人で娘を抱えて家に連れて行きベットに寝かし、診察すると低血糖性の一時的な眩暈に間違いない。しばらくして娘の頬がだんだん赤くなってくると、呉徳力は娘がとても綺麗なので驚いた、しなやかな腰、ふっくらした頬、なんともいえない美しさだった。
 やがて娘は目を開け、まず不思議そうに辺りを見回し、近くに呉徳力が立っているのを見て慌て起き上がろうとしたが体が崩れ、またベットに倒れてしまった、呉徳力は「構いませんから、まず一休みなさい」と慰め、そして彼女が外に倒れていたこと自分が彼女を助けたことなどを話してやった。娘は聞き終わると彼が胸にさげた聴診器を見て唇に感謝の意を込めた笑みを浮かべ恥ずかしそうに「私は楊麗といいます春風商店の店員です家は永安横丁です」と自己紹介した。

 呉徳力は楊麗の家に行き、彼女を迎えに来て貰うつもりだった、しかし楊麗は起き上がると笑いながら、もうよくなったから一人で帰れると、呉徳力に礼を言い外に出て行った。ドア−の外に姿が消えようとした時、何故か呉徳力は急に心配になってきた、こんなに夜おそく、もし悪い奴に遇ったらと、考えれば考えるほど心配になり、彼は思わず追いかけ「楊麗さん」と叫んだ、階段の下で楊麗はその声を聞いて振り返り、目で呉徳力に何と聞いていた、呉徳力は思い切って「おそいから、家まで送りましょう」と言うと、楊麗は笑いながらうなずいた。
 この晩、呉徳力はベットに横になっても眠れなかった、目をとじると頭の中に楊麗の美しい姿が浮かび、翌日病院に出勤しても楊麗が思い出された。夜勤の帰り彼は会えるかもしれないと回り道して楊麗の住む横丁まで行ったり、家に帰れば風の音に楊麗が来たのかと思ったりした。彼は自分は医者であり、病人を救うのが医者の役目なのにどうしてこんな気持ちになるのかと自分を責めた。それと同時に自分は今年37歳なのに楊麗はとっていても23、4歳、自分の考えは現実的ではないと思い、もう楊麗のことは考えまいとした、だが感情というものは不思議なもので彼が抑さえれば抑えるほど強くなるのだった。

 呉徳力がこんな片思いの恋に悩んでいる時……日曜日の朝、朝食が終わると、ドア−を叩く音がし、続いて「呉先生いらっしゃいますか」と可愛らしい女の声がした、呉徳力がドア−を開けてびっくり、楊麗が果物籠をさげて立ち大きな目でにこやかに呉徳力を見ている、呉徳力はドキドキして、「どうぞどうぞ」と言った。楊麗は笑顔で軽やかに部屋に入り、果物籠をテ−ブルの上に置くと、勝手にシングルベットに腰掛けた、呉徳力は慌てて一杯の水を両手で差し出し、馬鹿みたいに「何しにきたのですか」と聞いた、言ってしまってから呉徳力は心の中で「バカ、バカ、何んでこんなことしか言えないのだ」と自分で自分を罵りカアーと冷汗をかいた。
 楊麗は気にもかけない様子で笑いながら「あの日は呉先生のお陰で助かりました、もし悪者に遇っていたらおしまいでした、家に帰ってから怖くなって、本当に先生に助けられてよかったと思いました。それで今日は果物を持ってお礼に来ました」呉徳力は可愛いい楊麗の顔を見つめながら、それはそれはご丁寧にと喜んで答え、なんとか楊麗を引き止めようとあれこれとお喋りをした、そして楊麗が今年25歳であること、父も母も亡くなり、妹が一人いることなどを知った。
 楊麗は帰る時に自分はあまり体が丈夫ではないと言い、医学書を借りて行った、こうして3か月の間二人は頻繁に会い、とうとう呉徳力は自分を抑え切れず、ある日、楊麗に自分の気持ちを話した、緊張しすぎて楊麗が何と答えたのかはっきりわからず、ただ彼女が顔を赤くしてうなずいたので、自分の愛情を受入てくれたのだと思い、熱い涙を流した。 国慶節に呉徳力と楊麗は結婚式を挙げた。人々はみんな新婦が綺麗でおっとりしていると言った、呉徳力の心は蜜の罐をひっくりかえしたように甘くなった。

 しかし、ある二つに事がこの婚礼の式場に小さな波を起こした。一つは新婦の身内も友達も一人も来なかったことである。楊麗は妹がいるが、この結婚に反対しているから来ない、贈物を貰うのが嫌だから同級生、友達には知らせなかったと説明した、もう一つは婚礼の宴がたけなわな最中に突然一人の青年が入って来た事だ、この青年の変な態度、おかしな挙動に客はみんな驚いた、青年は27、8歳で背が高くハンサムだが、どういうわけか顔を蒼白にしている、婚礼を祝いに来た人は入って来ると新郎新婦に笑顔でお祝いを言うのに、この青年は何も言わず真っ直ぐ新婦の所に行った。ちょうど客が乾杯している時で、楊麗は青年を見ると、はじめは驚いたが、とても親しげに青年に「劉音呵、いらっしゃい、あなたに紹介するわ、わたしの夫の呉徳力、これは……」

