原子爆弾の歴史 1940-1943               |前へ次へ資料室Topへ

1940. 2. 1
[昭和15年]
【英】 『フリッシュ・パイエルス・メモ
[オットー・フリッシュ/ルドルフ・パイエルス]
高濃縮ウラン爆弾の着想,臨界量 600g,クルジウス管による気体熱拡散法を想定,3頁構成,バーミンガム大,マーク・オリファントを通じてヘンリー・ティザードへ提出)
1940. 2.29 【米】 ウラン235 の分離成功
[アルフレッド・ニーア]
(質量分析器,ニッケル箔上に 10億分の 1g,手紙の端に貼り付けてダニングへ郵送,6フッ化ウランでは失敗,4塩化ウラン/4臭化ウランで成功,ミネソタ大)
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1940. 2 【米】 ウラン研究予算 6000ドル認可
(フェルミ/シラードの黒鉛の購入費用)
1940. 3. 2 【米】 ウラン235 が低速中性子で分裂すると確認
[ジョン・ダニング]
(ニーアの分離した資料をサイクロトロンで照射,コロンビア大)
《衛星写真(Google Earth)
1940. 4. 9 【独】 デンマーク占領
1940. 4.10 【英】 トムソン委員会開設
[ジョージ・トムソン]他
(6フッ化ウランによる小規模分離実験が妥当と同意)
1940. 4.24 【英】 第2回トムソン委員会開催
(中性子断面積の研究促進,チャドウィックのサイクロトロンを使用)
1940. 4.28 【米】 第2回ウラン諮問委員会開催
(基礎研究の必要は認められる,ペグラム/フェルミも参加)
1940. 5.10 【米】 ルーズベルト大統領 汎アメリカ科学者会議で科学者の協力を呼び掛け
(会議に出席したテラーは兵器研究を決心)
1940. 5.27 【米】 新元素 93を発見
[エドウィン・マクミラン/フィリップ・アーベルソン]
(重陽子をサイクロトロンで加速しベリリウムを照射,発生する中性子で酸化ウランを照射,半減期 2.3日の物質は希土類元素,マクミランはネプツニウムと呼ぶ予定,オットー・ハーンの率いるベルリン・チームも独自に発見してエカ・レと呼ぶ,1951 マクミラン ノーベル賞授賞)
1940. 5.27 【米】 超ウラン元素の核分裂の可能性を提唱
[ルイス・ターナー]
(奇数原子量,94番元素をエカ・オスミウムと呼ぶ)
1940. 6 ハンス・ハルバン/ルー・コワルスキー イギリスヘ脱出
(フレデリック・ジョリオはフランスの全重水 180ℓと全資料を持たせる,キャベンディッシュ研究所で連鎖反応の実験を行ったが 180ℓでは不充分であった)
1940. 6.14 【仏】 パリ陥落
1940. 6 【米】 国防調査委員会(NDRC)開催
[ブッシュ/コナント]
(ウラン諮問委員会を吸収,S-1部門,ウラン235 の濃縮法,亡命科学者の排除決定)
1940. 6 【英】 気体拡散法実験
[フランツ・シモン]
(銅製隔壁で水蒸気と2酸化炭素を分離)
1940. 6 【英】 トムソン委員会をモード(MAUD)委員会と改称
1940. 6 【ソ】 科学アカデミーにウラン委員会開設
[イゴール・クルチャトフ]
(1941.6 ドイツの侵攻により中断)
1940. 9 【米】 日本の外交電文の暗号解読に成功
(97式欧文印字機,パープル,終戦間際の対ソ交渉等は大統領に筒抜け)
1940.10 【日】 鈴木陸軍中佐 爆弾は可能と安田中将に答申
(占領地のウラン鉱床の調査より)
1940.11 【米】 エドウィン・マクミラン MITのレーダー研究へ転出
(不確かな原爆よりレーダー研究が優先)
1940.11 【米】 気体拡散法の検討開始
[ハロルド・ユーリー/ジョン・ダニング]
(6フッ化ウランは 56℃で気体となる,コロンビア大)
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1940.12.15 【米】 新元素 94239 の核分裂を予見
[エンリコ・フェルミ/エミリオ・セグレ]
(凍てついたハドソン川沿いの散歩中に議論,原子炉による新元素製造)
1940.12.16 【米】 新元素 94239 の生成法の打合せ
[ローレンス/セグレ/ペグラム/フェルミ]
(60インチ・サイクロトロンを使用)
1940.12.28 【英】 新元素 94の生成を依頼
[J・D・コッククロフト]
(ハンス・ハルバンの重水減速原子炉構想,ブレッチャーの新元素 93の分離方法発見も合せてアメリカヘ伝達)
1940.12 【英】 ウラン235 の分離工場の見積り提出
