Face Dances

 

 ザ・フーは1978年のキース・ムーンの死後、元スモール・フェイセズ、元フェイセズのドラマーであったケニー・ジョーンズを迎え、再出発を図ることになった。1979年には、2本の映画公開("The Kids Are Alright"と"Quadrophenia")と久々のライブツアーをこなし、1981年になって3年ぶりのスタジオ録音アルバム"Face Dances"を発表している。

 キース・ムーンという掛け替えのないメンバーを失ったことにより、ザ・フーの人間関係は一層すさんだものになって行ったらしい。もともと親密な友人という間柄ではなかったようだが、キースの死はザ・フーに決定的な亀裂をもたらしたようだ。何と言っても、ピートがザ・フーを前進させて行く気を失ってしまったようで、ザ・フーは明かに変質したと言える。ピートは自身のソロ作に傾倒して行き、実際、1980年発表のソロ・アルバム"Empty Glass"が米国で商業的成功(トップ10入り)するということも起こっている。とはいえ、"Empty Glass"は初めから商業的にも成立する作品を狙って制作されているようだし、商業的成功がピートをザ・フーから引き離したとは言えないだろう。やはり、ザ・フーの終末を予感したピートが、ソロ作品へと比重をシフトさせたと考えられるのである。

 さて、ケニー・ジョーンズである。ビデオ版"30 Years Maximum R&B"で、スタジオでのリハーサル中にケニーがアップになるシーンがあるが、ここでの一寸したドラム・プレイを聞いても、「表情豊かな演奏の出来るドラマー」だと思えるはずである。決してキースに比べて技術的に劣るドラマーではない。むしろ、タイム感や小技の使い方はキースより上だと思う。もしも、あるバンドがいてドラマーをオーディションした場合、キースよりもケニーが選ばれる可能性が高いのではないだろうか。

 が、しかしである。ザ・フーは演奏技術としては相当高度なバンドであったが、それ以上のモノを持っていたのである。それはピート、ジョン、キースが奏でる独特のアンサンブルやリズム感覚である。言い方を変えれば、「3人の絡み」ということになるだろうし、それを決定付けたのがキースの特異とも言えるドラミングだったのだと思う。それがケニーに代わったことで、演奏は確実さが増したのだが、「絡み」あるいは「相互作用」という点が後退したことは否めないであろう。

 では、何故ケニーは、ポスト・キースを引き受けてしまったしまったのだろうか。。ケニーはキースと友人であったし、ザ・フーの演奏がどのようなものであるか、良く知っていた一人であるはず。今以て謎である。

 


 前置きが長くなったが、やっと本論に入る。本作"Face Dances"には9曲が収められており、内7曲がピートの作品、2曲がジョンの作品である。本作から米国での配給元がワーナーに代わり、また、プロデューサーはイーグルスなどを手掛けたビル・シムジックが担当している。これは米国マーケットを相当意識しての選択だったと思う。ロジャーのボーカルは比較的大人しく、アダルトな雰囲気を醸し出している。コーラス・ワークも今まで以上に洗練されている(これも良し悪しだが)。バックの演奏は、各楽器が独立した音を出しているように聞え、楽器同士が「絡む」という感覚は少ない。もしかしたら、スタジオで一緒に演奏するということが少なかったのではないか。つまり、個別に録音して、それをミックスするという手法が採られたように思えるのである。

 また、アルバム全体としての雰囲気は、映画のサントラに近いものがある。以前に「四重人格」のことを映画的手法を取り入れたアルバムだと評したことがあったが、それと本作とは全くの別物である。「四重人格」は、音そのものが映像を喚起するような作りであったが、本作は映画のバックで流すことを念頭に置いているような作りである。言いかえれば、「あまり、でしゃばらない」ということである。

