シングルB面曲など(60年代編)
本編では、シングルのB面曲や、ボックスセット発売まで未発表だった曲のうち、60年代に制作された曲を取り上げた。なお、カバー曲は外してある。
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Disguises
Doctor, Doctor
I've Been Away
In The City
Rael 2
Glittering Girl
Melancholia
Someone's Coming
Jaguar
Early Morning Cold Taxi
Girl's Eyes
Call Me Lightning
Dogs Part 2
Dr. Jekyll And Mr. Hyde
Disguises
ピートの作品で、何かを擦るような効果音と、宙に浮いたようなボーカルは、サイケデリック時代を感じさせる。シングルB面としてならば、発表する価値がある作品だと思う。
タイトルは「変装」という意味である。冒頭は主人公の失敗談になっている。「君のことなら全て知っていたのに/今日友達の一人に君を指し示そうとして/別の女の子を指してしまった」
さて、主人公が彼女を見間違った理由は、主人公によれば、彼女が変装していたからだとされている。しかし、仮に彼女が変装して主人公に見つからないようにしたとしても、自宅付近で待ち伏せされれば、ばれる可能性が高く、あまり価値のある行動とは思えない。どうも、主人公の言い分は大変怪しく、独り善がりではないかと思えて来るのである。例えば、彼女からすれば、変装しているという意識はなく、流行りの衣装を着ているだけのことなのかもしれない。それを主人公が勝手に「変装している」と思い込んでいる可能性が高いのではないか。
一方、1st、2nd両ヴァースの締め括りに出てくる、「時々女の子には驚かされる/その子が君に変わっていたら/変装しているんだ」という歌詞も、これまた妙である。このパートは、見ず知らずの一人の女の子が彼女に化けているのか(理由は不明)、主人公が声を掛けた女の子が実は彼女自身だったのか、故意に曖昧にしているようだ。
ところで、上記のような男女関係そのものは表面的なものでしかないと思う。歌詞の裏側には、「現代では、外見はアイデンティティを決定するファクターではない」、という意図が読み取れるのだ。たとえそれが、ピートの意図では無かったとしてもである。ここで考慮すべきことは、ピートがポップ・アートの洗礼を受けていることである。ポップアートの特徴の一つに、「均質な見栄え」が挙げられると思うのだが、人ごみでは彼女さえも特定できないというのは、まさしく外見の没個性化である。また、流行をひたすら追いかける集団であるモッズについても、没個性化という点では大きく関連しているに違いない。
Doctor, Doctor
ジョンの作品で、ジョン自身がファルセットで唄っている。メロディ自体はジョンがザ・フーに提供した曲の中では最もポップな部類に属するだろう。キースのドラミングは、いつものようなフィル・イン入れまくりではなく、一聴する限りでは単純な4拍なのだが、飽きの来ないビート感覚である。やはり天才なのだろう。
歌詞に出てくるドクターは、ドラッグ調達者でも精神科医でもなく、内科医のはずである(「はず」という曖昧な表現については、後述する)。主人公は色々な病気を抱え込んでいて、この医師に診てもらうことになったのだが、そのときの主人公の言い分が歌詞になっている。しかし、こんなに色々な病気を背負い込んだら、まず間違い無く死んでしまうだろう。となると、それらは主人公の妄想ではないのか。ということは、主人公は内科医ではなく、精神科にかかるべきなのである。もっとも、この医師が内科医ではなく精神科医である可能性もあるのだが。つまりカウンセリング中ということだ。
I've Been Away
ジョンの作品で、ジョン自身がボーカルを取っている。ワルツのリズムに乗ったポップで穏やかな曲である。アレンジ面では特筆すべき点は見当たらないが、佳曲だと思う。
歌詞は、兄弟に裏切られて無実の罪で服役中の囚人の独白である。兄弟の名はビルなのだが、弟なのか兄なのかは不明である。延々とビルに対する恨みつらみが唄われて行くのだが、最後の2行で、ビルに対する復讐が仄めかされる。「奴は冷たくなって寂しい思いをするだろう」である。
In The City
ジョンとキースの共作だが、ボーカルはどちらが取っているのだろうか。資料によれば、レコーディング時にはジョンとキースしかおらず、後でピートがギターをオーバー・ダブしたそうだ。ザ・ジャムが後に同名曲を発表しているが、歌詞の思想やサビメロを、この曲から戴いていることは明白であろう。それはともかく、アレンジがやっつけ仕事になっている点は残念だし、そのせいで知名度が低い曲ではあるが、メロディは非常に良い。
