Who Came First

Pete Townshend's 1st Solo-album

01. Pure And Easy
02. Evolution
03. Forever's No Time At All
04. Let's See Action
05. Time Is Passing
06. There's A Heartache Following Me
07. Sheraton Gibson
08. Content
09. Parvardigar
----- Bonus Track -------
10. His Hands
11. The Seeker
12. Day Of Silence
13. Sleeping Dog
14. The Love Man
15. Lantern Cabin

 

 ピート・タウンゼンドの1stソロ・アルバム"Who Came First"は1972年に発表されている。日本でも当時発売されているがが、そのときに付いていた邦題は「現人神」である。よくもまあこんなタイトルを付けたもんだと思う。それは、許可したレコード会社の責任者に対しても同様だ。ジャケットは、白いつなぎを着て立つピート・タウンゼンドだし、当時のピートが若者の精神性を追求する作品を多く生み出していたことからして、「神」を連想してもおかしくはないのだが。

 本作は、ピート自身が最初から望んで制作したアルバムではない。「レコード・コレクターズ」などによれば、ミハー・ババの関係団体のために録音した曲が、ブートレッグという形で出回るようになったため(テープ盗難もあったらしい)、レコード会社が正式アルバムとして発売することをピートに要請し、その結果として出来あがった代物であるらしい。

 そういうことであるから、本作は「エンプティ・グラス」以降のピートのソロアルバムと比べれば、サウンド・プロダクションは非常に簡素である。これが、録音機材などの時代の制約とは無関係であることは、ザ・フーの70年代前半の作品と比べれば明らかだろう。どちらかと言えば、デモテープに少々の手を加えた程度と言える。ただし、ピートの場合、「スクープ・シリーズ」で聴けるように、デモ・テープの段階で既にかなり凝ったものを作るアーティストであるから、通常想像するようなデモ・トラックよりは、遥かに完成されている。

 本作は、オリジナルのアナログ盤では全9曲から構成されており、そのうち5曲(M1、M4、M5、M7、M9)がピートの単独作である。これらのうち、ザ・フーのバージョンが存在するのは、M1、M4、M5の3曲である。他には、ピートとミハー・ババの信者の共作(M8)、ピートと同じくミハー・ババを信奉していたロニー・レインの作品(M2)、ピートの友人の作品(M3)、ミハー・ババの愛聴曲が収められている。

 そして、CDでの復刻にあたり、ボーナス・トラックが6曲追加されている。筆者は、常々ボーナストラックには異議を唱えてきたが、ここに収められたボーナス・トラックについては、歓迎である。それは、アルバムの雰囲気を壊してしまうような曲が選ばれていないこと、さらにボーナス・トラックの曲順までも周到に考慮されているように思えたからである。各曲の詳細は後に譲るが、ボーナス・トラックだけを取り上げると、インストゥルメンタル曲で始まって、インストゥルメンタル曲で終わるという構成になっており、加えて、スローな曲とアップテンポな曲を交互に配置するという配慮がなされているのである。

 だが、それ以上に重要だと思うのは、これらのボーナス・トラックは、1曲(M11)を除いて、ザ・フー・バージョンが公式に発表されていないものばかりであること、そして、後期ザ・フーの音楽性を考える上でも興味深い曲が多く収められていることである。

 このように、決して強い動機から制作されたアルバムではないが、筆者としては、ピートのソロ・作品の中で最も好きな作品である。その理由は二つあって、第1には、「エンプティ・グラス」以降のソロ・アルバムが、どれも凝り過ぎているような気がするからである。そして、第2の理由は、ピートの音楽的基盤が、西洋クラシックやアメリカのカントリーにもあることが、分かり易く出ているからである。

 以下、各曲ごとの解説を記す。

 M1は、ザ・フーのバージョンは「オッズ・アンド・ソッズ」や「フーズ・ネクスト」のリマスター盤で聴くことが出来るし(両者は別テイク)、ピートのソロ・バージョンはベスト盤で聴くことが出来る。どちらの方が好きかと聞かれると困る。ザ・フーの方が好きな時もあるし、ソロ・バージョンが好きな時もあるからだ。アレンジは、確かにザ・フー・バージョンの方が遥かに練られているのだが。