[フランツ・シモン]
(モード委員会,気体拡散法)
1940.12 【英】 新元素 94の核分裂の可能性報告
[フェザー/ブレッチャー]
(モード委員会)
1940.12 【日】 サイクロトロンによるウランの分裂断面積の測定開始
[仁科芳雄( 50才)]
(製作中の 60インチサイクロトロンの設計図はローレンスに貰う)
1940 【ソ】 ウランの自然崩壊発見
[ゲオルゲ・フロレフ/ペトロザク]
1941
[昭和16年]
【米】 フィリップ・アーベルソン 海軍研究所へ赴任
(潜水艦用動力源としての濃縮ウラン小型原子炉の開発,液体熱拡散によるウラン濃縮法を開発,内外パイプ間隙 0.1インチ,6フッ化ウランの製造法開発)
1941. 1.28 【米】 新元素 94238 発見
[グレン・シーボーグ( 28才)/エミリオ・セグレ]
(サイクロトロンで重陽子を加速してベリリウムを照射,発生する中性子をパラフィンで減速して酸化ウランを照射,バークレー校,1951 シーボーグ ノーベル賞受賞)
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1941. 2.23 【米】 新元素 94を化学的に溶液として分離
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ/アーサー・ウォール]
(トリウムをキャリヤーとして沈殿,酸化させてトリウムを沈殿)
1941. 3. 6 【米】 新元素 94239 を生成・分離
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ]
(サイクロトロンで重陽子を加速してベリリウムを照射,発生する中性子で 1.2Kgの酸化ウランを照射,分離後 1μg弱の新元素 94を得る)
1941. 3.17 【米】 アーネスト・ローレンス ウラン計画促進をコンプトンに提案
(サイクロトロンによるウラン235 濃縮法の確信に基づく)
1941. 3.28 【米】 新元素 94239 の核分裂確認
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ/ジョセフ・ケネディ]
(サイクロトロンで重陽子を加速してベリリウムを照射,発生する中性子をパラフィンで減速して新元素 94に照射,ウランの約 1.5倍)
1941. 3 【米】 ウラン235 の分裂断面積の測定精度向上
[メール・チューブ]
(結果はイギリスへ伝達)
1941. 3 【英】 ウラン235 の臨界量を計算
[ルドルフ・パイエルス]
(タンパーがあれば 4〜4.5s,爆弾は実現可能のサイズとなる)
1941. 3 【米】 武器貸与法成立
(ルーズベルト大統領の提唱した武器貸与計画の一環,ソ連へのアラスカ経由の補給線,モンタナ州グレートフォールズ,ゴア飛行場)
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1941. 4 【日】 帝国陸軍は原爆研究を許可
(理研,熱拡散法によるウラン濃縮研究,予算 2万円)
1941. 5. 5 【米】 再審査委員会イギリスへ
[アーサー・コンプトン]他
(先行のケネス・ベインブリッジからの訪英要請)
1941. 5.17 【米】 アーサー・コンプトン 再審査委員会報告(NSA報告)
(フェルミの研究費用を必要なだけ出すように提案)
1941. 5.18 【米】 新元素 94239 の分裂断面積を測定
[エミリオ・セグレ/グレン・シーボーグ]
(遅い中性子による核分裂,ウラン235 の 1.7倍)
1941. 5 【英】 クラウス・フックス 原爆研究開始
(ルドルフ・パイエルス門下,筋金入りの共産主義者,1911 独・リュッセルスハイム生れ,1940.9 敵性外国人としてカナダに強制移送,1940.12 イギリス送還,ソ連に情報を流すことを決意)
1941. 5 【日】 超爆発的 U235 について講演
[萩原篤太郎]
(同位体分離の必要性,水素爆弾への起爆剤として有用)
1941. 6.22 【独】 ソ連侵攻
1941. 6.23 【英】 ジョージ・トムソン モード委員会報告作成
(ウラン235 爆弾は可能と結論,新元素 94は報告されていない)
1941. 7. 3 【ソ】 国家防衛委員会(GKO)設置
[ラヴレンチー・ベリヤ]
1941. 7. 7 【英】 モード委員会の結論を正式にアメリカへ報告
(しかしライマン・ブリッグズは報告書を金庫にしまい込む)
1941. 7.11 【米】 アーネスト・ローレンス 『94番元素の核分裂に関する覚書』提出
