Who Are You

 

 "Who Are You" は1978年8月に英国で発表されている。前作の"The Who By Numbers"から約3年振りの新作であるが、大規模ツアーがあったにせよ、少し間隔を置きすぎていると言えなくは無い

 前作発表後から本作までにロック界で起こった最大の動きは、パンクの勃興であろう。殆どの大物ミュージシャン達はパンクスによって否定された。何故パンクスが大物達を否定したのかというと、考えられる大きな理由は2つあって、
(1)若者とあまりにもかけ離れた生活をしているミュージシャンが嘘臭く映ったこと(80年代後半の英国におけるU2批判と同様であろう)、
(2)ロックがテクニック中心に陥り、誰でも出来るロックが失われたこと、
であると思う。

 では否定されたミュージシャンたちはどう反応したかというと、その殆どは、沈黙するか、躍起になって否定するか、「中にはいいものもある」と、あたり障りの無いコメントをするかのどれかであったらしい。躍起になって否定派の代表格がストーンズだが、その割りには1978年発表の「サム・ガールズ」では、相変わらず流行に目が利くところを見せている。

 では、ザ・フーはどうだったのだろうか。ピートがツアー撤退宣言をしたのは、パンクの登場にショックを受けてのことだったらしい。もともと、スタジアム・ツアーに居心地の悪さを感じていたピートらしい反応である(とはいえ、撤退宣言は1979年になって撤回され、その後も収容人員のせいもあるのだろう、ライブの殆どは大会場で行なわれることになるのだが)。また、ピートはパンクスにもっとも好意的な発言をしていたことでも有名で、「彼等がロックを救うだろう」という主旨のコメントを残したりもしている。

 その一方で、スタジオ・アルバムとして発表したのが、前記の"Who Are You"である。先ほどストーンズの例を書いたが、大物ならば、これまでの路線を踏襲して円熟化を図るか、若者に擦り寄るかのどちらかであろう。ところが本作はそのどちらでもない。しばしば、パンクをオイディプス・コンプレックスと結びつけて「父殺し」と表現されることがあるが、ザ・フーは、若者迎合あるいは頑固親父といった自己保身ではなく、先に進むことで、巨大な存在として立ちはだかったのである。ただし、ピート以外の3人は、この思想に乗り気ではなかったような気がする。

 本作を耳にしてまず感じるのは、シンセサイザーの多用である。ストリングス音もシンセサイザーで出しているかもしれない。シンセサイザーは、「フーズ・ネクスト」や「四重人格」でも使われているが、それらと本作を時系列に並べて論じようとすると、徒労に終わると思う。どういうことかと言うと、「フーズ・ネクスト」と「四重人格」では、前者の無機質性に対し後者では生楽器に接近した感触がある。それなのに、本作では、「ババ・オライリィ」のイントロの無機質性を更に押し進めたような使い方がされているのである。代表的なのが、M3とM9であろう。その一方で、ストリングス音は、「四重人格」のタイトル曲での「いかにも作り物」というサウンドから、より一層本物の弦楽器に近い音になっている。この新規性と回帰性の交錯は、一体どこから来ているのだろうか。「ザ・フーは矛盾に満ちたバンドだから」で済めば簡単なのだが。

 その一方で、ピートのギターはあまり目立ってはいないのだが、フレーズではなくギター・トーンそのものへのこだわりが強いアレンジになっている。元々シングル・ノートよりもコードプレイを得意とするギタリストであるから、音の響きに鋭敏な感覚の持ち主であることは分かるのだが、本作では、シングル・ノートにおいても微妙で繊細なトーンの使い方が際立っている。

 ジョンは自作のM6でヘヴィなベースを弾いているが、その他の曲では今までのようなリード・ベース奏法を控えている。代わりにシンセサイザーに手を出したらしい。しかし、本作でのジョンの貢献度は、演奏よりも作詞・作曲面で認められるべきであろう。9曲中3曲をジョンが提供しているが、特にM2、M3は歌詞の面でもジョンが成長したことが分かる(M6はそうとは言えないような気がする)。また、本作ではピートよりもジョンの作品の方がポップで聞き易いという逆転現象が起きている。

