「わたしは疑いを捨てきれません、この任務にはどうにも腑に落ちないものがある」
キューブリックのもともとの計画では「2001年」の冒頭に10分間のプロローグ(35mm、白黒)を置くつもりだった。地球外生命の可能性に関する、宇宙、神学、天文学の専門家への構成インタビューである。キューブリックによれば、カリフォルニア州カルヴァー市におけるMGM重役への最初の試写で、冒頭にプロローグを置くのはよくないと分かったのでただちに取りやめたとのことである。
以下はインタビューの一部を編集、再掲したものである。
A.I.オパーリン、アカデミー会員
A.N.バッハ生化学研究所長
モスクワ、ソビエト科学アカデミー
〔アレクサンドル・オパーリン:1894〜1980、ソ連。生化学者。原生動物の原形質と多くの類似点をもつ、コアセルベートが生命発生の過程で重要な役割を果たすとする「コアセルベート説」を提唱。『生命の起源』『地球上における生命の起源』〕
生命の誕生はつい最近まで一般に考えられたような、恵まれた環境下で起きた特異なできごとではなく、ひとつの必然的な現象、宇宙の進化の一部あるいは一連のできごとです。ことに私たち地球型生命は、この進化の過程で形成された炭素化合物と高分子系が進化した結果のひとつです。
他の天体上でも同じ現象がありえたでしょうか? さまざまな天体のあらゆる場所で、進化の初期段階が観察できます。高分子の複雑な有機物質が、月や火星のような天体に存在することに疑問の余地はありません。たとえ惑星でこのような物質が形成されなくても、隕石の落下でもたらされる可能性もあります。
地球上で進化を進めるには広大な水面が必要でしたが、月や火星には見あたらず、見つかる見込みもありません。
しかし進化の初期段階ではこれらの惑星、たとえば火星には大量の水が存在できましたから、地球のように生命が現れても不思議はありません。ひとたび生命が出現するとそれは進化をはじめ、この厳しい、人間には耐えがたいといってよい天体に適応できたのです。
われわれはいわば生命の書、地球の生命に関する書物を1冊しかもちません。しかし他の生命形態に関する知識があれば人類の過去が分かり、それ以上に、未来についても多くの手がかりがえられるでしょう。人類を超える新しい生命形態が見つかれば、文化はとてつもなく豊かになり、進歩は大きく促進されるでしょう。
〔生命の書は1冊:地球上に生命は1種類、DNA型生命しかいない。当時を考えると、あるいは炭素型生物のみの意か〕
こうして人間の宇宙への進出は太陽系への理解を深め、そしてことに地球型惑星は、生命やその進歩に関する知見を大きく広げてくれます。
宇宙から地球へ、過去に何らかの来訪があったと本気で語れるか疑問です。それはまだSFの世界で、科学ではありません。むろんSFが語るのは立派な権利ですが、正直いって人類の知識はまだまだそこまで進んでいませんから、この現象とのあいだに何か関連があるとしても、なんの証拠もなくこの問題をまじめに論じるわけにいきません。
無限に広がる宇宙にはきっと、複雑高度に発達した数多くの物質進化の姿が見つかるでしょう。しかし地球型生命とことなる原理によるなら、それらを「生命」と呼び、生命と考える必要はありません。宇宙に力を注ぐうちにそのような現象に出くわせば「生命」以外の名前をつければよい、それがわたしの見解です。
人間やわたしたち地球世界の生命組織に似た形のものが、宇宙のどこかで見つかるのはほとんど期待できません。外見は人間と似ても似つかないがじつは高度な組織体、といった発見が宇宙のどこかであると思います。それが地球型生命とはちがう新型知的生命の発見になることもありえます。この銀河系だけでも莫大な数の惑星系があることを思えば、地球によく似た惑星が1個やそこら見つかる可能性は相当高いでしょう。しかし生命の進化過程はたいへん複雑ですから、この場合でも地球型生命とまったく同じ生命形態が、このうり二つの惑星に存在することはほとんど不可能です。よく似ているかも知れませんが、やはりどこかちがうでしょう。
ハーロー・シャプレー博士
ペイン校応用天文学名誉教授
ハーバード大学、マサチューセッツ州ケンブリッジ
問:シャプレー博士、地球以外の惑星に生命は存在しないという意見を黙らせるような見解が、何かありますか?
