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前のページに書いたように、当時ふうちゃんは附属養護学校の幼稚部に通っていました。そこで、就学を控えて、一応他の選択肢も検討してはみるものの、基本的にはそのまま小学部に進学するつもりでいました。
運の悪いことに、国や自治体で心身障害児の教育について変革がかなり具体的に検討されている、でもどうなるのかまだ専門家や先生方ですら良くわからない、さまざまな憶測やウワサが乱れ飛んでいる時期でした。
従来の「特殊教育」から「特別支援教育」へ、教育の在り方が変わろうとしています。平成15年度に文部科学省から「今後の特別支援教育の在り方について」という最終報告が出されたのですが、ふうちゃんが就学活動をしていた時期(平成15年〜16年3月)には、まだ中間答申が発表された頃で、みんなが疑心暗鬼、手探りで状況を探ろうとしているような状況でした。
養護学校は、今までは区切られていた盲・ろう・知的障害・肢体不自由のそれぞれの養護学校の垣根がはずされて、「特別支援学校」になる。公立小学校の心障級は、固定級としての位置づけを失い、生徒は全員が普通級に籍を置き、心障級の代わりとなる「特別支援教室」に必要な時間数だけ通級することになる。
・・・というような話がチラホラと伝わって来ました。
さらに、国立大学が平成16年度から独立行政法人化されることになり、ふうちゃんの養護学校を含む附属学校はその存続意義から問い直され、先生方も先の見えない不安を感じながら、「特別支援教育」時代にこの学校がどうあるべきか、真剣に何らかの結論を出さなくてはいけないと考えていらっしゃるようでした。
それを踏まえて、今までは無条件でエスカレーター式で高等部まで進学出来たのに、ふうちゃんが幼稚部に入学した年から、エスカレーター式を保障しないということになっていました。
・・・といっても、絶対上がれる。養護学校にいることが適切である生徒を追い出したりはしないだろう。。。と我が家は勝手に思いこんでいたのです。
ところが、6月になっても小学部に進学できるのかどうか、学校側から正式な回答がありません。
7月から自治体の就学相談が始まるというのに、こんな状態では活動のしようがありません。
我が家は「絶対に上がれるだろう」とタカを括っていたので、学校見学も「念のため」「勉強のため」といったお気楽モードでしたが、中には小学部に上がれるかどうか真剣に悩み、かなり暗くなっているお母さんもいたのです。
そこで、年長児の父兄で「きちんとした説明をして欲しい」と学校側に申し入れをしました。
6月末に学校長と副校長と幼稚部の父兄との話し合いの場がもたれました。そこで「エスカレーター式で小学部に上がれる」というお墨付きを貰える、と思っていた我が家は、なんと、ナント、大どんでん返〜し!を喰らってしまったのでした。
特別支援学校になると、地域に根ざす教育支援をしていかなければならない。そこで、今までは片道一時間以内で通学できれば入学を許可していたが、今後はさらに通学範囲を絞って、その地域に住んでいる生徒しか入学できないようにする。
入学するために一時的に住所を移すようなことは当然認めない。 |
・・・というのが学校側からの回答でした。
ふうちゃんは当時片道1時間近くかけて通学しており、当然、新たに絞り込まれる地域には住んでいませんでした。実は高等部までエスカレーターで進学出来ると思いこんで学校の近くに家を買ってしまっていたのですが、家が完成するのは翌年の3月。学校の説明では、10月の入学願書提出時にその地域に住所がないといけないというので、要件を満たさないのでした。
・・・本人の能力などで選別されるのならまだ諦めがつくけど、良くわけのわからない「地域」で切られるとは。なんだかんだ言っても、在籍している生徒を追い出すような仕打ちはしないだろう、と信じていただけに、その日は大変ショックを受けました。
ああ、この感じ、何かに似ているなぁ。。。
そうだ、大好きな人がいて、向こうも当然自分のことを好きだと思っていたのに、実は違って、他に好きな人がいるのを知ってしまった・・・そんな感じ。
当然「好きだよ」って言ってくれると思っていたから、今後のこととか、いっぱい期待していたのにね。。。
振られてみると、本当にあっけない失恋。
こちらは大好きだったけど、向こうはふうちゃんのことなんか全く頭の中にはなかったのでした。
今にして思えば、この日が我が家にとっての本当の就学活動の始まりでした。
ほぼ完全に小学部に上がるつもりでいたので、養護学校しか考えていなかったけれど、公立小学校の心障級についても検討してみよう。心障級に上がっている先輩のお母さんたちにもたくさん話を聞いて情報収集しよう。
6月の末、我が家は遅蒔きながら白紙の状態でスタートラインに立ったのでした。
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