 さて、筆者として辛口にならざるを得ないのが、ロジャーとキースである。ロジャーはこの頃になるとボーカリストとして安定しているのだが、それがどこか物足りなさを感じてしまう。ロジャーにとっては、常に前進するバンドとしてよりも、安定した作品を生み出すバンドとしての方が居心地が良いのだろう。それは理解できるのだが。
 キースの場合、ドラッグやアルコール中毒の問題もあって、かつてのようなひらめきをドラミングで聞かせてくれなくなってしまっている。もちろん、幾つかのパートでは面白いアイデアが聞けるのだが、全体的に衰えを感じてしまうのである。そして、本作発表から間も無くして、キースは他界してしまうのであった。

 本作を総括すると、前進しようとする意気込みが感じられるが、何処かに足らなさを感じてしまうアルバムと言えるだろう。前述の通り、ピートは本作によってパンクへの回答を表そうと考えており、実際その目論見は概ね成功しているのだが、他の3人は、その思想性に共感できなかったと思えるのである。他の3人は前進よりは安定を望んだのであろう。それは、ジョンのポップな曲、ロジャーのボーカルを聞けば、分かると思う。

 

1. New Song
2. Had Enough
3. 905
4. Sister Disco
5. Music Must Change
6. Trick Of The Light
7. Guitar And Pen
8. Love Is Coming Down
9. Who Are You

 

1. New Song

 ミディアム・テンポのキャッチーな曲。ザ・フーにしては躍動感があまり感じられないが、キースのエネルギーンが不足しているためだろうか。ギターは前述の通りトーンにこだわった弾き方である。シンセサイザーがもう1台のギターとしての役割を負っていて、シングル・ノート、コードどちらにしてもギターの感覚をシンセサイザーによって出していると思う。

 歌詞は、「君(達)は新しい歌を必要としている」で始まる。ここでの「君(達)」は、評論家、古くからのファン、もやもやを抱えた若者、といった者達全てに当てはまると思う。これに対して、2行目では「僕が言葉を提供しよう」と唄われるのだが、問題はその後に続く、「長くはかからないさ/でも昔の何かを盗作する危険性はあるけどね」という下りである。一見したところでは、ベテラン作詞作曲家の居直りと取れなくも無い。しかし、深読みすれば、
 「君達は新しい歌、時代に即した歌を要求しているけど、それは本心なのかい。昔僕が書いた曲とよく似たものを発表した方が喜ぶんじゃないのかい」
と、逆に問いかけているようにも聞えるのである。つまり、本作の紹介とでも呼べばいいだろうか。
僕らザ・フーの新作はこれまでとはまた違ったものになった。それは、君達がそう要求したからでもあるんだ。でも、どうなんだい?」、とピートがリスナーとしての責任を問うているのである。

 蛇足ではあるが、「僕等は古い瓶に入った新しいワインを飲む」という下りは、新約聖書の一節「新しいワインは新しい皮に盛る」をもじったものであろう。ピートがキリスト教に対して共感していなかった面が表れているようで面白い。

 

2. Had Enough

 ジョンの作品であり、本作中では最も良い曲だと思う。シングルとしてはB面に収められただけであったが、ジョンにしてみれば不満ではなかったか。リードボーカルは久々にロジャーが取っている。この曲を聞くと、本作では、キースのドラミングはジョンの作品の方が合っていると思う。

 シンセサイザーが2台使われているようだが、1台はギター代わり、もう1台はストリングス代わりであろう。ブラス楽器を含めて、オーケストレーションという面で優れたアレンジである。また、コーラスワークも今まで以上に練られた仕上がりになっている(本作全体がそうであるが)。