この太陽系に生命は存在しないだろうという考えは、温度の問題から明白です。代謝作用のないところに生命は存在せず、水がすべて凍るか蒸発するところで代謝はおこなえません。水は液体であることが必要で、この太陽系に液体の水はさほど多くないと考えられますから、これが太陽系に、われわれが認識し、つき合っている生命が存在する可能性は低いとする論拠になるでしょう。しかし生命が存在できる惑星系は他にもたくさんあります。事実、銀河と銀河内の星の数を研究した結果からいえるのは、10の20乗――すくなくとも10の20乗個くらいの星が存在するはずですし、この10の20乗個というのは途方もない数、1のあとにゼロを20個つけた数です。これが星全体の数ですが、そのわずか10億分の1が生命の存在に適するとしても、巨大な数――1000億の銀河と星に生命がひそむことになります。さらにその100万個に1個が環境に恵まれるとしても、いぜん莫大な数の生命が存在することになります。
私たちは周縁にいます――この言い方が好きです。銀河系の中心ではなく末端にいて、銀河系では重きをなさず、ただそこにいるだけという意味です。
もちろん生命を定義すべきかもしれません――定義すべきでしょう――多くの人がそれを試みていますが、わたしの考えるいちばん単純な言い方は、生命とは巨大分子の複製作用だというものです。巨大分子は分裂して自己複製し、生命の代謝作用と呼ぶことをします。
火星では条件が厳しいので、生命が見つかる方に賭ける気にはなりません――でも人間は火星の近辺に探査機を送ろうとしています――たくさんの写真を撮り、この主題についてすこし考え、火星にはおそらく代謝生命体と呼ぶ低レベルの活動体が存在するだろうという結論が得られるかもしれません――たぶん・・・
わたしの大学院生のひとりが25年まえにこう言ったとします「生命の起源について、書いたり研究したりしたいんですが」。わたしは出るときドアを閉めるように、そして大急ぎでとりかかるよう頼んだでしょう。なぜなら当時は誰もやっていなかったからです。生命の起源の問題は宇宙の大きさを考えるのと同じくらい大問題で、ことに若い人には不向きでした。
いまなら勇気を出せばやっと議論ができるほどの危なっかしい立場、宇宙進化論の立場があります。宇宙の進化に関するわたしの考えは、名前をつけられるものは――物質、非物質を問わず――なんでも時とともに進化し、変化するというものです。単純なものから複雑なものに進化したり、あるいは消え失せたりします。
ご承知のように新星というものがあり、水素からヘリウムへ、つまり水素燃料を燃やしてヘリウムの灰になる進化をします。現在はこの新星の熱を使って、原子の変化過程を促進できることが分かっています。
〔新星:目立たなかった星が突然明るく輝き、長い間隔をおいてこれをくり返す。白色矮星のような小さな星にちかくの大きな星からガスが流入、蓄積されて、表面で核融合反応の爆発が起きると考えられている〕
現在われわれは元素がどのように進化するか知っています。元素が進化し、生物が進化し、星と銀河が進化するなら、すべてを含めてこういえるでしょう――宇宙は進化する。あらゆるものが時とともに進化します。時間は物質の一要素なのです――終わりがどうなるかは分かりません。こう尋ねる人もいます「この燃料を使いはたすとどうなるんでしょう?」・・・答えは「分かりません」
宇宙が進化し終わると、水素はどこから供給されるでしょうか・・・われわれは答えを知りません――そう、時空のねじれからくるのかも。当てになる供給源かな。オーケー、でも誰がねじ曲げるんだ?
生命は化学的条件がととのった場所に出現します。さて、現在この惑星上で条件はととのっていますが、数十億年まえに地球が冷えはじめたころ、岩石は灼熱状態で生命はやっとスタートしたばかり、必要な元素のいくつかは存在しなかったでしょう。
メタン、アンモニア、水蒸気、水素ガス、あと一つくらいはあったかもしれません。生命が誕生したころはそれらが地表にあり、分子を形作る元素になりました。しかし現在は研究室に同じ元素があります。
もちろん外界には落雷による放電がありましたし、いわゆる原始大気にはさきほど名前をあげたもの――アンモニア、メタン、水蒸気、水素ガスがありました。当時これらは大気中にありましたが、いまは研究室で手に入ります。
これが、スタンリー・ミラーがハロルド・ユーリーその他の仲間の指導でのり出した仕事で、地表でもありえたことです。そこでわれわれはシカゴに研究所を設立し、同じ材料をそろえました・・・外からの落雷がなかったので、電気放電で同じものを作りました。ある日ミラーがいいました――実験装置がピンク色を帯び、見たことのない何か透明なガス状のものができている。かれはその実験を1週間続けます。週末には、はっきりとピンク色になりました。そこでかれは実験をやめ、それを分析しました。全能者が使ったと同じ機械装置――そういうものがあればですが――を使い、われわれも使用しましたが、かれが装置を調べてあまり知られていない新しいテクニック――主にクロノグラフィック分析法――をもちいたところ、さあどうなったでしょう? 分析の結果アミノ酸を発見、それこそ大ジャンプでした・・・この10年間で最高の部類の実験でしょう。
〔スタンリー・ロイド・ミラー:1930〜、米、化学者〕
〔ハロルド・クレイトン・ユーリー:1893〜1981、米、化学者。重水素の発見により1934年ノーベル化学賞。マンハッタン計画に参加し、原爆の基礎研究に従事。戦後地球物理学に転じ、惑星生成論では微細物質集成説を唱えた、太陽系研究の先駆者〕
最初はほんの二つか三つ、やがてこの年の終わりまでに、一般に認められるアミノ酸をあわせて20種類も発見したのはこのシカゴ大学研究室の実験です。むろんすばらしいことです・・・生命への第1歩です。なぜならアミノ酸からタンパク質が作られ、人間はこのタンパク質でできているからです。作り方が見つかると、このときから全能者、つまり生命を生みだす超自然的なものや奇跡の存在をアピールする必要はなくなりました。どうやったら生みだせるか、そのしくみを知ったのです。これはひとつの惑星系のこの周回惑星上で、そしておそらくどこかの惑星上でも起きたことは明白です。
〔1950年代当時とちがい、現在、原始大気の主成分は二酸化炭素とされる。となると有機化合物を生じさせるのはきわめて難しく、生命の起源を求めた、この「ユーリー=ミラーの実験」の重要性は薄れた〕
誰が――何が知っているでしょう? 犬が自分自身のことを知っているでしょうか?――魚が、あるいはアメーバが知っているでしょうか? あるものは食べて消化できるが、あるものはそうでないことは知っています。だから知性とは、わたしにはたんなる程度の問題なのです。
フランシス・J・ハイデン,イエズス会士
天文学部長兼教授
ジョージタウン大学、ワシントン D.C.
