Who's Next

 

 1971年にザ・フーは2年ぶりに"Who's Next"というスタジオアルバムを発表している。いまでこそ、ザ・フーの最高傑作であるばかりか、70年代ロックアルバムの最高峰の一つに数えられているが、元々は未完に終わった「ライフ・ハウス」というプロジェクトの残骸である。 しかし、いくら残骸だとは言え、とてつもない高水準にあることは間違い無い。このアルバムが何故高水準なのだろうか。

●プロデューサーの交代
 プロデュースは、従来のキット・ランバートに替わってグリン・ジョーンズが担当した。グリン・ジョンーズは、アルバム"My Generation"でエンジニアを務め、その後も、レッド・ツェッペリンのレコードのエンジニアを務めたりしている。つまり、ハードな音をレコード化することに長けていたのだろう。ザ・フーの問題として、ライブ並みの音圧をレコードで表現できない(ということがあったのだが、その問題はグリン・ジョーンズの採用によって克服したのである。

●シンセサイザーの導入
 シンセサイザーの導入は、ザ・フーが初めてではない。しかし、彼等以前には、メロディ楽器として、つまりはメロトロンと同様に、ピアノ、オルガンとは違う音が出る楽器としての役割しか与えられなかったのである。ザ・フーは、
シンセサイザーをループ音、リズム楽器として使うことにした今で言うテクノの先駆けである。もちろん、昨今のテクノに比べれば、リズム楽器としての徹底度は低いと言わざるを得ないが、時代を考えれば斬新だと思う。
 また一方でアコースティック楽器(ギター、ピアノ)の使い方も絶妙である。新旧のバランスが絶妙のアレンジである。

●メロディーの水準が向上した
 これは良く言われることだが、私はそうは思わない。"The Who Sell Out"の頃から、ピートの曲は安定して高水準にあったと思う。問題は他のメンバーの曲が混じることなのである。しかし、ジョンは前年の"Heaven And Hell"あたりから、変な曲風を脱し、キャッチーな曲を書くようになってきている(ザ・フーの特質にはポップ性が多分にあるのだ)。本作でも、"My Wife"を提供し、そういった面の問題は解決している。

 一方、歌詞の面では哲学的なことが多く唄われるようになってきたことが挙げられる。従って、難解になるのも当然である。また、アレンジ面でも一層緻密さが増している。

●ロジャーの著しい成長
 これまでのロジャーも、それなりに良い面は見せてはいたが、傑出したボーカリストとは言えなかっただろう。しかし、このアルバムでは、ダイナミック・レンジ、音域ともに格段の進歩を遂げている。

●キースのドラム

 これまで、キースは本能の趣くままに叩いていた面が強かった(例外もあるが)。しかし、本作でのキースは、より正確さを増し、かつダイナミズムも増している。加えて、リズム・パターンも一層多彩になっている。

 

1. BaBa O' Riley

 ババとはミハー・ババのことであり、ライリィとはカーブド・エアのテディ・ライリィのことである。なぜこんなタイトルがついているのかというと、イントロのシンセサイザーによるループに由来しているらしい。コンピュータにミハー・ババのプロフィールをインプットし、それを音符に置き換えたものなのである。この着想は、テディ・ライリィが先鞭をつけたものらしく、それにピートが影響を受けたから、このようなタイトルになったそうだ。 M9もシンセサイザーをループ音として使ったきょくであるが、20世紀末の耳を以ってすれば、こちらの方がよりラディカルに聞える。ただし、曲としてどちらが好きかと問われたら、M9と答えるのだが(M9は他の楽器とのアンサンブルが絶妙であるから)。

 長いイントロを終えると、ボーカルパートになる。ピートのコード・ストロークは、パワフルではあるが、それほど荒々しさを感じさせず、むしろ洗練されているように思う。

 後半はデイヴ・アーバスのエレクトリック・バイオリンをメインとするインストである。このバイオリンをプロデュースしているのはキースとクレジットされている。 

 歌詞の方を見て行く。1stヴァースは、生きるためのに闘うことの決意表明のように思える。ここで、
「俺は自分の正しさを証明するために闘う必要などない/俺は許してもらう必要はない」
と唄っている。ここはロジャーが唄っているパートである。

