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97年8月18日 月例祭のお話
よしあしを超える道
教 会 長
○わるい者が生きられない
○須磨の小学生殺傷事件
○信じ合うということ
○わるい者が生きられない
先ほど、竹部教雄大人の放送講話を聞かせていただきました。「よしあしを超える道に生かされて」と題して、昭和58年10月12日に放送されたものです。金光教教典が教祖百年祭のときに出ましたが、その頃のときであります。
このお話しの中身は、金光教の宗教情操教育講習会でも話しています。父は高橋正雄先生を師匠と仰いでいました。
ある時、先生から、「あなたのような生き方あり方では、わるい者が生きられん。わるい者がいきができん。わるさというものも、一つの位置が与えられなければ、よくなる道がつかない」と教えられ、自分にも同じようなわるさがあると気づかされました。話の最後に、「自他ともに、どのようなわるさをも、もてあまさないで生きていける人間にならせてもらいたい、私自身、かかわる相手次第では、どれほどのわるさをひきださせられるかわからぬ者として、どこどこまでも、かかわりのある多くの方々のお導きをいただいて、限りなくよい者にならせてもらいたいと、このように願わせられております」と、話しています。
人と共に生きる生き方を、自分自身のあり方に照らして、これから勉強をさせてもらいたいと思うわけであります。
○須磨の小学生殺傷事件
ところで、今日の社会はいろいろなひずみが出てきているようです。須磨の小学生、土師淳君を殺害した犯人として、中学生の少年A君が容疑者として逮捕されています。
雑誌のアエラ(97年8月11日号)に、ルポライターの吉岡忍氏が「宮崎・オウム・酒鬼薔薇 次の不安」と題して、その最後に、「私には悪い予感がある。これで終わりではない。きっとまだ、つづきがある」と書かれていました。
同じような出来事が起きる可能性はあるといわれるのです。幼女連続誘拐殺害事件の宮崎勤被告は、たまたま歩いていた女の子四人を誘拐して殺していった。地下鉄車内にサリンを撒き散らして多数の死者を出したオウム真理教の若者たち。そして、今回の事件を通して、共通するものとして、次のことをあげておられます。
一つは、被害者は不特定多数のなかのだれでもよかったのに対し、加害者の側にはある種のカルト的な気分や妄想があり、それに突き動かされるように犯行に向かったということ。
二つ目は、犯行手口が過激化していること。
三つ目は、社会のそこそこに豊かで清潔な、ほどほどに中流意識を持った私たち自身の中から出てきたということ。
そして、少年A君の生い立ちをたどっています。日本の南端に近い島で生まれた父親は、中学を卒業して神戸にやってきました。電気工事の見習いから始まって、今は大手重工業メーカーの技師になって、今日の社会を支えてきた一人です。母親の両親も同じ島の出身でした。母親のお母さんが貯めたお金で、ニュータウンの家を購入して、社宅から引っ越したわけです。
私が小さいときに、東北地方から中学を卒業したら集団就職する列車の映像が記憶に残っています。田舎では生きていけない、それで都会に出て一旗あげること、故郷に錦を飾ることを求めて生きてきた時代であったわけです。
私たちの生きてきた目標と、今の子どもたちの生きる目標とは違うということを私自身が認識しているのでしょうか。今の社会に育ってきた子どもたち自身もどうしようもできない、いらだちがあるように思うのです。
○
前にもお話ししましたが、宗教学者の中沢新一さんはオウムに関係をもたれ、今もその批判の中で活動しています。中沢さんが、オウム信者たちの育った家は、新建材の文化住宅で、汲み取りがないし衛生的で匂いもしない清潔なデオドラント感覚で造られている。そして、子ども部屋、勉強部屋で育っている。だから、オウムのサティアンが臭くて汚いのですが、かえって存在感が得られるのだというのです。
一方では、汲み取り式の便所では用が足せない。だから、金光の旅館には泊まれないという人もいます。両極端な感じがしますが、人間はその両面を持っているのではないでしょうか。そういうことで、一つの社会を構成していることを考えておく必要がありそうです。
歌手の山口百恵さんが同じ世代で、「産院で保育器に移されて母親と離される体験を持った最初の日本人だ」と言われています。昔は産婆さんに手伝ってもらって、家でお産をして、母親に抱かれて育てていたわけですが、今は病院でというように社会が変わってきているわけです。