歌詞の大意は、「この街にはルールなんて無い、自分がやりたいことをやればいい」、および「この街では皆が正しいんだ」であろう。「マイ・ジェネレーション」を継承する歌と言っても良いだろう。
Rael 2
"Rael 1"のコーダ部がこの曲に該当するらしい。ボーカルはピートだが、オルガンは誰が弾いているのだろうか。オルガンのお陰か、教会音楽のようにも聞こえる(といっても、ゴスペル調ではない)。
歌詞は、「僕に見えるものは既に見たものばかり/僕が感じるものは既に経験したものばかり/知識は成長期には役に立った」、といった、未来に対して悲観的な内容になっている。この当時ピートは22、3歳であったし、時代も未来への可能性を無邪気に信じていられた60年代であったらしいが、既にこのようなシニカルな視点が現れている。
だが、前半の歌詞など、最後の「私の罪("sin")を生み出した思想と、ラエルを創った神に祝福を」という下りに比べれば大したことはないような気がする。まず「〇〇に祝福を」という表現は、明らかに反語であろう。次に、"sin"という英単語は宗教的な「罪」であるし、「ラエル」とは架空の国家であるらしい("Rael
1"の解説を参照のこと)。つまりこのパートに込められた意図を端的に記せば、「宗教や国家など無用のもの」、となるのだろう。しかし、この主張は当時としては危険であったと思う。ザ・フーは当時アメリカ進出を狙っていたのだが、ジョン・レノンの例の発言「ビートルズは今やイエスよりもポピュラーだ」に端を発する事件を考えれば、この曲がお蔵入りしたのも当然かもしれない。
Glittering
Girl
ピートの作品で、「セル・アウト」のリマスター盤が発売されて、初めて日の目を見た曲。ボーカルはピートが取っている。ポップな佳曲ではあるが、ギターの音が弱いので、インパクトに欠けるような気がする。もしも、当時発表する気だったら、ギターを録り直していたのではないか。
歌詞は、"Glittering
Girl"、すなわちきらびやかな少女について唄ったものだが、全て過去形で書かれているのが特徴である。このような設定の場合、感傷的な歌詞になるのがふつうであろうが、この歌詞にはそういうところが全く無い。「彼女は馬鹿じゃなかった」、「彼女は規則に従っていた」といったフレーズは、ラブソングには相応しくないし、かといって別れた彼女への罵倒でもない。もしかしたら、ある物語を構成する1曲として書かれたのかもしれない。
Melancholia
スローな曲で、ロジャーのボーカルが低音を強調した雄々しいスタイルなので、当時のザ・フーの曲群とは異なる印象を受ける。その一方、バックのコーラスが当時(サイケ時代)のザ・フーを感じさせるし、ギターの使い方(アルペジオとコード・ワーク)やベース、ドラムは、まさしくザ・フーである。結局、どうしてもロジャーのボーカルが不釣合いに聞こえてしまう。中盤でのピートとロジャーのボーカルの掛け合いは、良い雰囲気が出ているので、余計に残念である。
なお、終盤のギター・ソロを聞くと、70年前後のインプロビゼーション中心のライブへの萌芽が現れている。この時点(1968年)で、既にレッド・ツェッペリンを意識していたのだろうか。
歌詞は、主人公自身がうつ病であることの独白である。ピートがこの曲を書いた当時、もしかしたら本当にうつ病だったのかもしれない。それにしても、「僕の心はうつ病になるために生まれた」、「神は病気だ」といったフレーズには、早くも自虐的なユーモアが現れていて興味深い。ピートが自虐的ユーモアを基調とした歌詞を多く書くようになるのは1975年以降だが、自虐性はピートが元から持っていた資質だったのではないかと思ってしまう。たとえこの曲が一例に過ぎなくとも。
Someone's
Coming
ジョンの作品として初めてロジャーが唄った曲であろう。ホルンとメタリックなベースの音が特徴だが、60年代以前のポップスという印象を受ける。シングルのB面としてよりも、アルバム中に挿入した方が映えるような気がする。
歌詞は、女性の両親に隠れてデートを重ねる男女について、男性の側から唄ったものだと思う。性別は不明なのだが。
Jaguar
ギター、ベース、ドラムによるインストゥルメンタル曲が始めにあって、それに後から歌詞を付け足して出来あがった曲であろう。特にベースが凄いの一言である。ボーカルは、「アルメニアの空」のような浮遊感のあるスタイルだったり、他の英国ビートバンドのスタイルを真似ていたりして、正直なところ余計である。
歌詞は、ジャガーという車の宣伝文句と捉えるべきなのだろう。現代の感覚からすれば、宣伝文句としてもあまり出来が良いとは思えないが。
Early Morning
Cold Taxi
ロジャーとザ・フーのローディだった人による共作らしい。ロジャーがザ・フーのために書いた曲の中では、1、2を争う出来映えだと思う。一聴した限りではキャッチーでヒット曲狙いとも思えなくはないが、捻りのあるメロディが含まれていて、驚きである。