 こちらのバージョンは、ドラム以外は繊細である。ピートの声質や簡素なサウンド・プロダクションのせいだろう。その一方、ドラムは派手で、定位を故意に動かしている箇所も多々ある。ドラミング・スタイルは、キース・ムーンを真似しようとして、結局あきらめたような感覚がある。

 歌詞については、「オッズ・アンド・ソッズ」の項を参照のこと。ただし、こちらのバージョンでは、最後に1ヴァース分、歌詞が追加されている。

 

 M2は元フェイセズの故ロニー・レインの作品で、ボーカルもロニー・レインが取っている。フォーク色が強い曲である。これを聴くと、スモール・フェイセズの「オグデンス・ノット・ゴーン・フレーク」は、ロニー・レイン色が相当濃く出た作品であるような気がする。

 なお、「アイム・ア・ボーイ」とよく似たギター・フレーズが聞けるが、ギターはピートなのだろうか。

 タイトルは、「進化、発展」という意味だが、歌詞では、「私」の輪廻転生が唄われている。最後に、今生で宗教的指導者にめぐり合ったことを喜んでいる、という意味のことが唄われるのだが、「主(the Master)は私を素早く助けてくれる」、という一節は、宗教的な論争の元になるような気がする。第1に、英語圏では、"the Master"とはキリスト教における「主」を表すのだが、キリスト教主流派は転生輪廻を認めていない。第2に、ロニー・レインはミハー・ババの信奉者であって、そういう人が"the Master"に(間接的に)出会ったとするのは、宗教の鞍替えと捉えかねない。それとも、単に歌詞カードの大文字・小文字の区別がいい加減なのだろうか。

 なお蛇足であるが、歌詞中に"I've been tinker, tailor, soldier, sailor"という一節があるのは、ストーンズの「ダンデライオン」から引用したのだろうか。それとも、別の何かの物語からの引用なのか。

 

 M3は、ビリー・ニコルスとマックリニーという人の共作で、R&B、南部ロック調の曲である。全体的にリラックスした雰囲気である。ファルセット・ボーカルはビリー・ニコルス本人だろうか。なお、ギター・ソロはあまりブルース色が強くないが、これもピートだろうか。

 歌詞は、タイトルにもあるように、まず永遠なるものへの否定から始まっている。宗教的なテーマかと思いきや、全体としてはラブソングであろう。

 

 M4は、ザ・フーのバージョンと比べても遜色ない出来である。ギターなどこちらの方が上だと思う。どちらのバージョンが先に完成したのか分からないけれど。

 いや、そもそもジョンとキースは、この曲のレコーディングにあまり賛成ではなかったのではないか。そんな気がする。

 歌詞は、2ndヴァースがザ・フー・バージョンと異なり、更に3rdヴァースの前にも1ヴァース分歌詞が追加されている。

 

 M5は、90年代末になって、ようやくザ・フーのバージョンが日の目を見たわけであるが、こちらのバージョンの方が出来が良いと思う。シンセサイザーが全体を薄く覆っていて、ピートの激さないボーカルが魅力で説得力がある。ピアノは即興演奏をそのまま録音したのではないかと思う。なお、ザ・フー・バージョンに比べ、こちらの方がスローである。

 

 M6は、ミハー・ババの愛聴曲だそうだが、アメリカの田舎で家族や友人が集まったときに演奏・合唱されるような曲だと思う。ここでは、アコースティック・ギター、ピアノとピートのボーカルという簡素なアレンジになっている。いつの録音なのか分からないが、ステレオ効果の使い方は、少々稚拙だと思う。

 しかし歌詞は、終わった男女関係を、今でも精神的に引きずっている男が主人公である。「俺は彼女のことなんかちっとも愛してはいなかった」と言いながら、すぐに「でも俺は内面では彼女を追いかけている」となるのだから。このような「やせ我慢の歌」を、一般人が好むのなら話は分かるが、そういう世俗的な悩みを超越した者が、宗教的指導者になるのではないか。ということは、ミハー・ババは歌詞を知らなかったのだろう(英語が聞き取れなかった?)。