一生懸命に働いて家を持つことができて、子どもに期待するわけですが、その親の期待に応えられない場合はつらいわけです。この少年も自分の生きる世界を見つけだせないままに、違う方向で生きてしまったのではないでしょうか。あなたも同じ人間だと認めてもらえないことが、一番寂しいことだろうと思います。
ルポライターの吉岡さんは、須磨の住宅街に行かれて、「近代は終わったのだ、という思いがずしりとのしかかってくるのを私は感じる。貧困や飢餓から逃げ出し、因習や差別をきらい、もう少し豊かに、もっと清潔で快適にと働いてきた過去、百数十年間の日本人がたどり着いた、いま、この世の中。それを受け取る次の世代がリアルに感じているのは、自分のなかの秘められた力だけなのだとしたら?」と、書かれています。
私たちが創り出してきた社会が行き詰まっているようです。
この世の中で生きていく夢、価値観を見つけ出すことができないで、生命力が弱くなってきているのではないでしょうか。ある意味で信仰とは何かということが、オウムの事件の時も問われたわけですが、今回もやはり同じようなことを問われているように思います。
○
神戸市内の教会で御用されている若い先生が、「須磨区には金光教の教会がなかった。犯人が天地書附を見ていたらと思う。書附は見て助かるもので、自分の体で天地書附を見せることがいる」というようなことを話されています。神戸市内には三十幾つかの教会がありますが、新興住宅街には教会はありません。そういうなかで、信仰に触れていたら、天地書附に触れていたら、その努力が我々も足りなかったと言われております。そのような感覚も大切なことだと思います。それで、私ども自身はどのように発言していったらよいのか、問われる時代になったなあと思います。
○信じ合うということ
富山大学で宗教研究をされている小沢浩氏が、岩波新書で「新宗教の風土」という本を出されています。私は澤田先生からいただき、読ませていただきました。富山県をフィールドに、新宗教進出の意味や意義を究明しようと、信者の告白などを通して、「人が宗教を信じるとはどういうことか」を浮き彫りにされています。小沢さんが触れ合った人、学生の卒論なども含めて、いくつかの宗教団体が紹介されて、信仰とは何かをエッセイ風に書かれています。
小沢氏は「生き神の思想史ー日本の近代化と民衆宗教」で、金光教祖を取り上げられています。そして、遠藤誉さんが書かれた「チャーズ」の中で、中国で殺されたうめき声が聞こえる死体の山の前で、毎晩、祖先賛詞を唱える大久保さんの信仰実践を高く評価されています。題材の取り上げ方、その文章を読ませていただいて、本当に分かりやすく書かれていると、そのときに思いました。父に、「研究所の論文もこれくらい分かりやすく書いてもらったらありがたいのに」と、申したことがあります。
小沢氏は平成7年に、東京で「こんこうセミナー」の講師をされています。その打ち合わせの時に、「金光教は研究するほど離れられなくなってしまう。いずれは自分も真宗か金光教に行き着くと思っている」と言われています。そして、「島薗氏が金光教祖を研究した頃の論文には、教祖がすべてではないという主張があった。そこで竹部教雄氏は、そこにこだわり続けて、晩年、天地金乃神を考察した。そこに竹部氏のすばらしいところがある」と話されています。
島薗進氏は今は東京大学の宗教学の教授です。若い頃に、教学研究所の研究論文について、教祖を研究しているだけでは、足らないのではないかと批判されました。そこで、父は自分の課題として、念願の研究論文「神名としての『天地金乃神』考ー追体験的考察による『立教神伝』ー」を完成させました。これは、島薗さんの質問に対する答えなのだと話してくれたことがあります。
このことを小沢 も知っておられたわけです。父のことを評価してくださって、ありがたいことだと存じております。
小沢氏は、信仰に生きている人の姿を通して、その信仰を考えてみようとされているように思います。今、ここにも何人かの人がいますが、同じ話を聞いても一人ひとり受け止め方は違うはずです。今までの社会での生き方も、今求めているところも違うからです。
私どもお互いの人生を大切にしあうということが大事だと思います。あなたも、私も同じ人間ですが、ときには、過ちを犯すこともあるかも知れません。どうぞ、それぞれに助かり立ち行くおかげを蒙りますようにと願うことをこれからも求めてまいりたいと思います。
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