 歌詞はタイトル通り、「全て、もう沢山だ」という気持ちが唄われている。「四重人格」にも "I've Had Enough" と言う曲が収められていたが、それと似たような感情を唄っているようで、両者には少しばかり差異が認められる。それは、"I've Had Enough"は独り言であるのに対し、こちらの曲は他人に向けられているという程度であるのだが。

 

3. 905

 これもジョンの作品である。イントロはコンピュータ音楽そのものである。メロディはシンプルで覚え易いが、それを以って「単純過ぎてつまらない」という批判をすることは、間違っている。歌詞からすれば、こういうメロディが相応しいのだから。アレンジも殆どがシンセサイザーによって支えられており、ギターは中盤に少しだけ加わる程度である。ベースもシンセ・ベースを使っているように聞える。

 歌詞は、クローン人間の独白という体裁を取っている。聞き手はこれによって、自分達とは関係の無い未来社会のことだと思ってしまうだろうが、実はそこに落とし穴がある。ここに登場する主人公は、本人に言わせれば、感情の無いしゃべり方をする没個性”人間”である。そして、この曲のサビのパートでは、

僕の知っていることは知る必要のあることだけさ
僕のすることは既に誰かがやったこと
僕の頭に浮かぶ言葉は既に誰かが言ったこと

と唄われているのである。発表当時だったら、これはパンクへのジョンの反論と取れたような気がする。しかし、この部分を今の観点から再度読み直してみると、実に90年代的な言い回しであることがわかる。それは、サンプリングという手法を大胆に取り入れたヒップ・ホップだけでなく、90年代を代表するロック・ミュージシャン達の発言(マイケル・スタイプ、カート・コバーン、レディオヘッドetc)によっても明らかだと思う。そして、この曲はM1と以上のような観点において通じているのだと思う。

 

4. Sister Disco

 この曲でも、シンセサイザーによるストリングス音が多用されている。イントロ無しでいきなりボーカルパートに突入する構成は、ザ・フーとしては珍しい("The Kids Are Alright"はそれに近いが)。この曲はボーカルパートだけで4部から成り立っているが、かつてのミニ・オペラとは違い、極端な展開とは思えない。それはともかく、本作中で、往年のファンが最も喜ぶ曲ではないかと思う。アップテンポでビートが利いているからだ。もちろん、中盤でのテンポチェンジもザ・フーが得意とするところである。このテンポチェンジしたスローなパートは2部に分かれており、第1のパートではピートがボーカルを取り、第2のパートではロジャーがボーカルを取っている。他のアップテンポなパートでのリードボーカルはロジャーが取っている。

 ピートのギター・カッティングは、シンバルを思わせるような弾き方である。キースの特徴であるシンバルを敢えてギターで表現しているあたりは、ピートがキースの演奏能力を最早高く評価しなくなったためだろうか。

 後半に差し掛かるところで、アコースティック・ギターのインスト・パート、"Won't Get Fooled Again"に良く似たリフ・パートがある。"Won't Get・・・”では豪快なリフであったが、この曲ではコンパクトな仕上がりである。

 エンディングのアコースティック・ギターは、「流石はピート」と思わせる達者な演奏である。

 次に歌詞について解説する。1stヴァースは、転機を迎えたと思いこんでいる男の回想である(過去形になっている)。主人公が病院から出てきた場面なのだが、病院に入れられた原因については全く以って不明である。勝手に推測すれば、外科あるいは精神科だろうと思えるが、それ自体は本質的ではない。主人公がかつて敗者であったことが説明されているのだ、と捉えておけば良いのだろう。

 次がサビに相当するのだが(コーラス・パート)、「あばよ、シスター・ディスコ」という台詞が何度も繰り返される。表面的にはデイスコの女王に対する罵倒である。最後に "deaf, dump and blind" という歌詞を入れ込んだあたりは、ピートの遊び心であろう。