 次に、本作の楽曲そのものであるが、特に今までの作品と比べてレベルが低いとは言えないと思う。ピートの作品は、明るく軽やかな曲調のものが殆どであるのに対し、ジョンの作品はヘヴィーであり、ピートの作品については、発表当時は、従来のファンからすれば結構不満があったと想像できるが、今聞いてみれば、かなりの水準を保っていると思う。しかし、ザ・フーは、楽曲がある程度のレベルにあるからOK、というバンドでは無かったはずである。野心的・創造的なバンドだったのであるから。やはり「何か足りない」という思いがよぎるのは筆者だけであろうか。

 そういえば、本作ではピートがリードボーカルらしきボーカルを殆ど取っていない。こういう点にも「よそよそしさ」を感じてしまう。いや、リードボーカルはソロの方で充分だったのか。

 

1. You Better You Bet
2. Don't Let Go The Coat
3. Cache Cache
4. The Quiet One
5. Did You Steal My Money
6. How Can I Do It Alone
7. Daily Records
8. You
9. Another Tricky Day

 

1. You Better You Bet

 シングルA面曲になった曲で、それなりにシングル・ヒットもしている。アップテンポでキャッチーな曲である。ケニーのタイトなドラムがキースと全く異なるためか、逆に新鮮に響く。ロジャーのボーカルは、70年代に顕著だった、苦悩を搾り出すようなスタイルとは異なり、洗練されているが、不必要に叫んでいる所もある。どこか感情が空回りしているように思えてならない。一方、ピートの方であるが、ギターもキーボードも非常に引き締まった音を出していると思う。また(前述だが)、コーラスワークもこれまで以上にきめ細かくなっていると思う。

 歌詞は、表面的には浮気相手とのことを唄ったものであろう。明言されてはいないが、主人公は結婚しているようである(「家に帰るべき」という一節がある)。今までのピートの作品には見られなかった、直接的な欲求表現が目立っている。しかし、男女関係について唄われるのは、2ndコーラス・パート"You better loveme, all the time now..." の所までであり、その後は安っぽいハードボイルド小説に出てくるよな主人公の独白になっている。

 さて、上記のように、浮気相手云々は表面的な話だと思える。歌詞の前半に登場する「お前」とは、ザ・フーの他のメンバーを指しているような気がするのである。例えば、サビのパートの歌詞は、「俺が愛しているというと、お前は『その方がいいよ』と言う」であるが、この心理的距離の中途半端さは、夫婦ならばいざしらず、そうでない男女としてはあまりにも不自然である。となれば、このパートは、ザ・フーのメンバーとの心理的距離感を歌詞にしたとも考えられなくは無いのである。  

 次に先ほど述べた「安っぽい・・・独白」のパートについてであるが、ここは、ピートが再び音楽で世間を驚かせて見せるという決意表明にも取れる。「今でも、カミソリのような文句を唄えるんだ」である。ただし、それがザ・フーというバンドによってなのか、ソロとしてなのかは明らかにされていないのだが。とはいえ、1stヴァースの「古いT-Rexを聞きながら俺は酩酊した/古いT-Rexをね/オー、フーズ・ネクスト」という歌詞があることからして、ソロとしての決意だと思えるのである。

 その他、本論とは直接関係無いが興味深い点について触れる。それは、2ndヴァースの後で「少しだけ愛してくれれば充分だ」という歌詞が出てくることで、これはピートのソロ作品"A Little Is Enough"と同様である。

 

2. Don't Let Go The Coat

 シングルノート主体のエレクトリック・ギターによるイントロで始まる、米国風のアダルトなロックである。ロジャーのボーカルも曲調に合わせてソフトである。途中でマイナー調に一度転調することがあるが、これは当時のピートの好みだったような気がする。

 歌詞は、敗北感を味わっている主人公が、タイトルにもあるように「コートを手放してはいけない」と主張するものである。メッセージを送る相手は、故意にぼやかされているが、どうも自分自身であり、ピートの妻(カレン)であるような気がしてならない。