さて宗教をみるかぎり、11番目に「汝、地上にあるもののほか何人とも語るなかれ」と戒める戒律など聞いたことがありません。しかし実行するとなると大問題です。わたしに理解できるのは、宇宙のどこかからメッセージを受けても応答や意見の交換はできない――ようするに、現時点では物理的にほとんど不可能といいたいのです。なぜなら通信手段が電波、つまり光速で伝わるものだからです。たとえいちばんちかい恒星の惑星から誰かがメッセージを送っても「ハロー」という声が地球に届くまで4年半もかかり、「声を聞けてうれしい、ご機嫌いかが?」とこちらの返事が伝わるまでに4年半かかるからです。お察しのとおり、ほんの日常的な言葉をかわすのに一生かかります。
〔11番目の戒律:むろん「モーセの十戒」を念頭においている〕
〔光速:約30万キロメートル/秒〕
人間とは似ても似つかないものとでも、知性さえあればコミュニケーションでき、意見の交換もできます。それを人間と呼ぶかどうかは分かりません。天使人とは呼ばないでしょうが『旧約聖書』には全編を通じて純粋な心をもつある種の天使が登場します――人間への神の使いでした。
地球外生命を探査する際に生じる宗教の意味の問題――生命はどこか一つの惑星に存在するのか、あるいは全惑星系の惑星に存在するのか。これに関連して生じる唯一の問題はアダムとイブの堕落の問題、そしてその堕落を私たちが受継いでいる問題でしょう。これらの生命にはたぶん、問題を起こして楽園を追い出されたアダムとイブなどいないでしょう。彼らはおそらく中世の哲学者や神学者たちの考えた純粋の自然状態、つまり人間のように愚かで意志薄弱な祖先はいませんから、彼らとの出会いはかつてない最上の導師、相談相手、知識人との出会いになるでしょう。このうえなく有益なことです。逆にアダムとイブの堕落がよそでも起きたなら、出会う相手はわれわれと同じ贖いの果実の恩恵を受け、われわれを理解し、人間とほとんど同じ言葉を話す連中ということになります。でも、これは推測でしかありません。
宇宙に存在するものは、すべて神の被造物です。たとえはるか遠くの銀河で生き物に出会ったとしても、それはわれわれすべてを創造した、神が創造なさったものです。
ある意味で、全宇宙に適用できる生物あるいは生命の共通法則が存在することを、私たちは知っているのではないかと思います。
どのような知的存在でも神を知ることができます。アリストテレス以来の哲学者たち、彼らの先人たちが信じていたのは、自然の不思議に目をとめる知的な人――科学の見地から研究し、秩序や多様な美の見地から単純に美しさを賛える人――は超越者、あるいは神の認識に至るというものでした。いっぽう聖書から分かるように、神はこの地上ではきわめて特殊な方法で人間のまえに現われ、より深く神を認識させ、より善く分からせようとしました。さて地球外生命に関しては、彼らに知性があれば科学者たちの知る方法―――もしくはアリストテレスや後世の偉大な哲学者たちの説く、この世界の在りようから超越者の存在を論証する方法で神を知ることでしょう。人間には知性がありますから、人間を創った神にも知性があると分かります。しかし顕現を通じて人間が理解したのと同じくらい、彼らも神を理解しているかどうか――顕現様式を調べるまでは分からないでしょう。
地球外知性との接触で人間は何を学べるでしょうか。第1に彼らは人間より物知りでしょう。われわれは多くの事柄について答えを得るでしょう。しかしそれは彼らと直接接触するか否か、また質問から答えまで、おそらく100年の2倍の時間遅れを待てるかどうかにかかっています。一方であちらは情報を公開し、こちらはそれをかき集めて解釈し、たまたま交信してくれた分野の知識は蓄積されるでしょう。こう言いたいのです。この宇宙で、誰かと知的な信号で交信できると知る喜びは、人間の知識の大きな前進です――この宇宙における、人間の地位と役割を認識する手助けになると思うのです。
ときおり思うのですが、地球外のどこかの知的存在を調査する際に、ことによると対立が生じるのではないかと。ひとはよくこう考えます、人間はこの地球に留まるよう定められ、これからも留まり、そして宇宙は神の戸棚だ――人間は垣間見るようになっていない。わたしは信じません。つまるところ「天は汝の栄光を告ぐ、おお神よ」という賛美歌があり、ひとりの哲学者として可能なかぎり学びたい欲求があるからです。人間にはたゆまぬ精神と肉体があります。精神はつねに物事を調べ、どうしてできたのか・・・どう動くのか・・それが何なのかを学びます。学ぶ意欲を阻害する聖書の中身はみな空虚です。ひとつの事実として感じるのは、聖書から得た知識にただ満足する人より、わたしの言う「科学の信仰」をもつ人のほうが、より多く魂の安息を得ていることです。
宗教史をはるか昔まで遡ると、信仰者はみな神が天に――高いところに――座すという立場をとっています。理由の一つはむろん、人間はこの地上で神と対面しないという自覚、そしてそう、落日の美しさを見慣れてきたからです。沈みゆく太陽、この大空のパノラマ――シェリーの歌う「落日の金色の栄光のさなか、さしかかる雲は輝き・・・」――を見ると、そこに人間のための何か神聖な建物が欲しくなるのでしょう。わたしは太陽崇拝者の思想を知り、また理解もできます。そして同じ理由で、ひとは宇宙や天の高みに神々の住まいを置きたいのだと思います。なぜなら、そこには人間の理解しない多くの美や驚異があるからです。だがくり返しますが、科学を信仰する者としてわたしには分かります――神はどこにでも、わたしのこの小さな指のなかにも、かぎりなく遠い星にも存在するのです。
