THE WHO 回想録

 

1.終末に出会って

 私がザ・フーと初めて出会ったのは、今は亡き週刊FMだった。1982年のザ・フーの解散コンサートのニュースを伝えるちょっとしたニュース格の記事であった。目に飛び込んできたのは、そこに写し出されたメンバー4人であり、誰もが疲れ切った表情を浮かべていた。それは当時高校生だった私に強烈な印象を与えた。

 週刊FMのその記事を読んでみると、彼等が60年代には「怒れる若者の代弁者」と呼ばれたことが書かれていた。この文句に私は無性に惹きつけられた。しかし、当時のラジオでザ・フーがかかることなどなく(単なる巡り合わせだ、と今にしてみれば思うが)、高校生の間で人気だった「ベストヒットUSA」でもザ・フーの姿が流れることは無かった(後に2回ほど見たことがある)。当然、ザ・フーがブリティッシュ3大バンドの1つと呼ばれたことなんて、後々知ったことなのである。

 

2.2度目は3年後

 1985年の夏に、「ライブ・エイド」がフジTV系列で21時間かけて放映された。日本側での司会進行に対し非難轟々だった(FM雑誌から朝日ジャーナルまでだ)、あの番組である。ザ・フーが登場したのは日本時間の夜中1時頃だったと記憶しているが、衛星回線の調子が思わしくなく、何度も映像が途切れ、曲を聞くどころではなかった。それでも、ピート・タウンゼンドのギターの塗装のハゲが妙に印象深かったのを憶えている。

 その年のある日の朝、NHK−FMがザ・フーの昔のライブを放送することが、新聞のラジオ欄に載ったことを目にした。私は夜の9時過ぎになると、ラジカセにテープをセットし、放送時間を待った。そして、放送時間が遂にやって来た。司会は渋谷陽一、ゲストは鮎川誠であった。番組の冒頭で、渋谷氏は「何故か日本ではザ・フーは人気有りませんねえと言っていたが、その時に初めてザ・フーが日本では人気の無いバンドであったことを、改めて知った(そういうこの人だって、自著の「ロックミュージック進化論」や「ロック微分法」ではザ・フーを取り上げていないのだけれど)。一方、鮎川氏はザ・フーの魅力について聞かれ、「ストーンズのミック・ジャガーなどと違ってピート・タウンゼンドは、観客に媚びないところが良いんだ」という意味のことを答えていた。私の中でますますザ・フーへの関心が膨らんで行った。
  ライブはまず「マイ・ジェネレーション」、「アイ・キャント・イクスプレイン」、「サマータイム・ブルース」といった定番から始まり、「四重人格」から幾つかの曲が流された。このとき、ピートのギターや
ロジャー・ダルトリーのボーカルよりも、キース・ムーンのドラミングが何より気になってしまった。私がこれまで耳にしてきたドラミングとは全く違う。どう考えても余計な拍が多いし、不思議なリズム感覚だと思った。
 番組の後半は「無法の世界」と「ドクター・ジミー」のメドレーであった。不用意にも録音時間の長さを誤って見積もったために、「ドクター・ジミー」の途中でテープが終わってしまったのが残念であったが、それはともかく、耳障りなシンセサイザーやキースのドラム音は後々まで耳に残ったし、ザ・フーを聞くことにより、「ドラマーこそがロックバンドの命」という主義になったのだから、重要な出会いだったのである。

 それからザ・フーへの飢餓感は膨らむ一方だった。私は大学の生協でピートのソロアルバム「ホワイトシティ」のCDが棚に並んでいるのを見つけたが(現在売られているCDの「日本発CD化」というのは間違い)、CDプレーヤを持っていない私にとって、それは手が届いても意味のないものであった。それに、CDやレコードを買うこと自体を私の親は「金の無駄遣い」と言って憚らない人達だったから、私がCDを買うことなどとんでもないことであった。その上、レンタル店ではザ・フーは置いていなかった。

 仕方なく、私はラジオでザ・フーがかかることを待った。当時何故だか60年代、70年代の曲を流す番組がそれなりにあったと記憶している。特にNHK−FMの「クロスオーバー・イレブン」とラジオ日本の「イエスタデイ・ポップ」がその代表格だったろう。勿論私はザ・フーがかかれば、ほぼ必ず録音した。そうやって、60、70年代のザ・フーの曲を聞けるようになったのだ。どれを聞いても不思議な曲、アレンジであった。ピートのギターよりもジョン・エントウィッスルのベースやドラムの方が目立っている。ハードロックバンド(実はFM誌などから得たザ・フーとは、ハードロックの元祖というものであった)と言われているのに、ポップなメロディとコーラス。といっても私は混乱したわけではない。ただ、「ベストヒットUSA」などで頻繁に流れる音楽とは随分違うと思っただけであった。

