Tommy
"Tommy"、ロックオペラなる言葉を世に広めたエポック・メイキングなアルバムである。発表は1969年4月。本当はThe Pretty Thingsの"S.F Sorrow"(1968年発表)こそが、この言葉を冠した初のアルバムといえるのだろうが、プロモーションか何かの不手際のためか、"Tommy"がロックオペラの代名詞となったのだろう。
以前からコンセプト・アルバムというものはあったが、それらは一定のテーマを持った曲を集めたアルバムを指していた。しかし、"Tommy"は("S.F. Sorrow"もそうだが)アルバムを通じて一つのストーリーを扱ったアルバムである。たとえるならば、従来のコンセプト・アルバムはテーマのある短編集、"Tommy"は長編小説であろう。この後、ザ・キンクスが「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」、「ローラ対パワーマン、マネーゴーランド組第一回戦」で続き、全体で1つのストーリーを扱ったアルバムが幾つも発表されて行った。
形式としては、オペラというよりミュージカルに近いし、作者であるピートもミュージカルを念頭においていたフシがある。とはいえ、歌い手一人一人が特定の人物を演じているのではなく、複数を受け持っているし、また役割を交替していることもあるから、オペラと称することが誤りではないと思う(後のピートのソロ作品"The Iron Man"では、歌い手一人が一役であり、タイトルにも「ミュージカル」と付いている)。
先ほど、ストーリーのあるアルバムと書いたが、歌詞を読んでも、ストーリーが分かる人は稀であろう。想像で補うしかないが、そう簡単にはストーリーを組み立てられるものではない。逆にいえば、ストーリーを詳細まで曲にしなかったため、いろいろな解釈が可能であり、だからこそ映画版、舞台版といった作品が後々まで作られることになったのだろう。
"Tommy"は当初2枚組として発表されたが、現在ではCD一枚に収められている。余談だが、日本ではミュージック・ライフが満点の五つ星を付けている。が、レコード評が良くない。「曲は取り立てて素晴らしいものはありませんが」とは何たることか。
それでは、各曲について見て行くことにする。
1.Overture
タイトルどおり「序曲」、インストゥルメンタルである。殆どギター・カッティングとドラム(フレンチ・ホルンが初めの方と終わりの方に出てくる)が主体で演奏される。従ってアレンジはシンプルなのだが、とても豊かな音に聞こえる。特にキースのドラムは表情が豊かであり、音像に奥行きがあり、まるでスピーカから飛び出してくるような印象を与える瞬間がある。この曲は、"Go To The Mirror!"と"We're Not Gonna Take It"を引用しているが、この2曲が後々重要な場面で使われているのである。
この後、アコースティック・ギターによる独奏が2分以上続く。ここでのピートのギタープレーは達者なもので、クラシック・ギターの奏法とリズミカルなカッティングが何度も繰り返される。何故彼が日本ではギタリストとして過小評価されているのか、全く以って不思議である。
2. It's A Boy
引き続いて、ピートのボーカルが始まる。冒頭のナレーションに相当するのだろう。内容は、ウォーカー大尉が戦争に行ったまま行方知れずになってしまったこと、夫人の腹には子供が出来ていたことの説明である。
曲は最後に、「男の子ですよ、ウォーカー夫人/男の子だ、男の子だ」という合唱で終わる。つまり、舞台は病院であり、男の子(後にトミーと名づけられる)が生まれたところである。この最後の所で”A son A son"と合掌するあたりはミュージカルらしい。また、トミーの誕生からストーリーを始めるあたりは、"S.F Sorrow"からの影響なのだろう。