(プルトニウム爆弾構想)
1941. 7.24 【米】 新元素 94239 の分裂断面積を報告
(速い中性子による核分裂,ウラン238 の 3.4倍)
1941. 8 【英】 マーク・オリファント渡米 アメリカの原子力計画を激励
(イギリスの期待を伝達,モード委員会報告の非公式伝達,状況調査)
1941. 9 【英】 原子爆弾審議会発足
[ジョージ・アンダーソン]
(チューブ・アロイ計画)
1941. 9 【米】 原子爆弾による水素爆弾の着火の可能性を検討
[エンリコ・フェルミ/エドワード・テラー]
1941. 9 【米】 黒鉛指数パイルの建設開始
[エンリコ・フェルミ/レオ・シラード]
(減速材の黒鉛の純度が問題であった,最初のパイルの再生産因子 K=0.87,フットボールチームの選手を時給で雇う,コロンビア大)
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1941. 9 【米】 ジョージ・ペグラム/ハロルド・ユーリー渡英
(イギリスの原爆開発調査及び情報交換,その後ジェームス・コナントが米国代表としてロンドンを公式訪問しウィンストン・チャーチルと会見)
1941.10. 9 【米】 ヴァネヴァー・ブッシュ ルーズベルト大統領にモード委員会報告を提出
(原爆開発計画発足,原子力政策を原子炉から原爆へ転換)
1941.10.21 【米】 再審査委員会開催
[アーサー・コンプトン]他
(スケネクタディー会議,モード委員会報告,共産党員を疑われるオッペンハイマーはローレンスの推薦で参加)
1941.10 ボーア/ハイゼンベルク会談
(コペンハーゲン,ハイゼンベルクは重水減速型反応炉の図を示す,旧知の師弟関係)
1941.11. 6 【米】 コンプトン 再審査委員会報告(第3NAS報告)
(ウラン爆弾の可能性,3〜4年以内,濃縮プラントに 5千〜1億ドル,プルトニウム計画にはまだ触れていない)
1941.11.12 【米】 37インチ・サイクロトロンの質量分光器への改造決定
1941.11.27 【米】 ブッシュ 第3NAS報告書を大統領に提出
1941.11 【米】 ウラン235 を分離
[ジョン・ダニング/ユージン・ブース]
(気体拡散法,6フッ化ウラン,コロンビア大・代用合金材料研究所)
1941.12. 1 【米】 新元素 94239 の核分裂実験結果をコンプトンに報告
[アーネスト・ローレンス]
1941.12. 2 【米】 ウラン235 を分離
[アーネスト・ローレンス]
(37インチ・サイクロトロン改造の 180° 型質量分光器,100μg,1ヵ月の連続運転,カリフォルニア大)
1941.12. 6 【米】 コンプトン プルトニウム爆弾構想を提出
(ヴァネヴァー・ブッシュは保留)
1941.12. 6 【ソ】 モスクワでドイツ軍に反撃
1941.12. 8 【日】 真珠湾を奇襲攻撃
(米 12.7,『ニイタカヤマノボレ』,『トラ!トラ!トラ!』,使用された浅海用魚雷は長崎の三菱軍需製作所製,長崎で始り長崎で終る)
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1941.12. 9 【米】 プルトニウム爆弾構想スタート
[ブッシュ/コンプトン/コナント]
(非公式会談,ルーズベルト大統領には知らされていない)
1941.12.16 【米】 ヴァネヴァー・ブッシュ 陸軍工兵隊の関与をマーシャル将軍へ要請
1941.12.18 【米】 科学研究開発局(OSRD)S-1委員会発足
[コナント/ブリッグズ/ペグラム/コンプトン/ローレンス/ユーリー/サミュエル・アリソン/G・ブライト/エドワード・コンドン/ヘンリー・スマイス]
(原爆開発に全力を上げる)
1941.12.20 【米】 原爆開発予算 65万1000ドル(半年分)認可
(ウラン委員会予算の 100倍以上)
1941.12 【米】 カルトロン開発開始
[アーネスト・ローレンス]
(ウラン235 分離用,184インチ・サイクロトロンを一時中止して転用する)
1942. 1.24
[昭和17年]
【米】 原子力研究(パイル計画)のシカゴ冶金研究所への集約を決定
[コンプトン/ローレンス/シラード]他
1942. 3 【米】 新元素をネプツニウム 93,プルトニウム 94 と命名
[グレン・シーボーグ]
(天王星,海王星,冥王星にちなむ,マクミランの案に従う)
1942. 3 【ソ】 ベリヤ秘密警察長官 西側の核開発の概況をスターリン首相に報告
(スパイ情報に基づく)
1942. 4.18 【米】 東京初空襲
