志貴くんの一日 ――キミは生き残ることが出来るか――

 

 市街から少し離れた高台にたたずむちょっと場違いな洋館、遠野邸。
 高台にあるだけあって街のなかでは一番早く朝日を受ける。
 そんな洋館に住む住人の朝も早い。

 ……約一名を除いて。

 

 遠野家のメイド、翡翠の朝が始まる。
 まだ夜も明けきらない午前5時半。起床。
 てきぱきと身支度を整える。

 朝食の前に一通り仕事をこなしおえると午後6時半。
 いつものように主人の部屋の前に立つ。
 いつものようにノックを2回。

 「おはようございます、志貴さま。お目覚めでいらっしゃいますか」

 ドア越しに声を掛けると一拍置いて中に入りこんだ。はなから返答は期待していない。

  「失礼いたします」

  音を立てないようにカーテンを開け放つと、キングサイズのベッドの真ん中で眠り込ん
だ、生きてるんだか死んでるんだか分からない主人の寝顔を覗き込む。
  相変わらず彫像のように生気のない寝顔。
  最初に見たときはそりゃもう驚いた。あんまり驚いたんで思わず呼吸と動脈を確かめ
たくらいだ。
 志貴の首筋へ直に触れた感触を思い出して、一人で照れる翡翠。顔が赤くなっている。
 いけない、仕事の途中だった。

「志貴さま、お目覚めの時間です、志貴さま」

 声を掛けながら微かに揺すってみてもやっぱり起きない。
 もうこの手の呼びかけはさんざ試しては見たが翡翠ことごとく連敗。
 指折り数えられるくらいだが腹が立つので途中でやめた。
 不遜と知りつつも翡翠、最後の手段に出る。
 志貴のそれなりに端正な鼻梁へ白い指を近づけると……。

 きゅ。

 つまんだ。
 志貴の口元はしっかりと閉じられているので呼吸は鼻からしかしていない。
 当然息は出来なくなる。
 お叱りを覚悟の翡翠としては引き替えに何らかのリアクションを期待しているのだが。

 

 1分経過。

 志貴、赤い顔のまま起きる気配なし。
 ここまでされれば普通飛び起きるか口から息を吸うかしそうなものだが、あくまで口は閉
じたまま。
 ここら辺が志貴の凄いとこだが、こうなると翡翠も意地である。さらに続行。

 

  2分経過。

 志貴、青い顔のまま起きる気配なし。
  そろそろヤバ目である。

  「し、志貴さま……、お目覚めの時間ですが……」

 呼びかける語尾に力がない。
 起きても起きなくてもそろそろ放さないとまずい気もするが、朝もはよから起きて志貴
を待つ秋葉の姿が目に浮かぶ。
 鼻を持つ手に力が入る。ココはぐっと我慢の子。さらにさらに続行。

 

 3分経過。

 志貴、紫の顔のまま起きる気配なし。既にチアノーゼ症状も出ているのか、その顔色は
もはやまんま死人である。かなりマズイ。
 流石に手を放すと口元に耳を寄せて呼吸の確認をする翡翠。
 ……息がない。ついでに脈も。

 「し、志貴様? 志貴様!?」

 揺すってもやはり反応無し。ボーゼンとなる翡翠。そんなんなる前に手を離しとけ。

 ―――いけない、冷静にならなくては。こんな時助けになるのは……やはり。

  「姉さん! ねーさーん!!」

 ぱたぱたぱた……。

 

 「あらら、またやっちゃったの翡翠ちゃん。はいカートリッジの酸素ボンベとバッテリー。
電気ショックは3回までだからね」

 息せき切って厨房に駆けつけた翡翠に理由も聞かず渡される二品。

  「……(はぁ、はぁ)」

 返答も出来ずに琥珀から品を受け取って駆け戻る翡翠。
  その背中にかけられる姉の力強い一言。

 「もしもいけなかったらビタカンファーも用意してるから言ってね〜」

 ぱたぱたぱた……。

 「(……ありがとう、姉さん)」

 肩で風を切って走る翡翠を見送る琥珀。
 日向のような笑みを浮かべたその後ろには既に志貴の朝食が準備されていた。
 ちなみに朝の早い秋葉は朝食を終えて志貴の起床を今や遅しと待ちかまえている。

 「……こりゃー、今日も駄目かな?」

 

 ぱたぱたぱた、ばたん!