 なお、この歌詞は単なる「負け犬ソング」ではないようだ。最後のパートでは、ボロボロになり、再び勝利する可能性を否定しながらも、なんとか頑張ると言っているのだから。「退路を断って生きて行けばなんとかなる」という歌詞は、悲痛だが感動的であると思う。

 ところで、キーワードである「コート」にはどのような意味があるのだろうか。普通に考えれば、自分を守ってくれるものの象徴なのだろうが。

 

3. Cache Cache

 曲調は突込み型のアップテンポなパートとスローテンポなパートから成り立っている。イントロ、そしてギターソロとピートのギターが素晴らしいし、ジョンのリード・ベースが聞けるのも嬉しい。これでドラマーが全盛期のキースだったら、とつい思ってしまう。ひょっとしたら、だいぶ前に作られた曲なのではないか。

 ただ、コーラスが雑なのが汚点である。はっきり言って、余計である。

 歌詞は、「熊の見世物囲いの中で眠ったことがあるかい」で始まる。熊云々は、衆人看視のメタファーだろう。他にも色々なシチュエーションが語られるのだが、総じて、ロックスターとして罵声を浴びる側の悲哀を歌にしたものだと思う。可笑しいのは、「そこには熊なんていないのさ/そこには熊なんて一党もいないのさ」という歌詞が繰り返されることである。スターとしての自己を否定しているのだろうか。

 

4. The Quiet One

 ジョンの作品で、ボーカルもジョンが取っている。ボーカルスタイルやメロディは、まるで80年代中期のLAメタル風である。ピートのコードワーク主体のギターとケニーのドラムがしっくり行っていないような気がする。

 タイトルは「静かな奴」、つまりジョン自身のことである。「お前を倒すのには二言で充分だ」という一節は、「二言」という単語の採用も何処か可笑しいが、それは置くとして、ピートの作る歌詞の言葉数がやたらと多くなったことへの揶揄なのかもしれない。

 

5. Did You Steal My money

 ギターとシンセサイザーとのアンサンブルが映える曲。ピアノが隠し味で使われているが、これも良い。シンセ・ギターが使われているようだが、断言は出来ない(クレジットも無い)。

 この曲は、メイン・ボーカルとコーラスが何度も"Did You ・・・"を繰り返している。確かにテンポチェンジがあるのだが、ザ・フーとしては単調な曲に入ると思う。しかし、同時期のストーンズの"Tattoo You"(ピートが"Slave"という曲に参加している)やプリンスの曲を聞くと、「時代の無言の要請」だったのかもしれない。

 歌詞は、「お前が俺の金を盗んだのか」というタイトル・フレーズ以外には、多くを語っていない。ビジネス上のトラブルという実話を題材にしているのではないかと思う。それ故に当事者以外には分からないような、変なエピソードを歌詞に織り込んでいるのではないか。

 途中に、ピートらしからぬ駄洒落("Football"と"Foot fall")があるが、ピートにはこういう単純な言葉遊びの歌詞は書いて欲しくないというのが、正直なところである。

 

6. How Can You Do It Alone

 M5とは打って変って複雑な展開を見せる曲である。イントロはマイナー調で始まるが、すぐにポップスになり、ボーカル・パートに突入する。スカに近いシンコペーションを使ったリズムである。それがサビになるとマイナー調になるのだが、この辺りの展開が少々強引に思える。強引なのが駄目というのではなく、本作の他の曲との連なりのせいで、否定的に聞えてしまうのだろう。途中でスコットランド民謡とマーチをミックスしたようなリズムが出てくるが、ちょっとだけ顔を出しただけですぐに引っ込んでしまうのは、あまり良い策だとは思えない。もっと引っ張るべきだったのでは。というのも、本作の2、3年後にビッグ・カントリーと言うバグパイプ音のギターで名を馳せたバンドが登場しただけに、このアイデアが無意味とは思えないのである。

 歌詞は、3つの話題から成る連作短編集仕立てになっており、内容もトラジ・コミカル調で中々面白い。初めに登場する50絡みの男などは、ピートの自画像を逆転させて書いているのだろう。

