原子爆弾の歴史 1781-1939 |次へ|資料室Topへ|
| 1781 [天明元年] |
【英】 天王星発見 [ウィリアム・ハーシェル] (ハーシェルは国王ジョージV世に因んで『ジョージの星』と命名,後にボーデが『ウラヌス』と命名,⇒ ウラン) |
| 1789 [寛政元年] |
【独】 ウラニウム発見 [マルティン・ハインリッヒ・クラプロート] (ヨハヒムスザール鉱山,ガラスの着色剤に使用) |
| 1828 [文政11年] |
【瑞典】 トリウム発見 [ヨンス・ヤコブ・ベルセリウス] (北欧の雷神トールより命名,ガス灯のマントルに使用) |
| 1846. 6 [弘化3年] |
【仏】 海王星発見 [ウルベーン・J・ルベリエ] (『ネプチューン』と命名,⇒ ネプツニウム) |
| 1873 [明治6年] |
【英】 『電気磁気論』出版 [ジェームス・クラーク・マックスウェル] (電磁場の導入,キャヴェンディッシュ研究所) |
| 1885 [明治18年] |
【瑞士】 スペクトル線の調和律発見 [ヨハン・バルマー] (分光学,バルマー公式,水素のスペクトル線) |
| 1890 [明治23年] |
【瑞典】 リュードベリ方程式発表 [ヨハネス・リュードベリ] (分光学,リュードベリ定数) |
| 1895.11. 8 [明治28年] |
【独】 X線発見 [ウィルヘルム・レントゲン] (陰極線管の近くの蛍光スクリーン上に手の骨が透けて見えた,1901 第1回ノーベル賞受賞) |
| 1896. 3. 1 [明治29年] |
【仏】 放射能発見 [アンリ・ベクレル] (ウラン化合物による写真乾板の自然露光を発見,その後キュリー夫人が「放射能」と命名,1903 ノーベル賞受賞) |
| 1897 [明治30年] |
【蘭】 ゼーマン効果発見 [ゼーマン] (ナトリウムのスペクトル線が磁場により枝分かれする,ローレンツが原子内の荷電粒子で説明,1902 ノーベル賞受賞) |
| 1897 | 【英】 陰性の粒子(電子)発見 [ジョセフ・ジョン・トムソン] (磁場と電場で陰極線が曲げられる,ブラウン管の原理,キャヴェンディッシュ研究所,1906 ノーベル賞受賞) |
| 1898 [明治31年] |
【英】 α線,β線の発見 [アーネスト・ラザフォード] (放射能の透過能の差より 2種類に区分) |
| 1898.12.26 | 【仏】 ラジウム/ポロニウム発見 [ピエ―ル/マリー・キュリー夫妻] (ヨハヒムスザールのウラン鉱石より精製,8 トンから 10mg,放射「ラジエイト」及び夫人の祖国ポーランドより命名,1903 ノーベル賞受賞,賞金の 6万フランでラジウム研究所開設,1911 マリー ノーベル賞再受賞) |
| 1900.10.19 [明治33年] |
【独】 量子概念提唱 [マックス・プランク] (プランク定数,基本量子,輻射の公式) |
| 1900 | 【仏】 γ線の発見 [P・V・ヴィラール] (α線,β線より強い透過能) |
| 1900 | 【仏】 β線は陰極線であることを証明 [アンリ・ベクレル] |
| 1900 | 【英】 放射性トリウムからの放射性ガス発見 [アーネスト・ラザフォード] (放射性ガスをエマネーションと呼ぶ,モントリオール・マクギル大) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1900 | 【仏】 ラジウムからの放射性ガス発見 [キュリー/ドルン] |
| 1900 | 【仏】 アクチニュームからの放射性ガス発見 [ドビエルヌ] |
| 1903 [明治36年] |
【英】 『放射性遷移』論文発表 [アーネスト・ラザフォード( 32才)/フレデリック・ソディ] (トリウムがラドンガスに遷移,半減期の発見,1908 ラザフォード ノーベル賞受賞) |
| 1903 | 【英】 原子の内部は稀薄な構造である事を証明 [フィリップ・レナード] (陰極線をいろいろな原子に照射,陰極線のほとんどが通過する) |
| 1903 | 【日】 原子の土星モデル発表 [長岡半太郎] (電子軌道の安定性を説明できず,1911 ラザーフォードを尋ねているがラザーフォードは言及せず) |