 その次にピートが、「あばよ、シスター・ディスコ/俺は行くぜ/音楽が俺の魂にハマる所へな/俺は自制心を失わない/通りの闘いの声が消えるまでは」、と唄う。ここのパートを読むと、ピートは当時のディスコ・ミュージックに対して、ストリートとは無関係のお気楽な音楽だと思っていたのだろう、と推測できる。

 その次は、ロジャーがプロポーズの台詞のような歌詞を唄う。ここまでの歌詞に脈絡があると考えると、ここのパートは、プロポーズの台詞ではなくて、主人公に他人をいたわる気持ちが備わったことを表しているのではないだろうか。すなわち、パンクという新しいストリートの音楽を得た主人公は、それによって内面が強くなり、他人への思いやりの気持ちが芽生えた、ということである。

 ということは、この曲は、パンクの到来を賞賛するピートの気持ちを、一人称の物語風な歌にしたものなのであろう。それは、この後のパートに、「さあ、俺はひざまづいて祈るよ」という一節があることによっても、裏付けられると思うのだが。

 とはいえ、ロジャーの歌唱法からは、以上のような感情が上手く伝わってこない。やはり、ある種のミュージカルに登場するようなマッチョな男が、格好つけて口説いているように聞えてしまうのである。

 

5. Music Must Change

 奇数拍子を用いたスローな曲。そのためか、キースはこの曲ではドラムを叩いていない。足音やギター・トーンは映画のサントラを思わせる作りである。シンセサイザーの使い方は、M1、M4に比べると、正統的な感がある。ところで、エンディングのファルセット・ボーカルは、誰が唄っているのだろうか。

 次に歌詞についてであるが、タイトルでもある、 "Music must change" は、一般に「音楽は変わらねばならない」と和訳されているが、歌詞を読んでみると、「音楽は変わるに違いない」と訳しても構わないと思える。

 例えば、1stヴァースを取り上げてみると、前半では、(ポップ)音楽はストリートの声に応えるべきものであるにも関わらず、現状ではそうなっていないという意味の歌詞が出てくる(かなり意訳している)。しかし、その後の "But the high has to rise with the low"以降の歌詞は、上記のどちらにでも取れるものである。前者の解釈では、ここの部分を、「今の危機的状況は大したことは無さそうに見えるかもしれないが、大きくなってからでは遅すぎる」と、受け取ることになる。だからこそ、「音楽は変わらねばならない」のである。
 一方、後者の解釈では、「変革の期は熟している。それはまだ小さい動きだが、バカにしてはいけない」と、受け取ることになる。だからこそ、「音楽は変わるに違いない」と唄うのである。すなわち、パンクへの共感である。実は、この解釈は2ndヴァース後半そのものでもあるのだ。

 ところで、このような大きなメッセージを歌にしておきながら、最後のパートでは、以下の歌詞が登場する。

でもこの歌が以前のものとそれ程違うだろうか?
俺は同じことを繰り返しているのだろうか?
それは以前やったことかもしれない
でも、音楽は開かれた扉なんだ

 要するにM4のサビのパートと同様の言葉を繰り返しているのだが、初めの3行でシニカルな視点になり、最後の1行では楽観的になっている。恐らく最後の1行こそ、ピートが最も言いたかったことなのだろう。つまり、「ザ・フーがこれからもクリエイティブであり続けることは困難だろう。しかし、誰かが後を次いで、新しい音楽を作って行くに違いない」ということである。

 

6. Trick Of The Light

 ジョンの作品であり、本作中最もヘヴィな曲である。8弦ベースが終始唸りっぱなしである。また、キースのドラムも本作中では最もキースらしいと思わせる出来であると思う。ピートは2台のギターをつかっており、右チャンネルでは、1970年前後のライブにおけるインプロビゼーションでよく使ったコードプレイが聞かれる。コードプレイも良いが、チョーキング・ビブラートのトーンはそれ以上の良さである。

