幽霊妻
昔、二十歳を過ぎてまだ結婚していない男がいた。両親は亡くなり兄弟姉妹も親類もない一人ぽっちであった。祖父も父も一人っ子で性格も変わっていた。男もその血筋をひいたのか一人っ子で、何時も年寄りに幽霊とはどんなものかと聞いてまわる変わり者だった。
だが、誰も幽霊を見たことがないから教えてくれない。そこで男は何とかして幽霊を自分で見てやろうと毎晩墓場を歩き回っていた。
昔は盗掘を避けるために墓場には番人がいて無暗に墓場に人が入るのを許さなかった。男が墓場に入ると番人は男の後をつけ何をするのか見ていたが、男は長い間ただ歩き回っているだけで墓の物を持ち出す様子もない、歩き疲れると一休みするが悪者ではないらしい。
ある晩、番人は男に「お前さんは毎晩ここへ来て何をしているのかね、怖くないのか」と声をかけた、「わたしは幽霊に会いたいんです、怖くありません」と男が答えると番人の爺さんは笑って「幽霊に会いたい?わしはこうして長いこと墓場の番人をしているが、今まで幽霊なんぞ見たことない、何処に幽霊がいるのかね」と言った。すると男は意地になって「いないならどうして世間では幽霊が出ると言うのですか」と問い返した。
それから番人の爺さんはもう男が墓場に入っても出て行っても構わなくなった。それから三四十日もたったある晩、新しい墓ができた、墓には新しい木の卒塔婆がたって名前と生年月日がはっきり書いてあり、三十にならない女が死んだらしい。男は新しい墓から幽霊が出るかどうか見届けようと、この新しい墓の前で夜を過ごし、眠くなると墓の上に寝た、こうしてまた一月あまり過ぎたが幽霊は現れなかった。
ある晩、男はまた墓場へ入って二まわりしてからあの新しい墓の前に座った。眠くなってうつらうつらしていると、静かな絹ずれの音がする、頭を上げると、出た!今度こそ本物の幽霊が出た。三十歳ぐらいの女で白い衣を着てユラユラ揺れるように男に近寄って来る、驚いた男は逃げようとしたが“俺はここへ幽霊を見に来たのだ、逃げることはない、幽霊に会うと死ぬと言うがもう見てしまった、逃げてもしょうがない”と踏み止まった。
すると幽霊は「あなたが毎晩幽霊を探しているから今夜は出てみたのに何故逃げるの?」と言う、男はまた怖くなって逃げようとすると、幽霊は「逃げなくてもいいのよ、何もしないから」と言って男の前に座った。そして「あなたが毎晩あたしの墓の上に寝たからあたしはあなたの生気を受けて夜だけ出て来れるようになりました」と言った。それから男と幽霊は夜明けまで話していたが幽霊は「あたし、鶏が鳴く前に帰らなくては、明日の晩また来るわ」と姿を消した。
つぎの晩、男の気持ちは落ち着いていた、幽霊とのお喋りが面白くて幽霊が怖くなくなったのである。男が墓場へ行くと幽霊の女も来ていた。男はもう幽霊に馴れて怖くないので近づいて幽霊のすべすべな手を撫でた、今まで女の体に触ったことのない男は“幽霊には骨がないと言うが本当だ、こんなに柔らかい。だが幽霊は冷たいと言うのにこの幽霊の体はどうしてこんなに温かいのだろう、少し違うな”と思っていた。こうして二人は互いに体を触れ合い、いろいろお喋りをした。 「あんたは何をしているの、商売それとも百姓?」 「わたしは商売も百姓もできません」 「じゃあ、家の財産があるの」 「いいえ、ありません、わたしは一人ぽっちでお金も何もないのです」 「お金もないの?それなら、あんたがあたしに生気をくれたお礼に冥土のお金であんたの暮らしをみて上げるわ、明日の晩、お金を持ってきて上げるから少しづつ使うといいわ」 「でもあの世のお金は紙銭だからこの世では使えないでしょう?」 「この世に持って来れば使えるように変わるから心配いらないわ、あんたは待っていればいいのよ」
翌晩、幽霊は本当にお金を持って来た。「さあ、これを使いなさい、無くなったらまだあるわ」男はそれを市場で使うと誰もあの世の紙銭だとは言わず本当に通用した。つぎの晩も男は墓場へ行って幽霊と話した。「あたしたちはこうしてお互いに仲良くなって理解し合えたから、あたしはあんたのお嫁さんになるわ」 「あなたは幽霊、わたしは生身の人間なのにどうして結婚できるのですか」 「二人は毎晩一緒にいたからあたしはあんたの生気を沢山受けて昼も出られるようになったのよ」 男はもしそれが本当なら結婚してもいいと思った、幽霊の女は器量もいいし、とても幽霊には見えない、よしんば幽霊だとしてもこの幽霊は人に危害を与えない幽霊だからと承知した。
幽霊女は男が結婚を承諾すると「じゃあ、あたしたちは人目を避けてここから三千里離れた処へ行きましょう」と言った、男が一緒に行くと言うと幽霊女は「それは駄目、あたしは風のように早く歩けるからすぐ着くけど、あんたは遅いからあたしが先に行って二人が安心して暮らせるようにしておくわ」と言った。そこで男は今の家を始末してから幽霊女の後を追って旅に出た。