人間はそう、宇宙の神秘を覗かないよう定められていると考える人たちには、頑迷な保守思想があります。これはむろん太古からの天文学者たちの努力、もっともっと多くの恒星や惑星、そしてそれらの運動法則を知ろうとする努力を否定するものです。最初の巨大な業績は、ヨハネス・ケプラーが観測データから惑星運動の三法則を発見して観測による最終目標に到達し、2世代後れの後継者アイザック・ニュートンが理論から出発して、自身の引力理論からケプラーが観測で得た同じ3法則を導き出したことです。これは科学の真の進歩です。世界中の誰もこれを恥じる人はいないと思います。じっさい現代は、人工衛星を地球の周回軌道に乗せていますが――われわれはすばらしい発見の時代に生きていると思います――これはニュートンの夢の実現です。ニュートンが示したのは、高い山のてっぺんに大砲を据え、地球の重力に対し水平な方向に相当なスピードで発射すると、弾丸は地球を回る軌道に乗るということです。人工衛星を打ち上げるのが悪いとは誰もいわないでしょう。現になし遂げているのは、現在の宇宙開発にかかる費用に値することです。気象衛星や通信衛星がよい例です。いま宇宙の研究をさらに進めても、それはなんら神の法を犯すものではないと思います。一部の人たちの保守主義に邪魔されてはならないと思います。
地球生命の起源の問題は・・・解決できるかどうか分かりません。ユーモラスに、あるとき一隻の宇宙船が地球にやってきて、ピクニックしたあとよその惑星に向かったが、そのとき乗員が残したゴミから生命が進化したと考える人もいます。ほかには、分子が成長してある複雑さの段階になると、DNAに類した生命を維持するようになると考える人たちもいます。このような現象が起きるのは、生命が生まれる条件、適当な温度や遊離酸素、水といった化学的条件がととのってからです。やがてどうやったのか、原始生命体かある種の衝撃によって生命過程がはじまり、ひじょうに単純な細胞が生まれてしだいに複雑な動物になりました。ついにそれらすべてのなかから一種の動物の体ができ、神はそれに人間の魂をあたえてヒトと呼ぶことにしました。この進化方式を信じたい人には、これらはすべて正しいわけです。ただ忘れては困りますが、人間の魂は試験管のなかや地球成長の初期段階からすでに存在し、それが進化したのではありません。周知のとおり、生命はつねに地球上に存在したわけではなく――生活スタイルは地表で長い時間のうちに変化し、生活の場も変えました・・・しかし、われわれホモ・サピエンス、知性をもつヒトの歴史はごく短いのです。どこからきたのか、実際どれくらいの時間ここにいたのか、正確なところは分かっていません。
ジェラルド・ファインバーグ
物理学教授、コロムビア大学
ニューヨーク
人間は早晩、星々に旅するようになると思います。行きたいと思う人の存在がそれを決める要件で、実現の方法や原理ならいまでも検討可能です。科学者のなかには、星々は遠すぎて人間は往きつけないという人もいます。しかし距離自体にはなんの意味もありません。距離はスピードに時間を掛けたものですから、相対性理論と使用可能エネルギー量の制約から超高速移動が不可能としても、使用可能時間を延長する試みはつねに可能です。延長する方法はいろいろあります。ひとつは人間の寿命を延ばすことで、これは他の理由からもよい考えです。他にも旅行者の生命機能を一時的に停止させる方法、体温を低下させる方法、あるいは代謝率を低める化学薬品を使う方法があるでしょう。一部の科学者はすでに似た方法を研究しています。ですから遅かれ早かれ、誰かが他の惑星系に向かうのは十分ありうることです。
100万年ものあいだ、自然法則とは基本的に矛盾しないとついさっき考えたことを、人類はすべて実現してきました。そしてたぶん、自然法則に反すると思った多くのことも。そこでこの考えを延長して、人間よりすでに100万年も進んだ知的生命のなかには、この時間差のあいだに考えたことをすべて実現したものがいるでしょう。
このような知的種族が天文学的な変更をくわえた可能性、たとえば自分の惑星をあちこち移動させ、なんらかの目的で幾何学的配置に並べ替えたことすら考えられます。彼らはまた、自らの生物学的形態も大幅に変えたと思われます。たとえある種族が人間よりずっと知的だとしても、それが理想の姿だとは思えません。ですから知的な種族なら、自分自身を現状よりよくしたいと考えるだろうと想像するわけです。人間自身、早晩そうするでしょうし、他の種族も同じだろうと予測します。
ちょっとした驚きですが、周囲に超知性体がいたとしても彼らの存在に気づかないでしょう。ひとつの可能性として、彼らが地球を訪問していても、そう50万年ほどまえなら、それを理解できる者は周囲におそらく誰もいなかったでしょう。地球は長いあいだそんな状態にあり、人間、すくなくとも現在の姿形をした人間はわずかに1万分の1しか存在せず、他の生命も似たようなものでしたから、訪問を受けてもまずそれとは認識できなかったでしょう。