 ところが、3コードのリフが何回か繰り返されると、テンポが遅くなってピートがボーカルを取り、
「泣かないで/目を吊り上げないで/たかが10代の不毛の地(teenage wasteland)じゃないか」
と唄う。この1節が登場することで、1stヴァースの高らかな宣言をした主人公は、挫折しそうになったのではないか、と推測できる。それに対して、ミハー・ババが応えているという場面なのだろう。ミハー・ババ自体に教義があったのか大変疑わしいし、それ以上に、ババはずっと沈黙していたのだから、応えるという行為も有り得ないのだが。

 ところで、かつてのピートは、主として10代の違和感や苦悩を歌詞にしていた。それがここでは「10代の不毛の土地」というフレーズになっているのである。今までのザ・フーからの明確な決別宣言である。実は"Tommy"においても、10代からの決別というテーマが窺えないこともないのだが、それは"Who's next"を聞いて改めて想像できることだと思う。なお、1999年に出たビデオの中で、ピートは"waste"を強調していた。字幕の訳が正確なのか分からないけれども、「不毛の地」という一般的な訳よりは、「無駄に過ごしてしまう時代」の方が真意ということらしい。

 話を元に戻す。ピートのボーカルの後、再びロジャーがボーカルを取るパートになり、10代の浪費の土地から抜け出す宣言をする。サリーという女性に向かって、 「国を横切って南に行こう」 と言うのだが、何故南に行かねばならないのだろうか。それは、北半球でいえば、「不毛の地」は北方にあり、南方が実り多い土地であるからだろう。

 

2. Bargain

 バーゲンと言っても安売りセールのことでは勿論無い。ここでは取引きの意味で使われている。このアルバムでこの曲を取り上げる人は少ないが、パワフルな名曲である。惜しむらくは、キースのドラムの音の抜けが悪いことか。なお、この曲でもシンセサイザーが使われているが、ここではストリングスの代用のような使い方をしている。ただし、ストリングスの音を真似てはいない。そんなことをすれば、大仰に聞え、迫力が無くなってしまったことだろう。

 1stおよび2ndヴァースはロジャーがボーカルを取っているパートであるが、 歌詞の要旨は、
「お前を見つけるために、あらゆる手段を尽くす/お前を見つけるために、全てを失ってもいい」
 
である。この「お前」、"you"は一体何を指しているのだろうか。クリス・チャールズワースによれば、 "you"はミハー・ババのことだとしているが、筆者にはそうは思えない。というのは、歌詞の中に、「お前に打ち勝つために・・・」という一節があるからである。
ここで、3rdヴァースに目を移すと、その中の "free right" すなわち「自由である権利」という単語がある。このことから、「お前」とは自由を阻んでいる奴、例えば独裁者を指していると思えるのである。

 結局、1stおよび2ndヴァースでは、自由になる権利を手に入れるために、独裁体制を壊そうとする者の闘争宣言であることになる。その闘争を「取引き」と言っているのだが、それはつまり、自由を得ることで、その他のこと例えば、金銭などを放棄することを表していると考えられる。したがって、取引きの相手は自分自身でもあるのだ。

 3rdヴァースに移ると、ここではボーカルをピートが取っている主人公が鏡に映る自分の姿を見つめながら内省する場面である。外に向かうロジャーと内に向かうピートという配置は、それぞれのキャラクターを上手く扱っていると思う。主人公は、
「貴方なしでは、自分には何の価値もない」
と独白する。ここでの「貴方」とは、
主人公の精神的指導者(ミハー・ババがモデル?)のことである。従って、 「鏡の中の自分の顔を見つめる」,、ということは、自分自身がどれほどの存在なのか問い掛ける姿なのである。そして主人公は、指導者なしでは自分は無価値な存在であることを改めて認識した、すなわちこれからも指導者に付き従うことを決意するに至る。それが次のフレーズに表されている。
「1+1が2にならないように、1+1は1にしかならない」
算数的には間違いであるが、そうではなく、自分と指導者とが精神的に一体となることを意味している。最後の"one"は一人というよりも、「完全な存在」という意味合いが強いのだろう。

