訓練がカバーできないもの(2000.11)

 障害児に“訓練”はつきもの。健常児が“当たり前にできること”ができないのですから、それを“訓練”によって出来る方向に導こう、というのが訓練の趣旨だと思います。
 ふうちゃんが以前住んでいた地域の療育センターでも、療育の他にそれぞれの子供の状況に合わせて個別に訓練が行われていました。医師の判断の下、PT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語療法)の専門家がいて、その子に合わせた指導をするのです。
 ところが、ふうちゃんは、訓練をほとんどしてもらえませんでした。それは、ふうちゃんの問題の多くが“機能的”なものではなく、感覚過敏という“精神的”なものに原因があるからです。

 例えばふうちゃんは、1歳過ぎには伝い歩きが出来ていたにもかかわらず、2歳直前まで一人歩きをしませんでした。健常児が2〜3ヶ月で乗り越える壁をほぼ1年かかって乗り越えたことになります。これはどう考えてもおかしいですよね。“歩く”というのはPTの領域ですが、結局ふうちゃんには指導は一切ありませんでした。
 何故指導をしてくれないのか聞いたところ、PTが関わるのはマヒがあったり、足の筋肉の緊張が強すぎたり弱すぎたりして、“機能的”に何らかの問題があるために歩けない子なのだそうです。ふうちゃんが歩かないのは、足の裏に過敏があって歩くのが感覚的にイヤだからで、運動機能的には全く問題がない。だからPTさんが指導する必要はない、ということでした。
 おかしいな、とは思いましたが、そのうちふうちゃんが一人歩きできるようになり、この件についてはそれで終わってしまいました。
 歩き出してみれば過去のことになってしまうのですが、その当時は悩みも深く、相談できる人もなく、孤独だったのを思い出します。

 ふうちゃんの摂食の問題についても全く同じ事がありました。

 ふうちゃんは1歳8ヶ月頃から療育センターに通い始めました。健常児なら既に離乳が完了している時期です。
 ふうちゃんの問題を知って、OTさんがふうちゃんの食事の様子を見に来ました。口の動きをビデオに収め、観察し、最初はとても熱心でした。
 ところが“調査”が一通り終了すると、OTさんは全く姿を見せなくなりました。理由を聞くと「ふうちゃんの口の動きを見ていると、機能的には全く問題がありません。喉にマヒなどがあって食べられないお子さんとは違いますから、私には指導できません」というのです。

 OTさんが関わらなくなった途端、療育のクラスの担任の保母さんも、ふうちゃんの食事に関して避けて通るようになりました。
 障害を持つ子供は地域ではとても少数です。療育センターは、障害児に療育を行う場所であるとともに、地域から孤立して内にこもりがちな障害児の母親に手を差し伸べ、孤独を癒す場所でもあると思うのですが、食事に関してOTさんにも保母さんにも見放された形になった私たち親子は、療育センターでかえって孤独感を深めてしまうことになりました。
 専門家が身近にいるのに知らんぷりをされる、というのは本当に辛いことです。ちょうどふうちゃんが“障害児”であるという事実がジワジワとわかってきた時期だったことも重なり、この楽天的な私が一時期ノイローゼ気味でした。

 何故“機能的”に問題がある子は指導が受けられるのに、“感覚的”“精神的”な問題を抱えている子は匙を投げられてしまうのか。

 できなくてはいけないことが“できない”ということではふうちゃんも全く同じです。それなのにその子たちは毎週1時間の個別訓練を受けられる一方で、ふうちゃんは全く放っておかれるのです。

 確かに機能的に問題のある子の方が指導の必要性はより高い、とは思います。またそういう子の方が指導の方針も立てやすく、成果も出やすいのでしょう。そして、過去に同様の実例が数多くあるので、指導するときにマニュアルとして参考にすることもできるのでしょう。
 感覚的な問題の子供は、問題となっているハードルさえ乗り越えれば解決に結びつく一方、ハードルそのものが見つけにくい、見つけられても乗り越えるように手を差し伸べることが難しいということがあります。また、一人一人解決方法が異なるのでマニュアルがなく指導に自信が持てない、ということもあると思います。
 療育センターの限界、OTさんやPTさんの能力の限界、と言ってしまえばそれまでですが、それでは一体私たち親子はどこへ行けばいいのでしょう?

 先日療育手帳の判定時に面談した医師にも相談したのですが「うーん、困ったなぁ。それは病院の領域ではないですよね」と言われました。現在、感覚的な問題を解決できる機関も人材もない、というわけです。
 ただ、この問題はふうちゃんに限ったことではありません。例えば自閉症などでこだわりがとても強く、激しい偏食のある子がいます。私の知っているあるお子さんは10品くらいしか食べられる食品がありません。栄養も偏ってしまうし、毎日全く同じ食事、というわけにもいかないし(それでもほぼ毎日同じになってしまいますよね・・・)、お母さんはとても辛い思いをされています。
 でも、偏食を指導してくれる機関はどこにもありません。ある意味“病的に激しい偏食”だと思うのですが、援助の手はどこからも差し伸べられず、周囲の理解も得られず、お母さんは一人で立ち向かうしかないわけです。

 療育センターは、障害を持つ子供とその家族の拠り所です。そこで働く人たちはあまりビジネスライクにならないで欲しい。解決できないからといって“自分の領域ではない”と逃げてしまわないでほしいのです。

 解決できなくても、それはそれで仕方ない、と思います。
 ・・・解決できなくても、専門家が親身になって対応してくれたら。
 ・・・私の心に誰か寄り添ってくれたら。
 それだけでもきっとずいぶん違うのです。

 訓練がカバーできていない部分について、療育や医療、ひいては行政に携わる方達にもっともっと考えてもらえれば、と思います。