発生パターンを操作して生体細胞の機能を変える方法は、ようやく何がしかの成果を上げ始めたばかりです。もしそれが可能になれば、もっと巧く迅速に思考できる人類が作れるでしょう。事実、それはとても胸の躍る予測です。かなりちかい将来、人間と機械との間に何か知的な関係が生まれ、そこでは思考という得意分野で人間が貢献するのです。これは数多い例のひとつと思いますし、わたし自身大きな関心をもってその将来を眺めています。
ですが電子機械の見通しが暗いとも思いません。電子機械には生体系より有利な点がたくさんあります――ひとつは情報の流れるスピードがものすごく速いことです。光速にちかいスピードです。人体内での神経パルスの流れは1秒間に数百フィートていど、けたちがいの遅さです。この差が機械の大きな利点で、この利点を生かさない理由はないと思います。しかし双方とも進歩するでしょう。
機械が意識をもつと、意思決定の際に何かもめごとが起きるかもしれません。知性をもつ機械が、人間と同じ方法で考える必要はないでしょう――事実、ずいぶんちがうと思います。
実際には2系統が同じ方式では動きませんから、双方の機能上の関係はよく分からないでしょう。この特殊な被造物を判定する基準は、こういってよいなら意識です――よく分かりません。この選択をおこなう際には、哲学上の興味深い問題がいくつか生じると思います。
人間心理学は、相当に難しい主題です。わたしの考えるロボット心理学は、現時点では考えようのない主題です。しかし機械の心理的な病気は、人間よりは扱いやすいだろうと思います。
あるコンピュータがべつのコンピュータに対して、精神病院の働きをするかもしれません。超頭脳機械が、文字どおり人類の最終発明であってほしくはありません。人間はこうした機械を発明するかもしれません。そしてその機械が、正しい秩序を構成するのに人間は邪魔だと判断する――こんな心配をする人もなかにはいます。わたしは自分の心配などしません。一例として、わたしに分かる範囲では、たとえ超頭脳であっても機械には動機づけがありません。動機は外側から、たぶん人間があたえる必要があり、したがって人間が超頭脳機械を作り、それが自己改良や新発明をしても、それらは機械ではなく人間の発明です。人それぞれの見方にもよりますが。
ひとつの問題――頭脳機械に? それとも生物学的に改良された人間に? どちらをどちらに接続するか、人間はそれを望むか――を考えています。たとえ頭脳機械やスーパーマンを作ることが技術的に可能になっても、その使用目的を定めることが必要です。
人類が、こんな生き物を創るのはイヤだと決意する情景が目に浮かびます。
人類にはこれまで真に重要で、しかも技術的に可能なことを実行しないと決めた例は皆無でしょう。人間の過去の生活様式にはある種の不可逆的な変化がありました。8000年前の農業の導入、あるいはおよそ200年まえに産業化に踏切ったようなことです。それらはちょうど科学技術の自然な発達と歩調を合わせていました。昔とちがうのは、20〜30年後に何を決める必要があるか予測できるようになったことでしょう。そして予測できるかぎり、すくなくともそれが望ましいかどうか考えるべきでしょう。
〔農耕・牧畜の開始:現在ではおよそ1万年まえとされる〕
F.C.デュラント三世
宇宙科学部副部長
国立スミソニアン航空宇宙博物館
ワシントンD.C.
文字どおり幾十億もの恒星の存在を知り、さらに10億の10億倍もの惑星がその周囲を回ることを思えば、この地球に生命が存在できたこと自体、何か不思議な思いがします。
地球外生命の探査はたしかに最高に胸躍らせる探検であり、論理的、科学的な方法でやれば達成できると信じています。
受動的、能動的を問わず、いまのところ電波による観測以上に合理的な探査法がないのは明らかで、たしかに有効なアプローチだと思います。
地球外文明人の発見、あるいはたんに地球外生命の異様な姿に接した衝撃で、ためらいが生じるでしょう。でもいつかは直面することです。それをきっかけに、この惑星上の人びとはお互いずっと親密になります。そうなると国境はほとんど意味をなくすでしょう。
過去のある時点で、地球外生命が地球を訪れていた可能性については、そう考え、納得できる報告に接していません。だからといって、絶対になかった――100年まえ、1000年まえ、100万年まえにも―――というのもまったくばかげています。
太陽系外からの信号の受信報告を受けたことはありません。知的存在からの信号と判別できる方法で、受信は続けていますが・・・。
100万年存続している生命、この100万年間知的状態をたもった生命の能力、技術、発達の水準を考えるなど人を惑わすだけです。どのていど交信できるか考えるだけでもきわめて困難です・・・そのような生命との交信に興味があり、楽しみにしたとしても。
人類よりはるかに進んだ地球外知性と接触するなら、なんらかの形で友好的な関係を結びたいものです。つぎの段階で――と思いますが――コミュニケーションが成立すれば、その知性体から学べます。彼らの知性がはるかに進んでいる場合はとうぜん、相手にされていないのに気づかないだけです。