 

3. Love Ain't For keeping

 アコースティック・ギターとドラム、ベースそしてコーラス(終始Ahと言っている)からなる、シンプルなアレンジの短い曲。ラブソングといっても、ピートが書けば、おめでたい話になるはずもない。

(a)若草の上に仰向けになっていると雨が降ってくる
でも、雨雲が通りすぎることを、俺は分かっている
君はお茶を持ってくるそして、「ベッドで眠りましょうよ」と言う
俺のそばに横たわりなよ愛は守るべきものじゃない

(b)鋳物工場の黒い灰がフードのように覆う
でも空気は萌える木のように新鮮
種が勢いよく芽を出し春がしみ出ている
ダーリン、横たわりなよ愛は守るべきものじゃない

 (a)の1行目の「雨」は、嫌なこと、つらいことの比喩ではないかと思う。だが、それもいつか終わることだと唄っている。ところが3、4行目では、彼女が無邪気な行動を取っていることが唄われる。「人の気も知らないで」と主人公は言いたいところだろう。5、6行目では、主人公が彼女に別れ話を持ちかけるくだりであろう。

 (b)の1行目も、主人公のゆううつな気分の喩えと考えられる。恋愛関係がうっとうしいものに変化したことを表している。2〜4行目は、表面的には、冬が終わって春が来たことの風景描写と受け取れる。しかし、この場面では、主人公と彼女の関係が終わって、新たな出発を迎えたことの喩えなのであろう。そして再び別れ話を持ちかけるのである。

 

4. My Wife

 ジョンの作詞作曲した、本アルバム中唯一の曲である。ボーカルもジョンが取っている。ジョンはそれだけでなくフレンチ・ホルンも披露している。一般的にジョンの最高作品であると言う点は一致している。ただし、レコードでは、キースのもたつき気味のドラムが気にかかるといえば気にかかるところ。ライブでは切れ味のある演奏が聴けるのだが。 内容は、一言で云えば恐妻家の妄想であるが、笑える歌詞である。

 

5. The Song Is Over

 6分を超える長い曲で、エレクトリック・ギター、ピアノ(ニッキー・ホプキンス担当)、シンセサイザー、ドラムが全て前面に押し出されたアレンジである。アンサンブルというよりも、それぞれの楽器に強烈なアクセントを持たせている。とくに、中盤でのキースのドラムは爆撃砲と言っても過言ではない。

 ボーカルはピートとロジャーが取っているが、二人の声質がコントラストを成し、印象を強めている。M2と同じで、外に向かうロジャーと内に向かうピートである。

 曲の最後に、'cept one note, pure and easy"というフレーズが出てくるが、これは独立した曲"Pure And Easy"の出だしであって、元々の「ライフハウス」の構想では、そのままこの曲につながって行く予定だったのだろう。"Pure And Easy"自体が優れた曲であり、アルバムに収められていないのが至極残念である。

(a)その歌は終わった
みんな過去のもの
彼女が俺を求めていたことに俺は気付くべきだった
俺達の愛は終わった
あいつらは今や俺の先の方にいる
俺は知りたかったんだ
そして俺は唄い出すんだ