(ドゥリットル爆撃隊,B-25・16機,航空母艦「ホーネット」より中国へ抜ける,マッカーサーも認知していない奇襲攻撃)
1942. 4.23 【米】 シカゴ冶金研究所化学会議開催
[グレン・シーボーグ/ウィグナー/ジョン・ホイラー]他
(プルトニウムの分離法の検討と沈殿反応を研究対象に追加)
1942. 4 【米】 超微量化学実験室を設置
[グレン・シーボーグ]
(シカゴ冶金研究所,クイーズ大のベネデッティ・ピクラーの指導)
1942. 4 【ソ】 『フリョーロフの手紙』スターリン首相へ
(米英の科学専門雑誌から核分裂関係の論文の掲載が無くなったことにより米英の核開発開始を推定)
1942. 5.14 【米】 ジェームス・コナント 原爆開発研究成果をブッシュ長官に報告
(原子爆弾の材料はウラン235とプルトニウム239がある,ウラン235の濃縮法には熱拡散法/電気磁気法/気体拡散法がある,プルトニウム239生産用パイルには天然ウランとグラファイト/天然ウランと重水がある,ウラン235とプルトニウム239のどちらがよいかは不明だが同時進行が望ましい)
1942. 5.15 【米】 遅延中性子の確認実験報告
(遅延中性子は即発中性子の 1%以下,パイルの制御理論へ,即発中性子のKは 1以下,遅延中性子を含めたKは 1以上)
1942. 5.18 【米】 グレゴリー・ブライト 高速中性子による核分裂関係のを担当者辞任
(秘密管理が不十分であることを理由に,新研究所の設置を提案)
1942. 5.26 【米】 184インチ・サイクロトロン用磁石完成
[アーネスト・ローレンス]
(カルトロン開発,総重量 4000トン)
1942. 5 【米】 シカゴパイル1号(CP-1)の設計開始
[エンリコ・フェルミ/ハーバート・アンダーソン]
1942. 6. 5 【日】 ミッドウェー海戦で敗北
1942. 6.11 【米】 ロバート・オッペンハイマー シカゴへ赴任
(高速中性子による核分裂の研究,グレゴリー・ブライトの後任)
1942. 6.13 【米】 ブッシュ/コナント 『原子分裂爆弾』報告を大統領に提出
(プルトニウム計画に対する研究者の確信を表明)
1942. 6.17 【米】 プルトニウムの生産開始
(セントルイス大/ワシントン大の 45インチ・サイクロトロンを使用,300ポンド[136Kg] の硝酸ウラン 6水化物を 1ヶ月連続照射)
1942. 6.17 【米】 ルーズベルト大統領 原爆開発計画を認可
1942. 6.18 【米】 マーシャル大佐 陸軍工兵隊特別管区を設置
1942. 6.25 【米】 第1回執行委員会開催(S-1委員会)
[コナント/ブリッグズ/コンプトン/ローレンス/ユーリー/マーフリー/スタイヤー少将/マーシャル大佐/ニコルズ大佐]
(遠心分離法と気体拡散法は未完,必要電力は 10万8千KWと見積り)
1942. 6.27 【米】 冶金研究所会議開催
[コンプトン/アリソン/フェルミ/シーボーグ/シラード/テラー/ウィグナー/ジン]
(原爆の可能性研究から軍事研究への変換,コンプトンは激励,アルゴンヌにパイロットプラント建設を計画)
1942. 7. 9 【米】 S-1委員会開催
(カナダ・トイレルの重水工場をコンソリデーテッド社に発注,暫定建設計画決定)
1942. 7.27 【米】 セントルイスよりシカゴへプルトニウム到着
1942. 7 【米】 バークレー夏期研修会開催
[オッペンハイマー/ベーテ/テラー/ヴァン・ヴレック/フェリックス・ブロッホ/ロバート・サーバー/エミール・コノピンスキー/リチャード・トールマン]
(理論物理学者『ルミナリー』を集合,エドワード・テラーは熱核反応の点火に原子爆弾を提案,バークレー行きの寝台車でベーテと協議し研修会で論議,エミール・コノピンスキーが三重水素の使用を提案,重水素化リチウムの検討,リチャード・トールマンは爆縮を提案)
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1942. 8.11 【米】 マーシャル大佐 マンハッタン工兵管区と命名
1942. 8.20 【米】 プルトニウムを固体として分離
[バーリス・カニンガム/ルイス・ウェルナー]
(2.77μgのフッ化プルトニウム,顕微鏡下で観察,フッ化ランタンを担体とする沈殿法)
1942. 8 【米】 S-1委員会開催
(バークレー夏期研修会報告,スーパーのニュース報告)
1942. 9.13 【米】 第5回執行委員会開催
(テネシー渓谷にパイロットプラント建設,S&W社との契約を勧告)
1942. 9.14 【米】 S-1委員会開催
(ユニオン・ミニエール社の保持するウラン鉱石の購入を勧告)