3. 1921
タイトルは1921年のことである。これによって、戦争とは第一次世界大戦であったことが明らかになる。トミーは多分4、5歳になっている。ウォーカー夫人は、夫が帰って来ないので、別に愛人を作って家に引き入れていた。ある日のこと、いつもの様によろしくやっていると、そこに夫が帰って来てしまい、妻の愛人を殺してしまう。実は殺したことに関する言及は全くないのである。
愛人 :1921年は良い年になるよ、君と一緒に迎えることが出来たら
ウォーカー氏:貴様はそう思っているだろうが、それは俺と彼女とのこと
決して貴様と彼女とではない
どちらもボーカルはピートであるが、両者の台詞が続けて出てくるところなど、まさにミュージカル形式である。実際の舞台ならば、ウォーカー氏は歩きながら唄い登場するのだろう(ブロードウェイではどうであったか)。
さらに間髪入れずに、視点が移動する。
ウオーカー氏:楽観的になるのに理由はなかった
でもお前が微笑んだとき
悪天候に立ち向かう勇気が湧いた気がしたんだ
ここでの「お前」とは誰のことを指しているのか。トミーなのか妻なのか明確ではない。
夫人:子供はどうするの、全て見たのよ
直前に、夫の方(=ウォーカー氏)が妻の愛人を殺してしまったのだろう。そこへたまたま部屋に入ってきたトミーが、一部始終を目撃してしまう。
夫妻:お前は何も聞かなかった
お前は何も見なかった
この先、お前は誰にも言ってはいけない
なにしろ証拠はないんだから
こう両親はトミーに言い聞かせる(歌詞は抜粋してある)。まるで催眠術か、マインドコントロールである。すると、トミーは自閉的になってしまう。見えない、聞こえない、話せない、三重苦の少年の誕生である。この場面では、殺人を目撃した時点でショックのあまり自閉的になったという解釈も成り立つし、トラウマを扱った作品では、そうするのが一般的だろう。それを両親による強要とするあたりは、残酷さを描くことが多いピートの作風の顕著な例だと言える。
なお、映画ではこの場面を(こちらは1950年末の設定にしている)、愛人が夫を殺したことにしている。これだと目撃者トミーは殺されてしまうのがスジだと思う。こちらはどうも受入れがたい。
ところで、死んだ男の死体はどう処分したのだろうか。
4. Amazing Journey
邦題が「素敵な旅行」である。文脈からして、Amazingを「驚くべき」ではなく、「素敵な」と訳したのは正解であろう。元々この曲のタイトルがアルバム・タイトルになる予定だったらしい。トミーの内面世界を唄っているが、語り手のモデルは、ミハー・ババの弟子あたりだろうか。かなり宗教的な言い回しが多い。ここでもキースのドラムはその天才振りを存分に見せつける。また、ロジャーのソフトタッチのボーカルも雰囲気に合っている。さて、何故この曲はボーカルがロジャーなのだろうか。推測するに、ナレーションとはいっても、事実の箇所ではピートがボーカルを取り、内面描写の箇所ではロジャーが取るという、使い分けをしているのではないだろうか。
(a)三重苦の少年は、静かなバイブレーションの世界にいる
見る限りは妙だけれども、少年の音楽的な夢の世界はそれほど悪くない
10歳の少年は想像力の限界まで想像し
単純な中で、人生を愛し、賢くなって行く
バイブレーション(霊的波動)と音楽的な夢の世界は対句である。後者は一般に聴覚に訴えかけるものであるが、ボディ・ソニックあるいは骨導音という言葉があるように、触覚(これが後に鍵を握ることになる)に訴えるものとして扱うのはおかしなことではない。
(b)病はきっと心を通常では行けないところに連れて行く
さあ、素敵な旅行に出かけよう
そして君が知るべきことを学ぶんだ