(b)広い宇宙に向かって俺の歌を唄う
無限の海に向かって俺の心境を唄う
空と山に向かって俺のビジョンを唄う
俺は自由に向かって唄う

(c)俺がドアをすり抜けたとき
俺が求めるべきは俺自身のように思えた
彼女は俺が初めて唄った歌
でも始まった途端に止まってしまった

(d)俺達の愛は終わった
みんな過去のこと
あいつらは今や俺の先の方にいる
俺を見つけようと望むことも出来ない

(e)その歌は終わった
俺とともに残ったのは涙だけ
思い出さねばならない
たとえ百万年かかろうとも

 この曲だけ取り出しても、何のことやらさっぱり分かりそうにない。本当は"Pure And Easy"と一緒に歌詞を読んで、初めて意味を見出すことが可能なのだろう。

 (a)この曲のキーワードは明らかに"song"、「歌」である。その歌は終わったとは、今までの体制が終わったことを表しているように思えるが、そうではなく、「その歌」が失われてしまったという意味だろう。だから、「みんな過去のこと」なのである。

 次に「彼女」とは何か。彼女は主人公を求めていたのだが、主人公はそれに気付かないまま、二人の関係は終わってしまったことになっている。(c)を読むと、彼女=特定の歌であることが分かる。すなわち、一部のミュージシャンが言う、「音楽が俺に降りてくる」という感覚を、主人公が失ってしまったことを表していると考えられる(もっとも、あるインタビューで、ピートはそういう感覚を否定したことがあるのだが)。

 更に、「あいつら」も何を指すのか明白ではない。敵を指しているようでもあり、同士を指しているようでもある。ただ、(d)でこのフレーズが繰り返され、そこでは、「俺を見つけようと望むことも出来ない」と唄われるのだから、恐らく、「あいつら」は同士を指し、彼等はみな死んでしまったことを表しているのだろう。

 (b)自分の理想を高らかに宣言することを表している。広い宇宙、無限の海といった表現は、限りない自由の比喩であろう。つまり、最後の行が最重要なのであって、「自由に向かって唄う」ことが主人公の意思なのである。

 (c)ドアをすり抜けるとは、実際に何かのドアが存在したことと考える必要はなく、抽象的なものであろう。例えば新たな体制への入り口というか。

 次の「俺が求めるべきは俺自身だった」というのは、頼るべき同士が死に、自分一人が残ったことに気付いたという意味か。あるいは、歌を思い出せるのは自分一人だけであることに気付いたのかもしれない。というのも、(c)の後半では、かつて初めて唄った歌をもう一度唄おうとしたが、その途端に止まってしまった、つまり忘れてしまった、と唄っているからである。

 (e)「新たな体制を築くには、失われた歌を思い出さなければならない」、という意味だろう。百万年かかっても、とは少々大げさな気もするが、それくらい重要なことなのだろう。だからこそ、コーダとして"'cept one note"が引用されているのに違いない。歌と一つの音では違いが大きいが。

(なお、物語性にこだわれば、歌よりも「一つの音」の方がより崇高な感じがする)

 

6. Getting In Tune

 「音合せをしよう」という単純に音楽的な意味合いではなく、「あの音に合せよう」、という意味合いに取った方がいいだろう。ただし、「ライフハウス」の曲ということで、もう一歩踏み込んで、人と人との自然な調和を願う曲と考えるべきなのだろう。それは、

 「僕の言うことに裏がある振りなんて出来ない」、
「君にもこのノリを与えてあげよう」、
「僕はただ感じるままにこの音を唄っている」、
「君の心の中のシンフォニーが僕の頭の中で渦を巻いている」

といったキーワードに現われていると考えられる。

 

7. Going Mobile

 警察に追われて逃亡生活を送る人物を一人称で唄っている。ボーカルはピートである。この曲でのシンセサイザーんp使い方はM2にちかいが、よりコードバッキング的である。エンディングでは、ピートのエフェクタを掛けたギターが聞ける。

 ところで、「公害なんて気にしない/俺は空調ジプシー/それが俺の解決法さ」という下りは、さっぱり意味が分からない。

 