 

 M7は、M1と伴にベスト盤に収められている曲である。いかにも、アコースティック・ギターによる弾き語りのような定位の作り方だ。ギターでの弾むような感覚は、ピートならではのものだろう。おまけにバンジョーやシンセイサイザーまで使われている。長さが3分足らずだが、アレンジとしては、これが恐らく完成品だと思えるので、何らかのストーリーを構成する一部として作られた可能性が高いと思う。

 歌詞は、シェラトン・ホテルでギブソン・ギターを爪弾いている者の心情を歌ったもので、恐らく、主人公はライブ・ロード中のミュージシャンなのだろう。シェラトンということからして、売れっ子であることは間違いない。つまり、ピート自身ということか。

 

 M8は、ピアノの多重録音が特徴的なアレンジになっている。エンヤとまでは行かないが。ザ・フーではみられないピートの音楽的バックグラウンドがここにある。ただし、ボーカルまで多重録音にはしていないけれど。

 歌詞は、宗教的啓示を受けた人の決意表明とでも言ったらいいだろうか。ただし、ここでの「私」は、すべてを分かったなどと言っているのではなく、「学ぶこと、成長することの準備が出来た」と言っているのであり、「神に救われた」という段階である。

 

 M9は、本作中最もレコーディング技術を駆使した出来になっている。全体としては、アコースティック・ギターがメイン楽器として使われているが、何よりも驚かされるのは、シンセサイザーの使い方である。とても70年代初期の産物とは思えない。電子音が全く安っぽくないのだ。

 とはいえ、決してテクノ風に聞こえるアレンジにはなっていない。むしろ、アコースティック・ギターとシンセサイザーのバランスが絶妙なので、90年代の音が苦手な人でも楽しめると思う。

 他にも多重録音されたコーラスも良いし、後のピートのソロ作品に通じるボーカル・スタイルも聴きどころである(ただし、ソロ作品に興味があればの話だが。

 歌詞は、ミハー・ババの教えであるスーフィー教における最高神(パーヴァディッガー)を称える内容になっている。スーフィー教がいかなる教義を持っているのか分からないので、何とも言えないのだが、この歌詞からは、多神教で輪廻転生を認めているようだ。

 

 

 ここからがボーナス・トラックである。

 M10は、インストゥルメンタル曲で、これこそデモ・トラックというものだろう。「ゼイ・アー・オール・イン・ラブ」のイントロや「アイブ・ハド・イナフ」の中間パートの元ネタらしきフレーズが聞ける。

 

 M11は、1970年にザ・フー・バージョンがシングルとして発表されている。迫力やグルーブ感という点でザ・フー・バージョンに軍配が上がるだろう。テンポがザ・フー・バージョンよりスローだが、そういう点も、こちらのバージョンが劣るように聞こえることに影響していると思う。

 こちらのバージョンは、デモと言いながら、ボーカルを左チャンネルに2トラック、右チャンネル1トラックの都合3トラックも入れているという凝り方である。なんということだ。

 

 M12は、何よりもメロディの良さが光る。この手の曲は、70年代前半のザ・フーには合わないような気がする。だが、「フー・アー・ユー」以降のザ・フーならレコーディングしてもおかしくはないのでは、という曲調であるようにも思える。

 シンセサイザーでハーモニカを模した音がフィーチャーされているが、「ジョイン・トゥゲザー」とどちらが先に出来たのだろうか。

 歌詞は、ソウルメイトへ宛てたメッセージになっている。
  「気分が落ち込んだ日は、静かな1日(デイ・オブ・サイレンス)を過ごしてごらん」、
  「いさかいがあったときは、一人で坐って、何も言わないでいてごらん」、

といった歌詞からは、「たまには孤独で過ごすのも悪くないよ」、という意味が感じられる。ピートからキースに宛てたメッセージと取ることも出来るし、ピート自身へのメッセージと取ることも出来る。いずれにしても、当時の彼らにしてみれば、殆ど不可能なことだっただろうが。

