Quadrophenia
1973年にザ・フーは2枚組コンセプト・アルバム "Quadrophenia" (邦題「四重人格」)を発表している。これもまた、ザ・フーの最高傑作であると思うのだが、なぜか近年に至るまで過小評価されてきたし、日本ではCD化されたのも遅かった(もっとも近年このアルバムの知名度は日本でも高くなっており、怒りの矛先を収めても良いのだが)。
本作全体の特徴を3点述べる。
(1)映画的な手法
本作では、前作 "Who's Next" 以上にシンセサイザーの活躍が耳につく。本作では機械的サウンドは後退し、ストリングスやキーボードなどに近い使い方が多くなっている。とはいっても、メロディ楽器としてよりはリズム楽器あるいは音響楽器として使われているのである。同時に、効果音が多用され、しかも立体的なサウンドになっている。では、何故このようなサウンドになったのだろうか。もちろん、録音技術やシンセサイザーの進歩が前提にあったことは確かである。しかしそれよりも重要な点は、ピートが本作で映画的ロック・アルバムを作ろうとしたことにあると思う。 "Tommy" と同様に、本作もストーリーに沿って曲が展開して行くのだが、一部に聞かれる「ロック・オペラ第2弾」という表現は、言葉の使い方が適切とは思えない。聴けば分かることだが、歌劇という形式は、1曲を除いて取られていない。もっとも「映画ロック」では更に誤解を生じるだろうが。とにかく、ピートは、ザ・フー時代に同じ手法を2度と使わなかった人である。「第2弾」という言い回しは見当違いだと言わざるを得ない。
(2)現実的なストーリー
舞台は1964〜65年のロンドンであり、主人公はモッズ少年ジミーである。実在した人間をモデルにした以上、突飛な現象が起こることは有り得ない。従って、ストーリーは現実的なものであり、フィクションではあるが、ドキュメンタリー・タッチになっている。ある種の御伽ばなしである "Tommy" とは、根本が異なるのである。よって、両者を比べて、どちらのストーリーが上かなどという議論は無意味である。
"Tommy" というフィクションをものにしたピートが、本作でリアリズム形式に挑戦したのは何故だろうか。一つには "Lifehouse" の挫折が考えられる。 "Lifehouse" は未来を舞台にしたSFとも言えるが、ヴァーチャル・リアリティの概念が他のメンバーにすら理解されなかったという。このことからして、メンバーにも理解できる、現実的な題材を選んだ可能性は多分にある。
しかし、現実的な題材を選ぶといっても、モッズ少年を主人公に据える必然性は無いはずだが、敢えてピートはそうした。その理由は、
(a)ピートがザ・フーの歴史を集大成したアルバムを作ろうと思っていたこと、
(b)ピートがザ・フーはファンによって作られたバンドであることを表現したかったこと、
(c)今までの作品とは視点を変えたかったこと、
にあると思える。(a)の動機だけであれば、架空のバンドを中心としたストーリーを組み上げることにしても良いはずである。事実、"Odds
& Sods"のライナーノーツには、「 "Long
Live Rock" が "Quadrophenia"
へと発展した」と書かれているし、 "Long Live
Rock"
はロックバンドのライブとその周辺模様を描いた曲である。ところがここに(b)と(c)の動機が加わると、初期のザ・フーを最も熱心に支持したのはモッズであるから、彼等のうちの一少年からの視点でストーリーを組み上げるという、必然性が生まれたのである。
(3)タイトルと本作との関連性
本作"Quadrophenia"は邦題通り四重人格者のことであるが、本作では、本物の多重人格者(精神医学で言う解離性同一性障害者)そのものを取り上げたのではない。ブックレットの冒頭に、「父が言うには、僕の性格は天気の様にコロコロ変わってしまう」という記述がある。しかし、これでは多重人格者とはいえない。本質的にはザ・フーの四人のメンバーの個性をデフォルムし、主人公ジミー一人の多面性という形にしたものなのだろう。とはいえ、一部の曲には多重人格者としか思えない描写があることから、ピートは、当初多重人格を主人公に設定しようと思っていた可能性が高い。
では全曲解説を始める。
1. I Am The Sea
邦題は直訳の「僕は海」である。波の砕ける音が使われ、その後に四つのテーマのダイジェストが流れる。四つのテーマとは、すなわち四つの性格のことでもある。
2. The Real Me
ベースとドラムの絡みに圧倒される曲である。なぜ、英国ではシングルカットされなかったのか、不思議である。言いたいことは、"Can you see the real me?"、つまり「本当の僕があんたに分かるのか」という一行に凝縮されている。
(a)僕は精神科医のところに戻った
別の治療を受けるために
週末の出来事を聞かせたが
彼は考えていることを漏らそうとしなかった
本当の僕が分かるのか、先生
(b)母のところに戻った
「母さん、狂いそうだ、助けてよ」
と僕が言ったら、母は
「私にも分かるわ、だって遺伝なんですもの」
と言った
本当の僕が分かるのか、母さん
(c)舗道の石の割れ目は流れる血管のようだ