1942. 9.17 【米】 レスリー・グローヴス大佐( 46才)マンハッタン計画の責任者に任命
(ペンタゴンの建設担当者)
1942. 9.18 【米】 ニコルズ大佐 ウラン鉱石を買収
(1940 よりニューヨークのスタテン島リッチモンド港に野積されていた,1250トン)
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1942. 9.19 【米】 ドナルド・ネルソン マンハッタン計画に物資供給優先度『AAA』を承認
1942. 9.21 【米】 グローヴス/マーシャル 海軍研究所を視察
1942. 9.23 【米】 レスリー・グローヴス大佐 准将に昇進
(軍事政策委員会は 4名で構成,グローヴスは打合わせ途中退席してクリントン視察のためユニオン・ステーションへ向う)
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1942. 9 【米】 『シカゴのトラブル』発生
[シラード/フェルミ/ウィグナー/ホイラー]他
(ストーン&ウェブスター社に対するシカゴの物理学者達の反乱)
1942. 9 【米】 クリントンに用地買収
(ウラン235 分離工場,5200エーカー,オークリッジは居住地名)
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1942. 9 【英仏】 原子力協定
[ハンス・ハルバン]
(相互の特許公開等を協定,フランスの利権を確保,英仏秘密協定,1943 カナダ・モントリオールでチューブアロイ計画に参加)
1942. 9 【ソ】 原爆研究スタート
(イーゴリ・クルチャトフ(40才)を責任者に選定,総括指揮は副首相ヴャチェスラフ・モロトフ,プルトニウムに関する知識なし)
1942.10. 5 【米】 グローヴス将軍 シカゴ冶金研究所を視察
(原爆に必要な核分裂物質量の精度は ±25%〜±50%程度)
1942.10.18 【米】 グローヴス/ブッシュ/オッペンハイマー会談
(バークレー校)
1942.11. 5 【米】 グローヴス将軍 ストーン&ウェブスター社に電磁分離法の生産プラント建設を認可
(Y-12,ゼネラル・エレクトリック社:電力供給装置,アリス・チャルマーズ社:電磁石,ウェスチングハウス社:プロセス容器,テネシー・イーストマン社:運転操業)
1942.11.10 【米】 グローヴス将軍 デュポン社にプルトニウム計画を委託
(カーペンター社長はクリントン以外のプルトニウム生産工場を提案)
1942.11.12 【米】 軍事政策委員会開催
(ウラン235 製造プラントについて決定,パイロットプラントを省略)
1942.11.14 【米】 第8回執行委員会開催
(気体拡散法,電磁分離法のパイロットプラント省略を承認,気体拡散法は 2倍濃縮程度と認識,プルトニウム計画をストーン&ウェブスター社からデュポン社に変更と報告)
1942.11.16 【米】 ロスアラモス地区視察
[ダッドレイ少佐/グローヴス将軍/オッペンハイマー/マクミラン]
(当初の予定地が気に入らず,オッペンハイマーは旧知のロスアラモスを提案)
1942.11.16 【米】 シカゴパイル1号(CP-1)の建設開始
[フェルミ/ジン/アンダーソン]
(シカゴ大のフットボール競技場スタッグ・フィールドの観客席下のスカッシュ・コート,手積み,グローヴスが見かねて作業用エレベータを手配)
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1942.11.18 【米】 再審査委員会(ルイス委員会)設置
[W・K・ルイス/ロジャー・ウィリアムス/グリーンウォルト]
(デュポン社自身によるプルトニウム計画の確認)
1942.11.19 【米】 新たなプルトニウムの化学的分離法発見
[S・G・トンプソン]
(リン酸ビスマス法,収率は落ちるがフッ化水素による設備の腐食を避けることが出来る)
1942.11.23 【米】 兵器研究所はロスアラモスに決定
(Y計画)
1942.12. 2 【米】 シカゴパイル1号臨界
[フェルミ/ジン/アンダーソン]
(350トンの純粋黒鉛,35トンの金属ウラン,7.5mX6mH の卵型パイル,3フッ化ボロンで中性子束を検出,出力 50W,4.5分間の運転,ウィグナーの持ってきたキャンティワイン(Bertolli)で乾杯,コンプトンはコナントに電話『イタリアの航海士が今新世界に上陸した』,12.12 出力 200Wにアップ)
