国立小児病院の全国調査で、虐待で治療を受けた子供の約6割が、慢性の病気を持って生まれたり、未熟児や双子だったりと、親の育児負担を増大する医学的な事情を抱えていることがわかった。
調査対象となった1389人(病院で治療を受けるほど虐待されていた子供達の数字である)のうち、59%が医学的な事情を抱えていた。心臓病などの先天異常や慢性の病気を持つ子供が34%。未熟児・低出生体重児が38%もいて、一般の出生割合よりもはるかに高い割合であった。
この調査の担当者は、「親が、(健常児のようにスムーズにはいかない)子供の世話で苦労し孤立することが、虐待の背景にある」と指摘する。ハンディのある子供は医療の進歩や不妊治療で増えているのに、親を助ける社会システムが追いついていない実情が浮かぶ。
(以上、毎日新聞の記事より抜粋、一部修正・加筆しました) |
この調査結果を読んで、ちょっと複雑な気持ちになりました。
一つは、この調査結果の数字だけが一人歩きして、「ハンディを抱えた子供は虐待を受けやすい」という事実だけを頭に入れてしまう人が増えることへの心配です。
慢性心疾患・・・低出生体重児・・・発達遅滞・・・。結果から見るとふうちゃはまさに「虐待を受ける可能性のとっても高い子」じゃないのっ!
保育園に入園したての頃、先生がふうちゃの蒙古斑やイチゴ状血管腫を見つけては「おかーさん、これは何ですか?」と何度か聞いてきたことがありました。別に後ろめたいところはなかったので「蒙古斑です」とか平気で答えていたけれど、何となく虐待を疑われているようで、嫌な気分でした。保育園は保育園で万が一虐待が行われていたら早期発見して芽を摘まなければいけないから、痣を見つけて質問してくるのは仕方のないことかもしれないのですが・・・。
虐待で死亡した子供のケースを見ていると、児童相談所や保健所・学校などが全く機能していないように見えますが、一部には過剰反応しているところもあるようです。インターネットのある掲示板で読んだのですが、特殊学級に通うAちゃんの先生は怪我や痣を見つけると必ず親を「尋問」するのだそうです。Aちゃんが知的に遅れていて、先生の同情を買いたいがために自分で転んで作った傷でも「ママにいじめられた」とか言ってしまうことも一因としてはあるのですが、Aちゃんだけでなく、クラスメイトのお母さんもみんな同じような目に遭っているのだとか。Aちゃんのお母さんはノイローゼになりそうで、転校まで考えているとのことでした。先生は「虐待に気づいてあげられる外部の人間は自分しかいない!」と使命感に燃えているのかもしれないけど、その態度が度を越えると、虐待などしていない普通の障害児の親の心を痛めつけるということも、是非知って欲しいなぁ、と思います。
いずれにせよ、こういう調査結果の出ることで「障害児は虐待を受けやすいから気をつけて見張らないと」という考え方は必ず出てくるでしょうし、調査結果がデータをつけないで一人歩きした場合、「虐待したから障害があるんじゃないの」という誤解に飛躍しかねないようにも思います。勘弁してもらいたいよね・・・。
もう一つは、この調査結果の背景にあるもの、つまり「医学的な事情を抱えるなどで育児が大変なのに、それを助ける社会システムがないために、親が苦労し孤立していること」に関して、です。
我が家の場合、ふうちゃんの最大の問題は摂食です。心臓病でもなく、発達の遅れでもなく、ミキサー食しか受け付けないという状態が一向に進歩しないということが、私たち親子を2年半にわたって苦しめて来ました。
食事を嫌がるふうちゃんにビンタを食らわせたことが実は何度もあります(そんなに頻繁というわけでもないけど)。一時間かかって食べさせた後に全部吐かれて手を挙げたこともあるし、「食べたくないなら死んじゃえ!」と言ったこともあります(告発しないでね・・・汗)。母子間のトラブルは9割がた食事に関するものでした。
叩いちゃいけない。叩いたって治るわけでもなく、仕方ない。それは十分わかっている。それでも感情が押さえられない時もありました。自分で言うのはおかしいけど、苦労してもしても報われず、ストレスが溜まってどうしようもなかったのです。
以前住んでいた地域の療育センターでは、担当のOTさんが「自分には面倒を見きれない」と逃げてしまい、担任の保母さんも給食の時間には私たち親子の側にはほとんど来ようとしませんでした。「自分の手には負えない、面倒なことは避けて通りたい」という姿勢がありありと見えて、給食の時間、私はとても孤独でした。
東京に引っ越してきた頃にはもう「食事の問題は外部の人には解決できない」と腹を括っていたけれど、やっぱり一緒に悩んでくれる人は欲しいと思っていました。現在週一度通っている療育センターの係長さんは良い方で、何度か相談に乗ってくれた上に「センターに来る日は毎日通園グループの子たちと一緒にお弁当を食べてよい」という特例扱いまでしてくれました。私たち親子のためにここまでしてくれるなんて・・・と暖かい配慮はとても嬉しかったけれど、毎日通園グループの子供達に混じってお弁当を食べるのは居心地が悪く、先生方も自分の受け持ちの子供に食べさせるのに精一杯で、会話もロクに出来ません。やはり私の孤独が癒されるわけではありませんでした。
私の心の拠り所は摂食指導のO先生だけでしたが、O先生は医師で、2ヶ月に一度しか予約も入らなかったので、いつもいつもO先生を頼りにする、というわけにも行きませんでした。
私は一人で悶々と悩むタイプではないので、助けてくれそうなところには何度も助けを求めていました。それでも、障害児とその親の受け皿であるべき療育センターですら、この2年半ずっと私たちを助けてはくれませんでした。
だから私には、調査結果にある「子供の世話で苦労し孤立すること」という文章がものすごく重い意味を持って響きます。ふうちゃんの食事が少し進歩の兆しを見せ、私の心も幾分軽くなってきた今、振り返ってみて、この2年半という長い長い時間に(家族を除き)“私の心”を癒すことが出来たのは、一度行った心療内科のカウンセラーの方だけだった、と思うのです(この件については「ママのひとりごと・11」を見てね)。
じゃあ「子供の世話で苦労し孤立している」お母さんを助ける社会システムって、一体どんなシステムなんだろ?
私に関して言えば、ただ純粋に、でも継続的に、私の心に寄り添ってくれる人の存在、かな。
治せなくていい(治せたらもっといいけど)。でも治せないからと言って逃げたり他人に振ったりせず、正面から問題を捉えて一緒に悩んでくれたり、愚痴を聞いてくれたり、「おかーさん、大変ね。苦労してるのね」と認めてくれたり、一緒に頑張ろうね、と励ましてくれたりする人が身近にいてほしかった。それも療育センターの“業務の一環としてのカウンセリング”じゃなく、親身になって側にいてくれる人が(“人間対人間”としてではなく“お仕事”として相談に乗っている人の気持ちは伝わってしまうものです・・・そんな人は信頼できない)。それだけでもずいぶん違うと思うのです。
大きな声で叫びたくはないし同情なんかごめんだけれど、「医学的な事情を抱えた子供」の育児は健常児のそれと比べてはるかに大変だし、喜びも少ないです。孤軍奮闘したお母さんが疲れ切って、虐待に至らないために、こういう調査結果が正しくしかるべき場所に伝わって、心のサービスがもっと充実してくればいいなぁ・・・と思います。
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