 歌詞は、娼婦との一夜をそのまま唄ったものであろう。しかし、こういう題材を選んだ場合、例えばミック・ジャガーあたりだと、相手の女性を見下したような視点から歌詞を書くだろうが、ジョンはザ・フーのメンバーだけあって(?)、男優位の歌詞にしていない。情けない奴といえば情けない奴が主人公である。かといって、ブルースの歌詞世界に登場する情けない男とも質が異なる。

 さて、この歌詞は、ライブ・バンドとして名高かったザ・フーへの懐疑を唄ったものと解釈できないだろうか。この場合、女性は観客と考えるのである。例えば1stヴァースにおける、「決り文句の告白を口にするあの女」という一節は、ライブで観客が熱狂しているのは、「お約束の振る舞い」ではないかという懐疑である。また、2ndヴァースにおける「もっとお前を深く知りたい/でも、そんな台詞をお前は何度も聞かされたんだろうな」というのは、ロックバンドの発する言葉は、もはや陳腐過ぎて嘘にしか聞えないのではないか、という懐疑である。

 

7. Guitar And Pen

 全体としては、コメディ映画、演劇のBGMを思わせるようなアレンジの曲である。ところが、「ババ・オライリィ」のイントロにおけるシンセサイザーをもっと可愛くしたようなイントロで始まる点が面白い。普通ならば、ミスマッチになるのだが、この曲では両者が上手く共存しているのである。その後ピートによるハイポジションのシングル・ノートの演奏が聞こえ、ボーカルパートに突入する。ロジャーのボーカルはオペラ風であるが、これはロジャーの得意技でもあるだろう。

 ピートのギターは、全体的に目立っているし、素晴らしい出来であるが、特に1stヴァースと2ndヴァースの中間部での演奏は特筆すべきものがある。コード・カッティングでこんなことをやる人が他にいるのだろうか、と思ってしまうほどだ。

 それと、本作中唯一と言えるだろうが、ジョンのトレブル・ベースが聞ける曲でもある。

 歌詞は、唄いたいことがあるのに、くすぶっている若者に宛てたメッセージではあるが、実は自伝的な内容をストーリー形式にしたものであると思う。

1stヴァースでは、そのくすぶっている若者の姿が簡単に描写されている。ここでの意味深な歌詞は、「君の手は唯一の一人を握り締めている」だろうか。この場では、「"Pictures Of Liliy"を参照のこと」と書くに留めることにしよう。

 2ndヴァースは、前のヴァースを引き継ぐ内容ではあるが、主旨は、「壁を蹴るだけじゃ何も起こらないよ/腰を据えなければ言葉は動き出さない」という下りに集約されており、これは、、パンクの基本思想である、「誰でも始められる」に対する忠告だと取れるように思える。

 3rdヴァースでは、唄い始めた若者が、最初は上手く行かなくて投げやりになっていたが、ギターを手にした途端に、自分の才能に気付く、というストーリーが描かれている。
「君は書くべきものを見つけた」で、このヴァースは終わるのである。

 4thヴァースでは、カリスマと化した「君」の姿が描かれる。しかし、スターとなったその若者は、次第にストリートから離れて行こうとしている。「金や名声は、本当に君が望んだものだったのかい」、これは当時のパンクに宛てたメッセージというよりも、ピート本人に宛てているのだろう(第一、当時のパンクに金があったのかといえば、そんなことはないだろう)。
 結論として、このヴァースは「何を失っても、ギターとペンがあるじゃないか」で締め括られる。