 「志貴さま! お気を確かに!」
 「はぁはぁ……あ、翡翠」

 ドアを開け放った翡翠の前にベッドから上半身を起きあがらせた志貴の姿。
 すかさず手の品をポケットに隠す翡翠。
 志貴、彼岸の彼方から自力で復活。

 「志貴さま。ご気分がすぐれないご様子ですが、お薬かお飲物をお持ちいたしましょう
か?」
  「はぁ……いや、大丈夫。ちょっと夢見が悪かっただけだよ」
  「ですが……」

 内心気が気でない翡翠。実際夢見どころの騒ぎじゃないはずだが。

 「ホントに大丈夫だって。……なんかさ、水の底をもがいていた様な気分で、もうダメだ
と思ったらいつもの君の声が聞こえて目が覚めた。ありがとう。翡翠のお陰だよ」
  「……いえ、そのような言葉は必要ありません。志貴さまを起こすのは私の仕事です」
  「いいんだ。おはよう、翡翠」

 ちょっとやつれてはいるが翡翠に微笑みかける志貴。
 良かった、志貴さまは戻ってお出でになった。これでこそ我が主人。

 「はい。……どうか良い一日を、志貴さま」

 

 という訳で志貴起床。午前7時10分。
 当然間に合わないので秋葉にカミナリを落とされながら琥珀のご飯をかきこんでダッ
シュ。坂道をかっ飛ばすと校門あたりでなり始めた予鈴の鳴り終わりと同時に着席。

 「はっ、はっ、は(ごくん)、な、何とか間にあった…」
 「おっ、遠野。おそいじゃないの。どしたの今日は」
 「…い、いや、何でもない。ちょっと寝坊して遅れただけだよ」
 「ふーん、…まあいいや。そろそろ国籐くるぜ」
 「おう」

 珍しく1時限目から顔を出している乾有彦と挨拶を交わして席につっぷす。
 息を整えながら今朝の回想に入る志貴。

 …ここんとこまた調子が悪いんだよなー…。ロアの件が一段楽してやっと
落ち着いたってのに、こんな事言うとまたみんなして心配するから何とかし
たいんだけど。
  …あ、今日は翡翠に漏らしちゃったか。でも、もう済んだことだし、何も心
配することはない…はずだ。

 1時間目はそのまま過ぎてしまい、休み時間に入ったことも有彦に話しかけられてやっと
気がつく有り様。
 2時限目に入り、頬を張って気合いを入れる志貴。
 そうだ。こんな事じゃいけない。遠野志貴はこんな穏やかな日常を取り戻すために頑張っ
たんじゃないか。
  いつものように始まった授業にようやく気を取り直してふと校庭に目を向ける。
 校門の先に白い姿。

 「あ」

 自分を見おろす志貴の姿を目敏く見つけて手を振ってくる。

 「おーい、し…!」

 椅子ごとひっくり返る志貴。

 「な、な、な、何でアイツが。……あ」

 志貴に集まる周囲からの視線。
 静かな教室で大音響を立てればたいがい注目の的になる。
 穏やかな日常、とりあえず中断。

 「す、すみません」
 「あー遠野。具合が悪いようだったら保健室で休んでも構わんぞ」

 いつものように体調不良と思ってくれたらしい担任からありがたい言葉。

 「すみません。じゃ、ちょっとそうさせてもらいます」

 それに応えて、足取りにかすかなふらつきを演出して席を立つ。
 ここらへんは体調不良歴8年の年期が入っているのでなかなかに演技功者な遠野志貴。
 付き合いの長い有彦はさすがに見破ったようで口パクでやいのやいの言っていたが、目線
で悪いね、とこたえて教室を後にする。

 

 教室から見えないところまで進むと足音を立てずに廊下を駆け下駄箱へすべりこむ志貴。
 これが速いの何の。焦りに加えてちょっと「血」も出ているので爆速である。
 あっという間に教室側から死角になる玄関脇に走り寄り、大きく手を振って白い姿を招き寄
せる。
 金髪の彼女は志貴に気がつき、にぱっと笑ってとっとっとと寄ってきた。

