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●出生〜切迫早産、低出生体重児
ふうちゃんは、1997年5月に生まれました。これを書いている2001年10月現在、4歳4ヶ月。保育園の年長さんです。
ママはずっと働いていたのですが、妊娠8ヶ月の時切迫早産で検診の当日即入院となり、2週間後に子宮頸管縫縮術(赤ちゃんが出て来られないように子宮口を糸で縛ってしまう手術)をして退院。出産までは絶対安静の身となりました。
無痛分娩でしたので、予め出産日を決め、計画的に出産しました。朝8時に人工破水し、陣痛促進剤と硬膜外麻酔を使用。初産でしたが13時前には生まれました。普通のお産よりははるかに楽だったろうと思いますが、麻酔をかけたにもかかわらず若干は陣痛を感じながらの出産でした。
生まれてみたら、体重が1908gしかありませんでした。出産直前の検診でエコーで見た時は頭の大きさから2300gはあると言われていたのですが、首から下がガリガリで、脂肪が全くついていなかったのです。
後から考えれば、やはり病院の選択を誤ったのかもしれません。大学病院なら胎内の赤ちゃんの発育があまり良くないこともエコーできちんと診てくれたでしょうから・・・。
正産期に入ってから生まれたにも関わらず、体重が2500gに満たない赤ちゃんのことを「低出生体重児」といいます。正産期前に生まれてしまった未熟児と比べて心肺機能などは完成している反面、本来2500g以上で生まれて来るべきなのに、何らかの理由で胎内で十分に発育できなかった、ということになります。出産に立ち会った助産婦さんが「胎盤がすごく小さかった」と言っていたので、それが原因かもしれません。もちろん推測でしかないのですが・・・。
出産が5月で陽気が良かったこと、また出生後の体重の増加が順調なことから、保育器にも入らず、母子同時に退院となりました。私は保育器に入らなかったことや同時退院できたことが当時とても嬉しかったのですが、後で聞いたところ大学病院などでは2500gに達するまでは絶対に退院させないといいます。お産を甘く考えて安易に病院を選択してしまったことは、ちょっと苦い思い出です。
●生後6ヶ月まで〜心房中隔欠損症判明
とても小さく生まれたものの、その後体重の増加はまあまあ順調でした。
3ヶ月の時、保健婦さんの訪問で股関節脱臼を疑われ、レントゲンまで撮りましたが異常なし(今思うとやっぱり発育不全でしょうか)。4ヶ月検診で心雑音を指摘され心房中隔欠損症が判明(これについては“心臓の手術をしました”のページをご覧ください)。都度心配はしましたが、結局胎内の発育が悪かったための連鎖的なものなのかな、と思っていました。
原因不明の発達遅滞の子供を見ていると、ふうちゃんのように生まれてからトラブル続きで心配事が絶えなかった子と、普通に生まれて全くトラブルもなく育ったのに何故か発達が遅れてしまった子に大別されるように思います。母親の眼で見ていると、同じ発達遅滞でもそのどちらに属するかによってずいぶん違うように感じる時があります。
●生後6ヶ月-8ヶ月〜心筋炎で入院
ふうちゃんが6ヶ月の時、ママは仕事に復帰しました。切迫早産で入院したときからずっと仕事を休んでいたので焦りもありましたし、公立保育園の0歳児クラスに4月から入園させたかったので、実績を作っておく必要があったのです。
ところが、復帰して数週間後、ふうちゃんは風邪のウィルスが心臓に達してしまう“心筋炎”を起こし、大学病院に入院してしまいました。
心筋炎は、心臓疾患がなくそれまで全く健康だった子供でも数日で死に至ることがあるという怖い病気です。ふうちゃんは赤ちゃんで心房中隔欠損症まで持ち合わせているので、実は大変危険な状態だったと思います。
入院後すぐ人工呼吸器が装着され、ミルクも飲めず点滴に頼る状態になりました。手足やお腹は心不全から来たむくみでパンパンでした。結局人工呼吸器による管理は2週間に及び、体重は新生児並みの4キロまで落ち、4ヶ月で座った首も長い寝たきり生活のために再びグラグラしてしまいました。
峠を越えると回復は早く、首座りもすぐ安定し、入院中に寝返りをマスターするなど順調のように見えましたが、抱っこしたときの反り返りが強かったため当時の主治医は脳性マヒを疑うなど、やはり普通の赤ちゃんと比べると専門的には不安な要素が多かったようです。
●生後9ヶ月-1歳5ヶ月〜回復の日々
小さく生まれた上に大きなトラブルがあったので、発達は遅れて当然、と思っていました。一般的に赤ちゃんが入院した場合、入院していた期間の倍は発達が遅れるそうです。ですから生後9ヶ月になってもお座りもハイハイもできませんでしたが、私は全然心配はしませんでした。