僕を知っている見知らぬ人が窓から覗き込んでいる
かつて僕が愛した少女は
黄色い家に住んでいる
昨日も彼女とすれ違った
でも今彼女は僕に気付こうとしない
あんたに本当の僕が分かるのか
(d)説教師のところに行った
嘘と憎悪で塗り固められた奴さ
僕は彼を少し恐がらせたようだ
だから彼は僕に黄金の門を見せてくれた
あんたに本当の僕が分かるのか
「本当の自分とは何か」すなわち自己アイデンティティの確立に悩む少年の姿を、本人の目を通して描いている。精神科医、母親、かつての恋人、説教師に対して、疑問を投げかけるのだが、満足する答えは得られない。この曲が契機となって、ジミーは自分を見つける旅に出るのである。
この曲の歌詞はまさしくピートの作品である。というのは、
(1)ピートは精神科医にかかっていたことがある、
(2)ジミーが母親に対して切実な苦悩を訴えているのに、母親は「遺伝なのよ」、という思いやりに欠けた受け答えをしている、
(3)かつての恋人に対する感情がドライである(他の作詞家ならば、もっとベタベタした言葉を選ぶだろう)、
(4)「説教師」とは、第一義的にはキリスト教の説教者を指すらしいが、ピートはキリスト教に対して冷めた見方をしている、からである。
3. Quadrophenia
タイトル曲。インストゥルメンタルである。アレンジには交響曲の手法を取り入れており、ストリングスを模したシンセイサイザーとシングルノート主体のエレクトリック・ギターがメイン楽器として使われている。しかし、全体としてライブ感覚に溢れたアンサンブルである。シンセイサイザーにしても、メロディ楽器としてよりも音階の出るリズム楽器として捉えた方が良いであろう。
一点だけ不思議なのは、前記のシンセサイザーであり、何故かソロであることである。普通なら多重奏にするような気がするが。たとえ当時のシンセサイザーでは不可能であっても、オーバーダブという手法があった筈だが。
4. Cut My Hair
ジミーがこの先どうしたら良いか思案に暮れるシーンである。メイン・ボーカルはピートが取っているが、内省的な場面では適役だろう。一方、(d)におけるピートとロジャーのコーラスは、これまで以上に整った出来映えである。
(a)何故、髪を切らなければならないことを気にする必要があるんだ
流行に追いすがる、でないと仲間はずれにされちまうんだ
闘うべきだって分かっている
でも僕の年老いた父さんは本当にいい人で
だから今でも僕は家にいるんだ
(たとえ続かないものだとしても)
(b)ズートスーツ、5インチのサイドベンツ入りの白いジャケット
僕はまた通りに出て踊っている
浜辺での喧嘩の為に着飾る
でも説明できないんだ
頭の中に不確かな感覚があるんだけど(c)学校の仲間達の両親はとても格好よく見える
彼等を傷つける気はないんだけど
僕の両親は彼等と同じ道を歩ませたがっている
僕は自分の部屋を掃除し、靴を磨く
でも母さんが憂鬱の箱を見つけた
もう多くは望めないけど
両親は僕を置いてくれるだろう
(d)何故彼等と違っていなければならないんだ
ただ、ダンスホールの仲間からの尊敬を得るために
僕等は同じことで何度も喧嘩した
何故、僕は大勢と一緒に行動しなければならないんだ
あいつ等は僕が近くにいても気付かないじゃないか
僕は死ぬまで合わせなければならないのか(e)僕は落ち込んでいる
街からの始発列車に乗って家に帰った
父さんは仕事に出かけたところだった
なにも話さなかった
全てゲームなのさ
内面は今までと変わっていない
僕に用意された目玉焼きが
その朝最初気分を悪くさせた出来事だった
(a)「髪を切る切らないなど、どうでもいいじゃないか」とジミーが独白する。両親が「髪を切れ」と息子に命じているのではない。モッズは短髪が当たり前だった。だから、ここでジミーは、何故みんなに合わせなければならないんだ、と疑問を感じているのである。しかし、ジミーは躊躇する。みんなに合わせないと仲間はずれにされるからである。
次の「闘うべきだ」という文句は、ロッカーズとの抗争に加わることを意味しているが、それだけではなく、自立すること(モッズからもである)をも意味しているのだろう。
更に次には、「父さんはいい人だから、僕は家にいるんだ」と唄われる。父親に心配をかけたくないということと、自身の甘えの両方がこの台詞には存在する。ここにも、父親は主人公にとって敵対すべき存在ではないというピートの作風が如実に表れている。
(b)全てモッズのファッション、行動様式である。しかし、ジミーは悩むのである、「こんなことしていていいのだろうか」と。このヴァースの中には、デビュー曲である"I can't Explain"というフレーズを故意に登場させ、ザ・フーの歴史集大成アルバムであることを印象付けている。
(c)ジミーが両親の期待に添えないことへの自責の念が伺える。よく分からないのは、母親が見つけた「憂鬱の箱」である。もしかしたら、 Pictures Of Lily" と関係があるのかもしれない。
(d)ジミーはモッズの仲間達と喧嘩をする。ジミーが、「なんでみんな同じ服、同じ行動をしなければいけないんだ」と主張すると、他の仲間は、「それがなぜいけないんだ」と反論している。 次の大勢とはモッズの集団のこと。ジミーは集団の中の埋もれた一人だと、自らを思っている。
