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無償の神様の働きをいただいている |
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九十一歳、今なお現役で聖路加国際病院の院長として務めを果たしておられる日野原重明さんが、 「この世に生まれている限り、私たちに問われていることは、ちょうどピッチャーがボールを投げてキャッチャーがそれを捕らえ投げ返すように、宇宙の彼方から投げられたボールをどう受け止め、どう投げ返すか、なのだと思います。 今、私たちが生まれてここにあるということは、厳粛な事実です。 釈尊が生老病死にどう対応するかを学ぶため、城を出て修行の旅につかれたように、そしてソクラテスが、人はどうよく生きるか、その答えを探し求めたように、私たちは、どうよく生きるか、どうよく老いるか、どうよく病むか、そして最後には、どう死ぬか、そのことを考えなくてはならないと思うのです」と話されています。 私たちの住む宇宙は百五十億年前に誕生し、四十六億年前に太陽、続いてこの地球が生まれました。それから十億年かかって、原始の海に最初の生命が生まれ、そして二百万年前に人が誕生しました。 金光教祖様は、「人は十年は長いように思うけれども、神様にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもない」と仰せられたように、長い長い年月をかけて、あらゆる「いのち」は進化をたどり、いのちを繋いできたことになります。 そして今、私がここにあるということは、いろいろな条件が重なり合ってきた結果です。両親やまたその両親たちという先祖の出会いがなければ、私という人間は存在しません。 また空気や水、あらゆるいのちの恩恵を受けて、私たちの身体の六十兆の細胞が昼夜を問わず働き続けて今ここにあるのです。自分の力であるのではなく、いのちを賜り育てられてきた私たちです。 私たちが自覚するしないにかかわらず、いのちの中に悠久の地球のいのちの営みがあり、太陽、空気、水、光、大地という無償の神様の働きをいただいている一日一日です。 そのことを基にして、私たちは寿命といういのちのある限り、この人生で果たすべき使命、私という「ボール」をどこにどう投げ返すか求めて行かねばなりません。 (2002/10/15)人のことを祈りながら仕事をしていく 道路交通法の一部が改正され今年6月から、飲酒運転は3年以下の懲役又は50万円以下の罰金、酒気帯び運転は1年以下の懲役又は30万円以下の罰金になると聞きました。 そのせいか、繁華街、それも一杯飲むお店は客が減っているそうです。Aさんのお店も夜は仕事の疲れをいやしに一杯という人があったのですが、最近はこの交通ルール変更のためにお客さんが減ってきました。年のせいもあるのでしょうが、商売をする者にとってお客さまが少ないというのは、一層に疲れを感じさせるものです。最後の片づけをするときには、「今日も少なかったなー。あーしんど」と知らずにぶつぶつ言っているAさんでした。 しかし、ある日自分で意識もしないのに、「金光様ありがとうございました」と言って片づけているのです。自分で自分の心の動きにびっくりしました。そういえる自分がありがたく、また身体も心も軽くなっていることを実感し、喜びのこころで教会にお礼参拝されました。 ノートルダム清心女子大学理事長の渡辺和子さんが、修道生活に入られて間もないときのことです。百数十名の人たちの配膳をしている時、年長の修道女の方から、「同じお皿を並べるのなら、夕食にそこに座るであろう一人ひとりのために祈りながら置いてごらんなさい」と諭すように教えられました。 渡辺さんは、「ロボットでも並べられる皿、それをロボットと同じに置いてはいけない、人間には人間しかできないことがある。祈ってあげたいと思う人の座席に、祈りながら皿を置くことは易しい。しかし、誰が座るかわからない、もしかすると自分の大嫌いな人、敵とさえ思う人が座るかもしれない座席にも、『お幸せに』と祈りながら皿を置くということは、分け隔てなく愛をこめていくことであり、尊く意味ある仕事になっていく。また、この世の中に雑用という用はないのであって、私たちが用を雑にした時に、それは生まれる」と話しています。 小さなことに心を込める、そこに自分自身も周りも大切なものとして輝いていくことができる確かさを感じます。一つひとつの出来事、事柄に喜びを持って、感謝の心で受け止めていけるように成長していきたいと願わせられます。 (2002/8/23) |
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