| 1903.12.17 | 【米】 動力飛行成功 [ライト兄弟] (ノースカロライナ州キティホークの砂丘,フライヤー 1号) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1905 [明治38年] |
【独】 『特殊相対性理論』発表 [アルバート・アインシュタイン( 27才)] (光電効果を量子的に説明,フォトンの存在,質量=エネルギー,E=mc2,1921 ノーベル賞受賞) |
| 1905 | 【英】 α線の質量はどれも等しいことを発見 [オットー・ハーン] (ラザフォード門下,モントリオール・マクギル大,ハーンは 1938 にウランの核分裂を発見) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1906 [明治39年] |
【英】 α線の散乱現象発見 [アーネスト・ラザフォード] (雲母によるα線の屈折,原子内に強力な電場が存在,マクギル大) |
| 1908 [明治41年] |
【英】 ガイガーカウンター作成 [ハンス・ガイガー] (電気方式の放射線カウンター,ラザフォード門下,マンチェスター大) |
| 1908 | 【英】 α線はヘリウムの原子核であることを発表 [アーネスト・ラザフォード] (ノーベル賞記念講演) |
| 1909 [明治42年] |
【英】 α線の散乱を計測 [アーネスト・マースデン/ハンス・ガイガー] (金箔を通過中に 90度も曲げられる,ラザフォード門下) |
| 1911. 3. 7 [明治44年] |
【英】 原子核の存在を表明 [アーネスト・ラザフォード] (マンチェスター文学哲学会,長岡の土星モデルに気付かず?) |
| 1911.10.29 | 第1回ソルヴェー会議開催 [アインシュタイン/プランク/ローレンツ/ポアンカレ/マリー・キュリー/ランジュヴァン/ラザフォード] (ブリュッセル,放射の理論と量子,ランジュヴァンとキュリー夫人のスキャンダル,その直後キュリー夫人のノーベル賞決定) |
| 1911 | 【英】 ウィルソンの霧箱作成 [C・T・R・ウィルソン] (過飽和水蒸気中を通過するイオン核により一条の霧が発生,キャヴェンディッシュ研究所,1927 ノーベル賞受賞) |
| 1911 | 【墺】 宇宙線発見 [F・S・ヘス] (気球で 5000mまで上昇,1936 ノーベル賞受賞) |
| 1912.11 [大正元年] |
【独】 X線の回析現象発見 [マックス・フォン・ラウエ] (硫化亜鉛の結晶を照射,X線は電磁波の証明,1914 ノーベル賞受賞) |
| 1912 | 【英】 ラジオトリウム発見 [オットー・ハーン] (バリウム化合物より分離,ロンドン大,後にトリウムの同位体と判明) |
| 1913. 3. 6 [大正2年] |
【嗹馬】 原子の惑星モデル発表 [ニールス・ボーア] (『原子と分子の構造について』,量子論の導入,バルマーの公式は電子の軌道面に対応,1922 ノーベル賞受賞) |
| 1913.11 | 【英】 X線スペクトルの規則的シフト発見 [ハリー・モーズリー( 25才)] (X線スペクトルの回析,量子化された電子軌道の証明,特性X線の周波数は原子番号に従って規則的に増加,1915 トルコ・ガリポリで戦死) |
| 1913 | 【英】 同位元素概念を提唱 [フレデリック・ソディ] (アイソトープと命名,ラザフォード門下,1921 ノーベル賞受賞) |
| 1913 | 【英】 ネオンの同位元素を気体拡散法で分離 [フランシス・アストン] (パイプ陶土製の隔壁を通して数千回拡散を繰り返す) |
| 1913 | 【英】 X線の回析理論発表 [ヘンリー・ブラック/ローレンス・ブラック] (1912 ローレンスがケンブリッジを散歩中に着想,網平面モデル,父親ヘンリーの考案したX線分光器で確認,1915 ノーベル賞受賞) |
| 1914. 6.28 [大正3年] |
第1次世界大戦勃発 (サラエボ,セルビア青年によるオーストリア皇太子暗殺) |
| 1915.11.25 [大正4年] |
【独】 『一般相対性理論』発表 [アルバート・アインシュタイン] (水星の軌道の異常を説明,太陽質量による星の光の屈折を予告) |
| 1917. 5.25 [大正6年] |