ここでの病とは、身体的障害ではなく、自閉的であることを指している。外界との交流を断ったとしても、逆に雑音に悩まされること無く進むことが出来るのだ、というメッセージであるように思える。
(c)妄想のかすみが私の上を這っていく
すると突如として見知らぬ巨人に出会う
彼は銀の火花のような輝くガウンを身にまとっている
金のあごひげは垂れ下がって、地面に届きそう(d)何も言わず、何も聞こえず、何も見えない
全ての衝撃は私の中で交響曲の音となる
(e)彼の目は全ての知識を変革する目となり
火花散る暖かい水晶がきらめきを見せる
そして彼は君の指導者
彼は君の導師
素敵な旅行に一緒に行こう
(c)に現れる「巨人」のモデルがミハー・ババと考えても差し支えあるまい。巨人は(e)において、トミーの指導者となるべき存在(人物とは言えないだろう)であると説明される。
5. Sparks
インストゥルメンタル曲。この曲の元ネタは、"Rael"という曲に入っている。トミーの脳内で起きているイメージを音で表現しているのだろう。
6. The Hawker
これは、ブルースマンのソニー・ボーイ・ウィリアムソンのカバー作品である。Hawkerとは口上師のこと。街頭で大げさなことを言って売りこみをする輩のことである。しかし、何処からこんな曲を持ってきたのだろうか。"Tommy"におあつらえ向きの歌詞である。
俺の女のことだが
愛すればそいつの目が見えるようになり
体を振るわせればそいつの口がきけるようになり
言葉を発すればそいつは聞こえるようになる
ウォーカー夫妻が(片一方かもしれないが)、トミーを連れて街を歩いている場面、という設定なのだろうが、先の口上がハッタリであることは明らかで、この曲を受けた曲が無いことからして、トミー達は通り過ぎただけなのだろう。
ボーカルはロジャーで、これまでと違ってシャウト気味に唄っている。これは役どころを考えた上での歌唱法だと思える。
7. Christmas
大半がトミーの父親、ウォーカー氏の独白であるが、途中でトミーの声にならない声を挟んでいる。"a, a, a, a"というコーラスは、子供達が騒いでいる様子なのか、あるいは天使が舞っている様子を擬音化したのだろうか。
ロジャーはソフトでもなくハードでもなく、その中間くらいの歌唱法である。これも役どころを考えてのことである。一方、ピートのギター奏法は、殆どコード・カッティングであるが、鍵盤楽器を意識したかのようなタッチである。元々はピアノで作曲したのかもしれない。
(a)子供達の興奮した顔を見たかい
冬の太陽が輝く何時間も前から、クリスマスの朝に起き出して
あの子らは夢、そして神の寛大さまでをも信じている
どんなクリスマス・プレゼントがもらえるのかと
好奇の目でドアから覗いている(b)そしてトミーは今日が何の日か知らない
イエスが誰でお祈りがどういうものか知らない
あの子をどうやって助けたらいいんだろう
永遠の悲しみから(c)友達に囲まれてもじっとしていて、何も気付かないかのよう
ピンボールをやりながら
鼻をほじったり、笑ったり、周囲に向けて舌を突き出したり
俺は(神の)愛を信じるが
光を見たことがない者に、どうやってそれを分からせることができるのだろう
もしもあの子(トミー)が治ったら、魂のレベルも今まで以上に高められるのだろうか
(a),(b)では、トミーの友達はクリスマスではしゃいでいるのに、一人トミーだけが取り残されているといった親の失意を表している。
c)ここで、後の伏線となるピンボールが登場する。しかし、ピンボールの魔術師との異名を取る片鱗はまだ見せていない。
次いで、ピートがボーカルを取るパートになる。
"Tommy, can you hear
me?"
の繰り返しだが、これは誰の台詞なのだろうか。母親かもしれない(M16参照)。このパートは、
"How can he be
saved?"