 

 「あ、志貴降りてきてよかったの?」

 純白の吸血姫アルクェイド登場である。
 その笑顔に一片の悪気無し。
 肩で息をしていた志貴はその問いに答えず、

 「……こっこの口が言うかこの口がー!」

 柔らかそうなほっぺたを横に引っ張った。

 「な、なにひゅんお!? い、いひゃいよ志ひ、やめひぇ〜」
 「降りてきて良かったのもあるか! あんな人目に付くような場所で呼ばれたら降りてこ
ざるを得ないじゃないか。……全く」

 ただへさえ人目に付くんだから、という一言を飲み込んで手を離す志貴。
 敵を前にしていない時の彼女はちょっとお間抜けだが見ばえはグンバツ。そんじょそこら
のモデルじゃちょっとかなわない。

 「…それで、今日は何の用事だよ」
 「ちょっと、折角会いに来たのにこの仕打ちはないんじゃない? 志貴」

 微かに赤くなったほっぺたをすりすりしながら抗議するアルクェイド。
 ロアの一件が一段落したあと、アルクェイドは本国へ戻ると再びこの南杜木市へ舞い戻っ
てきた。今は何を好き好んでか志貴に17分割された例のマンションに住んでいる。アルクェ
イドに言わせると契約がそのままだったので便利だったらしい。
 最初から戻ってくる気があったという事か。
 ま、そんな訳でちょくちょく志貴と行動を共にしているのである。

 「駅前にちょっといい感じのアンティークショップ見つけたのよ。志貴と一緒に行こうと
思って」
 「アンティークっておまえ…おまえ自体アンティークみたいなもんじゃないか。800歳の癖に」
 「がーん! 800歳って……眠ってばかりで実際には1年分くらいしか起きてないのに……
それってすっごくひどいこと言ってるよ志貴」ぷんすか怒るアルクェイド。
 「そうか? 外見がどうあれ800歳なのは間違いないところだと思うけど……」
 「むー!」
 「……悪かった。今日は夢見が悪かったんでちょっと言い過ぎたかもしれない」

 雲行きが怪しくなってきたんでちょっと譲歩の志貴。

 「もう……」
 「しかしアンティークなんておまえの城に行けばそれこそ国宝クラスが山のように転がっ
てるんじゃないか?」
 「そんなことないよ。そりゃあちょっとはあるけどさ、領地や臣下を欲しがる死徒とは違っ
て真祖の吸血鬼がものに執着することはあまりないから。私だってこんな風に興味を持ち
出したのは志貴に会ってからだよ」

 そんなもんかと一人頷く志貴。
 確かに永遠の命を持つ真祖がコレクターだったりしたらすんごい事になるかも知れない。
 城がいくつあっても足りないかも。

 「という訳で。ね、行こ? 志貴」
 「行こって…。アルクェイド。おまえ今何時だと思ってる」
 「え、まだ午前中のはずだけど」
 「そう、午前中。そして俺は学生の身で授業を受けなきゃならない」

 仏頂面の志貴の言葉にはっとする試験も何にもないアルクェイド。

 「あ、そっか……ははは、ごめん」
 「ま、それはいい。じゃぁそろそろ俺は教室に戻るから」
 「うん。じゃあ学校が終わる頃にまた来るから」
 「え」

 思わずアルクェイドの顔を見直す志貴。
 断られることなど全く考えていない満面の笑み。
 こうなるとちょっと断りづらい。

 「うーん」

 考え込む志貴。確か今日は何か予定があったような…。

 「じゃあ、また後でねー」
 「…えっ? あっ!」

 気が付くとアルクェイドは校門の前でばいばいと手を振っている。
 志貴が気づいたのを確認するとひらりと消えた。 「…あんのやろー」

 志貴、本日の予定決定である。

 

 

