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●1歳7ヶ月-9ヶ月〜療育センターへ
ふうちゃんが1歳7ヶ月になる頃、私は会社を辞めました。復帰してから見事にトラブル続きで残業はできないし、毎週一度以上病院だの訓練だのに行かなければならず有給休暇は底をつき、会社に迷惑をかけることばかりでした。最も理解のなかった直属の上司からは仕事を干されたりイジメのようなものも受け、最初は優しい言葉をかけてくれた同僚たちもその状況が継続すると態度が変わってきてしまったので、これ以上の両立は無理だと判断したのです。もうちょっと理解のある上司だったらなぁ・・と思うこともありますが、多分私が逆の立場でも決して理解はできなかったでしょう。
正社員を辞めるのはとても残念でしたが、結局あれから2年半が過ぎた現在でも訓練や診察がだいたい週1回。そのほかに療育センターや音楽療育にも通っています。フルタイムで続けていたら結局訓練や療育をほとんど諦めなければならなかったわけで、それもまた“断腸の思い”だと思います。
私が知っている中にごく少数ですが、フルタイムで働いている障害児ママがいます。その人の強い意志と職場や周囲の暖かい理解とが相俟って実現できているフルタイム。その裏にはきっと様々な思いや悩みがあることでしょう。心からエールを送りたいと思います。
会社を辞めてすぐ、療育センターに電話しました。地区担当のケースワーカーとの面談があり、週1回の母子通園グループに次の週から入れてもらうことになりました。
療育センターは朝10時から14時までの4時間。登園するとまず着替えて、朝の集まり(名前を呼んだり手遊びをしたり)の後、課題遊び。課題遊びは小豆遊び、スライム、身体を使う遊びなど今考えれば感覚統合療法を意識したものが多かったです。働いていましたし、ふうちゃんが歩けなかったので、公園などに行ってよそのお子さんと遊んだことはそれまでなく、ふうちゃんにとって初めての集団生活となりました。
通園を始めた頃、ふうちゃんは人見知り、場所見知りが激しく、療育センターも大嫌いでした。朝は電車で通っていたのですが、センターのある駅に一歩降りたとたんに(それまでゴキゲンだったのが)火のついたように泣き出し、センターにいる4時間、ずっと泣きっぱなし、ということもしばしばでした。
●1歳10ヶ月〜宣告
その頃の私にはまだふうちゃんが障害児であるという認識は全くなく、生後の様々なトラブルで発達が遅れているだけで、何年かしたら追いつく、と思っていました。
療育センターの通園に通う子供は、センターに併設されている診療所で発達を診て貰わなくてはなりません。診療所といっても医師はもちろん非常勤なので、療育センターに通い始めてこの時が初めての診察でした。
療育センターが大嫌いなふうちゃんは案の定診察の間最初から最後まで号泣。通園クラスの保育士さんが来てあやしてくれましたが、診察など全く出来ない状況で、10分もしないうちにふうちゃんは診察室の外に連れ出されました。私が今までの状況を全部話すと、医師は言いました。
「お母さん、ふうちゃんの発達の遅れは一生治りません」。
えっ?