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1942.12. 4 【米】 レオ・シラード特許問題
(機密保持についてグローヴス将軍と対立,敵性外国人扱いを受けるがプロジェクト参加前の発明が認められフェルミ,ウィグナー等と同待遇となる)
1942.12.15 【米】 W・K・ルイス 再調査委員会報告
(気体拡散法による 90%濃縮を計画,4600段プラントを勧告)
1942.12.23 【米】 コンプトン グローヴス将軍に書簡
(プルトニウム計画は可能,最初の原爆は 1945,以降は月1個)
1942.12.28 【米】 デュポン社 プルトニウム計画を受託
(掛り費用以外の報酬契約は 1ドル)
1942.12 【米】 グローヴス将軍 ケレックス社に気体拡散法の生産プラント建設を委託
(K-25,ケレックス社はケロッグ社の専属子会社,TVAの電力に依存せずに独自の火力発電所を建設)
1943. 1. 4
[昭和18年]
【米】 液体熱拡散法によるウラン濃縮の報告
[ロス・ガン/フィリップ・アーベルソン]
(相互交流なし,海軍にはシカゴパイルの臨界については知らされていない)
1943. 1.15 【米】 クリントンのパイル設計開始
(X-10,パイロットプラント,分離実験用資料作成原子炉,冷却方式定まらず,ディポン社のクロフォード・グリーンウォルトはヘリウム方式を検討,ユージン・ウィグナーは水冷方式で OKと判断)
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1943. 1 【米】 グローヴス将軍 ユニオン・カーバイド社に気体拡散法の生産プラントの運転を委託
1943. 1 【ソ】 原爆開発開始を決定
(クラウス・フックスからの情報に基づく)
1943. 2. 1 【米】 マッシアス中佐 ハンフォードに用地買収
(プルトニウム工場,水冷式パイルと化学分離プラント,コロンビア川からの冷却水,グランド・クーリーダムからの送電線が通る,510万ドル)
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1943. 2. 1 【日】 ガダルカナル島撤退
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1943. 2. 2 【独】 スターリングラードで侵攻軍降伏
1943. 2.18 【米】 クリントンのウラン235 分離工場建設開始
(クイーン・メリー)
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1943. 2.27 【英】 ノールウェー・リューカンの重水工場爆破作戦成功
[クヌード・ハウケリド]
(ノールウェー・ヴェモルク,ノルスク・ハイドロ社,重水生産量120Kg/日,6人のノルウェー人レジスタンスがパラシュートで降下,18基の電解槽を破壊,ドイツの核開発研究の妨害)
1943. 2 【米】 クリントンのレーストラック(カルトロン)建設開始
(Y-12)
《衛星写真(Google Earth)
1943. 3. 6 【日】 海軍の委員会 原爆開発を断念
(レーダー開発を優先,原爆開発は可能だが10年を要する)
1943. 3. 7 【ソ】 クルチャトフにスパイ情報(イギリスのフックス情報等)を開示
(気体拡散分離法を研究テーマに組み入れる,ハンス・ハルバンとレフ・コヴァルスキーの実測した重水素の中性子捕獲断面積資料による重水炉の可能性,フェルミの原子炉情報はまだ伝わっていない)
1943. 3.15 【米】 オッペンハイマー( 38才)ロスアラモスへ赴任
(所長,ロスアラモスの宿舎未完のためサンタフェ入り,オッペンハイマーの過去の左翼的活動から FBI は彼の参加に反対したが彼をを高く買うグローヴス将軍に押し切られる)
1943. 3.17 【米】 α/βカルトロンの設計仕様決定
1943. 3.22 【ソ】 クルチャトフ プルトニウムに気付く
(スパイ情報の断片的記述より過去の「フィジカル・レビュー」誌を調査,ウラン・パイルに言及,新たなスパイ情報を要求)
1943. 3 【米】 αカルトロンのXA磁石完成
(イオン回転半径 3→ 4フィート,3410エルステッド)
1943. 3 【米】 ゴア飛行場の責任者ジョージ・ジョーダン 武器貸与法に基づくソ連への援助物資に多数の黒いスーツケースを発見
(中身が多量のスパイ情報であることをワシントンに伝えるが無視されメモに残す,核物質も含まれていた)
《衛星写真(Google Earth)
1943. 4. 1 【米】 グローヴス将軍 気体拡散法のN-Aバリアーの生産をホウデイル・ハーシー社に委託