将来、知性をもつ機械、記憶回路をもつ高度なコンピュータ・システムを使用する可能性はきわめて高いでしょう。たしかにより複雑な知性をもつ機械を開発すれば、訓練方法を考えて日々の雑用は機械にやらせるでしょう。簡単な判断のやり方を教えます。これは今日の技術水準から予測できます。機械が進歩すればとうぜん、ずっと複雑な決定をくだす能力の向上――最後には知的な人間なみになること――も予想されます。最終的には人間より機械のほうが合理的に判断すると想像され、国の決定の一部を機械に任せるという、面白い可能性すら出てきます。しかしそれは10年以上先の話で、その時期まで予測するのはむずかしいでしょう。
性能が向上して将来いつの日か痛みや喜びを感じる機械――感情をこめて応答する機械の出現も想像されます。コンピュータの設計時に人間の経験や感情のデータを入力して、それなりに機能が向上すると分かれば、感情や感覚の機械的シミュレータの需要が生まれ、ついで製造されるでしょう。
たしかに感覚をもち、感情をこめて応答できる機械を開発すれば――その気になれば機械は痛みや喜びすら感じるようになります――現代人のように混乱し、ノイローゼになる機械が現われても不思議はありません。たしかに機械にもよりますが、ついには休憩時間や応答内容を見直す時間を要求する機械まで出現するでしょう。いまお話しているのは、じつは人間そっくりの行動をする何物かを作る試みです。ほかにもやり方はあると思います――人間の、おそらく弱さをもたないものを作る試みです。
技術的な道具さえあれば何でもできる――人間能力の向上や拡張に限界はないと信じます。いいかえれば、人類は宇宙の探査をやめないと思います。より遠くへ、より長期間進出してコロニーに移住し、まったく新しい世代を産み育て、宇宙の探査を続けるのです。わたし自身は光速を移動速度の限界とする必然性を認めていません。いうまでもなく、人間は光速とは比較にならないスピードでしか移動できませんが、将来は分かりません。むろん光速の何割かまでにしか加速できないことに根拠はありますが、超光速移動の手段を否定する必然性はないと考えます。いまのところ重力から逃れるすべを知らない以上に、超光速航行する方法は思いつきませんが、可能性はあると思います・・・。ちょうど現代の半導体エレクトロニクス――あるいは固体物理学が――1869年の科学者には奇跡や魔術に見えたと同じように、可能性はあると心では感じています。どうやってというぼんやりした方法概念さえ見えなくても、可能性はあるといいたいのです。そのような発見は現代人にはおそらく魔術に見えるでしょう。ちょうどトランジスタ・ラジオや固体物理学がトマス・エジソンにそう映ったように。きょうここに座り、それが実現したときの状況を理解しようとしても無理ですが、しかし未来には実現されると信じます・・・来年、10年以内、それとももっと将来に。だがいつかはできると信じます。
ジェレミー・バーンスタイン
物理学教授
スティーブンス工科大学、ニュージャージー州ホボークン
『ニューヨーカー』誌編集スタッフ
地球外生命を探査するうちに――知的文明を発見し、交信できれば――たぶん可能です――このうえなく印象深いのは――彼らは死をどうとらえ、死はどんな形をとるか学ぶことでしょう。
私たち太陽系の歴史を拡張して他の惑星系にも適用させる理論、歴史の一般化理論なるものがあるとすれば、その理論は、太陽系の進化はいかなる意味でも独自でないという認識がまさにその基礎となります。厳密に考えればこんなことはむろん不可能です。早い話、この太陽系が独自かどうか云々するほどの知識すら、まだもち合わせていないのです。知るのは、太陽系以外にも何十億もの惑星系があるはずだということです。複数の惑星をもつ恒星の存在も知っています――なかには木星とほぼ同じ大きさの惑星があることまで――そこで宇宙にはきっと何十億もの惑星があるはずと考えるのですが、あとはすべて確率にもとづく推測です。
宇宙旅行の未来はすべて核爆発推進システム、核爆弾を制御してエネルギーを利用する装置の使用にかかっています。したがってある文明が真の意味で宇宙旅行できる時期は、原水爆を統御できる時期とほぼ重なると思われます。そこで問題は、洗練され、核の制御技術を確立するまで文明は長生きできるかになります。私たちは自己の技術を保持するつもりなのか。さらに、あらゆる文明には憂鬱な可能性――核技術の欠陥からついに自らの技術を滅ぼす可能性――があるのか否かは分かりません。
近代生物学の教えるところによれば、生物と無生物間の区別はほとんど気まぐれによります。とすればエレクトロニクス工場でなく試験管のなかで、生物学的に機械を作ることも可能でしょう。それを機械と呼ぶか生きた動物と呼ぶかは、ほとんど好みの問題です。
月やその後の火星探査では、考古学の面がこの上なく興味深いでしょう――大気が薄いので、もし昔、誰かが月や火星に出入りしていれば、これほど大気が薄いと腐食はほとんど進みませんから、遺留品がきわめて良好な状態で保存されます。だが昔、あるとき異星人が地球を訪れた証拠はほんとうに何もありません。希望は永遠にありますが。