(e)ブライトンの海岸でロッカーズと抗争を繰り広げた翌朝のことであろう。これはエンディングのニュースのナレーションからそう判断できる。結局何も変わらなかったと言っているが、赤の他人の目から見れば、当たり前のような気がする。
もう一点、このヴァースにおける、「僕に用意された目玉焼き」云々についてであるが、朝帰りしても、母親が叱ることなく朝食を用意してくれたことに対して、ジミーは逆によそよそしさを感じたのかもしれない。こういう微妙な少年心理を描いたロックの歌詞というのも中々目にすることが無いと思う。
5. The Punk And The Godfather
パンク=チンピラであるジミーがゴッドファーザーと異名を取るロックスターのコンサートに行った時のことを唄っている。本人は否定しているらしいが、ゴッドファーザーとはピート自身と考えて間違いはないだろう。この歌の中には "My Generation" というフレーズが出てくる。ボーカルは、少年役をロジャーが、ゴッドファーザー役をジョン、ピート、ロジャーが取っている。ピートがボーカルを取る場面は、ゴッドファーザーの内省であるからわかるとしても、何故他の箇所でジョンに統一しなかったのか、不思議ではある。
アレンジでは、ギターとそれに呼応するかのようなベースが目立つが、特にイントロでのギターのコード・ストロークはパワフルであり、これだけでも充分な価値があると思う。
(a)少年
あんたはもう3インチ背が高かったらというけれど
僕達が作ったものにしかなれない
あんたは運命が求めるものを追いかけていると思っているけど
僕等が与えたものしか得られない
あんたは人々が飢えているのを見て卒倒し泣く
そして、なぜ僕等があんたを非難するか気付くんだ
あんたは僕達が作った道を歩もうとしている
そして、あんたは僕達が言っていることに気付くんだ
(b)ゴッドファーザー
私は空にいる
空高く舞い、目はきらめき
嘘をつくことも平気だ
私は溝にはまったチンピラだ
私は新たなるリーダーとなった
私は成長して曲がった
分かるだろう、見えるだろう
私はどもりのチンピラだ
(c)少年
僕達は演説の行間を話そうとした
あんたは僕達が言ったことを繰り返すことが出来るだけ
あんたの斧(=ギター)は死人の国にある
あんたを支配しているのが僕達だとは誰も気付かない
探りを入れようとして、あんたは映画を見ていたけど
あんたは僕達が見せたものを見ただけ
僕達は偽りのリーダーの奴隷
僕達が吹きかけた空気を吸いな
(d)ゴッドファーザー
私は説教しないように注意深くあらねばならない
私は教えることが出来るようには装えない
道化師のようにステージを跳ね回りながら
今や私は君達の未来を生きている
そしてダンスフロアには砕け散ったグラス
血だらけの顔がゆっくりと通りすぎる
沢山の席は空白の列
全て私のものだ、分かるかい
(a)ジミーがロックスターに対して非難を浴びせている。非難することは2点あって、
a)あんた達は理想を唱えていたけど、この有様はどうなんだ。何も変わらなかったじゃないか。
b)所詮スターなどファンが望んだ通りの存在にしかなれないんだ。
である。
(b)ロックスターからの反論である。「自分はスターなのだろうが、本当はチンピラに過ぎない。君達は私を非難するが、大人になれば汚れるんだ。」
ところで、最後の行の「どもりのチンピラ」とは、ロジャーが
"My Generation" をどもりながら唄ったことを表していることに間違い無いだろう(キースによれば、「あれは歌詞を上手く読めなくてつっかえてしまっただけ」とのこと)。
(c)(a)と同様に非難の文句が続く。「探りを入れようとして」のくだりは、「若者に受けようとして、情報を仕入れているけど、僕達がとっくに知っていることじゃないか」という、若者に媚びるロックスターという図式であろう。
(d)ロックスターからの再反論であるが、前半では変わってしまった自分への罪悪感も垣間見えるし、後半は開き直りのようである。
このように見てくると、この曲でピートが言おうとしたことは、「お前の人生を決めるのはお前自身なんだ。ロックスターに人生を投影させて、それでよしとするな」という点に尽きるだろう。60年代への決別である。
もう一点、この曲をストーリーと独立した観点から見れば、3年後(1976)に起きるパンク・ムーブメントを予見した歌詞と捉えることが出来る。タイトルに "punk" とあるからではない。歌詞全体の構成、言葉からそう考えられるのである。
6. I'm One
ジミーが一人になって思索するシーンである。1stヴァースまではアコースティックギターとボーカルだけだが、それ以降はロックサウンドになる。このシーンに合わせたのだろう、ボーカルはピートが取っている。
(a)毎年何も変わらない
僕は負け犬、勝つチャンスなんか無い
木々の葉が落ち始め
気持ちが落ち込んでいく
孤独に沈んでいく(b)そして僕は一人、僕は一人なんだ
そして、これが僕なんだと分かることが出来る
あんたも僕が唯一の存在だと気付くだろう
(c)その青いジーンズは何処で手に入れたんだ?
色あせ、つぎ当てがあって
そして目立たないけど、とてもぴっちりとしている
そのほっそりした歩き方は何処で手に入れたんだ?
