VHS版 "The Kids Are Alright"


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はじめに
 映画版「ザ・キッズ・アー・オールライト」は、1979年に英米で公開された。ただし、日本では当時は非公開であった。これは、興行として成り立たないと、配給会社が判断したからであろう。それほど、日本では人気がなかったのだろう。

 その後、本映画はホームビデオとして発売されることになったのだが、日本で最初に発売されたものは、コロンビア製で、確か15000円近くしたと記憶している。その後、コロンビアから廉価判として再発されたときに、筆者は買ったことがある。その頃雑誌などから得られた情報によれば、VHS版として発売された際に一部の場面がカットされていたことを知った。

 更に、BMG版として1992年に再発されることになったのだが、筆者はこれも買った。買った理由は、雑誌「レコード・コレクターズ」に「カットされた場面が復活しているらしい」 と書かれていたからである。しかし、実際はコロンビア版と何ら変わらない内容であった。違っていたのは、総時間と日本語字幕である。前者については、あまり気にならなかったものの、後者の字幕については、コロンビア版と大きく異なっていて、驚いたものであった。一体、どちらの方が原語のニュアンスに近いのだろうか。残念ながら、筆者のリスニング力では一部しか分からない。

 ただ、字幕については、ここで提案したいことがある。それは、「日本語字幕ではなく、英語字幕を入れたビデオを発売してもらえないのだろうか」ということだ。日本人は概して、英語を聞き取る能力は駄目でも、英語を読むことはそれなりに出来る場合が多い。映画館で英語字幕というのは不評をかうだろうが、ビデオならば繰り返し見られるのだから、英語字幕版があってもいいと思う。そういえば、本映画のDVD化が進行中だと聞く。ここはぜひとも、カットされた場面の復活に加えて・・・・


 このような対訳の問題はあるけれども、ここでは現時点で最新と言える、BMG製VHS版を基にして話を進めて行くことにする。なお、各映像の年代をきちんと調査をしていない点についてはお詫びする。


映画のテーマと対象
意図的な映像の選択
 本映画の撮影・編集は1977年から始まったらしい。監督を務めたのはアメリカ人のジェフ・スタインである。資料によれば、ザ・フーとしてのキャリアを総括するというのが元々のテーマであったらしい。しかし、ビデオを見る限りは「総括」とは言い難いと思う。むしろ、非常に意図的に映像が選択されているように思える。
 

(1)ライブ映像
 60年代のライブ映像は、モンタレイ、ウッドストックなど沢山あるのだが、70年代のライブ映像は、"Roadrunner"〜"My Generation Blue"のメドレーと、1978年の"Baba O'riley"、"Won't Get Fooled Again"だけである。しかも後者は小さい会場にファンクラブの会員を集めてのライブであって、世界ツアーの映像ではない。ということは、意図的に「スタジアム・ライブ」の映像が外されている可能性が高い。監督は、スタジアム・ロックはザ・フーの本来の姿ではないと思っていたのではないか。
 では、ウッドストックはどうなのだろうか。これも大勢の観客を集めたライブではあるが、ウッドストック自身がこれまた別のテーマを持っているので、採用したのだろう。


(2)シリアスなバンドというイメージに逆らう
 70年代のザ・フーは、少年の苦悩を描いた「四重人格」や、自分たちのキャリアに対する懐疑や苦悩を歌った曲が多く収められた「バイ・ナンバーズ」、「フー・アー・ユー」といった作品を生み出した。しかし、本映画では、そういう面には殆ど触れていない。以下に詳しく述べよう。
(a)「四重人格」関係の映像は全くない。同年公開の「さらば青春の光」とダブることを避けたとは考えにくい。映画監督とは、そんなに奥ゆかしい性格では務まらないと思う。

(b)「バイ・ナンバーズ」からは、「サクセス・ストーリー」のプロモーション・フィルムが選ばれているが、これは、ジョン・エントウィッスルがゴールド・ディスクをマシンガンで撃ち落とすというものである。だが、ジョンは初めライフルで撃ち落そうとして失敗しているのである。ライフルとマシンガン、大差ないように思えて、実はそうではない。ライフルならば、標的をしっかり狙うというニュアンスがあるが、マシンガンでは「数撃ちゃあたる」である。ここには、「高い目標を設定して寡作になるのではなく、もっと多くの曲を発表してくれればいいのに」との願いが込められているように思える。あるいは、「背負ってしまった『シリアスなバンド』というパブリック・イメージなど捨ててしまえ」という願いか。