 劉音呵と呼ばれた青年は楊麗の言葉が終わらないうちに何かを楊麗の手に渡すと何も言わずに出て行ってしまったので、宴席がざわつき、客たちは互いに頭を寄せ合い囁きあった、呉徳力はとても気になり青年が楊麗に渡した紫色の小さな箱を見た、開けてみると中は猫目石の指輪だった。彼は疑いの目で楊麗を見て、これはどういう事と聞いた楊麗は慌てず杯を持って、回りの人に「劉音呵は私の妹楊芳の許嫁です、私と呉の結婚に反対しているのです、だから妹の代わりにプレゼントを持ってきたのです、どうぞご心配なく、彼はいい人なのですが変わり者なんです、どうぞ飲んで下さい」と頭をかしげ口をすぼめた。
 みんなはだんだん静かになった。呉徳力は心に疑問を持っていたが何も言わなかった。夜、二人だけになりベットに入ろうとした時、呉徳力は耐えきれずに口ごもりながらも楊麗にわけを聞いた、すると思いがけず楊麗は「ワ−」泣き出し、妹と劉音を罵り、自分を信じてくれない呉徳力を恨んだ、呉徳力は慌てて笑ったりなだめたりして、やっと楊麗は泣き止んだ。
 楊麗を喜ばせようとして呉徳力は小形金庫を開け、ハ−トのペンダントのついた銀の首飾りを楊麗の首にかけてやり、金庫の鍵をこれからは私の代わりに持っていてくれと渡した、ところが楊麗はわたしは慌て者でなくすといけないと言い、鍵を受け取らなかった。そうだ、楊麗が彼の生活の中に入って来てから、まるで25万ドルの事はなかったように全く何も言っていない。彼女は25万ドルを狙っているのではない、本当に忠実で真面目な呉徳力を愛し、呉徳力の受けた不幸に心を寄せているのだとこれでわかった。そして呉徳力はすべての疑いを晴らすことができた。

 早やくも二か月が過ぎた。年の暮れが近づいた頃、呉徳力は祖父が危篤ですぐ帰れという電報を受け取った、呉徳力は新婚の妻をおいて行かなければならないが、かといって行かないわけにもいかない、やむなく楊麗を残して列車に乗った。列車が出る時、楊麗は金庫の鍵は落とすといけないから置いていったらと言った、呉徳力もそうだと言って窓の下の楊麗に鍵を渡した。
 列車が行ってしまうと、途端に楊麗は人が変わったように、自転車に乗り飛ぶように家に帰り、カ−テンを閉めてから金庫を開け中にあるいろいろな預金通帳をだし貪欲な目を光らせた。しかし通帳の名がみんな呉徳力になっているのを見ると眉をしかめ“パタン”と金庫を閉め、唇を噛んでどうしてこの大金を手にいれ、呉徳力と別れられるかと考え、劉音に自分の苦哀を説明したかった。
 「わたしはまだあなたを愛しているのよ、呉徳力と結婚したのは25万ドルを手にいれ、わたしたち二人で幸せに暮らしたいからなのよ、みんなあなたのためよ」こうすればきっと劉音はまた愛してくれる、そうすれば金もある、愛情もある世界で一番幸福な人になれると思ったのだ、これで楊麗が呉徳力と結婚したのは、やはり25万ドルが目当てだったことがはっきりした。

 この手管はそこらの娘より利口なやり方だ、あの婚礼の式場に入って来た劉音は楊麗にふられた恋人だったが、それは楊麗が思いどおりにしょうとする手段の第一歩だったのだ、そして今は人と金の両方をとる第二歩の夢を実現しようとしているのだ。
 これも願ったりかなったりというのか、四日目の夕方、病院の主任と女性の同僚が突然来て遠回しの言い方だが意外な事を告げた、県外の鉄路局から長距離電話があり、列車に轢かれた人がいる、この人が呉徳力の身分証明書を持っていたので、病院はこの列車事故の処理に二人の人を派遣すると言うのである、これを聞いた楊麗は暫くぼんやりしていたがその後で泣き出した、病院の主任や同僚が帰ると楊麗は泣くのをやめ、ちょっと考えてから突然笑い出した、この意外な列車事故は自分の二つのことの実現を助けてくれることではないか、ここまで考えると彼女はいそいそと綺麗に化粧して猫目石の指輪の小箱をハンドバッグにいれて劉音の家に向かった。

