1. Sunday Morning
2. I'm Waiting For The Man
3. Female Fatale
4. Venus In Furs
5. Run Run Run
6. All Tomorrow's Parties
7. Heroin
8. There SHe Goes Again
9. I'll Be Your Mirror
10. The Black Angel's Death Song
11. European Son
本作はザ・ベルベット・アンダーグラウンド(以下VU)の1stアルバムである。発表は1967年である。本作が彼らの最高作かどうかは別として、少なくとも彼らのアルバムの中で最も有名な作品であることは間違いないと思う。その理由としては、ジャケットによるものが大きいような気がする。
表のジャケットはアンディ・ウォーホルがデザインしたバナナである。ご丁寧にもウォーホルの署名入りである。そっけないデザインとも思えるが、どうもポップ・アートとはそういうもののようだ。つまり、日常見なれたものを敢えて作品とすることである。
さて、タイトルにもあるように、本作にはフランス出身の女性ニコが参加している。ニコがボーカルを取るのは、M3とM9である。ニコが参加している必然性は殆ど感じられないのだが、「事情」があったのだろう。その辺については、追求しないでおく(怠慢といわれればそれまでだが)。
今では、「是非聞くべきロック・アルバム」の中に、必ずといっていい程選ばれる本作だが、当時は全く売れなかったらしい。ウォーホルは当時既に有名だったはずだから、そのお陰で売れてもおかしくは無かったと思うのだが。あるいは、プロモーションを殆どやらなかったのであろうか。しかし、ウォーホルの名言「誰でも15分間だけ有名人になれる」からすれば、これも妙な話である。
では、本作が大衆にとってとっつきにくい作品であるかといえば、そんなことはないだろう。例えば、M1、M6、M8、M9など、AMラジオで流すのにも適していると思う。M7、M10、M11のような前衛的な曲も入ってはいるが、当時はまだシングル・レコードの時代である(「サージェント・ペパーズ」が発表されたのが、奇しくも同じ年ではあるが)。いくら考えても、この辺のことは分からないままである。
本作を通して聞いて見ると、ルー・リードとスターリング・モリスンによる、元祖ガレージ・パンクとでも言うべき、ギター・サウンドが印象的だが、実は上記のようなポップス調の曲があってこそ、より魅力を感じるのかもしれない。「味の対比作用」という言葉があるが、音楽にも当てはまると思う。ただ、難点を挙げるとすれば、モーリン・タッカーのドラムであろう。はっきり言って稚拙だし、単調過ぎる。だが、M5で聞けるように、単調さ故に陶酔感をもたらすことがあることも、指摘しておきたい。「マントラ」がそうであるように。
次に歌詞について述べる。M10の文学性は相当なレベルだと思うが、他の曲に関してはそれほどではないというのが、正直な感想である。もっとも、デビュー作ということを考えれば、レノン&マッカートニー、ピート・タウンゼンド、レイ・デイヴィスといった人たちと比べて、遜色があるわけではない。
興味深いのは、視点が対象から独立した形式の歌詞が目立つことである。これはどういうことかというと、男女関係を歌にしている場合、多くは「俺は君が・・・」という形式になるものだが、本作における「お前」は、歌い手から見て恋愛や憎悪の対象ではないのだ。歌い手は、あくまでも成り行きを見守り、警告する立場にいるのである。
アルバムは、M1のオルゴールのような可愛らしいイントロで幕を開ける。この音が、ボーカル・パートに入ってもバッキングを務めている(?) 王道ポップスのメロディと言っていいだろう。このあたりに、ルー・リードのキャリアが反映されていることは間違いない。ルー・リードのボーカル・スタイルは、ボブ・ディランの影響を強く受けているのだろうか。それとも、トーキング・ブルースからの影響なのか。
歌詞は、日曜の朝の倦怠感を唄ったもの。土曜の夜に遊び過ぎたせいだろうか。それとも、日曜に教会に行く習慣を嫌悪しているのだろうか。
続くM2は、ガレージ・パンクの元祖とも言えるサウンドである。2台のエレクトリック・ギターが出す音は、まるで閃光のような煌きを放っている。リヴァーブが殆ど掛けられていないギター・サウンドは、米国のインディー・バンドのようでもある。逆に、ベースとピアノのフレーズは非常に単調である。
歌詞は、タイトルの"The"が"my"に変わっており、同性愛のことでも歌っているのかと思ってしまうが、どうもそうではなさそうだ。
というのも、"I'm just looking for two differnt of mine"、すなわち「俺は俺の中の2つの異なるものを探しているんだ」、という歌詞があるからである。他の部分からは、二重人格者について歌っているように思えるのだが、いわゆる多重人格者の場合、特定の人格が現れているときの行為を、他の人格は全く認識していないらしいから、リアリティという点からすれば、この歌詞は批判されるかもしれない。しかし、30年以上前の歌詞を捉えて、そういう批判をするのはいかがなものか 、とも思う。