 

 M13は、アコースティック・ギターとピアノだけがバッキングに使われた、まさに「小品」と呼ぶべき曲である。聴き応えという点では、少々物足りないが、キャッチーなメロディと説得力のあるピートのボーカルは捨て難い。

 歌詞は、愛犬、子供、妻への愛情を独白する内容になっている。どれも、面と向かって口にするのではなく、「胸にしまっておく」という態度が感じられる。自己主張の西洋人というステレオタイプな見方があるが、この歌詞には当てはまらない。そういえばミハー・ババは、「沈黙の教え」を通したと言われるが、「言葉はしばしば嘘をつく」という思想が、この歌詞に反映されているようにも思える。

 

 M14は、M1と並ぶ良いメロディとグルーブ感を持った名曲である。曲の構成は、(短い)イントロ、ボーカル・パート、インストゥルメンタル・パート、ボーカル・パート、エンディング、となっており、明らかにザ・フーとしてレコーディングすることを意識した組立てがなされている。アレンジも完成度が高い。何故、ザ・フーのバージョンが存在しないのか不思議である(リード・ボーカルをピートが取ればいいだけの話だと思うのだが)。

 まず、シンセサイザーによるイントロで幕を開ける。ここでは、一寸奇妙な音が聞けるのだが、当時のプログレッシブ・ロックのミュージシャンだったら、もっと長く続けたであろう。だが、ピートはそういうことよりも、良いメロディを作る方に関心が高かったのだと思う。すぐに、ボーカル・パートに入っていく。

 このボーカル・パートは、Aメロ、サビメロ、Bメロという構成になっており、特にAメロとサビメロは鳥肌モノである。バックには、コーラスの他に、アコースティック・ギター、シンセサイザー、ベース、ドラムが使われているが、奇妙なベース・ライン、コーラスに惹きつけられる。また、ドラムはM1と異なり、キースのスタイルを模倣することを考えていないようであり、それが却って成功していると思う。特に、サビに移行するときのドラムの音には、ハッとさせられる。

 次いでインストゥルメンタル・パートだが、ここでは、アコースティック・ギターによる、カントリー調のプレイが聞きどころである。元々バンジョー奏者だったピートらしい演奏である。

 タイトルは、"The Love Man"となっているが、「愛の人」を称えるような歌詞ではない。むしろ、「『愛の人』がどれほどいかがわしい人物か、俺は知っているんだ」、という内容である。何度も、"Say hello to the love man"というフレーズが繰り返されるが、これは文脈からして、皮肉あるいは嫌がらせであろう。であるからして、邦題の「ラブ・マン」というのは、ニュアンスが上手く出ていないと思う。せめて、「ザ・ラブ・マン」として欲しかった。

 歌詞は、仄めかしの連続である。冒頭で、僕と彼女との関係が問題を抱えるようになったことが示されている。これは、「愛の人」が自分達の住む町にやって来て、彼女がそいつに惹かれてしまうであろう、と「僕」が予想していることに対する伏線になっている。

 次に、「愛の人」がミュージシャンらしきことが仄めかされている。ただし、宗教と音楽とは密接な関係があるので、必ずしもミュージシャンであるとは限らないが、いずれにしても、「愛の人」は宗教的カリスマ性を備えた人物であるのだろう。更に、後半で"imagine"という単語を2度繰り返しているのも意味深である。だからといって、ピートに対して、「あの曲はジョン・レノンを批判しているのですか?」なんて聞いても、はぐらかされるだけだろうが。

 

 M15は、「愛の支配」や「ヘルプレス・ダンサー」の元ネタらしきフレーズが聞ける、インストゥルメンタル曲である。酷な書き方をすれば、クラシック音楽の域を出ておらず、まだアイデアの段階のままレコード化されたという感がある。しかし、CDのエンディング曲としては、非常に良い。陳腐なことだが、レコードの曲順は非常に重要ということだ。

 

 

  

 

 

(2001-11-3)

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