 タイトルの「どうやって一人でやれというんだ」は、スタジオで他のメンバーと争ったことが契機となって生まれたのではないか、と邪推してしまうのだが。それとも、バンドの継続とソロ活動とでどちらを重視すべきか悩んでいた時の心境を歌にしたのかもしれない。

 

7. Daily Records

 これもM1と同様にポップでキャッチーな曲。シングル・カットしてもおかしくないような曲である。イントロはシンセサイザーで始まり、すぐにドラムが入ってくるところは、米国のマーケットを意識したようなアレンジである。ドラムのメロディとの絡み方は本作中でも1,2の出来映えといえよう。ギター・ソロは多少もたつきがあるが、ワイルドで素晴らしい。特にドラムとの絡みが良い。ロジャーのボーカルがとても丁寧であることにも好感が持てる。コーラスワークは一寸ヘンといえばヘンなのだが、却って楽しく聞えてしまう。

 タイトルは、日々の記録、つまり日記のことだが、同時にレコード制作にもかけてある。毎日というのは大袈裟にしても、ともかく沢山レコードを制作したいという意思表示なのだろう。それはまた、ザ・フーはあまりレコーディングに積極的でなかったバンド(それがシェル・タルミーとの確執故だとしても)だが、それを何処かで悔いているのかもしれない。また、前半の歌詞を読むと、ザ・フーだけでなく、他のロックンロール・バンドがやってきたこと(それはパンクスによって否定されたことでもある)を批判し、彼等のやり方はもはや通用しないと通告しているようである。

 

8. You

 ジョンの作品で、こちらはボーカルがロジャーである。ただし、上手く唄っているとは言えない気がする。曲そのものも、まあまあの出来だと思う。ジョンのベース(8弦らしい)のリフが聞き所なのだろう。エンディングのピートによるギター早弾きについては、必要性に関して首をかしげてしまう。

 歌詞は、自分の手におえない女性を選んでしまって後悔する主人公についての話である。この女性は高飛車なのだろうか。「相手を変えるには遅すぎる」という下りは、まるでサラリーマン中年男性のぼやきのようであり、ロック・ミュージシャンらしからぬ歌詞である。

 

9. Another Tricky Day

 M1、M6と並んでシングル向きの曲である。ロジャーとピートのツインボーカルは、ストーンズ風である。ピートのパワーコード・ギターとピアノが良いし、メロディも良い。

 歌詞は、本作中の他の曲が自虐的である(ジョンの作品を含めてそうだ)のに対し、この曲で問題を抱えているのは「あんた」の方である。キャッチーなメロディを持ちながら、アルバムの最後の曲になったのは、こういう特異性のためであろうか。

 歌詞の冒頭を読むと、ストーンズの「無情の世界」が連想され、ニヤリとしてしまう(人もいるだろう)。全編に渡って、「あんた」に対し、欲望の虜になることを諌め、耐えること、待つことを説いている。視点はシニカルでいて希望もあるという矛盾した世界観が顔を出しているが、この矛盾こそがピートらしい所以でもある。以下に幾つか例を挙げる。

・世界は螺旋のよう
 「無法の世界」や「イン・ア・ハンド・オア・フェイス」で描かれた思想を受け継いでいるのだろうか。

・人生なんて無価値なタイトルのようだ
 「トミー」や「四重人格」を否定するかのような、虚無感に囚われた物言いである。

・ロックンロールは不滅だ
・このヴビニール盤に全てがある

 「ロング・リブ・ロック」を再び主張しているようにも思えるが、「ロング・リブ・ロック」は願いであるのに対して、こちらは断定である。悟ったというよりは、単なる「ヤケ」であるようにも思えてしまう。これではまるでストーンズだ。当時のストーンズは、アメリカで最もレコードが売れていた時期でもあったから、もしかしたら、ピートが「ザ・フーよりもストーンズの方が結局は正しかったのかもしれないな」、と思っていたのかもしれない。

 

(2000-8-15)

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