君の靴やシャツ、みんなお似合いだね
(d)僕はギブソン・ギターを手に入れた
(ケースに入っていないやつさ)
でも日焼けした顔さえ手に入らない
僕は服をフィットさせ
群集の中に紛れ込む
指は不器用だし、声は大き過ぎる
青い細身のジーンズとはモッズのファッションである。これに対峙するのが、ケース無しのギターであり、こちらはジミー唯一のものである。「ケース無し」は、安物を買ったという意味もあるのだろうが、枠から飛び出したという状態のメタファーでもある。モッズという集団から抜け出して、唯一の存在となろうとジミーは決意するのである。それが"I'm One"ではなく、"I'm The One"なのである。
(d)の後半はジミーのことだとすれば、まず、4〜5行目は、流行とは関係無く自分に似合いの服を着て、群衆の中に入っていくことを決意したことになる。そして最後の行は、(b)と連なって、スター性は無くとも、唯一の存在となろうと決意したことになるのだろう(スターになることではない)。
それも確かなのだが、この4〜6行目は、まさしくザ・フーのデビュー直前のことを表しているとも言える。そういう意味に取れば、僕(達)はモッズのシンボル・バンドとして着飾り、群集(=モッズ)の中に入っていったことを表している、と解釈できる(半ば強制的であるが)。
7. The Dirty Jobs
さて、ジミーは仕事を見つけ働くことになったようだ(ただし、家出はしていないらしい)。そのシーンがこの曲である。ロジャーのボーカルは、柔と剛を織り交ぜたスタイルであり、演唱力抜群のボーカリストであったことを明らかにしている。
バックでは、シンセサイザーとドラムがメインの楽器として使われており、前者はキーボード系の音とストリングスの音の両方を出している。また、キースのドラムもここまでの曲以上に激しく叩いている。それはいいのだが、キースがドラムを叩きながら叫んでいる声が収録されているのは何故だろうか?
(a)僕は豚の尻を追かける男
いつもは上手く行っている
僕は人が隠していることをばらしてしまう
もっと注意深くなれたらいいのに
(b)僕は押さえ込まれている
僕は回りからいじめられる
毎日打ちのめされる
僕の人生が逃げていく
でも物事は変わって行く
だから二度と座りこんで泣いたりしない
(c)僕は田舎のバスの運転手
僕は炭坑夫を仕事場に連れて行くけど、今日は閉山だ
君が僕達の中の一人だって理解することはたやすい
僕達がみんな同じように見えるって、おかしいじゃないか
(d)僕のカルマが言う
貴方は何度も引っ掻き回している
貴方が彼等に同じことを(貴方に向かって)させたら
貴方は自分自身を責めたくなるでしょう
痛みを感じるのは貴方自身
恥をかくのも貴方自身
(e)僕は若者、大したことはやっていない
君達が闘っていたときのことを思い出してごらん
子供のように、僕は夢だけを見続けている
僕は混乱しているけど、何が正しいのかわかっている
(a)仕事を見つけたジミーだったが、今度は周囲との軋轢が待ちうけていた。言いたいことをずけずけ言う自分の欠点に悩む場面である。
(b)自分の欠点はわかっていながら、施しようが無いさまを唄っている。しかしジミーは絶望はしない。この節の終わり2行で時が状況を変えてくれると、ジミーは信じている。
(c)ここではジミーの疑問が提示される。「みんな同じように見えるって変だ。」ここでも、モッズに対して抱いていた違和感が再び露出するのである。
(d)ジミーのカルマの台詞(間接話法だが)である。カルマとはここでは恋人のことらしい。しかし、この節で唄われていることは、因果応報ということに他ならない。すなわちカルマである。
(5)前節で説教(?)されて、ジミーは何かつかんだのだろうか。ほのめかされてはいるが、この部分を読む限りでは不明である。
それにしても、エンディングのサーカスらしきSEは何を表現しているのだろうか。
8. Helpless Dancer
タイトルの"Helpless"には、色々な訳語があるらしい。例えば「助けを得られない」、「役立たずな」、「感情が抑えようのない」、である。副題が「ロジャーのテーマ」となっていて、ロジャーの性格が「タフガイ」なのだそうだ。何だかさっぱり分からない所である。
アレンジは実にシンプルで、ピアノとアコースティック・ギターをバックにロジャーが唄うだけである。リジャーのボーカルは左右両チャンネルから交互に聞える。
歌詞は、労働者階級などの弱者切り捨てや人種差別を是認している "Helpless Dancer" に対して、「あんたのダンスはもう終わりだ」と宣告しているようだ。具体的には、この "Helpless Dancer" は、政治家ではなく企業の経営者を指していると考えた方がいいかもしれない。