をデュエットして(ウォーカー夫妻が同時に唄っていることを表すのだろう)、一旦終わる。そして、ロジャーがトミー役になり、ソフトなボーカルに変えて、
"See me, feel me, touch me, heel
me"
と唄い出す。これはトミーのトミーの声にならない声であり、その歌唱法もあってか、非常にもの悲しく聞える。
8. Cousin Kevin
ジョンの作品である。従兄(年上と明記されてはいないが、そう考えて間違いないだろう)のケヴィンは学校でも疎まれているいじめっ子で、トミーと二人きりになったら、案の定数々の虐待をするのである。
登場人物はケヴィン一人なのだが、二人(ジョンとピートか)で唄っている。ハーモニーの出来が良い。
9. Acid Queen
Acidとは麻薬のことである。それが邦題では「気難しい女王」になっている。歌詞を読まなかったのだろう。ピートは「完全なドラッグに関する歌」だと言っているらしいが、どうもそれだけではなさそうだ。性に関することが唄われていると思える。この曲は、アルバム前半の一番のハイライトであろう。
ボーカルはピートだが、ここまでの曲以上に熱の入った歌唱を聴かせてくれるし、ジプシーの女王が踊りながら唄う場面を想起させる。
(a)あなたの子供があるべき姿でないというのなら
この少女が正してあげます
私が彼の本当の姿をご覧にいれましょう
一晩、私に預けなさい(b)私はジプシー、そしてアシッドの女王
お代は前払いよ
私はジプシー、保証付よ
あなたの魂を突き破ってくれましょう(c)部屋を貸して、そしてドアをお閉めなさい
少しの間だけ二人きりにして
あなたの息子は少年であって、最早子供じゃない(d)あなたの知恵を集めて集中しなさい
心がさまよい始めるに違いないわ
このジプシー女王のようにしなさい
あなたは正しい道を当てることになる
(e)私の仕事は終わりました
彼を御覧なさい
まるで死んだかのようでしょう
頭が震え、指はこわばり、のた打ち回っている
(a)ここでの「あなた」とは、勿論父親のことである。三重苦を不憫に思った父親が、トミーをアシッドの女王のところに連れて行ったときのことである。実は父親はこの曲では登場しないのだが、全体のキャラクター設定や年代設定からすれば、トミーを連れて行く人物は父親以外に考え難い。しかし、何故そんな所に行ったのか、全く説明されていない。噂に聞いて、藁にもすがる思いで行っただけなのだろうが、麻薬のことは知らなかったのだろう。
(c)このパートの最後の一行から、麻薬だけでなく、性に関する仄めかしがあることが窺える。
(d),(e)麻薬体験といってもいいのだろうが、ダブル・ミーニングなのだろう。
結局、麻薬による治療は効果が無かったのであるが、これはピートからすれば、ドラッグ・カルチャーとの決別、ヒッピー・ムーブメントへの嫌悪感が意識化されたのかもしれない。
10. Underture
幕間の演奏。インストゥルメンタルである。
11. Do You Think It's Alright
両親は、トミーをアニーおじさんに預けて、何処かに出かける相談をしている。「大丈夫かしら」と心配顔の母親に対して、父親は「大丈夫だろう」と答えている。ところが、邦題は「大丈夫かい」なのである。これでは、トミーに向かって「大丈夫かい」と言っているような誤解を与えるではないか。
12. Fiddle About
父親は、「大丈夫だよ」と言ったのに反して、アニーおじさんは、トミーに悪戯をするのである。はっきりとは描かれていないが、性的悪戯と言う点で、解釈が一致しているようだ。英国では、幼児虐待問題はかなり昔から顕在化していたらしいが。
この曲はジョンの作品で、ボーカルもジョンが取っている。
13.Pinball Wizard
アルバム中の最大のハイライト曲だと言える。シングル第一弾としてカットされているが、これはある評論家を意識してのことらしい。たしかに、この曲の歌詞を独立させても、全く意味はない。しかし、B♭sus4とB♭を繰り返すイントロが、圧倒的なインパクトを持つため、大ヒットしたのだろう。
歌詞は、ピンボールの地区チャンピオンだった若者(20代後半か?)がトミーの出現によって、完敗を認めるというもの。主に、トミーのプレーするさまを描写している。ピートによれば、「どんな奴だって何かの才能は持っているんだ」ということを言いたかったのだそうだ。10代半ばの頃の自画像なのだろう。とはいえ、繰り返すことになるが、この曲のみを聞いて、その解釈にたどり着く人がいるのだろうか?