 ちょうど3時限目の休み時間に教室へ戻る志貴。
 有彦と弓塚さつきが話していた。 ちょっと珍しい取り合わせ。

 「あ、ふりょーが戻ってきたぜ」
 「ふふっ、やっぱり」

 一度は捜索願も出されていた弓塚さつきも、志貴がロアを消滅させたおかげで家に戻って
きた。紆余曲折はあったが何はともあれ現状復帰。

 「有彦、キミは鏡を見てから辞書で不良という字を引き直しなさい。弓塚さん、やっぱりって
なに?」

 席に着きながら、志貴。

 「ううん、何でもない。普通の人だったらあのままどっかに行っちゃうだろうけど、遠野くん
だったら戻ってくるだろうなぁって」

 仮病に気づいているのは有彦だけだと思った志貴くん。ばれてます。
 流石に志貴ウォッチャー弓塚の名は伊達じゃない。

 「あっちゃー。弓塚さん、この事は……」
 「うん、大丈夫。内緒にしとくから」
 「助かるよ」
 「とおのー。俺には口止めしねぇの?」
 「誰がするか」

 ここで4時限目の予鈴。席に戻る二人を見送ると、ほっと一息。
 穏やかな日常の再会。

 

 昼休み。
 一人でてくてくてくと食堂に向かう志貴。乾有彦は用事があるとかでチャイムと同時に姿
を消した。おそらく今日は帰ってこない。例の殺人事件が収まったのでその反動が出てい
るらしい。

 「と・お・の・くーん」

 食券を買いに並ぶ志貴に声がかかる。おなじみシエル先輩。
呼びかける声にいつもより弾みがある。どうやら上機嫌のようだ。

 シエルもアルクェイドや弓塚さつきと同じく、ロアが消滅して呪縛が解かれた口である。
 はれて不死の呪いから解放されたシエルはしばし教会から離れ学校生活を満喫している
ようだ。 近頃では志貴たち以外とも交流を深めているらしい。
 居なくなってみんなから感謝されてしまうロアに、志貴ちょっとだけ同情。

 「こんにちわ。遠野くんもう食券買っちゃいました?」
 「いや、まだだけど。どして?」
 「そうですか。ちょうど良かったですね。ご一緒してもいいですか?」
 「もちろん」何をいまさらの志貴。
 「今日はちょっと用意してあるので遠野くんは食券買わなくてもいいですよ」
 「へえ…でもいいの?」
 「もちろんです」

 シエルに連れられて食堂の一席に落ち着く志貴。いつも騒がしい有彦がいないので今日は
静かなものである。TVを見ながら食事を受け取りに行ったシエルを待つ。

 「お待たせです、遠野くん」

 ニコニコしながらトレーを持ってシエルがやってきた。

 「ふふふ、今日はちょっと奮発しちゃいました」

 そういうシエルのトレーを見ると、カレー。

 カレーライス。カレーうどん。カレーパン。
 カレーのオンパレード。

 「先輩、これ……」

 言い募る志貴。相手がシエルで無ければ何かの嫌がらせかと思うところである。

 「私はカレーライス頂きますから遠野くんは全部食べていいですよ」

 見ると確かにカレーライスは二皿ある。いつぞやの一件にカレーパンが加わって計三品。
 つまり。

 「これを全部食べろと…?」

 既に見ただけで目眩を起こしている志貴。
 シエルにおごられると判った時点で想定すべき事態であった。

 「せんぱい…せめてカレーパンだけでも食べないか?」
 「何言ってるんです、今日は遠野くんにたくさん食べてもらって力をつけてもらわなきゃ
いけないんですから」
 「え…俺もしかして先輩と何か約束してたっけ」
 「ふふふ、やですね遠野くんってば。今日、例のこたつ一緒に買いに行く約束してたじゃ
ないですか」

 そういえばそんな約束をしてた気もする志貴

 「こたつって……そろそろ仕舞う時期じゃないの? 今から買わなくてもまた次のシーズ
ンに買えば……」

 でも今は目の前のカレー軍団に気を取られて生返事。

 「ちっちっち、だから安いんじゃないですか。そういう訳で今日は私のおごりですからしっ
かり食べてください」

 ずい、と押し出されるトレー。どうあっても逃れられぬ運命か。

 「うぐ……それじゃ、ありがたく頂きます……」

 目の前の敵を打破すべく割り箸に手を伸ばす。
 今日のラッキーカラーは黄色……じゃないなとちょっとだけ思った志貴である。

 