9. Is It In My Head?
冒頭に、 "The Kids Are Alright" が流れるが、(a)と関連性があるのかもしれない。
ピアノとアコースティック・ギターをバックにしたバラードで始まる曲で、 "Who's Next" やその時期に作られた曲と似ているかなと思える。これは、この曲が本作中で最も早い時期に出来たからなのだろう。
(a)悩みごとの無い男を見る
常に飢餓にある国を見る
鼓動の音楽を聞く
僕が歩いていると、人々が振り返って笑う
(b)それは僕の頭の中にあったものなのか
それは僕の頭の中にあったものなのか、最初から
それは僕の頭の中にあったものなのか
それは僕の頭の中にあったものなのか、それとも心の中に
(c)受話器を持ち上げ、自分の歴史を聞く
失ったコールを夢見る
僕を愛した人達へダイアルしようとする
何が問題だったのか、正確に分かった
(d)僕に付いてくる者がいることを感じる
僕の頭は空っぽ
それでも、僕の言う言葉が文となる
見知らぬ人への宣言となる
道を求めている人への指示となる
助けられる人から尋ねられる人へと変わる
(a)これはまるでピート自身の経験のようである。勿論時系列的に並べられているのではないが。
(b)"it"、「それ」は恐らく「悩みごと」を指しているのだろう。悩みごとは最初から自分の中に存在したのだろうか、と自分自身への問いかけている。
(3)実際に受話器を持ち上げて自分の過去について聞くなんて行為は不可能である。だから、あくまでも、自分自身の過去を振り返っているだけなのだろう。
次の失ったコール云々とは、悩みごとを解決する幾つかのヒントがあったはずなのに、それを見逃していたことを反省し、過去を回想していることを表しているのだろう。
その結果、何が問題だったのか、分かったのである。(と本人は思いこんだだけかもしれない)
(d)何も考えていないのに、自分の発した単語が意味あるものとして、他者に受け入られるようになったことを表している。「助けられる人から尋ねられる人へと変わる」もほぼ同じ意味である。
歌詞全体をみると、この曲の主人公がジミーだとは思えない。ジミーは(新興)宗教団体のところへ説教を聞きに行ったのか、もしくはカウンセリングを受けているのだろうと考えられる。なお、カウンセリングだとすれば、M2で登場した医者とは別人であろう。
10. I've Had Enough
タイトルは「僕はもう沢山だ」という意味である。その通り、ここではジミーが何もかもが嫌になるシーンであり、多重人格者の人格間葛藤のような歌詞になっている。
全体的には、M10と同様にギター中心のロックである。曲中に "Love Reign O'er Me"というワン・フレーズが挟みこまれたり、全く異なるヴァースが挟まれたりしているのだが、一寸強引という印象がある。
(a)君は、前に進んでいた時に
もうこれ以上先は無いという思いに囚われていた
でも物事はそんなに単純じゃない
(b)君は情報を変えたがっている
君はチャンスに手を出すなと言われた
君は新しいダンスを見逃した
そして今君は全てのさざなみを失いつつある
(c)チェックのジャケットはスリムにカットしよう
サッカー生地で開襟もいいかもしれない
髪をきちんとカットしてGSのスクーターに乗るんだ
軍隊コートを着て風雨の中を行こう
(d)生きることはもう沢山
死ぬことはもう沢山
微笑むことはもう沢山
泣くことはもう沢山
楽な道ばかり選んできた
浪費したり節約したりしてきた
子供でいることはもう沢山
真面目な振りをすることはもう沢山
(e)仕事を見つけて、維持するために闘おう
山に近づく道を発見するんだ
外面をよく見せて
内面では野心を持ち続けるんだ彼等を追い払ったからといって泣くんじゃない
初めに彼等を傷つけよ
彼等は君を愛するだろう
上には百万長者がいる
君は彼等に疑われている(f)ダンスホールはもう沢山
ピル(錠剤の薬物)はもう沢山
喧嘩はもう沢山
獲物の分け前を見てきた
流行を追うことは止めた
そして自分がタフである振りをするんだ
憎しみや激昂にはうんざりした
愛そうとすることはもう沢山
(a)これはジミーの台詞ではない。前の曲と関連付ければ、説教もしくはカウンセリングの続きなのだが。あるいは、心の中の指導者的存在(別の人格と言い切るのは、医学上問題があるだろう)が発した言葉の可能性もある。
(b)も同様であるが、ここでは、ジミーがモッズであることを放棄したがっている様子が描かれる。「新しいダンス」はその一例である。
(c)それに反して、ジミーの心の何処かに、モッズから抜けることをためらう気持ちがあることが描かれる。
(d)混乱して全てが嫌になったことを表している。
(e)またジミーの中の誰かが言っているのである。決意を表す文句に思えるが、(a)、(b)と同じ(指導者的)存在が言わせているようには思えず、また別の存在のような気がする。
(f)(d)の続きである。
11. 5.15
タイトルは5時15分である。英国では、本アルバムからはこの曲が唯一シングルカットされた。ただし大ヒットには至っていない。もっともこの頃のロック・バンドはそもそもシングルには余り力を入れていないので、当然という気もする。
曲は、ピートのボーカルで始まる。"Why should I care?"、「何故気にしなければならないんだ」という台詞は、"Cut My Hair"の冒頭にも出ていた。あの曲では髪を切ること、すなわちモッズへの帰属心に対する違和感だったが、この曲では「何を」が唄われていない。M10と関連付けてみれば、「何を」は「全て」を指すと考えられる。
ピアノとエレクトリック・ギターでイントロが始まるが、ジョンのホルンによってハードなサウンドに豹変する。静と動のコントラストが強いが、全体的にはライブ感覚に溢れたアレンジである。
前半ではキースのドラムは比較的オーソドックスなので、「あれ?」と思ってしまうが、後半になるといつもの無手勝流(?)ドラミングを聞かせてくれる。最後には、ドラムソロが聞けるが、「アビーロード」B面の最後の方(曲名を忘れた)に出てくるリンゴ・スターのドラムソロと聞き比べると面白い。
ブックレットによれば、この前にジミーは列車に乗ってブライトンに向かったとされているのだが、歌詞中に列車を示す言葉が存在しない点が不思議である。それどころか、「トラックの後ろに乗ってヒッチハイク」という一節があるほどなのである。ただし、このヒッチハイクした人物が誰なのか全く不明で、ジミー以外の人物である可能性も高い。
内でも外でも、一人にしておいてくれ
内でも外でも、家は何処にも無い
内でも外でも、僕は何処にいたんだ?
