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96年8月18日 月例祭のお話

日 々 の 祈 り

教 会 長


  ○熟睡するけいこ

 今日は月例祭に併せて、前教会長、竹部教雄師の例年祭を仕えさせていただきました。先程、竹部教雄師が「日々の祈り」と題して話したものを皆様に、聞いていただきました。
 熟睡するけいこをと教えられていますが、心配事があったりすると、とても眠れません。安心して眠りにつくためには、一日のお礼と明日のお願いを申して、心からやすらぐことが大切なことです。そして、眠らせていただくようにお願いして、気持ちを切り替えることがいるのです。

 先日、上海で子どもたちが曲芸を勉強している学校の様子をテレビで見ました。昼一時間、昼寝をすることが大切なことで、しっかりと眠らないといけないのです。眠ることには、疲労の回復や身体の成長や心を整えるなど不思議な働きがあります。熟睡するけいこを普段から心がけて、眠りにつきたいものです。

  ○不成(ふじょう)

 次に、物事が成就しないということを教えられています。直信(じきしん)の佐藤範雄先生が教祖様に、「金光様、このお道の奥義は何でありますか、承りとう存じます」と尋ねられました。すると、教祖様は、
「この方の道は九か条である」
と直ちにお答えになり、
一、方位
二、毒断て
三、不成(この方のふじょうは、不浄にあらず、成らずと書くのぞ)
   三つ
四、欲徳
五、神徳(寿命長久)
六、人徳(人に用いらるること)
   三つ
七、神
八、皇上
九、親
   三つ
と話されています。

 とくに、不浄という言葉を嫌われています。すべて神様の思し召しと受け取らせてもらっている者が、不浄と言うことで分け隔てすることを戒められています。さらに、この言葉にかけて、「成らず」と、あえて話されているわけです。私どもは物事が成就するようにとお願いをしています。しかし、よく考えてみますと、物事が成就しないことの方が多いようです。とくに、成らずを基本にして信心をするように言われているように思うのです。

  ○無理をしない

 無理をしないようといわれても、どこまでが無理なのか、それは結果でしか分からないのではないでしょうか。体調が崩れた後で無理をしていたことは分かります。一生懸命に取り組んでいるときには分かりません。自分が無理になっているなと気づいたときには、お礼を申して、早めに休ませていただきましょう。
 四代金光様も、心をつかうこと、気をつかい過ぎてもいけない、また身体を使い過ぎてもいけないと、よくお話しされていました。過ぎたらなかなか元に戻りません。過ぎるということも気をつけさせてもらいたいと思います。

  ○「ええかんがよし」

 金光教祖は、「ええかんがよし」ということを言っておられます。明治十年の「覚帳」に、「天地、あめつちを忘れな。
ええかんのことを言うていけず、どうならん。
のうてならん。水につかりてならず、土に埋もりてどうなるまいが。
人間に大酒大食悪し。諸事万事ええかんがよし」
 覚帳の注釈によりますと、
「水も土もなくてはならない。また、大雨にあって家や田畑がつかるほどでは困るし、土に埋もってしまってはどうにもならない。だから、天ばかりでなく地、雨土、その両方の恩恵を忘れてはならない。それに、いいかげんなことは悪いように言うが、人間には大酒大食が悪いように、むしろ、いいかげんが諸事万事につけてよいのだ」
と、書かれています。

 一本気で真面目につきつめて物事を考える人には、少し、いいかげんにすると言えば、言葉にごへいがありますが、きっちりとすることだけがよいとは言えません。周囲の人が息が詰まってしまいます。妥協することで物事がおさまるところがあります。腹八分目とも、言われているように、余裕をもって生きさせてもらうことも大切だと思うのです。
 また、それくらいの心の余裕がありませんと、皆を受け入れることができません。人間は自分ができすぎると、人を責めるようになります。自分だけがえらくなりすぎるのです。無理をせぬようにということとも関連すると思います。
 来年は、この「ええかんがよし」を教会の願いとして取り組ませてもらおうと思っています。

  ○金光教の葬儀

 今年になって、この広前で葬儀を三回させていただきました。故人の最後の広前への参拝、そして霊様として祭らせていただくため、不要な飾りをなくしています。清々しい雰囲気の中で、それぞれに好評でした。また意外に、お線香の匂いを嫌う人が多いことを知りました。故人の最後を気持ちよく見送らせていただいたと言われたそうです。
 死はあってはならないことで、亡くなった人は不浄で忌み汚れるといって、死を嫌うところがあります。私どもは、亡くなられた人の一生を神様にお礼申し上げ、残されたものが霊様として祭らせていただくために葬儀を仕えます。
 このお広前でその形を現すことができるようになったと思います。初めて、この教会での葬儀に参列された方が、清々しく好ましく受け取られています。金光教の教えの中に生死を貫くしっかりとした教義がありますし、その教義を形に現すことができているからだと思わせていただいています。

 先日に、Sさんの十日祭がありました。曾孫の方も一緒に声を出して拝んでくれました。曾孫が生前と同じように遊びに来たときに、Sさんの息子さんは、曾孫からみれば、おじいさんは、Sさんの新霊神の前で一緒に、新霊神拝詞を唱えられるそうです。みなさんで霊様を大切にされている姿を見せていただきまして、ありがたいことだと思いました。
 また、曾孫さんが水泳の大会に参加する前に、新霊神にお願いしていったそうです。思った以上に成績が良くて、帰ってすぐに新霊神にお参りして報告をして、家族に話されたそうです。新霊神様にお参りすることを通して、何か形に見えない支えをいただかれた大切さを教えられました。小さいときには、純粋にそのままに受けめることができますが、成長するにつれ、自分の力で、わが力でというこものが出てきます。祈るということの大切さを私どもは、もっともっと分からせていただきたいと思います。

  ○O157

 今年の夏はO157の問題が出てきました。今でも原因追究がなされています。
 今日の月例祭の祭詞の中でも申しましたが、
「みな、病気の名前や病気のもとは不思議によく知っているが、おかげの受けられるもとを知らない。病気のもとよりは、おかげのもとをたずねてみよ」と、金光教祖が教えられた中身をしっかりと受け止めさせていただきたいと思います。
 確かに、原因を探して対策を講じることは、大切なことであります。しかし、原因が分からないと生きられないというのでは、何と頼りない生き方なのでしょうか。

  ○食物は体の丈夫を願っていただく

 金光教祖は、「食物はみな、人の命のために天地の神が造り与えてくださるものである。何を飲むにも食べるにも、ありがたくいただく心を忘れるな」とも、教えられています。
 食物はみな、私どもの生命を支えるためにいただくのであります。食物は生産、流通、調理など、様々な人を通じて、自分のところに届けられます。その元は、この大地・海など様々な天地が恵むものです。自分の身体の丈夫のため、お礼を忘れないでいただくことが大切です。もし、病気にかかったときには、「早くよくなるように、身体が元気になるように」と、お願いさせてもらえばよいのです。

 O157が存在するだけで、皆が病気になる心配をしています。この地球には様々な細菌も共に生きています。人間の生命を奪うものもあれば、助けるものもあります。消毒して共に消し去るような考えは、人間本位の生き方を感じ、何かおかしいように思うのです。
 私どもの中にも不都合なことがありますと、避けるような生き方を求めますが、自分は天地と共に生きさせてもらっている者として、不都合なことが起きてくるのもあたりまえのことと受け止める力を、しっかりと、いただいてまいりたいと思います。

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