退院後1ヶ月近く経ち、入院のダメージが回復してきた頃になってお座りの練習を始めました。お座りしているためには腰や腹筋、背筋の力を必要とするので、入院の寝たきり生活で弱った全身の筋肉をつける必要がありました。そこで市販の「お座りクッション」を買ってきて、テレビを見せながら座らせました。最初は1分も座っていられずすぐ寝返りで脱出していましたが、1週間もすると長く座っていられるようになりました。
ハイハイは肩・腕の力がかなり必要です。当時の主治医のアドバイスもあり、10ヶ月の時病院でリハビリを開始しましたが、ふうちゃんが嫌がって最初から最後まで大泣きするので、3回くらいで挫折しました。このせいもあり、ふうちゃんは結局歩くまでハイハイをしませんでした。上半身を鍛えるすごく大事なステップを抜かしたために、3歳過ぎまで腕の力は本当に弱かったです。
ただ、あのときリハビリを続けなかったのは正解だったと、今にして思います。長い時間はかかっても、結局は自然と出来るようになりましたから・・・(ちなみに4歳の今は鉄棒に30秒位ぶら下がっていられます)。子供が訓練を嫌がるのは苦しいし辛いからで、それを心を鬼にして続けることに本当に価値があるのか・・・。当時はわざわざ仕事を休んで病院に来てふうちゃんを泣かせて終わり、というのが繰り返されることに嫌気がさしただけだったのですが。
10ヶ月頃から離乳食を開始。最初の頃は順調でしたし、開始が遅れたので終了もみんなより遅れて当たり前、と暢気に構えていた私でしたが・・・(食事については「摂食障害について」をご覧下さい)
お誕生(満1歳)の頃、壁などに立たせておけばずっと立っていられるようになりました。ベビージムで遊ぶのが大好きで、立ってちょうど触れる位置にベビージムを持ってきて立たせる訓練をしていました。
リハビリを挫折したので病院の発達外来に行けなくなってしまい(^_^;、この頃は保健所で行っている「療育相談」(発達に不安のある3歳までの子を集めて月一度、大学病院の発達専門医が無料で診察する)に通う他は全て自己流でやっていました。担当の専門医は大変優しい方で、ふうちゃんの発達の遅れは出生以後のトラブルに基づくもので、そのうち追いつくというような見方をされていたので、私もその言葉を信じて、全然心配していませんでした。
14ヶ月で掴まり立ちができるようになり、16ヶ月で伝い歩きができるようになりました。1歳半で一人歩きだね、と周囲は期待していたのですが、ここから一人歩きまではほんとうに長い時間がかかりました。
●1歳6ヶ月〜一歳半検診
一歳半検診の時までには歩くだろうと思っていたのですが、やはり伝い歩きしか出来なかったので、前日に見栄を張って靴を買い、歩けるフリをして(笑)検診に出かけました。
会場で同じ頃生まれた子の発達の様子を見て、ぶちのめされました。フルタイムで働いていましたから、よそのお子さんを見るチャンスはそれまでなかったのです。言葉の出ているお子さんも多かったし、大人の言うことも簡単なことはわかるようでした。待ち時間のプレイルームではお友達同士でおもちゃを渡しっこしたり、遊びの質もふうちゃんとは全然違うのです。
それでも「遅れているのが当たり前」と思いこんでいた私は「みんなはすごいなぁ」と思ったくらいでした。1歳半でクリアすべき母子手帳の項目が当然ほとんどクリアできていなかったにもかかわらず、医師の診察後、お世話になっている地区担当の保健婦さんが寄ってきて「特別相談受けてく?」と聞いた時も「特に質問はないのでいいです」なんて答えたくらいでした。
「でもさー、滅多にない機会だから、特別相談受けてった方がいいよ」という上手な保健婦さんの薦めに乗せられて、「ま、お世話になってる保健婦さんの顔立てとくか」くらいの調子で別室へ。相談員の女性にそれまでの経緯を話し、「指さしはできますか」など簡単な検査をしました。
「おかーさん、療育センターっていうのがあるの知ってる?」とその女性は切り出しました。いいえ。その当時は全く知りませんでした。「発達の遅れた子を詳しく診てくれるスタッフがたくさんいるの。発達専門医の診察も無料で受けられるし。行ってみたら?」
「でも私、フルタイムで働いているんです。保健所で療育相談に毎月通っていますし、療育センターで診てもらうのと同じだと思うんですけど」と言うと、その女性はいきなり険しい顔になり、「でもふうちゃんのためを思うなら、絶対療育センターに行った方がいいわよ。忙しいのはわかるけどとりあえず1回でも行ってみて。今パンフレット持ってきてもらうから。地区担当の保健婦さんから連絡を入れておいてもらうからね。」とほとんど強制されてしまいました。
保健所からの帰り道、ベビーカーを押しながらパンフレットを見ました。これで行かなかったりしたら、保健所の療育相談にも行けなくなっちゃうしなぁ・・・。療育センターは遠くはなかったけど、腰が重い私でした・・・。
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