男が山を越え河を渡り約束した処へ着くと幽霊女は待っていた。二人は夫婦になり一緒に暮らした。楽しい日々が過ぎて早くも百日になろうとすると幽霊女は「あたしたちの仲に終わりが来たわ、あたしはこの世で百日を越えることは出来ないの、あと半日であの世へ帰らなければならないわ」と言った。
諺に『一夜の夫婦は百日の契り』と言うが男は幽霊女が忘れられず嘆いた。幽霊女はまたお金をくれたが、男は「お金は幾らあっても無くなります、わたしはあなたに別れても何とか生きていきますから、これはあなたが持って行って下さい」と言った。幽霊女は「心配しなくていいわよ、あんたにこの手紙を預けるから何か困った時に、この手紙を持ってこの人を訪ねなさい、きっとこの人がいい仕事を世話してくれます、この人の処にいれば生活は困らないし、お金もくれるわ」と言って幽霊女は男にある人の名前を書いた手紙を渡した。そして二人はまた抱き合い、夜になると幽霊女は出て行った。
また一人ぽっちになった男は毎日鬱々としていたが、思い切って幽霊女が言っていた人の処へ行ってみることにした、もしかするとあの幽霊に会えるかもしれない。男は手紙に書いてある家へ行った。そこは立派な屋敷で門で案内を請うと召使いが出て来た。「何か御用ですか」 「ここのご主人を訪ねて来ました」と言って男は手紙を差し出した。召使いが主人に手紙を見せると、主人は「この男に何か仕事をさせてくれ」と言った。こうして男はこの屋敷の下働きに雇われよく働いた。
それから七八ヶ月たってこの屋敷に大きな祝い事があった。この屋敷の主人はもう七十を越えていたが後継ぎがなかった。三人も妻がいたのだがどの妻も子供に恵まれなかった。そこでまた迎えた若い妻がやっと子供を生み年老いた主人は大いに喜んだ。そしてその後継ぎ誕生の百日目の大盤振舞いの祝いをすることになったのだ。召使いは大忙し、酒や料理の材料を買う、宴会の席を作る、板前を呼ぶ、新しく竈を築くなどなど祝いのために全てを整えた。
後継ぎ誕生百日の祝いの当日、人々が宴会の席に集まり、主人と四人目の若い妻が子供を抱いて親戚知人を出迎えると人々がこの子を囲みますます賑やかになった。男は下働きなので宴会場で忙しく働いていたが、一度だけ屋敷の奥に住む四人の妻を見る機会があった、その時男は子供を抱いた四人目の若い妻があの幽霊女の顔かたち、体つきにそっくりなのに驚いた。その四人目の妻はあたりを見回し、誰かを探しているようであったが、男を見つけると、目を合わせてにっこり微笑んだ。男はびっくりこれは夢ではないか、世の中にこんな不思議なことがあるのかと目を疑った。
親戚知人などの客が帰ると今度は召使いや下働きたちが祝いの席についた。男は酒を注がれても料理を出されても、ただあの幽霊女と今日見たこの家の後継ぎの子供を抱いていた女の姿を忘れることができなかった。下男部屋に戻って横になっても、何をしても、目を閉じればあの幽霊女と子供を抱いた女の姿が頭の中に現れた。
やがてまた男は屋敷の奥に住むあの四人目の妻を見かける機会もなくなり、その悩みも薄れ男はもとの何事もない気持ちに戻っていた。ところがそれから一月ほどしてこの屋敷の主人が死んで四人の妻はみんな未亡人になり、屋敷の清算が始まった。そして後継ぎの子を生んだ四人目の妻がこの屋敷の女主人になり、ほかの三人の妻は十分な手当てを貰った。
ある日、屋敷の女中頭が下男部屋にいる男に「奥様があなたをお呼びです」と言って来た。男が不審に思って屋敷の奥へ行くと、あの四人目の女主人がいて「今日から下男部屋からここへ移って下さい」と言った。男は“アッ、あの幽霊女だ!”とドキッとした。すると女主人は「驚かないで、この子はあなたの子、今この屋敷の主人はあたしだけど、今日からこの屋敷の主人はあなたよ」と言った。男はこれを聞いて悲しむべきか喜ぶべきか分からなかった、なにしろ相手は幽霊なのだ!
その晩、男は女主人からいろいろ話を聞いてやっと事情が分かった。この屋敷のもとの主人は後継ぎがなくて家が断絶するのを恐れ四人目の若い妻を『放鷹』することに決めたのだった。四人目の妻はそれを嫌ったが、また“あたしはまだ三十にもならない若さで主人はもう七十過ぎ何時かは先に死ぬ、そうなれば三人の先妻の下になり金も権利もなく何時までも辛い思いをしなければならない、『放鷹』されて子を生めばこの屋敷はあたしのものになり、三人の先妻は何も言えない筈だ”と考えていた。
そんな時、墓場の番人が何時も墓場に来るいい若者がいてどうしても幽霊を見たいと言っていると話すのを聞いて前の主人と話し、あたしが幽霊に化けてあなたに近づき、願い通り後継ぎの子を生んだ。けれどもいくいく主人が先に死ねばあたしも子供も頼りになる人が欲しい、それにはこの子の本当の父親がいいとあらかじめあなたを屋敷の下働きにしておいたのだ。つまり四人目の妻、幽霊はあたしだったのだと女主人は言うのだった。
こうして幽霊女は生身の人で、子供も自分の子だとわかった男は安心してこの屋敷で暮らすことになった。
(放鷹:方言。後継ぎを生むために故意に自分の妻を他の男に交合させること)
李占春故事選 1992・10・02 2001・05・30校正