5時15分に僕は思考力を失っていた
ジミーが混乱状態に陥った様子がここでは描かれる。「一人にしておいてくれ、家(ここでは帰属する社会)はどこにもない。」
12. Sea And Sand
ジミーはブライトンの海に来ていた。なお、歌詞中にはブライトンという固有名詞は出てこない。
この曲も静と動のコントラストが強い。その点においてはM11以上だろう。ロジャーが実に丁寧に唄っている。ライブ感覚に溢れていることも確かだし、キースはドラムを叩きまくっている。
エンディング間近ではピートのギターソロが聴けるが、ハイポジションを使ったフレーズには少々難があるようだ。これを個性と受け止めれば良いのだろうが。
(a)ここ海と砂のそばでは
計画どおりに進むことは何も無い
家に帰ることなんて出来ない
一人ぼっちだし、つまらない
両親はとうとう僕を放り出した
母さんはスタウト・ビールを飲んでいた
父さんは立つことが出来なかったのに
モラルについて説教をした
僕は通りをぶらつくか
浜辺にいるか、それしかない
(b)僕の好きな女の子は完璧なおしゃれ
流行の全てを着て、しかも決まっている
天国でならば、彼女と釣り合うのだろう
彼女が自分の男に何を望むのか、僕は知っている
僕のために残しておいてくれ
(c)チェックのジャケットはスリムにカットしよう
サッカー生地で開襟もいいかもしれない
髪をきちんとカットしてGSのスクーターに乗るんだ
軍隊コートを着て風雨の中を行こう
(d)僕は彼女がボールルームで踊るのを見る
紫外線が彼女の顔にスターの輝きを作る
僕は顔役、彼女も知っているはずさ
1マイル以内の誰よりも僕は着飾っているんだ(e)だからどうして他のチケットがずっとよく見えるんだい?
1ペニーなくても奴等は着飾る
どうして女の子達はそんなに格好よくなるんだい?
でも君が彼女達に会ったら、みんな阿呆に見えるだろう(f)浜辺で眠ろう、 僕の腕の中で
君のそばで死にたい
ここで君と一緒にいると気分が高揚する
僕はずぶ濡れで寒い
でも、神様ありがとう、僕はまだ若い
なぜ僕が思うことを言わなかったんだ?
15歳のときに家を出るべきだった
草はこんなにも緑色という物語がある
僕は何を見た?
僕は何処にいたんだ?
(a)ジミーが両親から勘当されたことが、ここで明らかになる。家にいても一人ぼっちだし、というのは心理学で言う合理化(言い訳)である。いやそもそも、勘当されたのか、自分から家を出たのか、どちらが真相なのか分からないのである。というのも、父親がモラルについて説教した挙句勘当するのだろうか、という疑問があるからなのだ。あるいは酔った勢いで「出ていけ」と言ったのかもしれない。この辺りの議論は本筋ではないので、これでやめる。
このヴァースの1、2行目は漠然としている。、「海と砂のそばでは、計画どおりに進むことは何も無い」というくだりである。海は母親、砂は父親を象徴しており、両親の願いどおりに子供は育たない、ということなのだろうか。あるいは、海と砂は作為をしないという意味であり、両親だけでなく社会に対する嫌悪感を表しているのかもしれない。M13とのつながりを考えたら、後者と解釈すべきだとは思うが。
(b)片思いの女の子に対する願いである。「天国でならば彼女と釣り合うだろう」とは、天国では、現世でのファンションのような価値観が無意味になるという意味が隠されていると思える。
(c)M10に出てきた歌詞が反復される。モッズへの帰属意識を断ち切ったはずだが、何処かで未練があることを表している。
(d)(c)を受け継いだ回想シーンである。「自分はモッズの顔役」としているが、本当にそうだったのか、甚だ怪しい。
(e)また、ジミーの心の中の誰かが言う。疑問文が2回でてくるが、いずれも反語である。「すべて錯覚だよ」ということであろう。「チケット」は文字通りならば切符だが、ここでは女の子にモテるためのアイテム、つまりは服装の比喩であろう。
(f)回想シーンが終わって、浜辺に視野が戻る。これではまるで近くに例の女の子がいるように思えるが、実際のところは「独り言」なのだろう。ジミーはここで自分の過去を嘆いているようだが、その一方で、「僕はまだ若い」、「草はこんなにも緑色という物語がある」と言っている。人生これからだということである。
13. Drowned
ジミーはブライトンの海に入る。「僕は溺れる」というのがタイトルの直訳である。しかし、前の曲との関連性から言えば、ジミーは自殺を企てたのではないだろう。
他の曲に比べるとシンプルな曲展開であり、ライブでもずっと演奏され続けたというのも、分かる気がする。ロジャーのボーカルは微妙なニュアンスを出そうとして、実際成功していると思う。
(a)上の方に釣り人達がいる
世界を充分見たわけではないが
僕はまだ英雄のサインを見ていない
だから僕は今でも真珠を求めて潜っている
(b)大海に僕を流してくれ
僕を海に戻してくれ
僕を嵐や静寂にしてくれ
僕を潮の中に入れて、自由にしてくれ(c)僕は橋の下を流れている
その次には突然空を飛んでいる