【独】 フォークストン爆撃 (ドイツ軍による初の戦略爆撃,ロンドンが雲で見えずドーバー海峡方面へ移動) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1917.11. 7 | 【露】 10月革命 [レーニン/トロッキー] |
| 1917 | 【英】 元素変換発表 [アーネスト・ラザフォード] (窒素原子にα線を照射して水素の核と酸素のアイソトープに変換) |
| 1918.10 [大正7年] |
【洪牙利】 ハンガリー革命 (ユダヤ人の国外脱出) |
| 1918 | 【英】 質量分光器(マス・スペクトログラフ)発明 [フランシス・アストン] (質量差より原子の結合エネルギーを求める,写真感光式,キャヴェンディッシュ研究所,1922 ノーベル賞受賞) |
| 1918 | 【米】 質量分析器(マス・スペクトロメータ)考案 [アーサー・デンプスター] (写真乾板を使用しない) |
| 1919. 5.29 [大正8年] |
【英】 皆既日食で相対性理論証明 [アーサー・エディントン] (太陽による星の光の屈折,西アフリカ・プリンシペ島で観測) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1920 [大正9年] |
【英】 『陽子』(プロトン)と呼ぶことを提唱 [アーネスト・ラザフォード] (イギリス科学振興協会総会) |
| 1920. 6. 3 | 【英】
水素の同位体と中性子(ニュートロン)の存在を表明 [アーネスト・ラザフォード] (ベーカー講演,王立協会,中性子による核内への侵入の可能性を表明) |
| 1922.12 [大正11年] |
【嗹馬】 ハフニウム発見 [ド・ヘヴェシー/ディルク・コスター] (72番元素,古代ローマ時代のコペンハーゲンの名称ハフニアより命名,元素の周期表より予測,発見の翌日ボーアがノーベル賞記念講演で報告) |
| 1923.11. 8 [大正12年] |
【独】 アドルフ・ヒットラー刑務所へ (『我が闘争』を記述) |
| 1923 | 【米】 コンプトン効果発表 [アーサー・コンプトン] (X線を黒鉛ブロックで散乱させると波長が長くなることを方解石X線分光計で発見,X線光子が電子と弾性衝突するとエネルギーを失うため波長が伸びる,光の粒子性の証明,1927 ノーベル賞受賞) |
| 1924 [大正13年] |
【仏】 物質波の概念を提唱 [ルイ・ドゥ・ブローイ( 32才)] (1929 ノーベル賞受賞) |
| 1925 [大正14年] |
【独】 量子力学完成 [ウェルナー・ハイゼンベルク] (ニールス・ボーア研究所,コペンハーゲン,1932 ノーベル賞受賞) |
| 1926 [大正15年] |
【墺】 物質の波動理論発表 [エルヴィン・シュレディンガー] (1933 ノーベル賞受賞) |
| 1927. 2 [昭和2年] |
【独】 不確定性原理の着想 [ウェルナー・ハイゼンベルク] (星空の公園の散歩中,光は粒子としても波動としても存在できる) |
| 1927 | 【英】 電子の波動性の証明 [ジョージ・トムソン] (結晶表面で反射,アバディーン大学,J・J・トムソンの息子,1937 ノーベル賞受賞) |
| 1927 | 【米】 電子の波動性の証明 [デヴィソン] (結晶表面で反射,ベル電話研究所,1937 ノーベル賞受賞) |
| 1928 [昭和3年] |
【米】 陽電子(ポジトロン)の予想 [P・A・M・ディラック]( 26才) (ディラック方程式,シュレディンガー方程式に相対論を組込む,電子のスピン,1933 ノーベル賞受賞) |
| 1929. 4 [昭和4年] |
【米】 サイクロトロンを着想 [アーネスト・ローレンス] (陽子の連続加速,ロルフ・ヴィーダレーの線型加速器論文より着想) |
| 1930. 3.12 [昭和5年] |
【米】 冥王星発見 [クライド・トンボー] (『プルート』と命名,⇒ プルトニウム,ローウェル天文台) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1930 | 【独】 貫通力の強い未知の放射線発見 [ワルサー・ボーテ/ハーバード・ベッカー] (α線をベリリウム箔に照射,鉛ブロックを貫通する放射線発見,ベリリウム線と呼ぶ,1954 ボーテ ノーベル賞授賞) |