14. There's A Doctor
「息子を治してくれそうな医者を見つけた」と父親がはしゃいでいる。
15. Go To the Mirror!
この曲は"Christmas"と対を成している。前半は医者の診断結果を父親に話すシーン。途中でトミーの声にならない声("see me, feel me...")を挟んで、後半に父親の苦悩の告白と言う体裁を取る。簡単に述べると、医者は、自分では手の施しようがない、と正直に告白している。結局は、トミーは自閉症であって、器官には何の問題もないと。ボーカルは医師、父親ともにロジャーが取っているが、歌唱法が微妙に異なる。
ところで、前記の"See me, feel me, touch me, heal me"は、ピートが軽やかに唄っている。これがトミーの声にならない声であるが、"Christmas"とは随分雰囲気が異なる。"Christmas"では絶望的だったのだが、この段階では希望が出てきたということか。例えば、ピンボールのチャンピオンになったことで何か変化があったとか。
さて、医師の説明は、「息子さんの心の壁を取り除かなければなりません」で終わる。そしてタイトル通り、
Go to the mirror, boy!
Go to the mirror, boy!
という命令形の歌詞が出てくる。歌詞カードには誰の台詞なのか書かれていないが、医師が命令していると考えると、トミーは外界を拒絶しているのだから、この解釈はすっきりしない。この後トミーは鏡をぼんやり見つめてばかりいるようになる(M16、M17)ことを考慮すれば、トミーの内面で、トミーに呼びかける声ということになるのではないか。
次は、ロジャーが父親役になって独白する場面である。
俺はしばしば、あいつがどう感じているのか分からなくなる
俺の言ったことが聞こえていたのだろうか
あいつは鏡の中の自分という虚像を見つめている
間髪入れずに、"See Me, Feel Me"のヴァースが登場し、最後の場面よりもアップテンポで唄われる。ここに持って来た理由は、正直な所よく分からない。
一体あいつに何が起こったんだ
知りたい、知りたいんだ
最後は、このような父親の独白で終わるが、父親役でのロジャーの演唱力は見事である。
16. Tommy Can You Haer Me ?
今度は母親の登場である。鏡を見つめてばかりいるトミーに向かって、「私の言うことが聞こえる、あなたを助けたいのよ」と哀願する場面である。哀願している割りには、切実さは感じ取れず、むしろ能天気にさえ聞える。また、複数がユニゾンで唄っているのも不思議である。
17. Smash The Mirror
呼んでも反応しないことに母親は腹を立て、とうとう鏡を割ってしまう。M15では、父親が苦悩し内省する姿が描かれるのに対して、母親の方は短絡的行動が描かれる。ここでも、ピートの父親像、母親像が出ているようだ。また、この曲(というか全体を通して)でピーとは「外界と向き合うんだ」というメッセージをも発しているのだろう。最後に、鏡が割れるSEで曲は終わる。なお、この曲は本作の中でも比較的ブルース色が強く出ている。
18. Sensation
鏡が割れたことによって、トミーの内側に何かが起こった。それは明らかではないが、トミーは外界と向き合えるようになったのである。ここでのボーカルは何故かピートが取っている。
(b)僕が来ると感じている
新しいバイブレーション
僕を見たときから
僕は衝撃だ(c)僕を崇拝し、僕に触れる
曇った目で輝く僕を受け止める
喜びに震え、感覚を震わす
僕の暖かい勢いが彼等の足元をすり抜ける(d)足が地に着いた人々を引きずっていく
見る者は催眠術にかけられる
僕が触れた何人かは使途となった
僕を唯一の者として愛するんだ、僕は光だ(e)君達は間も無く僕を見ることになるだろう
僕を感じるだろう?