耳を疑いました。頭の中は真っ白になってしまい、きっとしばらく沈黙していただろうと思います。
「追いつく可能性は、ないのでしょうか。」やっとの思いで質問すると、医師は紙に45度の斜め上がりの線を一本書きました。「これが普通のお子さんの発達です」。次に20度くらいの斜め上がりの線を、起点を一緒にしてもう一本書きました。「これがふうちゃんの発達です。成長はするけれど、スピードは緩やかなので、一生追いつくことはできません」。
他にも色々話したのでしょうが、後は何も憶えていません。実家までどうやって戻ったかも憶えていません。心配するだけなので両親には話さないでおこうと思いましたが、母の顔を見た途端、辛くなってつい話してしまいました。泣きたいとかいうよりも、信じられなくてボーゼンとしている・・・という感じだったと思います(注:私はこういう時泣けないタイプ・・・損なヤツ)。
あれから3年近く経ち、ふうちゃんはその医師の宣告通り、立派な知的障害児(笑)となりました。いつか誰かが言わなくてはならないことではありました。でも・・・、と今でも思います。あんな宣告の仕方ってあるだろうか・・・。
●1歳11ヶ月-2歳9ヶ月〜受容まで
この一年が私にとって最も精神的に辛い時期でした。「ママのひとりごと」にも書いていますが最初は事実を受け入れられず、ふうちゃんの側にいるのが辛くて資格試験の勉強に逃げたりしていました。療育センターは週1回だったので、それ以外の日は実家の父母がふうちゃんの面倒を見てくれました。
療育センターには何らか発達に問題のある子が集まっているので、共感しあえる友人ができる反面、同じクラスの子の目覚ましい発達が素直に喜べずに辛かったこともありました。また、ふうちゃんの一番の問題である摂食に関してセンターが「私たちの手には負えません」と匙を投げてしまったことで、私は療育センターに強い不信感を抱いていました(これについては「ふうちゃんの摂食障害について」をご覧下さい)。
ところが最初の頃療育センターを毛嫌いしていたふうちゃんは、Fさんという通園バスの運転手さんとラブラブになり(笑・・・Fさんについては「ふうちゃんの大好きなもの」をご覧下さい)、半年ほどでセンターに慣れました。療育センターのプールが大好きになり、浮輪でバタ足をマスター。療育センターの温水プールは水温35度くらいあり、ぬるいお風呂のようなので、長時間浸っていても身体が冷えてしまうことがないのです。心臓の手術前でしたから、風邪には人一倍気を遣っていたのですが、ここのプールはほんとに楽しかったです。
2歳5ヶ月(1999.10)から、楽器メーカーK社の音楽教室に半年間ふうちゃんと一緒に通いました。療育センターで集団生活に少し慣れたところで、健常児の中にふうちゃんを入れてみようと思ったのです。同年齢の子供たちが集まっていましたが、正直、あまりの差にガクゼン。健常児の発達を目のあたりにしたのは初めてでしたから・・・。もちろんお話ができないのもふうちゃだけ。先生には入室の時一応「発達が遅れている」とだけ話をしましたが、それ以上は聞かれなかったしお友達のお母さんにも全くこの件については話をしませんでした。まぁ皆さん「障害がある」ということはわからなかったにせよ、「変な子だな」とは思ったでしょうが、週に1度、たった一時間のクラスでしたし、全然気にせずにつきあってくれて親子ともども楽しく過ごせました。私にとっては「健常児のお母さんの中に障害児のハハとして身を置く」メンタルトレーニングとしても、この教室は有効でした(笑)。
2歳9ヶ月の頃(2000.2)、このHPをオープン。医師の宣告に打ちのめされ、肯定と否定の間でずっと動揺していた気持ちも、この頃には何とか落ち着き、ふうちゃんの障害を受容する気持ちが出来てきていたと思います。
●2歳10ヶ月〜3歳-心臓の手術
3歳の春、心臓(心房中隔欠損症)の手術をすることになりました(詳細については「心臓の手術をしました」をご覧ください)。2歳10ヶ月(2001.3)で手術に向けてのカテーテル検査を行い、3歳の誕生日直前(2001.5)に手術を受けました。
その間、パパのお兄さんが結婚することになり、手術の直前、2001.4にハワイでの結婚式に参列&家族旅行。長時間のフライトや食事など不安な点も多々ありましたが、行ってみたら案ずるより産むが易し、でとても楽しく過ごせました(詳細は「ハワイへ行ってきました!」をご覧ください)。
また同じ4月から、半年通ったK社の音楽教室を辞め、障害児専門の音楽療法の教室「鳩笛リズム教室」に週一度、通うことにしました。といっても、通い始めた4月はハワイに行き、5月に心臓の手術をしたので、きちんと通えるようになったのは9月からでしたが・・・。
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