パストゥールの実験以前は、生命は生命のない物質から自然に発生したと思われていましたが、同時に、人間は神に起源をもつという考えも一般的でした――もちろん人間が神に由来するならば、地球外生命の問題はもはや科学的に論議するすべはありません――好みの問題になります。だがパストゥールの実験は、生命は無生物から自然発生しないと明白に証明し、科学に勝利をもたらしました。さて生命が無生物から生まれないなら、生命は生命自体からしか発生しないことになります。そうなると議論は永遠に堂々めぐりし、生命の起源の科学的な探究は不可能になります。しかしダーウィンとその後継者たちだけは、無生物から生物が生まれる問題を再度調べなおしました。おかげで、地球外にも生命が存在するのではないかという考えがある意味で近代的な考え方になり、生物と無生物の境界がきわめて曖昧になったのです。
地球外生命は優しいだろうと考えるのは一般的で、どちらかといえば素朴な考えだと思います。この宇宙には哲人王が君臨するという考えです。プリンストン高等研究所のフリーマン・ダイソン教授は、地球外生命の手がかりを見つければ、最初に探知した兆候が本物の先端技術だろうと指摘します。ひじょうに高度な技術システムで作った信号を探知しても、それほど高度な技術力をもつ文明ならとうぜん夢のように優しいだろうとは、とうてい考えられません。人類の文明は、技術が進歩するほどあらゆる面で悪くなり、きわめて高度な技術をもつ恐ろしい文明になると想像できます。
ひとは文明が100年、1000年と続くうち、その攻撃性や内輪の問題がすべて解決されると期待するでしょうが、わたしは文明自体を地表から吹き飛ばしかねないと思うだけです。わたしには分かりません――ひとつすばらしいことは、私たちや子孫は学び続けるということです。
フリーマン・J.ダイソン
物理学教授
プリンストン大学、高等研究所
〔フリーマン・ダイソン:1923〜。場の量子論、物質の安定性、相転移、中性子星、重力理論、原子炉の設計など幅広い分野で活躍。地球外文明については、ひじょうに進歩した文明なら恒星のエネルギーを有効に利用するために巨大な球殻を作り、その惑星軌道から内側をすっぽり覆っている可能性があるとする「ダイソン球」の概念を提唱〕
わたしは電子的な機械装置が現在より大幅に進歩するとは思いません。むろん時間が経てば分かることです。完全に誤りかもしれませんが、エレクトロニクスの利用にはおのずから限界のようなものがある――つまり、電子機械は人間精神の可能性をひどく萎縮させるような気がしますから、在来型の電子機械を使う人が、人間精神のようなものを作れるはずはないと信じたいのです。人間が生物的技術の利用法を会得して、生物的な材料で機械を作ればずいぶんとちがってきます。その瞬間に、人間のもつ何かをはるかに凌駕することも大いに可能となり、おそらく知性体さえ創造できるでしょう。しかしそれを機械知性と呼ぶか否かは、むろん表現の問題です。電子式コンピュータでなく、それよりずっと生きた有機体のように見えるでしょう。
わたしには分かりますが、生物学者たちは一般に自分たちの試みをずいぶんと楽観的に考えています――自分たちがすばらしい世界の入口に立っていると思い込んでいます。わたし独自の判断はできませんが、その傾向が強いと思います。
その気になれば、100万年以内に銀河系をひっくり返してみせるなど、当然のような気がします。すくなくとも物理学の世界では、それを邪魔するものは何もありません。そうしないのは何かもっともな理由があるのでしょう――他の知的種族がそうしないのも。
もし高度に発達した技術をもつ種族がいるなら、それを捜索するのはマンハッタン島に生命の証拠を探すようなものかと予想していました――彼らは周囲の環境をことごとく変えたでしょうから・・・。何らかの理由でこれをやっていないのは明らかです――彼らが存在するなら。
空を見ても痕跡は見あたりませんが、これは異常なことです。400年まえのインディアンがニューヨーク港にきても、見たものを理解はできないでしょうが、すくなくとも何かあることには気づきます。
〔インディアン:「アメリカ先住民」という用語は当時まだ一般的でなかった〕
人間の脳が働くのを見れば、ありとあらゆる問題を抱え込むでしょう――でもそれは、もの覚えが悪くて物事をすばやく能率的に学習できないだけです。現実には多くの制約がありますから、やり方さえ分かればそれを克服できるのにと想像します。そこで普通はもっと頭がよくなってたくさんの言語を覚え、科学で分かることをすべて理解し、今よりずっと有能になりたいと望むわけです。さらにひとは、道徳的規範や自分の個性をあまり変えずにそうなればよいと望みます。しかし当然、あらゆる予期せぬ副作用、たぶん新型のノイローゼも同時にともなうでしょう――つまり、これは極度に注意を払うべきゲームです。しかしゲームがなされることに疑問の余地はありません。ある面では期待に、またべつの面では不安に、わたしの胸は高鳴ります。
問:一部の物理学者は、素粒子のなかには現に時間に逆行して動くものがあるから、人間も時間を遡れるだろうと示唆していますが?