| 1932. 1.18 [昭和7年] |
【仏】 放射線による陽子の放出を報告 [フレデリック/イレーヌ・ジョリオ・キュリー夫妻] (ポロニウムのα線をベリリウムに照射,発生するベリリウム線をパラフィンに照射,陽子の放出を霧箱で確認,ベリリウム線はγ線と考察しコンプトン散乱と解釈,中性子発見に至らず) |
| 1932. 2.27 | 【英】 中性子発見 [ジェームス・チャドウィック] (ジョリオ・キュリー夫妻の論文より,旧知のリーゼ・マイトナーからポロニウムを分けてもらう,ベリリウム線を窒素ガスにも照射,ベリリウム線はγ線ではなく陽子に近い質量の中性粒子,師ラザフォードのベーカー講演の実証,キャヴェンディシュ研究所,1935 ノーベル賞受賞) |
| 1932. 2 | 【米】 サイクロトロン完成 [アーネスト・ローレンス] (27.5インチ,100万電子ボルト,1939 ノーベル賞受賞) |
| 1932. 4 | 【英】 元素変換成功 [ジョン・コッククロトフ/アーネスト・ウォールトン] (ガモフのトンネル理論に基づく,高速陽子をリチウムに照射してヘリウムに変換,キャヴェンディシュ研究所,1951 ノーベル賞受賞) |
| 1932. 8. 2 | 【米】 陽電子発見 [カール・アンダーソン( 26才)/セス・ネッダマイヤー] (宇宙線のシャワーを霧箱で観測,1936 アンダーソン ノーベル賞受賞) |
| 1932 | 【米】 重水素発見 [ハロルド・ユーリー] (重水,水をあきれるほど蒸留する,1934 ノーベル賞受賞) |
| 1932.12 | アルバート・アインシュタイン ベルギーへ脱出 (ユダヤ系) |
| 1933. 1.30 [昭和8年] |
【独】 アドルフ・ヒトラー ドイツ総統に就任 |
| 1933. 4 | レオ・シラード ベルリンを脱出,ウィーンへ (ユダヤ系) |
| 1933. 4. 7 | 【独】 公務員更新法(反ユダヤ人法)公布 |
| 1933. 5 | レオ・シラード イギリスへ |
| 1933. 9. 9 | アルバート・アインシュタイン イギリスへ |
| 1933. 9.12 | 【英】 中性子による連鎖反応着想 [レオ・シラード( 35才)] (当日のタイムズ紙がラザフォードの原子遷移に関する講演を報じる,ロンドン・サザンプトン通りを散歩中に着想,原子爆弾への発想,1934.7 特許を取得し 1936.2 イギリス海軍へ秘密扱いで譲渡) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1933.10.17 | アルバート・アインシュタイン アメリカへ亡命 (ウェストモーランド号,観光ビザ,1940 米国市民権を得る) |
| 1933.10 | 第7回ソルベー会議開催 [マリー・キュリー/ラザフォード/ボーア/リーゼ・マイトナー/ハイゼンベルク/パウリ/フェルミ/チャドウィック/ガモフ/フレデリック/イレーヌ・ジョリオ・キュリー/ブラケット/パイエルス] (ブリュッセル,陽子の構造について) |
| 1933.10 | ガモフ ソ連を脱出,ソルベー会議後アメリカへ亡命 |
| 1933.12 | 【伊】 弱い相互作用の導入 [エンリコ・フェルミ] (β崩壊理論,1938 ノーベル賞授賞) |
| 1933 | ルドルフ・パイエルス イギリスへ亡命 (ユダヤ系) |
| 1933 | 【独】 ロケット研究開始 [フォン・ブラウン] |
| 1934. 1.15 [昭和9年] |
【仏】 人工放射能発見 [フレデリック/イレーヌ・ジョリオ・キュリー夫妻] (ポロニウムのα線をアルミニウムに照射し放射性のリンと陽電子を確認,ガイガー計数管を使用,放射能による白血病のマリー・キュリーは二人を祝福,1935 ノーベル賞受賞) |
| 1934. 5.10 | 【伊】 超ウラン元素の存在を表明 [エンリコ・フェルミ( 33才)] (α線の代りにラドンとベリリウムからの中性子を周期表に従って照射し人工放射能を調査,β崩壊による人工放射能,ウランの照射実験より超ウラン元素を想定) |
| 1934. 9 | 【独】 超ウラン元素ではなく核分裂の可能性を提唱 [イーダ・ノーダック] (特に注目されず,女性化学者) |