8. Behind Blue Eyes

 ザ・フーのバラードの中でも最も有名な曲であり、当然ピートの曲の中でも5本の指に入ろうかと言う名曲である(実際にどれをベストに上げるかなんて、したことはないのだが)。曲はアコースティック・ギターのアルペジオで始まり、途中からコーラスが加わる。コーラスワークは絶品である。3rdヴァースになると、テンポアップしたロックサウンドになるが、この部分はすさまじいパワーを見せつける。エンディングは1stヴァースの繰り返しであるが、この静と動のコントラストが、印象深い。

誰も知らない、俺のような奴がどう感じているのか
だから俺はお前を非難する

怒りをこれほど押し隠している奴はいない
俺は痛みや苦しみを誰にも見せない

 歌詞は、主人公の手記と呼べるような体裁を取っている。1stヴァースにおいて、主人公は人から嫌われ、悲運に付きまとわれ、嘘しか付けない孤独な男だと自らのことを卑下している。しかし、彼は言う。
「俺には良心がないように見えるかもしれないが、夢は持っているんだ。」
 しかし、その夢とは具体的に何なのだろうか。ここでは不明であるが、人と人との本心からのつながりを指しているのであろう。これはすぐ次に出てくるフレーズ、「孤独な時間が過ぎていく」から想像できることである。

 3rdヴァース(テンポアップしたパート)は、主人公からの哀願である。実は、2ndヴァースにおいて、主人公は「お前を非難する」と言っておきながら、ここでは頼んでいるのである。しかも、その頼みごとは、

俺が拳を握っていたらその手を開いてくれ
俺がかっとなって殴りかかる前に
俺がニタニタしているときは何か悪い知らせを言ってくれ
俺が笑い出して阿呆のように振舞う前に

俺が何か悪どいものを飲み込んだら
指を喉に突っ込んで吐き出させてくれ
俺が寒さで震えていたら
毛布をくれ
俺をお前のコートで暖めてくれ

 となっていて、結構情けないといえば情けない。ここには、強がりを言いながらも結局は弱さをさらけ出してしまう人間像が描かれている。しかも、ピートらしく、そのような人間に対して肯定的である(明言はしていないが)。

 いずれにしても、状況設定が分からないため、難解な歌詞になっている感があるが、前述のように、主人公の目の前に相手がいるのではなく、遠く離れていることは、想像がつく。

 

9. Won't Get Fooled Again

 アルバム中最も知られた曲で、ライブのハイライトとなった曲である。単独で聴くよりも、M8と続けて聴くと、その良さが倍増すると言える。イントロは無機質なシンセサイザーのソロではじまり、ギターのロング・トーンでロックサウンドになる。ありとあらゆるドラム・パターンが使われ、「勿体ない」と聴き手に思わせる。2番の歌詞が終わると、シンセサイザーとギターが交互に登場するのだが、シンセサイザ−がリズム楽器(前述だが)としてグルーブ感を出すのに成功している。8分半という長さでありながら、だれた感じが全くしない。

 

(a)通りで闘うんだ
子供達を足元に従えて
奴等が崇拝していたモラルは行ってしまうだろう

俺達を邪魔者扱いする奴等は
全く間違った判断をしている
奴等が決断すると、ショットガンが唄い出す

(b)新たな体制に対して帽子を取って挨拶する
新たな革命のために弓を取る
回りの全ての変化に対して
笑ったり蒼くなったり
ギターを手にとって弾くんだ
昨日のようにね
そして、ひざまづいて祈るんだ
「二度とだまされないぞ」

 革命に嬉々として立ちあがった戦士の姿が唄われる。「子供達を足元に従えて」という一節は、家族のために闘うことを表しているのだろう。(b)になると、彼の行動が描写され、実弾戦争をするのではないことが分かる。つまりロックによる変革を行おうとしているのである。「弓」は勿論兵器を表しているのではなく、弦楽器(ここではギター)のメタファーであろう(ピート自身によれば、「俺はギターを武器と考えていた」そうだ)。ジミー・ペイジの弓奏法まで思い浮かぶのは、考え過ぎかもしれない。