悩み事は放っておけ
彼が答えを知っている
僕はそこに行く
僕は衝撃だ
この歌詞を読むと、怪しい新興宗教の教祖かとも思えるが、まさにその通りである。とにかく、トミーは神の啓示があったと思い込んだ。そして、こんなことを人々に向かって言うのである。 さて、ピートはキリスト教徒ではなく、当時はスーフィー教徒であった。しかし、この歌詞はどこかイエスの伝道活動のようなイメージである。どうもそぐわない気もするが、これは当時キリスト教的道徳観が西欧で崩れ始めていたことを、ピートなりに(皮肉の意味を込めて)表現したものかもしれない。
一方、トミーの教義とでも言うべき表現が幾つか登場している。(c)が好例であろう。「触れる」とは触覚第一主義を表しているし、「曇った目」というのも、人間の視覚への不信の現れである。
19. Miracle Cure
新聞売りの少年が、「号外だよ、号外。ピンボールの魔術師が奇跡的に治ったってさ」と売り歩くシーンである。
20. Sally Simpson
サリー・シンプソンはある少女の名前である。サリーはトミーの信奉者であったが、ある日自分の家の近く(とは明言されていない)でトミーの説教が行われると聞き、そこに出かける。サリーは熱狂してステージに上がるが、転落して大怪我をしてしまうという筋になっている。なぜか、この歌にはサリーの後日談までが載っていて、ロック・スターと結婚したことになっている。ロック・スターとは別のトミーであることは多分間違い無いであろう。ロック・スターが宗教的なカリスマと何ら変わりは無いことを、ピートはほのめかしているようだ。
21. I'm Free
トミーの台詞である。多分説教会で発した言葉だろう。
(a)僕は自由だ、僕は自由だ
そして自由は真実の味
君達が付いて来るのを待っているんだ(b)僕が「最高峰に上り詰めるにはどれ位かかるか」
と君達に尋ねると、
「そんな簡単なことを」
と笑って答えるだろう。でも、君達は以前に何度も言われた
「救世主がドアを指したが
寺院を離れる勇気を持つものはいなかった」とね
(a)については特に述べることは無い。信者に向かって、自分に従うのかと尋ねている。いや、半ば強制的に「従いなさい」と言っていると考えるべきだろう。
(b)の1行目は、教祖の説法としては、ありきたりである。それを受けて、トミーが、
"you would
laugh and say 'nothing's that
simple."
と言っている。"would"、「君達だったら」、つまり教祖と信者の問答にはなってないのだ。「君達なら○○と答えるに決まっている」とトミーが一人しゃべっているのである。ここには「君達には見えていないのだ」という意味が含まれている。
次の歌詞であるが、ドアは、これから救世主およびその信者達が進むべき道の入り口のメタファーであるし、「寺院」は旧来の生き方のメタファーであろう。「君達は臆病で、救世主と伴に旧来の生き方を捨て、悟りを得ようしなかった」、とトミーが言っているのである。
22. Welcome
アルバム中、唯一4拍子ではなく6/8拍子の曲。途中でテンポアップするところがある。
トミーは自宅を教団本部とする。そして、来るものをすべて歓迎(welcome)する。しかし、それでは手狭になり、「もっと部屋が必要だ」と言っている。そして直後に「宮殿みたいにしよう。金に糸目はつけないで」とも言っている。信者が膨れ上がって、トミーが傲慢になって行くさまが描かれている。
23. Tommy's Holiday Camp
アルバム中、唯一キースの作品。ボーカルもキースが取っている。間が抜けた印象を与える曲である。あのような悪戯をしたおじさんがのこのこ出てくることも笑える。アルバム自体が重くなりすぎるので、キースというコメディアンを登場させて、異化作用を狙ったのかもしれない。
トミーのホリディキャンプはいつも晴れ
ここに来れば永遠にホリディだよ
と、信者に向かって調子のいいことを言っている。
24. We're Not Gonna Take It