アレンジ面では、エレクトリック・ギターとアコースティック・ギターの2本を使っている点は、まさにピートが好むところだろう。また、ボーカルの休符の所にドラムで拍を入れるのもキースらしいドラミングであり、それがザ・フーの魅力でもある。それにしても、何故これが当時発表されなかったのか不思議なのだが。
歌詞は、人生が下り坂に入ったと実感している主人公の独白という体裁になっている。主題は、「年を取ったとはいっても、まだまだやるんだ」、であろう。とはいえ、馬鹿な精神主義という感覚は全く無い。むしろ、冷徹に自分を見つめているような印象を受ける。25歳になる前に、こんな歌詞を書いていたとは驚きである。しかも作者がピートではなく、ロジャーもしくは一ローディであると知って、二重に驚きである。蛇足だが、"My
Generation"中の「老いる前に俺は死にたい」なる一節とは恐らく無関係であろう。
Girl's Eyes
キースの作品である。ボーカルはロジャーかジョンのどちらかだと思えるが、本当のところ誰なのだろうか。特定は出来ないけれど、このスタイルはジド・バレット時代のピンク・フロイドからモロに影響されていると思う。ザ・フーが本質的にかなりミーハーであるという説を裏付ける録音である。エンディングのギターは、マンドリンやバンジョーに長けていないと思い付かないフレーズであり、ピートの隠れた真骨頂とも言えると思う。
歌詞には、3人が登場する。男のミュージシャン、そのファンの少女、そして主人公である。この曲以前にキースが単独で書いた曲は、"I
Need You"と"Cobweb And Strange"だが、前者では、ミュージシャンが一人称で登場し、その視点で歌詞が書かれていた。それに対し、この曲ではミュージシャンは二人称で登場する。いずれにしても、ミュージシャンが主役である点が興味深い。
次に内容についてである。1stヴァースでは、上記のミュージシャンが(歌い手側から)諌められている。諌められた理由は、ファンの少女が傷付いたからということらしい。しかし、それはファンの勝手な思いこみらしいのだ。ミュージシャンが責任を負わねばならないとは思えないのだが。
ところが、最後のヴァースになると、「惨めなまま彼女を放っておいてやれよ/彼女は僕や君の助けを必要としていないんだ」なのである。1stヴァースでは、「君」に対して落とし前を付けるように迫りながら、最後のヴァースでは、「ミュージシャンがファンを救えるなんて幻想だ」と結論しているのである。つまり、1stヴァースは前置きとして故意に反対のことを言ったのに過ぎないのだろう。あるいは、「君」の注意を惹き付けるためと解釈してもいいと思う。
それにしても、1967年という時期に既に上記のような思想をキースが持っていたとは少々驚きだ。そういった冷徹な思想はピートだけのものと思っていたのだが。更に、「君がメロディを奏でるたびに/彼女にとってそれは地球となる」などというフレーズも、比喩表現としては結構上手いと思う。結局、キースが作詞の才能にもっと自覚的であり、精進していたら、この後もっと上手い歌詞が作れたのではないか、そう思わせる曲であった(まぐれかもしれないが)。
Call Me Lightning
クリス・チャールズワース著「ザ・フー全曲解説」によれば、この曲が書かれたのは1964年ということになる。50年代のR&B風の曲調であり、ザ・フーがこちらの方向に進む可能性もあったのだろう(個人的には、そうならなくて良かったと思うが)。ロジャーのボーカルが若々しい。
歌詞の方も、当時ピートが入れこんでいたブルースのそれに似た感覚をもっている。つまり、自分をデカくみせる類である。「あいつらが俺を稲妻と呼ぶ理由をみせてやるよ」これが、キー・センテンスなのだろうが、後にピートが書いた歌詞に比べたら、全く魅力を感じない。
Dogs Part 2
ギター、ベース、ドラムによるインストゥルメンタル曲。犬の吠え声を使っているが、当時のことだから、テープに録音したのだろう。ピートのギターも格好良いが、何と言ってもキースのドラムに尽きる。エネルギーという点では、"Ox"に勝るとも劣らないと思う。
Dr. Jekyll And
Mr. Hyde
ジョンの作品である。「ジキル博士とハイド氏」というタイトルは、有名なホラー小説そのままである。迫力あるベースが特徴だが、映画やドラマののBGMとして流すべき曲だと思う。ライブにはあまり向いていないだろう。
歌詞は、酒を飲むと性格が変わってしまい、しかもその間のことを覚えていないという人物による独白である。「ハイドよ、ハイドさんよ」と呼びかけてはいるが、恐らく自室でのことであり、「独白」と記して構わないだろう。要するに、「ウィスキーマン」と同様の2重人格者についての歌なのだが、「ウィスキーマン」と違うところが2点あって、(1)同時には2つの人格が現れないこと、(2)酒を飲むと心だけでなく肉体まで変わってしまうこと、である。肉体がどの様に変化するのか、興味があるところだが。
(2000-10-8)