Empty Glasss
01. Rough Boys
02. I Am A Animal
03. And I Moved
04. Let My Love Open The Door
05. Jools And Jim
06. Keep On Working
07. Cat's In The Cupboard
08. A Little Is Enough
09. Empty Glass
10. Gonna Get Ya
ピート・タウンゼンドが1980年の春に発表したソロ・アルバム「エンプティ・グラス」は、彼の実質上の1stソロ・アルバムと言われている。確かに、「フー・ケイム・ファースト」は、所属レコード会社の要請が発端となっているし、「ラフ・ミックス」にしても、ロニー・レインとの共作であり、趣味の延長と言えるのかもしれない。何よりも異なるのは、ピートが前2作を、「売れなくても構わない」と思っていたフシがあるのに対し、本作は、商業的な成功をも視野に入れた作品である点である。
本作は、キース・ムーンの死後に制作されている。ピートは、キースの死によってザ・フーとしての活動は無理になると考えていたのであろう。その分、自身のソロ・アルバムの方へ傾倒していったと考えられる。ただし、その割には、ケニー・ジョーンズをザ・フーのドラマーに迎えていたりするわけで、このあたりの心情は、部外者からすればどうにも理解しがたいものがある。恐らく、複雑な事情があったのであろう。例えば財政問題などである。
本作を一言で表すと、「ピート・タウンゼンドのボーカル・アルバム」になると思う。ザ・フーは、ビートルズのような「初めにボーカルありき」のバンドではなく、「ボーカルは4分の1の要素」のバンドであった。それに対し、本作ではボーカルが前面に押し出されたミックスになっており、楽器はあくまでも「バッキング」を務めているのである。もともと、ピートのボーカルは高音で線が細いのが特徴で、それはソロ・シンガーになるには問題ありだったが、本作を聴くと、ソロ・シンガーとしても充分やっていけるのでは、と思えるような出来である(もちろん、抜群という程ではないが)。
一方、バッキングの方だが、ピートのソロ作というと、シンセイサイザーの多用という印象が強い。確かに、「フー・ケイム・ファースト」と比較すれば、そうではあるが、しかし本作においてギターやピアノが使われていないわけではない。特に、ピアノの使い方などは、ザ・フーの時よりも優れているのでは、と思える箇所もある。一方、ギターに関しては、残念ながらそれほど印象深く感じられない。これは、ギターを軽視したのではなく、ピートの頭の中に、「自分のギター・プレイは、ジョン(・エントウィッスル)やキースとの絡みでこそ最高の魅力を発揮する」という観念があったからではないかと思う。
次に楽曲自体について触れる。M1、M4、M8は非常にポップなメロディを持っており、シングル・ヒットを充分狙えるような出来ではある(実際M4はビルボードでトップ10ヒットとなっている)。しかし、全体的には複雑なメロディ展開が主流を占めていると思う。つまり、「売れればそれが正義なんだ」的な作品ではないだろう。商品としての面を高めたのは、むしろプロデューサーのクリス・トーマスに負うところが大きいような気がする。
なお、本作では3人のドラマーが起用されている。ケニー・ジョーンズ、サイモン・フィリップス、ジェームス・アッシャーである。ドラマーを使い分けた事情は全く知らぬところであるが、中には、「『キース・ムーンは、他のドラマーなら3人分くらいの重みがある奴なんだ』とピートが仄めかしているのだ」、と深読みする人もいるであろう。
以下、各曲ごとの解説を述べる。
M1は、シンセサイザーの壮大なバッキングで幕を開けるが(ギター・シンセらしい)、アップテンポで耳に残り易いメロディの曲である。ドラマーはケニー・ジョーンズであり、ジョーンズが叩いているのはこの1曲だけである。ベースとの絡みという点では、ケニーは他の二人のドラマーよりも「上」だと思う。ただしそのベースも、ジョンのスタイルとは相当異なり、ルート音をブンブン鳴らしてリズムを刻むスタイルである(ピートが弾いているらしい)。
この曲は、ピートの娘二人とセックス・ピストルズに捧げられているそうだが、いずれにしても、歌詞の内容からは、そういったことは読み取りづらい。歌詞カードに目を通しただけでは、「不良少年に恋をしてしまった中年オヤジ」としか解釈しようがないと思う。あ、ピート自身がピストルズに恋してしまったのか。
M2は、ピートのファルセット・ボーカルを大々的にフィーチャーした曲。ただし。地声の方が個人的には好きだが。ドラマーはサイモン・フィリップスで、この人の場合、左から右に定位を幅広く使って録音しているという特徴が他の曲でもみられる。フィリップスの場合、安定度は抜群なのだが、どうもスリルに欠けるような気がする。
なお、メロディの展開は一寸強引過ぎるような気がする。
歌詞は、過去も未来も全てが失われたと感じている主人公の心情を唄ったものである。しかし、1stヴァース(そして、その後2回登場する)は、主人公の言葉なのだろうか。
「頭を使って愛を集めよ/全ての記憶はずっと残るものだから/そうすればあなたも私を分かるようになるでしょう」
日本語にすると、人称代名詞一つで印象ががらりと変わるものだが、それを差し引いても、このヴァースは主人公へ向けての「天の声」のように思えるのである。
M3は、これもドラマーはフィリップスであるという点はさておき、いかにも80年代的なアレンジが施されている。後の、「ストック・エイトキン・ウォーターマン」とまでは行かないけれども。ただし、興味深いのは、生ピアノを使って80年代的な音を出している点である。