この曲は、"We're Not Gonna Take It"と"See Me, Feel Me"の2曲からなる。前半は軽快なテンポであり、ミュージカルのエンディングを思わせるイントロで始まる。舞台は前曲のホリディキャンプであると考えていいだろう。ここで、トミーは集まった信者達に対して、目隠しをさせ、口にコルク栓をくわえさせる。「目も見えず、口もきけず」という状態にさせるのである。そうしておいて、ピンボールをさせるのだ。つまり、視覚、聴覚に頼らず、触覚だけで悟りを得ようという教義なのだろう。
ところが、そのやり方に不満を抱いた信者達は、ピンボールマシンを破壊し尽くし、去ってしまう。"We're not gonna take it"(俺達は受け入れないよ)である。一体何が不満だったのだろうか。明らかにはされていない。悟りが得られない信者が見切りをつけた、という解釈が一般的である。しかし、悟りが得られないからといって、教祖の責任にするような例が世間に見られないし、妙である。なお、信者のパートで興味深い所は、1回目はささやくように"We're not gonna take it"と唄い、次第に声が大きくなって行くことだ。変化を付けることにより、初めはおおっぴらに離反する勇気がなかった信者達が、周囲も同じ意見であることを徐々に分かり、大きな勢力となって行く様子、を表現しているのだろう。細部にまでこだわった点は、もっと賞賛されるべきである。
次いで、唐突に印象が変わる。"See Me, Feel Me"に入るのだ。ロジャーが
僕を見て、僕を感じて、僕に触れて、僕を癒して
というフレーズを4回繰り返し唄う。そしてエンディングへの合唱へと展開する。このパートはフェイドアウトして終わる。
1. あなたを聞いて、音楽を得る
2. あなたを見つめると、熱くなる
3. あなたに従って山を登ろう
4. あなたの足元に興奮する5. あなたの背後を追うと、沢山のものが見える
6. あなたの上に栄光が見える
7. あなたから意見を得て
8. あなたから物語を得る
信者に捨てられたトミーは、また自分の殻に閉じこもろうとする。 "See Me, Feel
Me...."がそれである。ところが突然トミーの中に変化が起こる。トミーは自分を導くもの(導師)の存在に気付いたのである。ここでの「あなた」とは誰のことだろうか。「神」とすると誤解が生じるので、「内なる師」と捉えるべきであろう。
しかし、一部で言われているように、トミーが悟りを得たのかといえば、そうではないだろう。悟りを得たものが、「あなたから意見を得て/あなたから物語を得る」必要はないからだ。導師に付き従うことを決心したところで、この曲は終わっている。したがって、トミーは確かに絶望の淵から抜け出せたという意味で救いはあるのだが、この先も試練が続くこと(山を登る)を暗示しているのである。
ところでこの曲の歌詞は、ある意味で言葉を削っているところがあり、それが詩的表現としてまた良い。しかし、前記のように日本語に訳出したために、ニュアンスが消えてしまっているか、日本語としておかしな表現になっている。そのあたりはご容赦いただきたい。
例えば1、7、8は、イコール導師の言葉(説法)を聞くことと限定するのはマズイと思う。
<総評>
このアルバムはストーリーを重視していることは明らかであるが、歌詞やストーリーが分からなくても、楽曲や演奏を堪能することが出来ると思う。「コンセプトがあるからいいじゃないか」式の本末転倒作品ではない。いや、そんな作品は30年も生存できないだろうが。
とはいえ、歌詞が分かると聞く楽しみが増すことも明らかである。非常に興味深い点は、登場人物の外見はもとより感情を歌詞の上で殆ど描写していないことである。例外は"Smash The Mirror"の母親のパート位だろう。ところが聞き手はこの作品を,、内面描写の鋭いものと思うのではないだろうか。それは何故だろう。今思いつくのは、歌唱法を微妙に変えていることや音作りがそう思わせるのではないかということである。何だか説得力が無いけれども。
<参考文献>
・ライナーノーツ
・レコード・コレクターズ(日本)
・クロスビート別冊
などなど
(2000-4-19)