 楊麗はうきうきと歩きながら、頭の中では未来の楽しい家庭を描いていた。劉音の家に着くと気を取り直して扉を叩いた。すると劉音の母親が出てきたが楊麗を見るとあきれた顔をして「何しに来たの」と冷淡に言い、くるりと身を返して家の中に入ってしまった。楊麗は母親の様子がおかしいので、丁寧に親しみを込めて「お母さん、劉音は」と聞きかまわずに家の中に入って行った「劉音はいないよ」と母親は言った「何処へ行ったのですか」 「知らない」「何時帰って来ますか」 「知らない」  楊麗は癪にさわって帰ろうと思ったが唇を噛んで我慢した。そして彼女はハンドバックからノ−トを出し、急いで何かを書きそこを破りとると、紫色の小箱をだすと一緒にテ−ブルの上に置き、母親に「お母さん、これを必ず劉音に渡して下さい」と言って外に出た。

 二日目の夕方、楊麗は深緑の羊毛のシャツ、薄紫色の毛織りのズボンをはき、とび色の皮靴を履き、黒い髮の毛は後ろに束ね、綺麗に化粧して劉音の来るのを待った、彼女は劉音が書き置きと指輪を見て必ず来ると確信していた、時計が7時を打った、約束の時間が過ぎたが劉音は来ない。楊麗は落ち着かずソフア−に座って画報を広げた。30分過ぎまた30分過ぎた、楊麗は画報を放り出して立ち上がり外にでて見ようと思った時、突然 「トントン」とドア−を叩く音がした、彼女は喜んで「いらっしゃい」と言おうとして、ドア−を開けるとドア−の前に自分の妹の楊芳が立っていた、姉が結婚してから楊芳は一度も姉を訪ねていなかった、彼女は姉の気持ちがわかっていたからである、彼女は姉の欲張りな卑劣な行為に絶対反対し、忠告していたのだが結局姉と嫌嘩別れするしかなかたのだ。
 彼女は劉音に同情し自分の愛情を伝えた。楊芳は楊麗より器量はよくないが、しとやかで心が純粋なので劉音は楊芳の愛情を受け入れた、そして楊芳は劉音の代わりに手紙を持ってきたのだ、楊麗が手紙をひろげて見ると中に一言「愛情はやり取りする装飾品ではない」と書いてあった「違う、違う」と楊麗は叫んだが、楊芳はとりあわず指輪の入った小箱をテ−ブルに置き、二三歩あるいてから止まり、ちょっと間をおいて「ついでに言っておくけど、来週の日曜日にあたしと劉音は結婚するわ」と言った。

 楊麗は驚き、急いで強く楊芳を引き戻してソフア−に座らせ、自分はドスンと膝をついて「芳ちゃん、あんたわたしが劉音が好きということを知っているでしょう、わたしは呉徳力なぞ愛していないわ。彼は死んでしまい、今わたしは彼の全財産の相続人なの、あんたが劉音をわたしにくれるなら、わたしはあんたに5万ドルあげる」 「姉さん……」楊芳は顔を赤くし、怒りで声もでず、立ち上がって帰ろうとすると、楊麗は妹が5万ドルでは少ないと言うのかと思い「財産の半分あげる」と言い、急いで立って妹の腕を掴んだ。楊芳はとうとう我慢しきれなくなって、手をあげ姉の頬をパ−ンと叩き「バカ」と言って急いで歩きだした、楊麗も追いかけ、二人がドア−の前に来ると、突然ドア−が開いた。姉と妹は同時に「ア−」と驚きの声をあげた、誰が来たのか、ほかでもない呉徳力である、彼は顔色を変え、じっと楊麗を見つめ唇を震わせ楊麗に近づいた、楊麗はあとざりし、わなわな震えながら「あんたは人間、それとも幽霊」と聞いた「私は人間だ」 「あんた……幽霊」呉徳力は楊麗が婚礼の晩に渡したハ−トのペンダントのネックレスを首にかけているのを見ると、それをひきちぎった、楊麗はキヤ−と叫びその場に気を失って倒れた。
 呉徳力は死んだ筈なのにどうして生き返ったのか。実は彼は死んだのではなかったのである、列車の中の泥棒が彼の財布を盗み、泥棒は急いで逃げようと列車がまだ止まらないうちに飛び下り、誤って列車に轢かれてしまった、死体の検査の時財布から江城病院の医師の身分証明書がでてきて、死んだのは呉徳力と間違えられたのだ。
 呉徳力はこれを知らずに帰ってきて、思いがけず楊麗が楊芳に本心を打ち明けたの聞き、驚き怒り、ドア−を開けたのだ。
 この物語の結末は、私があれこれ言うより読者のみなさんはきっとおわかりでしょう。

        当代流伝故事選                                        1933・10・1

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