(電気メッキによるニッケル障壁,6フッ化ウランの腐食問題)
1943. 4 【米】 ロスアラモス研究所発足
[オッペンハイマー/ベーテ/テラー/エミール・コノピンスキー/フェリックス・ブロッホ/スタンレー・フランケル/エルドレッド・ネルソン/ロバート・サーバー]他
(平均年齢 26才,最終 3000人,『ロスアラモス教本』はロバート・サーバーによる 5回の講義録をエドワード・コンドン副所長がまとめたもの,24ページのガリ版刷り,爆弾装置のことをを『ガジェット』と呼ぶ,2年で可能と見積る,研究所は有刺鉄線で囲われる,エドワード・コンドンは保安手段が圧制的と 2週間でロスアラモスを去る)
《衛星写真(Google Earth)
1943. 4 【米】 爆縮法の着想
[セス・ネッダマイヤー( 36才)
(球体の均等圧縮による着火法)
1943. 4 【米】 原爆用に重量 5トンの大砲は不要と判定
[E・L・ローズ]
(使用されるのは1度だけ,軽量化して航空機での運搬が可能となる)
1943. 5. 5 【米】 軍事政策委員会開催
(気体拡散法は電磁分離法の補助手段と位置付け)
1943. 5.10 【米】 W・K・ルイス 再調査委員会報告
(核物理研究計画を承認,プルトニウム計画への大幅変更,グローヴス将軍はロスアラモスの人員倍増を認可)
1943. 5.25 【米英】 ホワイトハウス会談
[ハリー・ホプキンズ/ブッシュ/チャーウェル卿]
(原爆開発の情報交換についてチャーチル首相の要求を伝達)
1943. 5.29 【日】 アッツ島守備隊玉砕
《衛星写真(Google Earth)
1943. 5 【日】 陸軍航空本部 理研 仁科芳雄研究室に『二号研究』を委託
(熱拡散法によるウラン235 濃縮,仁科の『ニ』,予算 200万円)
1943. 5 【日】 海軍艦政本部 京大 荒勝文策研究室に『F研究』を委託
(遠心分離法によるウラン235 濃縮,理論研究に終わる,1945.7.21 第1回会合で成果を発表,予算 60万円)
1943. 6. 1 【米】 デュポン社/シーボーグ会談
(デュポン社のグリーンウォルトはリン酸ビスマス法を選択)
1943. 6 【米】 ウィリアム・パーソンズ中佐( 43才)ロスアラモスへ赴任
(近接レーダ信管の実験担当海軍将校,後にリトルボーイの投下要員)
1943. 6 【加】 イーゴリ・グーゼンコ オタワのソ連大使館に赴任
(大使館付武官ニコライ・ザボーチンの暗号官,スパイ情報を暗号化してモスクワに打電,カナダルート)
1943. 7. 2 【日】 仁科芳雄 原爆は可能と陸軍に報告
(気体熱拡散法に期待)
1943. 7. 3 【ソ】 クルチャトフ アメリカのスパイ情報を分析
(237編の論文,黒鉛パイルに注目,しかし 1年前の資料であった,プルトニウムの分裂断面積)
1943. 7 【米】 プルトニウムの 2次中性子数の確認
[ロバート・ウィルソン]
(2.9個,184インチ・サイクロトロンで資料作成,ロスアラモス)
1943. 7.17 【米】 ガン・メソッドの試射開始
[ウィリアム・パーソンズ]
(シンマン用,当初はプルトニウム爆弾用としても計画)
1943. 7.22 【米英】 ダウニング街(10番地)会談
[チャーチル/アンダーソン卿/チャーウェル卿/スチムソン/ブッシュ/ハーベー・バンディ]
(情報交換の要求,ソ連の脅威に対抗,ルーズベルトへ伝達を約束)
1943. 7.24 【米英】 ハンブルグの無差別爆撃
(ゴモラ作戦,初の絨毯爆撃,7.28 第2次爆撃,巨大な火の嵐が発生)
1943. 7.25 【伊】 ムッソリーニ辞任,逮捕
1943. 7.30 【米】 ロバート・ウィルソン 世界中の全プルトニウムをシーボーグに返却
(サンタフェのホテルにて,ウィルソンはウィンチェスター銃で武装,シーボーグはそのままポケットへ)
1943. 7 【米】 ハンフォードの生産パイルの建設開始
(5っのパイルの建設が予定されたが3っが完成)
《衛星写真(Google Earth)
1943. 8 【英】 ジョージ・アンダーソン 渡米
(英米原子爆弾共同開発の明確化・公式化,イギリスチームはモントリオールへ移転済み)
1943. 8.19 【米英加】 ケベック会議
[ウィンストン・チャーチル/フランクリン・ルーズベルト/ボーア]
(原爆開発についての国際協定,英仏原子力協定については言及せず)
1943. 8.29 【独】 デンマーク軍を武装解除
1943. 8 【米】 重水素と三重水素の反応速度は重水素の10倍と報告
(エドワード・テラーがベーテを通じてパデュース大に実験を依頼)