 そして(b)の最後に、「二度とだまされないぞ」と主人公は祈る。「二度と」というのは、何も主人公自身が一度だまされたと考える必要はない。歴史的観点から、主人公が革命を盲信していないことを表していると考えて良いはずである。もう1点、主人公が「ひざまづいて祈る」姿に注目すべきである。つまり、ボーカルの調子そのままに叫んでいるのではなく、なんとか良い方向に向かって欲しいと、静かに願っているのである。

 

(c)変革のときは来た
俺達はずっとそうなると分かっていた
俺達は全てのものから解放されたんだ

ところが世界は以前と同じだし
歴史も変わらなかった
この前の戦争でも旗が振られたというのに

 (c)になると、前半では革命が成功したことを喜んでいるのに、突如として世界が何も変わらないことに落胆する姿が描かれる。今度の革命も甚だ怪しいものとなってきたのだ。

 この後(b)が繰り返される。そんな状態でも主人公は「二度とだまされないぞ」という希望を持っている姿が描かれる。

 

(d)半分死んだような状態になったら
俺は家族とともに移動しよう
新聞を全てかき集め、空を見上げ微笑むんだ
魅了された人々は決して嘘をつかないって知ってるから

 大怪我を負った時のことを想像している。そうなっても自分は革命が成功すると信じている、つまりは同士達(=魅了された人々)がやってくれることを信じている、といった心情を描いている。

 

(e)通りにあるものは
一体何が以前と違うものになったというのだろう
スローガンが次々と書き替えられて行く
左派に加わり今度は右派に加わる
一晩であごひげがこんなに伸びちまった

 結局今回の革命とやらがどうなったのかについての説明である。何も変わらなかった。スローガンは次々と変わっていくだけである。昨日は左派が主導権を握り、今日は右派が主導権を握る。これらは革命軍内部での対立を表したものだろう。権力を手中に収めた者達が、やはり権力闘争を繰り返しているだけなのだ、そういう落胆振り、あるいはうろたえる様子を感傷を込めずに描いているのである。

 

(f)新しいボスに会う
前と変わらないボスに

 革命の結果を端的に言い表したものである。終わってみれば、前の権力者と何ら変わりがなかったと。

 こうして全体を見ると、主人公の心情は、革命への期待、落胆を繰り返していることが分かる。勿論最初から「二度とだまされないように」という言葉に表れているように、革命盲信ではないのだが。こうした心情の揺れ動きを描きながら、ピートは一つの結論を出している。それを考えるにあたり、時代背景を考察する必要があろう。60年代、ロックにより社会は変えられると、若者達(の一部であるが)は信じていた。その象徴がウッドストックである。しかし、それが幻想であったことが、共通認識となっていった。「オルタモントの悲劇」はその象徴であり、証明ではない。安直な革命礼賛は、無意味と言うより、犯罪的であることを、ピートはこの曲によって表現したかったのではないだろうか。もしも、この曲が(a)のような歌詞で終始していたら、それはガキの喚きに過ぎない。(a)に加えて(c)を並べ立てることによって、この曲の持つ意味が深まっているし、ピートが精神的に成長したことを明示しているのである。

 


<総評>

 本作では、アレンジ面での新展開もさることながら、歌詞においても、”Tommy"とは異なる面を見せていると言える。すなわち、"Tommy"では10代の苦悩とその突破口のカギを、寓話に載せて示していたのに対し、ここでは、20代のことが唄われているのである。つまり、20代になると、確かに視野も広がりはするのだろうが、グレイゾーンが増えてきて、またもや何らかの苦闘があることを示しているのである。

 そういえば、このアルバムには父、母、兄弟という言葉が出てこない。今までのピートの作る歌詞には、家族との葛藤がいたるところで出てきたのに、である。これも、20代になると、家族という狭い社会ではなく、その外にある世界と向き合わなくてはならないということが、ごく自然に現れたのだろうと思える。

(2000-5-5)

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