| 1934.10.18 | 【伊】 ウランの中性子照射実験で木のテーブルによる効果を発見 [エドアルド・アマルディ/ブルーノ・ポンテコルボ] (大理石のテーブル上での実験とのデータ差より,フェルミ門下) |
| 1934.10.22 | 【伊】 減速された中性子による強い放射能発見 [エンリコ・フェルミ] (ウランの中性子照射実験,パラフィンの障壁による効果,遅い中性子の方が捕獲されやすい,池の水による減速効果も確認) |
| 1934 | 【英】 水素の核融合発見 [マーク・オリファント/パウル・ハルテック] (キャヴェンディシュ研究所,ラザフォード門下,濃縮した重水素を加速した重水素で叩く) |
| 1934 | 【ソ】 小型サイクロトロン稼動 [イーゴリ・クルチャトフ] (アメリカ以外で稼動した最初のサイクロトロン) |
| 1934.12 | 【ソ】 大粛清始る (1941.6 までに 1984万人逮捕,700万人銃殺,スターリンの野望) |
| 1935. 2 [昭和10年] |
ハンス・ベーテ アメリカへ亡命 (ユダヤ系) |
| 1935. 8 | エドワード・テラー アメリカへ亡命 (ユダヤ系) |
| 1935 | ユージン・ウィグナー/フォン・ノイマン アメリカへ亡命 (ユダヤ系) |
| 1935 | 【日】 中間子理論発表 [湯川秀樹( 27才)] (素粒子の相互作用について,π中間子を予想,1947 セシル・パウエルが宇宙線の中から中間子を発見,1949 ノーベル賞授賞) |
| 1936. 1.27 [昭和11年] |
【嗹馬】 原子核の液滴モデル発表 [ニールス・ボーア] (『中性子捕獲と核の構造について』,原子核は単一の粒子ではなく陽子と中性子からなる) |
| 1936 | 【英】 水素をヘリウムに変換すると 1%の質量がエネルギーとして解放されると講演 [フランシス・アストン] (E=mc2に言及,コップ一杯の水はクイーン・メリー号を全速力で大西洋を往復させることが出来る) |
| 1937. 4.26 [昭和12年] |
【独】 ゲルニカ無差別爆撃 (ドイツ空軍がスペイン・フランコ政権に荷担,ピカソの抗議絵画) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1937 | 【米】 60インチ・サイクロトロンを計画 [アーネスト・ローレンス] (220トンの電磁石,放射線医療機器用として民間の寄付を集める) |
| 1938. 3.13 [昭和13年] |
【独】 オーストリア併合 |
| 1938. 7.14 | 【伊】 人種法発令 (ユダヤ人の公職追放) |
| 1938. 7.17 | リーゼ・マイトナー ドイツ脱出,コペンハーゲン/ストックホルムへ (ユダヤ系,期限切れのパスポートでからくも越境,ボーアの計らい) |
| 1938. 8 | エミリオ・セグレ アメリカへ亡命 (ユダヤ系,パレルモへの帰路切符は不要となるとシラードに言われる,そのままアメリカに留まる) |
| 1938. 9 | 【仏】 ウランに中性子を照射した時の半減期 3.5Hの放射能はランタンと発表 [イレーヌ・キュリー/パヴェル・サビッチ] |
| 1938 | 【米】 ウラン235 とウラン238 の含有比率を計測 [アルフレッド・ニーア( 25才)] (1:139,ウラン235は 0.7%,デンプスターの質量分析器を使用) |
| 1938 | 【独】 アイソトープ分離装置考案 [クラウス・クルジウス/G・ディッケル] (クルジウス管,気体熱拡散法,垂直二重円筒の内外温度差を利用,後にウラン235濃縮用としてバーミンガム大でオットー・フリッシュが日本では仁科芳雄が試みているが成功せず) |
| 1938.12.19 | 【独】 ウランの核分裂確認 [オットー・ハーン( 59才)/フリッツ・シュトラスマン] (ウランの中性子照射実験でバリウムを化学的に発見,共同研究者であったリーゼ・マイトナーへ手紙を送り意見を求める,リーゼ・マイトナーはクリスマス休暇中の甥のオットー・フリッシュと協議,カイザー・ウィルヘルム研究所,『バリウムファンタジー』の幕開け,1944 ノーベル賞受賞) |
| 1939. 1. 2 [昭和14年] |
エンリコ・フェルミ ノーベル賞受賞後アメリカへ亡命 (妻ローラがユダヤ系,ボーアの計らい) |