 5thヴァースは、若者とその母親との関わり合いを描いている。若者は母親に認められたいと願うのだが、それはかなわない。若者は一旦は挫折するが(ギターを投げつける)、気を取り直して曲を書き始め、商業的に成功を収める。すると母親は子供を認めるようになる。これが、このヴァースのストーリーである。母親のキャラクター設定を見ると、ピートの母親像は、30代になっても以前とあまり変わっていないように思える。だが、皮肉かつユーモラスに母親を描いている点が好ましいと思う。それと、「そんな惨めな関係こそが、曲を書く原動力になる」と主張しているようにも思える。
 なお、、このストーリーは実話ではないだろう。

 

8. Love Is Coming Down

 本作中最もアダルトな雰囲気を持った曲。きっと、発表当時は最もそっぽを向かれた曲だろうし、筆者も正直言って気に入ってはいない。とはいえ、ストリングス音やコーラスワークは、曲の雰囲気に最も合っていると言えるだろう。ロジャーもナルシスティックなボーカルを聞かせているが、これも曲の雰囲気にぴったりだ。ちなみに、もしもビデオをつくるのなら、真っ黒な背景に白い雪が降っているところで、ロジャーが横顔を見せながら唄っている光景にするのが適切だと思うのだが。

 歌詞は、スター稼業を辞めたいとの願いを唄ったものであろう。主人公のその願いはだいぶ前からあったとされていて、都合4回もチャンスを逃したとされている。もっとも、この数字自体には大した意味はないだろうが。しかし、そんな歌詞の大意と、タイトルの「愛がやって来る」とがストレートには結び付かないのである。こじつければ、「僕には君がいるから、もう1度人生をやり直してみようとする勇気が沸くんだ」という意味に取れなくは無い。

 

9. Who Are You

 タイトル曲は、これまでザ・フーが実験してきたアレンジを集大成したような仕上がりであり、もちろん本作中で最も意欲的な曲だと思う。長いイントロは、繊細なギター・トーンと「ババ・オライリィ」を連想させるシンセサイザーによって支えられている。中盤の間奏部は、よく言われていることだが、アコースティック・ギターの演奏が素晴らしい。この演奏は、アコースティック・ギターでシンセサイザーのループ音のような感覚を出そうとしたものではないだろうか。また、ピアノが隠し味として使われていることも挙げておく必要があるだろう。 

 歌詞は、エピソードを折りこみながら、「あんた誰なんだい」という短い文句をサビで唄っており、全作中の"How Many Friends"と同傾向の形式と言えるだろう。エピソードは3件取り上げられているが、どれもスター生活による疲弊に関する話である。主人公が「本当に大変なんだぜ」と言っている割りには、どれもこれもコミカルである。

 1件目のエピソードは、酔いつぶれた主人公を警官が叩き起こし、「とっとと家に帰れ」と脅す場面である。この警官が主人公の名前を知っていたというのがミソであり、ロック=反体制は遠い昔のことであることが、仄めかされている。ロックスター=札付きのワルという解釈は、この場面では無理だろう。もしそうであるならば、警官は家に帰さずに、警察署に引っ張っていたからである。つまり、この警官は言葉遣いは乱暴であるが、主人公に対して何ら敵対していないのである。

 2件目のエピソードは、都会の喧騒を抜けだし、田舎に帰ってきたことが唄われている。
「11時間にも及んだ騒ぎ/神よ、他に道はないのかい。」
どんな騒ぎだったのか全く不明である。マスコミ陣のことなのか、ファンのことなのか、ビジネス上のことなのか。それら全てかもしれない。

 3件目のエピソードには、初めて"you"が登場する。恋愛感情が冷めてしまっているのに、表面の行為だけ取ってみれば恋愛が続いているような状態が唄われている。もちろん、"you"がファンであると考えても間違いではないと思うし、また、スターとして「仮面状態」を続けざるを得ない姿を歌詞にしたと解釈することも可能である。

 どのエピソードを取り上げてみても、人間関係が白黒はっきりしないことへの苛立ちがうかがえる。「あんた誰なんだい」とは、「あんたにとって、俺はどういう存在なのか教えてくれよ」という意味なのではないだろうか。

 

(2000-7-8)

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