〔「ニュートリノが空間と同じく時間軸を移動する事実が確認され、ニュートリノが時間軸に沿って物質を貫通した歪みをもとに、その物質の映像を構築するというのがアシモフのタイムスコープの原理です」(野田昌宏『宇宙を空想してきた人々』)〕
そのことに何か意味があるとは思いません。時間の流れについても、物理的な意味はかなりよく分かっています。時間が一定方向にしか流れないことこそ、人間が生物であり、一定の物理学、数学の原理にしたがって情報を入手、利用している事実から導かれる結論です。それがこの素粒子に関わりがあるとは思えません。素粒子が時間に逆行した動きをするのを意味ありげに話すのは構いませんが、だからといって人間が時間に逆行して移動できるとか、他の生物にも可能だとかはいえません。たんに言葉を混同しているだけです。
問:物理学の分野で分かっていないのは、どんな領域ですか?
未知の最大の領域はきわめて高いエネルギーの領域で、いまこの瞬間も物理学がめざましく進歩している分野です。ここは小さな粒子の世界で、ひじょうな高エネルギーで粒子同士が衝突したり、べつの粒子を作り出したりします・・・みなまだよく分かっておらず、まさにその理由で科学者たちが色めき立っているわけです。
宇宙に知性のしるしを探るのは当然ですし大変重要ですから、もっともっと力を注ぐべきです。これまで星2個あたり約2ヵ月しか探査していません。これがすべてで、それ以上何もしていません。強く望みたいのは、この探査を恒常的な作業として復活し、将来に向けてますます真剣にやることです。この宇宙で他にも知性が存在するか否か、この判定がきわめて重要な問題であることは明らかで、何か証拠が見つかればその意味は大きいでしょう。証拠が見つかることには大変懐疑的ですが、やってみるべきだと強く願っています。
結論の予測は不可能です――想像する方法は皆無です。異星人の姿はわれわれの想像より奇妙なばかりか、われわれの想像を超えた奇妙さだろうといったのは誰だか忘れましたが――これは深い意味で真実です。ですから結論がどうなるか想像もつかないのです。たとえコミュニケーションがとれず、たんになりゆきを受動的に観察するだけでも、おそらく予想すらできない、見慣れたものとは極端にちがうあらゆるものを目にし、ものの見方は確実に大変化をとげます――人間観や一般の世界観は大きく変わるでしょう。
光より速く移動するものはないと信じます。これが基本的な限界です。この意味は、星間旅行にはかならず長期間を要するということです――ですから家族で隣町に出かけるようなわけにはいきません。この光速の限界は絶対的な原則だと信じています――お蔭でわたしは喜んでいます。空間的にも時間的にも隔絶した場所に向かう宇宙旅行が、ますます興味深くなると思います。でも、ほかにもちょっとした制約はあると思います。光速の数分の1のスピードを得るような、核エネルギー推進法は想像すら困難です――たぶん数パーセントでしょう――おそらく光速に相当ちかいスピードにいずれ達すると信じます。でもその方法はまだ分かりません。
太陽系は全般にとても行きやすいところです。あと100年もすれば、太陽系周回旅行はたぶんかなり自由にできるでしょう。核エネルギーを手に入れ、たとえば推進システムに電気・核エネルギー発生装置とプラズマ・ジェットを採用すれば、100年以内にはかなり効率的、経済的に太陽系を周回飛行できるようになると想像します。それ以上のことはいうまでもなく途方もなく困難な計画で、さらに100年以上は確実にかかるでしょう。
〔プラズマ・ジェット:従来の燃焼エンジンとはことなり、電気を使ってガスをプラズマ状態にする。燃料の消費が少ないため長時間加速でき、超高速が得られる。現在NASAでは火星探査ロケット用に、3基の小型原子炉を用いたプラズマ・ジェットエンジンを開発中である〕
予見可能な未来に太陽系内にコロニーを作れるか――興味深い問題です――人類は太陽系内のさまざまな場所に広がるでしょうか。そう信じますが、もちろん場所や方法について語るすべはありません。適当な場所もまだよく分かっていません――コロンブスが、スペイン出帆の際に目的地を知っていたていど以上には。それでも将来きわめて有望と思われる場所は彗星です。SF作家の多くはもっぱら惑星に目を向けていますが、生命の移住にいちばん適しそうな場所は彗星です。太陽系内には10個の惑星と、おそらく数百万あるいは数十億の彗星があります。植民する場所としては彗星が最適かもしれません。なじみ深い物質でできています――水、炭素、窒素、酸素は、うまいことに植物や動物が生きるのに必要な物質です。彗星の大きな利点はその莫大な数にあり、まだ着手していませんが、あるていど技術開発をすれば、小さなコロニーならたぶん容易に建設できるでしょう。
F.D.ドレイク
放射線物理・宇宙研究センター次長
天文学部長
コーネル大学、ニューヨーク州イサカ
〔フランク・ドレイク:1932〜。地球外生命との通信を試みる「オズマ計画」を主導、カール・セーガンとともに探査機パイオニア10号に積込んだ地球外生命へのメッセージを考案、SETI(地球外知的生命探査)研究所の創設、銀河系内の宇宙文明の数を推定する「ドレイクの式」を提唱するといった、知的生命とのコミュニケーションをめざす〕
どこかに知的生命がいると信じる理由は、人類がこれまで知識を蓄えてきたからです――とりわけ宇宙には膨大な数、100万の数百万倍もの星があるということ、それらの大半がこの太陽に似ていること、惑星系は宇宙のごくありふれた存在と信じている事実、そして最後に、惑星では生命の発達は困難でなく、条件さえととのえばいともたやすいこと――が含まれます。
人類より1000年進んだ文明の能力を推測する力はないと思います――おそらく自分たちの100年後のことさえ分かりません。