冷たい金属の中を降下している
まるで赤ん坊の涙のように(d)僕は俳優じゃない
これは映画の一シーンじゃない
でも見渡す限り、僕は水の中にいる(e)僕は遠い昔を思い出している
他の人の名前を呼んでいた
峡谷にさざ波を立てた
列車の中で怒った
(a)歌詞の冒頭は、ストーリーとは直接関係が無さそうだ。釣り人達とは悟りを開いた人のことかもしれない。だから、悠久の時間を過ごしているように、ジミーには感じられるのだろう。ここでの「上」とは、海面よりも上の方、即ち崖の上を指しているのだろうが、観念的な意味で上のレベルとも考えられるだろう。
一方のジミーは英雄からのサインを見ていないので、まだ真珠=重要なものを求めてさまよっているのである。
(b)全てを白紙に戻したいという願望と、「好きにしてくれ、どうにでもなれ」、というやけっぱちな感情とが続いて出てくる。両者は矛盾しているようにも見えるが、運命を海に委ねてしまうという点では、胎内回帰願望の表れと一言で片付けられるのではないだろうか。
(c)〜(d)ドラッグを服用した時の幻覚のような光景がまずある。続いて、「僕は俳優じゃない」、つまり虚構の世界の住人ではないことを自覚するのだが、次の「でも・・・」云々からして、ドラッグの効き目が消えた時点でのジミーの感情を表しているのだろう。
(e)意識が遠のいて行くさまを、昔を思い出すという表現で置き換えたのではないだろうか。いわゆる走馬灯である。
14. Bell Boy
副題が「キースのテーマ」である。キースの性格は「無茶苦茶な狂人」なのだそうだ(確かにパブリック・イメージはそうである)。(c)以降はキースがボーカルを取っている(かつてのリーダーの役)。
M13で溺れそうになったジミーが波打ち際に打ち上げられ、意識を回復した後の出来事がこの曲で唄われている。ジミーがかつてモッズのリーダーだった男に再会し、対話する場面である。リーダーはジミーにとって憧れの男だったとされている。
(b)君はかつて、百の顔の先頭に立って、
ペースを決めていた男じゃないか?
君が僕を覚えているとは思えないけど、
僕は1963年には君の後を追いかけていたんだ(c)俺は良い仕事を見つけて、生まれ変わったんだ
この格好良いユニホームを見てくれよ
俺はホテルで働いている、全て金のためさ
俺達がドアを壊した場所を覚えているかい?(d)ベルボーイ!
さあ走っていかなくちゃ
ベルボーイ!
口は結んでおかなくちゃ
ベルボーイ!
どんなひどい(bloody)客の鞄だって運ぶさ
ベルボーイ!
いつも誰かの後をくっついて走ってるんだ
俺がどう思っているか分かるかい、
いつも誰かの後をくっついて走ってるんだよ(e)何日か俺は浜辺で眠っている
星に手が届きそうな気がしたことを覚えている
早朝に働くために歩き回る
1日中チップのためにへつらっているんだ(f)人は変わる
でも君の目を見ると、
君なら俺のこんな生活から多くのことを学べる、と思う
俺の秘密は旗のようには翻らない
この小さなバッジの裏に隠しているから
ところが、かつてのリーダーは、今ではホテルのベルボーイとしてこき使われている。彼は、金のため仕方なくやっているんだと弁解している。しかしその一方で、「この格好良いユニフォーム」などという、まるで矛盾した台詞も口にしている。
さらに(f)では、「君もいい加減大人になれよ」と諭しているのである。さて、ジミーがこれに対してどう思ったのか、それは明らかにされていない。とはいえ、モッズに対する未練は完全に冷めてしまったのではないだろうか。
15. Doctor Jimmy
副題が「ジョンのテーマ」である。ジョンの性格は「ロマンティスト」なのだそうだ(本当かね?)。約8分に渡る長い曲である。イントロには雷の効果音が使われている。シンセサイザーとドラムを前面に押し出したアレンジになっている。「ドクター・ジミー」というのは「ジキル博士とハイド氏」から拝借しているらしい。
この曲で描かれる場面は、僕と君との対話、と言うよりは僕の方が一方的にしゃべっているところである。さて、それぞれ誰を指すのだろうか。歌詞を読むと、前半(2ndヴァースまで)は、僕がジムで君がジミー、中盤以降は僕がジミーであるように思える。
(a)前半(ハードでアップテンポなパート)s
ジミー博士とジム氏、ピルをキメているときは彼(ジム)は現われない
彼(ジム)はジンを飲んでいるときだけ現れるんだ
上記のサビの歌詞の前にジムが表に現れ、凶暴な性格を露にする場面が描かれているが、省略する。ジムと言う人格は、ドラッグをキメている(モッズのライフスタイルである)いるときには現れず、酒を飲んでいるときに現れるというのである。
(b)中盤(スローなパート)
それは僕だったのか? しばらくの間
星々が降っている
熱くなっていく
過去が呼んでいる
ジムが引っ込んでジミーの人格が現れる。「それは僕だったのか、それとも?」と自問するシーンである。
(c)後半
僕はすぐに戻るよ
恩恵が得られるあの家に
誰が僕の両目を切ったのか?