1943. 8 【米】 オッペンハイマー ソ連工作員の接近を保安将校ボーリス・バッシュ大佐に報告
(数ヶ月後に報告)
1943. 9 【米】 ジョン・フォン・ノイマン ロスアラモスへ赴任
(ネッダーマイヤーの支援,数学部門)
1943. 9.29 ニールス・ボーア スウェーデンへ脱出
(ユダヤ系,モターボートで脱出,脱出後デンマーク在住ユダヤ人の保護をスウェーデン政府に訴える)
1943.10. 6 ニールス・ボーア イギリスへ亡命
(外交郵便用モスキート爆撃機の弾薬庫にパラシュートをつけて搭乗,攻撃を避ける高度飛行の為ボーアは酸欠で気絶,ジェームス・チャドウィックが出迎え,1週間後に息子のアワ・ボーア ロンドンへ,渡英中のリチャード・トールマンはグローヴス将軍よりのマンハッタン計画参加要請を伝える)
1943.10 【米】 αカルトロン完成
(『レーストラック』,銅不足のため財務省管理の銀を電磁石のコイルに使用,5〜10トンの要求に「財務省では銀はトロイ・オンスで量ります」と皮肉られる,3億 9500万トロイ・オンス,3億ドル,レーストラックは 2階,1階は真空ポンプ室,専用火力発電所,運転要員 4800人)
《衛星写真(Google Earth)
1943.10 【米】 ハンフォードのプルトニウム生産パイル(100-B)着工
1943.10 【米】 爆縮法では臨界量未満のコアが圧縮されて臨界に達する事に着目
[ジョン・フォン・ノイマン/エドワード・テラー]
(中性子が逃出し難くなるため,少量の爆発物で可能)
1943.11. 4 【米】 クリントンのパイル臨界
(X-10,800KW,強制空冷黒鉛原子炉,7.5m1944.2:1800KW,1944.6:3800KW,グレン・シーボーグに負う所大)
《衛星写真(Google Earth)
1943.11.16 【英】 ノールウェー・リューカンの重水工場爆撃
(B-17爆撃機,140機,発電所爆破,以前爆破されたナチスの重水工場は 4月には復旧,ドイツは重水生産を国内への移動を決定)
1943.11.20 【米】 クリントンのプルトニウム分離処理開始
(遠隔操作プラント,5トンの中性子照射済ウランの処理)
《衛星写真(Google Earth)
1943.11.29 【米】 B-29爆撃機・原爆投下用改造開始
[ノーマン ・ラムゼー( 27才)
(原爆の外形寸法概略決定,シンマンの砲身長は 17フィート,前部爆弾倉と後部爆弾倉を連結,シンマンはルーズベルト,ファットマンはチャーチル,ラムゼーは 1989ノーベル賞授賞)
1943.11 【米】 海軍液体熱拡散法プラントを認可
(フィラデルフィア海軍工廠のボイラー実験場の廃棄蒸気を利用)
《衛星写真(Google Earth)
1943.11 【日】 ウラン235 分離塔の建設開始
(『二号研究』)
1943.12. 3 【英】 イギリス科学者グループ(15名)ケベック協定によりアメリカへ
[ウォーレス・エイカーズ/オットー・フリッシュ/ルドルフ・パイエルス/ウィリアム・ペニー/ジョージ・プラシェク/フィリップ・ムーン/ジェームス・タック/イーゴン・ブレッチャー/フランツ・シモン/クラウス・フックス]
[ジェームス・チャドウィック/ジェフリー・テイラー]は後より参加
(ブリティッシュ・ミッション)
1943.12. 6 ニールス・ボーア/アワ・ボーア アメリカへ
1943.12.14 【米】 米軍特種部隊(ALSOS) イタリアへ上陸
[ボーリス・パッシュ中佐]
(収集情報によりドイツの原爆開発を否定,情報は科学者達には伏せられる)
1943.12.22 【米】 気体拡散法の N-Aバリアーの生産不能を報告
(フランツ・シモン/ルドルフ・パイエルスの視察)
1943.12.31 【米】 パイルの兵器としての可能性の検討
[ロバート・オッペンハイマー/ニールス・ボーア/アワ・ボーア/エドワード・テラー/リチャード・トーツマン/ロバート・サーバー/ロバート・バッカー/ビクター・ワイスコップ/ハンス・ベーテ]他
(ボーアは前日ロスアラモスへ到着,ハイゼンベルクの示した原子炉構想図より)
1943.12 【米】 宇宙線中性子によるウラン235 の核分裂発見
[エミリオ・セグレ]
(迷走中性子を遮断すればコアを簡略化し集合速度を遅くすることが可能,「シンマン」から砲身の短い「リトルボーイ」への展開,爆弾全長 17フィート[5.2m] から 6フィート[1.8m] ,B-29の爆弾倉に収納可能)



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