 ちなみに、ラジオ・エアチェック時代(?)に、私が気に入ったのは、「リリィのおもかげ」と「ピンボールの魔術師」であった。

 

4.白帯CD時代

 就職して親元から離れた私であったが、諸事情によりCDを買えなかった。2年くらいして、初めて買ったCDがザ・フーのベスト盤「ザ・シングルズ」であった。解説は松村雄策氏。BSのビートルズ特番では大抵と言って良いほど出てくる人である(一部では、ロッキング・オンの渋松対談の方が遥かに有名かもしれない)。当時3300円は、一寸痛かったのだが、買って良かったと思っている。なによりも、良い音質でザ・フーを聞けるようになったのだから。たった1つ、このCDでは、「無法の世界」が編集バージョンが収められていたことが、悔やまれた。この曲は8分30秒フルで聞いてこそ魅力がある曲なのに。

 その後、ぼちぼちザ・フーのCDが発売され始めた。おそらくはザ・フーの再結成ツアーに合わせた動きだったのであろう。それ以前から「トミー」と「フーズ・ネクスト」は発売されていたが、私もこの頃になってようやくそれらを買うことが出来た。でも当時の「トミー」はなんと5900円もしたのである。いまの3倍弱ではないか。思い出すと感慨深い。

 また、同時期にザ・フーのベスト盤「ベリー・ベスト・オブ・ザ・フー」が発売になった。前記の「ザ・シングルズ」とのダブりが殆どであって、再結成に当てこんだ企画なのだが(英国ではトップ10に入ったらしい)、「アイム・ア・ボーイ」のステレオ録音や「無法の世界」のフル・バージョンが聞けることは収穫であったと思った。  

 話は少し戻る。CD化企画進行を喜んでいたところ、何と、「クイック・ワン」発売を最後にそれが終わってしまったのだ。それも何の音沙汰もなくである。私は特に「四重人格」のCD化を望んでいたのに、待てど暮らせどCD化の話は伝わってこない。仕方なく輸入盤を漁ることにした。こちらは比較的簡単に入手することが出来た。やはり英米ではザ・フーは特別な存在なのだろう。ことに、「オッズ・アンド・ソッズ」に入っていた「ピュア・アンド・イージー」は、私にとって特別な曲になった。一方、「クイック・ワン」に関しては音質の悪さが気になったし(割れたような録音。レベルが高すぎたのだろうか)、「四重人格」に関してはボーカルがオフ気味だったのが、どうにも不満でならなかった。

 

5.ボックスセット

 1994年になると、ザ・フーのボックスセットが出るという話が飛びこんできた。案の定、発売が延期されたが、それでも7月には発売され一安心した。勿論私は発売日に買ったのだが、特に初期の曲(カバー)の音質が格段に向上していることを喜んだ。特に「アイム・ザ・フェイス」におけるハーモニカ、ギター、ドラムの生々しさは格別だ。その他の曲も、リマスターおよびリミックスされたということだが、正直言って、それほど音質が向上しているとも思えなかった。違いは分かるのだが、格段とは言えない。でも、未発表曲の多さが「買い」だったのである。

 また、同時期にライブビデオ集も発売になった。今までの映像とは格段に違う、ライブバンド、ザ・フーを見ることが出来、堪能できた。派手なライティングや仕掛け(花火だとかその類)は無いのに、音やアクションだけでダレないライブをやってしまうところが、特に凄いと思ったものだ。何よりも生き生きとしている。

 その年、今度はザ・フーの全カタログがリマスター、リミックスされ発売されるという話も伝わってきていた。確か秋口から何回かに分けて発売されたと記憶しているが、前記の噂はデマであって、リマスターされてはいなかった。それに、最も切望した「マイ・ジエネレーション」他3枚が契約問題から発売中止になったことも至極残念であり、シェル・タルミーを恨んだものである。とにかくそれでも、Tシャツ欲しさからか、リマスターではないと知りつつも、何枚か買ったのであった。買ったもう1つの理由は、ライナーノーツが読みたかったからかもしれない。なにしろ、従来のライナーノーツは、どれも誉められたものとは言えなかったからである。まあ「ブーズ・ネクスト」のそれは比較的良かったと今でも思っているのだが。

 

6.リマスター盤

 1996年だったと思うが、遂にザ・フーのCDがデジタル・リマスター、リミックスされて発売されることになった。当初、輸入盤が入って来ていたが、私は騙されるのが嫌で(輸入盤の場合帯が無いので、そういった記述が見付けにくい)、国内盤が発売になるのを待って買った。しかし、今度は間違い無くリマスター、リミックス盤であって、音質やボリューム・バランスが格段に向上していたことを大いに喜んだ。また、多くのボーナストラックも魅力であった。私は、本来ボーナストラック反対派であり、追加するのならば別の盤に興して欲しいと願う者であるが、ここは譲ることとしよう。

 

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