誰が僕のリーバイスをめちゃくちゃにしたんだ?
僕は落ち着かない
別の薬を持ってきてくれ
出来るなら、もっと強い奴だ
出来るなら、本当に僕をつぶしてくれる奴を
「僕はすぐに家に戻る」と言っているが、家を出る決心をしたジミーが何故こんなことを言うのだろうか。M17でも「家に帰りたい」という歌詞が出てくるのだが、翻意のきっかけは全く明らかにされていない。
3、4行目はジミーが引っ込んでいるときに、喧嘩をした結果であろう。ジミーが混乱している姿が描かれ、そして「僕をつぶせるくらい強い薬を持ってきてくれ」と言っている。ジムが表に現れないように、強い薬が欲しいということなのだろう。モッズはドラッグ(パープルハーツなど)を愛用していたらしいが、それは一晩中眠らないで踊るためであったらしい。しかし、ここでのジミーはそのような快楽の助けとしてドラッグを欲しているのではないと言っているのだ。まるで、ミュージシャンにでもなったかのような主張である。
16. The Rock
タイトルは「岩」である。M3の変奏である。ここで再び四つのテーマが流れるということは、ジミーが更に混乱してしまった(錯乱?)様子を表すのだろう。
17. Love Reign O'er Me
これが「ピートのテーマ」である。ピートは「乞食、偽善者」だそうだ。"o'er"は"over"の省略形である。「愛が僕を支配する」と言う意味であるが、音だけ拾えば、「愛、雨または僕」となる。歌詞もこの省略法どおり、愛、雨という言葉が出てくる。6/8拍子の曲であり、非常にドラマティックな展開をしている。ギターはシングルノート主体だが、ギターソロではなくアレンジの必然性から生まれたとしか思えないフレーズを弾いており、シンセサイザーとのコンビネーションは抜群である。一方、ドラムも見事としか言いようがない。6/8拍子のリズムを叩きながら、微妙なノリをうみだしているのである。更に、ロジャーの声域の広さも圧倒的である。
(a)愛だけが雨を降らすことが出来る
浜辺が海にキスされるように
愛だけが雨を降らすことが出来る
野原に横たわる恋人達の汗のように(b)愛よ僕を支配してくれ
(c)愛だけが雨をもたらし
君を空に向かって祈らせる
愛だけが雨をもたらし
高所から涙のように落ちる(d)乾いて誇りっぽい道
夜、僕達は離れ離れだった
家に帰りたい
冷静になるために、冷たい雨
眠れなくて、横になって考えた
夜は暑くてインクのように真っ黒
神よ、冷たい雨が飲みたいのです
本作のラストのこの曲の歌詞は、抽象的であり、理解し難い。この曲は本アルバム中2番目位に出来ていたものなので、埋め合わせではない(このアルバムの中に、いわゆる埋め合わせ的な曲は全くないのだが)。何らかの意味は持っているはずなのである。
(a)愛によってのみ他者にやさしくなれるという意味か。
(b)ジミーの叫びである。
(c)愛によってのみ悲しみを理解できるという意味か。
(d)「乾いた心」という言い回しがある。また「暑く真っ黒な夜」、「冷たい雨を飲みたい」といった句が出てくる。こういった言葉からは、ジミーの「すさんだ心」、「怒り」、「猜疑心」などのイメージを思い浮かべることが出来る。
全体を見渡すと、「愛」によってのみ、さまざまな感情を良い方向に向けて行けるという意味に取れる気がする。ピートは感傷的な詩を書かないタイプなので、次のように言い直すことにする。
「他者への愛情によってのみ、ポジティブな感情をもつことが出来る。」
だから(b)は、ジミーによる「僕に愛情を注いでくれ」などというナルシシズムの裏返しではない。それよりも高い次元での話なのだ。
このラストは、 "Tommy" が明るい未来、吹っ切れた感情を表しているのに対し、事態は何も改善されていないかのようである。その差は、冒頭に書いたように、"Tommy"がおとぎばなしの体裁を取っていたのに対し、本作がリアリズム重視であるからなのだろう。
<総評>
(1)アルバム全体を通して、結局何を言いたかったのだろうか。ピートは、「ザ・フーの歴史はファンによって作られたんだ」と、このアルバムのテーマについて語っている。どうも含みが多くて、すぐにピンと来ない発言である。この発言と、アルバム全曲の歌詞を見比べて、自分なりに推測してみると、
「自己アイデンティティの確立は、他者とのコミニュケーションによってこそ可能なんだ」
がこのアルバムへの最終テーマなのではと思える。もちろん、あくまでも個人的な見解であるが。
つまり、このアルバムは、カウンセリングの回答書ではなく、問題提起なのである。だから、人によって、その回答は異なっても構わないだろう。
(2)このアルバムのサウンドの鍵はシンセサイザーにあると思う。確かに、ストリングスを模したシンセサイザーの音そのものは、本物と比べると人工的な面が目立ち、人によっては「深みに欠ける」と思うだろうし、逆に今ならば本物の弦楽器を使ったかもしれない。しかし、それではメロディ楽器の面が強調され、リズム楽器としての面が損なわれた可能性がある。だから、敢えてシンセサイザーを使ったのかもしれない。あるいは、60年代中期への反動という可能性もある。
(2000-6-4)
(2000-6-5)
加筆・訂正