 「……それじゃ、放課後校門の前で待ってますから来てくださいね」
 「あ、うん……」

 シエルは満足そうに頷くと食堂を出ていった。
 シエルの前でカレーうどん、カレーライス、カレーパンの順に見事食べきった志貴。
 最後にカレーパンを残したのはシエルが途中で席を立ったときに持ち帰るための配慮だっ
たのだが、残念ながら今回は生かされなかったようだ。
 昼休みの終わりを知らせるチャイムに押されるように席を立つ。
 普段から小食の志貴としてはリミットぎりぎり。ちょっと魂が抜け掛かっている。

 「ふー、今日は琥珀さんに言って夕食減らして貰わないと……その前に食べられるのかな」

 何とか教室に戻りよろよろと席に着く。
 その姿を見つけていそいそと近寄ってくる弓塚さつき。けなげ。

 「ふふふ、遠野くんったらなんかほんとに調子悪そうだね」
 「あ、弓塚、さん」
 「弓塚で良いよ。一体どうしたの?」
 「……いや、ちょっと食べ過ぎちゃって」

 まさかカレーばかり食べてたとも言えず言葉を濁す志貴。
 いくら人目を気にしない性格とはいえ志貴にも多少の見栄はある。

 「ふーん、遠野くんらしくないね。午前中はいきなり倒れて外に出ていっちゃうし」
 「ははは」
 「アレって仮病なんだよね。……どこに行ってたか聞いても良い?」

 何気ない口振りとは裏腹に興味津々の弓塚。

 「いや、あれは……」

 アルクェイドが、と言おうとしてはたと気が付く志貴。

 

   『じゃあ学校が終わる頃にまた来るから』
   『放課後校門の前で待ってますから来てくださいね』

 

 さーっと音を立てて引いていく志貴の血の気。
 それはもう隣にいる弓塚さつきが一緒になって青ざめるほど。

 「ちょ、ちょっと! どうしたの遠野くん! 私なんかまずいこと聞いた!?」
 「…………まずい、かぶった……」
 「ねぇ! 遠野くんってば! しっかりして!」
 「よりにもよってあの二人同士でダブルブッキング……」

 すでに弓塚の声は志貴に届いていない。
 無意識のうちに弓塚を席に戻らせると授業いっぱい掛かって打開策を模索にかかる志貴。
 ぶつぶつ呟く志貴に注意しようと近寄った教師も形相に気が付いて見ぬそぶり。
 教師だって人間である。触らぬ志貴に祟りなし。


 無情に響く放課のチャイム。


 「……いや、もう正直に言う他ない。弓塚に言われるまで気づかなかった俺が悪いんだし
アルクェイドに誘われたときに断れなかったのがいけないんだし、シエル先輩のおごりも
気づかないまま食べちゃったし……」

 下駄箱の前で靴を脱ぎ独りごちる志貴。放っておくと靴の上に手紙でも置きかねない様子だ。
目つきがヤバイ。
 ずるずると足を引きずりながら玄関を出る。

 「ん、何だ…」

 ふと見ると校門の前に人だかり。

 「…もしかして」

 いやーな予感のする志貴。
 往々にしてこういう予感は当たるものである。
 自然と駆け足になる。

 

 「……目障りだから早々に消えてくれないかしら」
 「貴方こそ何を勘違いしているのか知りませんが、こんな昼日中に顔を出せる身分じゃな
いでしょう。早々に穴蔵へ帰った方が身の為じゃないですか?」
 「ふん。そっちこそこんなところで油を売るほど暇なのかしら。さっさと異教徒の新興教団
でも潰しに行ったらどう? 好きでしょ、蹂躙って言葉」

 ああ、今まさに怪獣大決戦。
 真祖の吸血鬼と完全数の座を持つエクソシストが人目もはばからず舌鋒を重ねている。
 むしろ周囲に怪我人の出ていないのが不思議なくらいである。
 二人を取り巻く人混みの間からこそーっと様子を伺う遠野志貴、今まさに最大の危機。