| 1939. 1. 6 | 【嗹馬】 ウランの核分裂理論完成 [リーゼ・マイトナー/オットー・フリッシュ( 27才)] (液滴モデルで説明,相対性理論で計算,翌朝ボーアが論文原稿のコピーをアメリカへ持参,陽子質量の 1/5 がエネルギーとして解放される) |
| 1939. 1.13 | 【嗹馬】 ウランの核分裂を霧箱で確認 [オットー・フリッシュ] (核分裂を物理的に確認,オシロスコープを使用,パラフィンの効果も確認,一連の実験でトリウムの核分裂も発見,トリウムは高速中性子で分裂することを発見,ニールス・ボーア研究所) |
| 1939. 1.14 | 【嗹馬】 『核分裂』(フィッション)と命名 [オットー・フリッシュ] (核分裂実験を見学のアメリカの生物学者ウィリアム・アーノルドからバクテリアの細胞分裂をバイナリー・フィッションと呼ぶことを聞く) |
| 1939. 1.16 | ニールス・ボーア ニューヨーク着 (ボーアはオットー・フリッシュの論文が公表されるまで核分裂の発見を発表しないつもりであったが同船のレオン・ローゼンフェルトが列車の中でジョン・ホイラーに核分裂のニュースを話す,同日ジョン・ホイラーはプリンストン大物理学科のジャーナル・クラブにてウランの核分裂を紹介) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1939. 1.17 | 【嗹馬】 ウランの核分裂理論と実験報告をネイチャーへ投稿 [オットー・フリッシュ] |
| 1939. 1.25 | 【米】 ウランの核分裂を霧箱で確認 [ハーバート・アンダーソン] (サイクロトロンで重陽子を加速して水素に照射し中性子を発生,オシロスコープで確認,フェルミ/ダニング門下,コロンビア大,ローマでのフェルミの実験ではα粒子を遮断するためのアルミ箔に妨げられて発見出来なかった) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1939. 1.26 | 【仏】 ウランの核分裂確認 [ジョリオ・キュリー夫妻] (分裂による 2次中性子の存在を求めたが確認出来なかった) |
| 1939. 1.26 | 【米】 第5回ワシントン会議開催(アメリカ物理学会) [ガモフ/ボーア/フェルミ/オットー・シュテルン/ハロルド・ユーリー/グレゴリー・ブライト/ラビ/テラー/メール・チューヴ] (ウランの核分裂についてボーア/フェルミが報告,核分裂をスプリッターズと呼ぶ) |
| 1939. 1.28 | 【米】 ウランの核分裂を確認 [リチャード・ロバーツ/ロバート・マイヤー] (ヴァン・デ・グラーフ発電機で重陽子を加速してリチュームを照射し,発生する中性子でウランを照射,トリウムの核分裂も発見,メール・チューヴ門下,ワシントン大,同夜ワシントン会議の出席者に対し核分裂のデモンストレーションが行われる,その後の一連の実験で遅延中性子を発見,原子炉制御の可能性の基となる) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1939. 1.30 | 【米】 ウランの核分裂を確認 [フィリップ・アーベルソン] (散髪中のルイス・アルヴァレは散髪を中断して核分裂のニュースをフィリップ・アーベルソンに伝える,ウランのもう一つの分裂様式 テルル 52+ジルコニウム 40 を発見,バークレー校,アルヴァレはオッペンハイマーに報告,オッペンハイマーは核分裂はあり得ないと断言したが,実験を見て中性子の放出を予想し爆弾や発電を予見した) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1939. 2. 7 | 【米】 ウラン235 が低速中性子で分裂すると考察 [ニールス・ボーア/ジョン・ホイラー] (公表された唯一の核分裂理論,フィジカル・レビュー,ワシントン大のヴァン・デ・グラーフ発電機によるエネルギーレベルの異なる中性子によるウランの分裂断面積データより考察,ウラン238は共鳴吸収を起こす,リーゼ・マイトナー/オットー・フリッシュ理論の補強) |
| 1939. 3.17 | 【米】 核エネルギーの軍事利用会議開催 [ジョージ・ペグラム/エンリコ・フェルミ] (科学者による海軍代表への初の働き掛け,原爆の可能性について発言,フェルミは遅い中性子による制御された反応,速い中性子による爆発,星の反応等を講義) |