歌詞は、同性愛でないことを前提とすれば、女性が主人公のラブソングである。「戻ってきた男を迎える女」というシーンをカットした内容になっているが、この男女の裏事情についてあれこれ憶測したくなるような歌詞である。
なお、ピートが女性の視点で歌詞を書くというのは、非常に珍しい。だが、男が帰ってきて涙を流すという下りには、「男の弱さ」を書き続けてきたピートらしさが現れているように思える。そもそも、この歌詞は"him"を"her"に置き換えても全く問題のない内容なのである。
M4は、シンセサイザーとバッキング・ボーカルによって支えられている曲で、特に、"Let my love open the door"というコーラス・パートが耳に残る。ただし、どこか物足りない気がするのも、ザ・フーのファンとしては正直なところである。
歌詞は、ラブソングの体裁を取ってはいるが、男女間の恋愛のみならず、もう少し広い意味での「愛」と考えられる。主人公が訴えかける相手は、自閉的で愛情に関心がないのか、もしくは過去に負った痛手を引きずっているか、そのどちらかのようだ(この両者が絡み合っていることも多いだろうが)。だからこそ、「僕の愛で君の心の扉を開いてあげよう」なのである。
ピートが愛についての歌詞を書いたことが驚きではある。しかし、ピートはその手の歌詞を書くのが得意でないことは、変わっていなかったようだ。この歌詞で使われている表現は、ありきたりと言わざるを得ないし、最後の1行「(君は)僕がそばにいて幸運なんだよ」は、特にいただけない。
M5は、ピート風のロックンロールと言えばいいだろうか。一寸だけ黒人音楽の要素がメロディから感じられる。冒頭でのドタドタしたドラミング(この曲では、ジェームス・アッシャーが担当している)を含めて、M1と並んでドラムに冴えが感じられる。また、ピートのファルセット・ボーカルもこの曲に関しては良いと思う。
歌詞は、ジュールとジムというライター二人への徹底した罵倒である。「やつら、キース・ムーンが死んでも、屁とも思っちゃいないってさ」という歌詞があることから、実話を元にした歌詞であることは間違いなかろうが、ジュールとジムが実在の人物であるかは定かでない。
ところで、この歌詞は確かに上記の二人あるいはマスコミ批判なのだが、どうも怒りの矛先は、マスコミだけにとどまらず、記事を読んで喜んでいる読者にも向けられているように思える。
なお、最後の「オクラホマ、オクラホマ? OK?」という歌詞は、オクラホマの郵便上の略称が”OK”であるというダジャレなのではないか?
M6は、60年代のザ・フーを少しばかり感じさせる曲調である。バンジョーが鳴っているように聞こえるのだが、ジャケットにはそのクレジットがない。本作中、一番生楽器を重視したアレンジになっている。
タイトルは「働き続けろ」だし、歌詞中でもこの詞が何回か繰り返されるのだが、決して最重要な詞ではない。むしろ、家族といることの幸福感や愛情の発露が主題だと思う。しかし、幸福感や家族愛とは言っても、非常に控えめな表現に徹しており、そのあたりはピートらしいな、という気はする。別の言い方をすれば、幸福を一時的な幻想と考えてしまうということだ。
M7 M6とは一転して、分厚いアレンジが施されている。本作中、フィリップスが叩いている曲の中では、個人的には一番の出来だと思う。
歌詞は、食器棚上の猫と高級街にいるドブネズミについて唄ったものだが、これらが、ある人間のメタファーであることは自明だと思う。猫が上流階級(含む貴族)で、ネズミが労働者階級、そして英国での階級制度が崩れ始めたことを唄っているのではないかと思う。とすると、「お前」とは何か? いずれにしても、言葉数が少ないので、聞き手に解釈を委ねていることは確かなのだが。
M8は、本作中でピートが最も気に入っている曲らしいが、筆者も同感である。シンセサイザーの音は、現在の耳からすれば、一寸安っぽく聞こえることなきにしも非らずだが、明解なメロディとメリハリのあるドラムによって救われている。ただし、エンディングのフェード・アウトして行くパートは、その必然性がよく分からない。
歌詞に関しても、途中にエロティックなメタファーを挟みこんだりしていて、工夫の跡が窺える。個人的には本作中一番の出来だと思う。
それまでのピートは、エロティックな歌詞を殆ど書かなかったし、書いたとしても仄めかす程度であることが多かったが(「リリーのおもかげ」や「メリー・アンヌ」の歌詞を参照のこと)、何か心境の変化があったのだろう。続く、1981年にザ・フーのシングルとして発売された「ユー・ネター・ユー・ベット」では、ピートとしてはきわどい歌詞を書いているのである。
M9は、タイトル曲である。ピートのボーカルは、熱のこもったシャウトと優しい歌唱を行ったり来たりしており、非常に魅力的な仕上がりになっている。バッキングの中心はシンセサイザーだが、それよりも2本のエレクトリック・ギターやフィリップスのドラミングの方が印象深い。
歌詞は、ピート自身が自暴自棄になっていたことが窺える内容になっている。「空のグラス」とはピート自身の投影に他ならないことは、多くの人に分かってもらえると思う。
「今、チャンスは俺の手の中に」、「ギターと鏡があれば、俺はスター」といった歌詞は、前向きな意思のように捉えられそうだが、全体としては、苛立ち、虚無感に支配されている。この曲はキースの生前に作られたものらしいから、キースの死というよりは、キースが破滅への階段を転げ落ちて行く様子を横目で見ながら、出来たものなのだろう。
M10は、当時のザ・フーのスタイルに最も近いアレンジになっている(コーラス含む)。ギターの切れ味も健在だし、ドラムのフィル・インの入れ方(ドラマーはフィリップス)も良いが、それ以上に、ピアノによって生み出されるグルーブ感が良い。
歌詞は、一体何を言いたいのか全く不明である。ライミング・スラングなのだろうか。そういえば、歌詞の"ya"もスラングだ。
(2002-3-2)