(c)「フー・アー・ユー」からはタイトル曲のスタジオ録音風景が選ばれているが、非常に楽しそうな光景である。
 ここには挙げなかったが、「トミー」や「フーズ・ネクスト」に関しても同様である。前者に関しては、
(a)ウッドストックとの関係でライブ映像が出てくるが、テーマはウッドストックあるいは暴力的なステージについてであり、
(b)"Tommy, Can You Hear Me"の映像は、トミーとは無関係に、ただ愉快な四人にしか見えない、
という編集になっている。後者に関しては、(1)で述べたライブ映像があるのみで、作品のテーマについて語る場面はない。

 その一方で、キース・ムーンの奇行、60年代に制作されたプロモーション・フィルムなど、馬鹿馬鹿しく、毒々しく、人を食ったようなユーモラスな面は満載である。
 つまり、苦悩やシリアスさを意図的に避けているとしか思えないのである。この映画がキースの死後まで編集作業が続いたこと、公開時にはケニー・ジョーンズが正式メンバーとなっていたことを挙げて、「何故それを隠しているかのような編集になっているのか」という疑問がよく提出されるが、もしもかような意図の下に編集されたとすれば、当然なのかもしれない。


(3)ウッドストック
 ウッドストックに関しては、一時期非常に美化されたことがあった。「平和と愛の祭典」、「無料コンサート」といった言葉にそれが表れている。だが、ピート・タウンゼンド自身はウッドストックに批判的である。本映画中でも、「あれによって何が変わったのだろう?」と尋ねられたピートが、
「あれは俺を変えた。そして俺はそれを憎んだ」
と答えるシーンが挿入されている(*)。ピートは、「お気楽なロックンローラーから時代の救世主に祭り上げられてしまった」と思ったのかもしれない。

 だが、その一方でロジャーは、ヒーローとして祭り上げられたことを、どこか喜んでいたようなフシがある(上半身をはだけたコスチュームを着続けたことはその象徴だと思う)。物語の作者と役者との違いと言ってしまえば、それまでなのだが。

  (註 BMG版では、「考えたくもねえ」との一言で片付けられているが、ピートは"It changed me, and I hated it."と語っているのであり、ひどい誤訳である。これについては、コロンビア版の方が正確である)。


(4)ピートの発言
 主として60年代半ばにおけるピートの発言が映画には頻出する。
「観客は音楽の質になんか関心はない。センセーショナルなものに関心があるだけだ」、
「女の子はメンバーの服を見に来る」
「俺たちがモッズにアピールしたのは、攻撃的だったからだろう」
「でかい音で演奏するのは、観客の耳をふさぐためさ」
 およそミュージシャンらしからぬ発言である。しかし、当時の他のバンドの状況を併せて考えれば、実際のところは、ピートの語る通りであったのだろう。観客には演奏など殆ど聞こえなかったに違いない。

 そしてそれは、ウッドストックでも本質的には変わらなかったのではないか。変わったのは音響技術であり、観客が主体的に音楽を聴いていたのかといえば、甚だ疑問である。ただ、みんなが行くから行く。おまけに、ドラッグをキメている状態でどれほど記憶に残ったのだろうか?

 つまり、60年代半ばのピートの発言と、その後のウッドストック批判は同根なのである。どちらも、観客の主体性そして、観客とパフォーマーとの関係という問題点があるのだ。


結論
 本映画のテーマは、2点ある。1点目は、
「ザ・フーとは、本来馬鹿馬鹿しいことが大好きなバンドである」、
「シリアスさだけがザ・フーじゃない」

である。そしてもう1点は、
「観客とパフォーマーとの理想的関係とは何か?」
である。もっとも、後者は21世紀の現在でも完結しない問題であるが。

 
 そしてこの映画は、「トミー」以降にファンになった人達に向けられてもいるが、同時にあるいはそれ以上にピートに向けて作られたものなのである。エンディングで"Long Live Rock"が初めから終わりまでフルに流れるのは、「『ロックよ長生きしろよ』って言ったのはピート、あんた自身だぜ」というメッセージなのかもしれない。
 また、しばしば引用されるピートの発言、「俺は年老いたカスだ。だが、退屈はさせないぜ」は、決して中年ロッカーの格好良さを見せるために挟まれたカットではなく、ピートに向かって、「自分の発言に責任を持つべきだ」と迫っているようにも思えるのである。


サブテーマ?
 上に述べたことの他にも、本映画では幾つかサブテーマとでも呼べるものを扱っている。
「ステージでの暴力性」
「ロック・ミュージシャンと金」
「年老いるということ」
がそれである。後者2点に関しては、パンクへの回答・挑発という意味合いが強いように思える。

 

 

(2003-2-9)