| 1939. 3 | 【仏】 ウランの核分裂により放出される中性子は 1個以上であることを確認 [ジョリオ・キュリー/ハンス・ハルバン/レフ・コワルスキー] |
| 1939. 3 | 【米】 ウランの核分裂により放出される中性子は約 2個であることを確認 [レオ・シラード/ウォルター・ジン] (フランスとは相互連絡なし,1週間遅れ) |
| 1939. 4.22 | 【仏】 ウラン235 の核分裂による2次中性子に関する第2報を投稿 [フレデリック・ジョリオ/ハンス・ハルバン/ルー・コワルスキー] (1回の分裂あたり 3.5個の中性子が放出される,後に 2.6個に訂正される) |
| 1939. 4.29 | 【独】 研究計画立案,ウランとラジウムの輸出を禁止 [クルト・ディープナー] (ベルリンでの秘密会議,『ハルテック書簡』が爆発物を予見) |
| 1939. 4 | 【米】 ジョン・ダニング ウラン235 の分離をアルフレッド・ニーアに依頼 |
| 1939. 5 | ニールス・ボーア コペンハーゲンへ帰還 (亡命科学者の支援のため) |
| 1939. 7. 3 | 【米】 原子炉の構想 [エンリコ・フェルミ/レオ・シラード] (天然ウランによる核反応,黒鉛を中性子の減速材に使用,水を減速材とすると重陽子を形成するため効率が悪い,重水ではその心配はないが入手困難) |
| 1939. 8. 2 | 【米】 『アインシュタインの手紙』 [アルバート・アインシュタイン/レオ・シラード/ユージン・ウィグナー/エドワード・テラー] (シラード/テラー/ウィグナーがアインシュタインに働きかける,ドイツの脅威,天然ウラン爆弾・天然ウラン原子炉の可能性等を執筆,シラードの下書きにアインシュタインが署名,大統領への取次ぎをアレクサンダー・ザックスに依頼,アインシュタインはマンハッタン計画には参加していない,メール・チューブは 3人を『ハンガリー陰謀団』と呼ぶ) (後日アインシュタインはライナス・ポーリングに宛てて「私は人生で間違いを一つ犯しました。ルーズベルト大統領に対して,原子爆弾を造るよう勧める手紙に署名したことです。」と送る) |
| 1939 | オットー・フリッシュ イギリスへ亡命 (ユダヤ系) |
| 1939. 9. 1 | 第 2次世界大戦勃発 (ドイツ軍とソ連軍がポーランドへ侵攻,1938.8.24 ドイツとソ連は不可侵条約を締結,急降下爆撃機と戦車による電撃戦) |
| 1939. 9. 3 | イギリス/フランス参戦 |
| 1939. 9.16 | 【独】 兵器プロジェクトの秘密会議(ベルリン会議)開催 (ニールス・ボーア/ジョン・ホイラーの核分裂論文について論ずる) |
| 1939. 9.26 | 【独】 第2回ベルリン会議開催 [クルト・ディープナー/エリック・バッジ/ウェルナー・ハイゼンベルク/ハルテック] (カイザー・ウィルヘルム研究所を接収,ドイツ爆弾計画のスタート,重水を減速材にする) |
| 1939.10.11 | 【米】 アレクサンダー・ザックス 『アインシュタインの手紙』をルーズベルト大統領に取り次ぐ |
| 1939.10.21 | 【米】 第1回ウラン諮問委員会開催 [ライマン・ブリッグズ/ザクス/シラード/テラー/ウィグナー] (まだ不確定な爆弾より原子炉開発に財政的援助を行う) |
| 1939.10 | 【米】 184インチ・サイクロトロンを提案 [アーネスト・ローレンス] (100メガ電子ボルト,予定総重量 2000トン) |
| 1939.10 | 【英】 天然ウラン爆弾の構想表明 [ジェームス・チャドウィック] (パイエルスの論文に基づく,臨界量 30〜40トン) |
| 1939.12. 6 | 【独】 ウラン爆弾の可能性をドイツ陸軍省へ報告 [ウェルナー・ハイゼンベルク] |
| 1939.12 | 【米】 核分裂実験でウラン内に留まる放射性物質の存在を発見 [エドウィン・マクミラン] (バークレー校) 《衛星写真(Google Earth)》 |
| 1939 | 【米】 星のエネルギー生産機構の解明 [ハンス・ベーテ] (炭素サイクル,1967 ノーベル賞受賞) |