M3は、上記のようにニコがボーカルを取っている。これもM1同様にポップである。左チャンネルから聞こえるギターとベースの音は、今もってなお古さを感じさせない。
歌詞は、次から次へと男を代える女に恋している男に対し、(歌い手が)警告する内容になっている。ということは、この女の性格は「宿命だ」ということなのだろう。
M4は、東洋調の曲である。ビートルズを筆頭とするインド民俗音楽への興味は、彼らにも波及していたのだろうか。ボーカルは、歌というよりは「語り」である。
歌詞は、SMの女王について歌ったものである。といっても、それほど過激な描写がなされているわけではない。それに、「彼の心を癒すんだ」と女王に向かって進言している下りがあるのだが、何だか唐突で収まりが悪いという印象を受ける(笑えるけども)。
M5は、初期ストーンズを思わせる曲調である。ボーカル・スタイルも若かりし頃のミック・ジャガーに何処となく似ている。ギターは、ハウリングが混じったりして、フィードバック奏法を取り入れているが、ザ・フーのピート・タウンゼンドのように、コントロール出来ているとは言い難い。この不安定さが魅力とも言えるのだが。
歌詞は、何が言いたいのかさっぱり分からない内容である。もしかしたら本からの引用かもしれないし、隠語が多用されているのかもしれない。
M6は、A面最後の曲で、スローでポップなメロディを持っている。一寸カントリーの要素が含まれているようだ。ミストーンも目立つのだが、それが却って「味」となっている。
歌詞は、シンデレラに対するアンチテーゼかもしれない。現実の貧しい娘は、決して王子様に見初められたりすることもなく、「日曜日のお馬鹿さん」にしかなれない。お目出度い話なんか嘘だ。そう主張しているように思える。
M7はVUの代表曲と言えるだろう。スローテンポに始まり、次第にテンポアップして行くパターンが繰り返されている。コード・ワーク主体のギター・プレイは、ピート・タウンゼンドとどちらが先だろうか(考えてもあまり意味がないが)。ピアノや狂ったようなビオラは、当時のサイケデリック・ムーブメント故に生まれたものだと思う。
歌詞は、タイトルから分かるように、ヘロイン摂取への賛歌だと言っていいだろう。当時は十中八九放送禁止になったであろう。
M8は、ブリティッシュ・ビート風の曲。特に、コーラス・ワークがそう感じさせる。この頃には、既に完全に終焉していたブリティッシュ・ビートだが、ルー・リードの好みだったのではないかと思う。
歌詞は、歌い手からもう一人の男に向かって、「彼女がまた通り過ぎるぜ」と注意を促す内容になっている。つまり、邦題は全く歌詞を読まないで付けられたと考えられる。それはさておき、この歌詞は、ある女性に未練のある男を、第3者の目から描いた形になっている。。どうも、この女性は次から次へと男を代えているようで、つまりはM3に登場する「彼女」と同一とも言える。なお、歌い手がこの女性と過去に関係があったのかは不明だが。
ところで、歌い手ともう一人の男は、別人なのだろうか? M2と同様に、別の人格を持つ一人ではないのか、という疑問が残る。
M9は、M3と同様にニコがボーカルを取る曲である。美しいピアノのイントロに始まる、フォーク調の曲だが、やはりディランあるいは、グリニッジ・フォーク・ヴィレッジは、ルー・リードの音楽の基盤なのだろう。
歌詞の大意は、彼女の鏡となって、真の姿(性格も含む)に目覚めさせてあげよう、である。ここでの「あなた」は、本当は美しいのだが、それに気付かず、人当たりも悪いらしい。ここでの「あなた」はM6における「貧しい娘」なのかもしれない。M6の歌詞では、一見貧しい娘は気弱のように思える。ドアの陰で泣くという一節が、そう思わせるのであるが、実は気弱ではなくて、自暴自棄なのかもしれない。
M10は、ジョン・ケールによる不快なビオラの音が特徴の曲である。ボーカルはM4同様に「語り」である。
この曲の歌詞は、本アルバム収録の他の曲と比べると全く異なった印象がある。例えば、後半になるまで"I"あるいは"you"という代名詞が登場しないこともその1つであり("he"なら前半に登場している)、そのため最も「詩」に近い形式になっている。だとしたら、歌詞を歌うのではなく、「詩を朗読する」ようなボーカルになっているのも当然かもしれない。歌詞の内容も、ジム・モリソンが書きそうな、暗黒なものになっている。
蛇足だが、ドアーズとVUは同じ年にデビューしている。
M11は、VUのメンバー全員による唯一の共作曲である。ボーカル・パートは(これも語りなのだが)、長い曲の割にはすぐに終わってしまう。後はインストゥルメンタルである。地を這うようなベースとギター、狂ったようなもう1台のギターも魅力があるが、それだけでなく、「音響」そのものにも興味をそそられる。評論家風に書けば、「ガレージ・パンクと音響派との融合」か。
タイトルの「ヨーロッパの息子」には、一体どういう意味があるのだろうか。当時ECはあったが、とてもではないが、「ヨーロッパは1つ」と呼べる存在ではなかったはず。筆者にとってはこれもまた全く理解不可能な歌詞である。
(2002-1-30)