 『ピンチの時は落ち着いて、よくものを考えること』

 幼い頃より反芻した先生の言葉が志貴の脳裏にひらめく。
 そうだ。今考えなくて一体いつ考えるというのか。何か手段があるはずだ。
 握り拳を握り猛然と考え込む志貴。

 「あっ、志貴だ」
 「遠野くん。来てたんですか」

 考えるまもなく一瞬で見つかった。
 独りで唸っている志貴に周囲が引いたらしい。自業自得とはまさにこのことか。

 「や、やあ。先輩、アルクェイド。ま、待った?」

 とりあえず頭が真っ白のまま挨拶を返す志貴。膝がわらっている。
 先ほどの剣呑な空気はどこへやら。 志貴の言葉に花のような笑顔で答えるアルクェ
イドとシエル。

 『ううんそんな事ないよ(です)よ志貴(遠野くん)』

 思わずハモりむっとする二人。 気を取り直して、もう一度笑顔。

 『じゃあそろそろ行こっか(行きましょうか)』

 再びハモる二人の声。


 ……午後の校門に奇妙な沈黙が流れる。周囲を圧する二人の無言の圧力。 ついで
に周囲のヤローからの視線も痛い志貴。代われるものなら代わってくれと声を大にして
言いたいだろうが、実際に二人の前で口にしたら遠野志貴は二度と朝日を拝めないだ
ろう。

 「……どういう事? 志貴」
 「遠野くん、まさかこのきゅ……女とも約束してたんですか?」

 目つきが既に戦闘モードのそれだ。

 「……ごめん、二人とも。この通り」

 事ここに及んでようやく観念した志貴が二人の前で詳細を話す。お互いに牽制しながら
黙って聞いている二人。

 「……という訳なんだ。俺の都合で申し訳ないんだけど、今回はどちらの方にも付き合わ
ないのが公平だと思う」

 話を締める志貴。

 「……そうね。残念だけど志貴の都合もあるでしょうし」
 「仕方ないですね。遠野くん、今日のは貸し一つですよ」

 ちょっと意外だがここは引いておいた方が志貴へのポイントアップになると踏んだか。
 内心の葛藤はともかくとりあえず引き下がる二人。
 当の本人は目の前の危機を回避できて安堵のため息。

 「……でも、こんな女とは関わらないのが身の為よ、志貴。一般人が埋葬機関の人間と関
わっていい事なんか一つもないわ」
 「ご挨拶ですね。教会について吸血鬼に揶揄されるなんて心外です。貴女自分がナニモノ
なのか忘れてるんじゃないですか?」

 ……矛先がずれただけだったらしい。
 話を蒸し返すアルクェイドとそれに乗るシエル。先ほどためらっていた「吸血鬼」という単語も
公衆の眼前ではばからず口にしている。楽しみにしていた志貴とのお出かけがパーになって
二人ともイライラ感は最大。
 静かに膨れあがる殺気。決戦は避けられないか―――。
 なんとか穏便に事態を収拾しようとする志貴の不用意な一言。

 「あっ、あのさ、アンティークショップもこたつを買いに行くのも3人で一緒に……という訳には
……いかないか……な」

 トーンダウンする志貴を中心に気温が下がっていく。心なしか周りの景色が暗く見える。

 「この女と」
 「一緒にですって?」

 二人の声が静かに重なる。

 「い、いや、そうすれば手間も省けるし……」

 ここんとこお疲れの志貴。たまには一人で休みたいこともある。
 悪気はないがポロッともれた一言に本音の響き。
 ぐにゃりと歪む空間。

 「あ……」

 色を失った世界の中、志貴は虎の尾を踏んだことに気が付いた。

 

 「じゃあ遠野くん。来週の土曜日は空けておいてくださいね」
 「むー、私は水曜日……。まぁまた行けば良いし、仕方ないかな」

 シエルの黒鍵で針山になったような校門に磔にされている志貴。
 サーカスのナイフ芸よろしく身体のギリギリに刺された黒鍵が28本。
 志貴とのデート権を賭けてのダーツ勝負。的は遠野志貴。
 この、当てそうで当てないところがミソである。 勝敗は僅差でシエルの勝利であった。
 所々校門のコンクリが欠けているのは大雑把なアルクェイドの仕業。
 真っ昼間からここまでやっても騒ぎにならないのは、アルクェイドが空想具現化能力を発
動、さらにシエルが階層型結界を張った結果である。
 ネロに対しても使用しなかった至高の結界が今ここに。かなり無駄っぽい。
 ちなみに周りのギャラリーも志貴と一緒に結界へ引っ張り込まれている。
この連中こそ良い面の皮だが、都合の悪いことはシエルの言霊で綺麗さっぱり。
壊した校門も体調万全のアルクェイドなら1分で復元できる。まさにノープロブレムだ。

 「んー、この日は教会に行かなきゃならないし……。もう日曜日に一緒くたにやってくれ
れば手間が省けるんですけどねー」
 「あ、これって振り替えの休日だよね。志貴もお休みかな?」

 予定を手帳に書き込むシエルと一緒になってカレンダーを覗き込むアルクェイド。


 「……あの……そろそろ解放してもらえないかな……?」

 その後ろには既に忘れられ、モズのはやにえ状態になっている志貴の姿があった。
 ―――合掌。

 

 そんなこんなで二人から解放され、ようやく帰宅の途についた志貴。 足元だけを
見て引きずるように歩く。体力的に劣る小学生が持久走のラストになるとちょうどこ
んな感じになる。 丸めた背中に漂う哀愁。

 「お帰りなさいませ、志貴さま」
 「あ、え……? 翡翠?」

 気づかない内に屋敷についていたらしい。
 シエルの黒鍵にズタボロにされた学生服を見て息をのむ翡翠。

 「これは……! 志貴さま、一体……いえ、お体の方はご無事なのですか!?」

 アルクェイドもシエルも流石にここら辺は心得たもので、いくら血の気が上ったといえど
も直死の魔眼以外は普通の人間と変わりない志貴を傷つけることはない。付けたとして
もせいぜい擦り傷程度のものである。

 「うん、とりあえずは問題ない……かな。とてもそう見えないだろうけど」

 屋敷についたことでほっとし、苦笑を漏らす志貴。
 逆に顔をしかめる翡翠。

 「……またあの方々の仕業ですね。志貴さま、僭越ですがご学友は選ばれた方がよ
ろしいかと思います」
 「ははは……まぁそう言わないでよ。アレでもなかなか良いとこ有るんだから」
 「はい……」 屋敷の中に入る二人。

 「あ、この事は……」
 「秋葉さまにお伝えしなければよろしいのですか?」
 「うん、そうしてくれると助かる。秋葉に余計な心配掛けたくないしね」
 「それでしたらお早く部屋に戻られて普段着を召された方がよろしいかと」
 「え、なんで?」
 「今日は私が居るからです」
 「そうなんだ、今日は早いな」
 「学校の手続きがあって早めに帰ってきたんです。そういう訳でバイオリンのレッスンは
休みました」
 「ふーん。たまには良いんじゃないか……って、え!?」

 「お帰りなさい、兄さん。とりあえずその服の説明を聞かせてもらえるかしら」

 遠野家の当主、遠野秋葉。腕を組んで再登場。

 「た、ただいま秋葉。これはその……」
 「立ち話も何ですから、兄さんは一度部屋に戻って着替えてきてください。翡翠、琥珀に
言ってお茶の用意を。居間にお願い」
 「あ、うん……」
 「かしこまりました」

 言うだけ言うとさっさと秋葉は居間に向かってしまう。 翡翠も厨房に向かったらしく既に
姿がない。
  ロビーにぽつんと残される志貴。 どうやら腰を入れてお説教されるらしいと悟る。
  がっくりと頭を下げるととぼとぼ部屋へ向かった。


 琥珀が二人分の紅茶を入れ終わったところで普段着の志貴登場。

 「あら、兄さん早かったのね」
 「そりゃあ、まあね」

 秋葉はともかく秋葉のお説教は苦手な志貴。嫌なことは早めに済ますタイプ。

 「それじゃあ早速ですが理由を聞かせてもらえますか」

 琥珀からティーカップを受け取りながら悠然とたたずむ秋葉。
 年に似合わず風格さえ醸し出すその姿は小憎らしいくらいに決まっている。
 既に雰囲気に呑まれたらしいが、今日の一件をそのまま言うわけにはいかない志貴。
 何とか当たり障りのないところでごまかさねば。

 「えーと、これは」
 「……さっき見たところでは刃物による切り口もありましたね。まさか通り魔にでも会っ
た訳じゃないでしょう? もしそうだったらすぐに警察へ届けないと」

 さりげなく牽制する秋葉。既に理由が分かってるだけに目が冷たい。

 「そ、そんな訳ないだろ? これはだな、あれだ。今日は有彦達とサッカーをしててさ。
ボールを追いかけていったら、ちょうどボールを蹴り込んだ先に植え込みがあってそれに
突っ込んじゃったんだ。その時に枝に引っかけたんじゃないかなーと……って、秋葉?」

 目の前のテーブルに突っ伏している秋葉。
 隣の翡翠を見ると無表情のままふるふると首を振っている。ばれてーら。

 「兄さん、もしかしてそれで私を納得させようと本気で思ってます……?」
 「……いや、すまない」

 秋葉に言われて下を向く志貴。ちょっと顔が赤い。
 流石に恥ずかしかったようである。

 「……兄さん。貴方は嘘を付くのが破滅的に下手なんですから、間違っても外でそう言う
ことを口にしないでくださいね。その程度の嘘しか付けないなんて思われたら遠野の恥で
す」

 刺の刺さりそうな秋葉のセリフ。 まぁ気持ちはわからんでもない。

 「…それはともかく、その…服の事ですけど」

 言葉を濁す秋葉。

 「ああ、また学生服駄目にしちゃった。ごめん」
 「いえ、その、服の事じゃなくって……ああ、もう! 服があんなになってるのに中の身
体が無事な訳無いでしょう! 身体の方は大丈夫なんですか?」
 「ああ、それは大丈夫。やってる方も慣れたもんだし」

 既に隠す気もない志貴。開き直ったが故のおおっぴら。

 「やっぱり……あの人達のせいなんですね」
 「おっと、秋葉までもうその人達とは付き合うな、なんて言うなよ。現に俺に怪我はない
んだし、今回のことは俺が悪かったんだ。その……ちょっと酷い目にはあったが」
 「言いません。もう兄さんのやることに口を出す気はありませんから」
 「そ、そう……。それなら良いんだけど」

 言葉とは裏腹に何故か寂しそうな志貴。
 今までさんざん言われてきただけに急に止められると心許ない気がするものだ。

 「―――ただし、手は出させていただきます」

 志貴のセリフに、にやり、と秋葉。
 ああ、その微笑みは小悪魔のそれか。
 背筋に寒いものを感じる志貴。

 「え、なに、どういう事?」
 「口ではなく直接行動に出させてもらう、と言うことです」

 胸元からなにやらカードを取り出す秋葉。
 それに見覚えのある志貴、何故か嬉しそうな秋葉からカードを受け取った。


 「ああ―――っ! こ、これ!?」


 志貴の絶叫に横から琥珀と翡翠が覗き込む。

 「これは……」
 「学生証、の様ですね」

 口をぱくぱくさせたままの志貴。
 あまりの事に声が出ない。さもあらん、それは……

 「そう! 来週から正式に編入です。
  これからよろしくお願いしますね。セ・ン・パ・イ!」

 ここで遠野秋葉会心の笑み!
 何か言ってやろうと思った志貴だが、今まで見たこともない秋葉の表情に毒気を抜かれて
しまう。 アルクェイドやシエル、その他面々がうるさいだろうが―――。

 

  「……ま、何とかなるか……」

 

 秋葉と琥珀、翡翠が三人でやいのやいの言っている姿を見ながら、遠野志貴は本日初め
て肩の荷をどっと降ろしたのであった。

 

 

 

 

fin 01.03.25


 

 

 ども。TAZOです。ご覧頂きありがとうございます。
一度読まれた方はあれ、と思われるかと思いますが後書き足させていただきました。

久々に「月姫」というテーマのあるゲームに出会い、血が踊っているところに「げいむ乱舞界」さんで
このような祭典を開いていると聞いて参加させて貰った次第です。
枯れ木も山の……じゃないですが、多少なりとも楽しんでいただけたら。
それでは。

 

TAZO拝     01.03.28 一部改訂