Grapevine 「Here」

 グレープバインは非常に微妙なポジションにいる。デビュー当時から評論家受けは良かったし(もちろん、けなしている人もいるが)、かといってマニア向けの音楽をやっているわけではない。日頃はヒット曲しか聞かないような人達にも充分アピールするポップ性も備えている。確かにルーツ・ロックの要素は大きいし、本人たちもそれを公言している。しかし、メロディは明らかに日本人が作ったものだと感じさせる。これがまた不思議な点でもある。というのは、従来の邦楽ポップ・ミュージックとはかなり異なったコード進行を多用しているにも関わらず、「日本人の作ったメロディ」と感じさせるのだから。もちろん、これにはボーカルのフレージングも多いに関係しているに違いない。

 グレープバインのファンの年齢層は10代、20代が殆どだそうである。だとすれば残念なことだ。スローもしくはミディアムテンポの曲が多いし、電子楽器は殆ど使っていない。ギター、ベース、ドラムがメインである。しかも演奏力はかなり高い。歌詞にも英語詞は殆ど使われていないし、どう考えても、このバンド音楽性は、むしろ30代以上にアピールするはずである。

 さて、以上のようなことを書くと、グレープバインが単なるアナクロなバンドのような印象を与えてしまうが、それはこちらの意図するところではない。ベースとドラムのリズム隊は明らかに90年代以降のリズム感覚を備えているし、ギターの音色も70年代のディストーション一色とは言えない(かといって、ギターシンセを使っているわけではないことは前述の通りである)。

 今回は、今年の3月に発表された3枚目のアルバム"Here"について書く。本作の特徴を一言で表せば「濃いアルバム」ということになるだろう。シングルとしてM3、M10が発売されているが、この2曲さえも、ポップ性は充分感じるものの、ヒットチャート常連組とはかなり印象が異なる。この点1枚目、2枚目とは少々毛色が異なるように感じる。しかし、アルバム全体としての曲のレベルは今まで以上に高いと思う。ただし、このバンドを初めて聞く人にとっては、濃すぎて引いてしまう可能性も大である。

 グレープバインでは、作詞を全曲ボーカルの田中和将が担当し、作曲は四人全員が担当している。とはいえ、本作ではドラムの亀井亨が全12曲中5曲を担当しており、明らかにメインの作曲者であり、他の多くのバンドと随分異なるチームだと言える。しかも、このドラマーが最も出来の良い曲を作るという点も不思議だ。

 次に田中和将の作る歌詞について述べる。大抵の作詞家は、歌詞には何らかの主張を入れるか情景描写をしていても、前後のつながりを容易に理解することができる。逆に理解できない所は、英語詞を挟んだりして、リズムやメロディとの相性を良くしたために、前後のつながりを失っているのである。しかし本作では、一区切りの中では意味が比較的分かる詞を作っているのに、区切りをまたがって意味を理解することは非常に難しい。さらに、性別不明、登場人物の設定が不明瞭であることが、本作の大きな特徴でもある。それは、前述のリズムやメロディとの相性という、ある種の努力の放棄とは次元が異なる話であって、言葉に神経を尖らせて作った歌詞なのである。本作の作詞の時に、言葉を削ったり、全く違うニュアンスを挟んだり、すぐ前の主張を否定したり、といった作業を繰り返したのではないだろうか(本人はすらりと書いてしまえるのかもしれないが)。だからこそ、グレープバインを聞いたときに、これまでのメジャーな邦楽ロック、ポップス、歌謡曲とは全く異なる感覚を、筆者は得たのだと思う。評論家が文学性の高い歌詞と評するのも納得できる。
 もちろん曲全体として大まかな意味を理解することは出来るのだが。逆にいえば、歌詞カードを見ないで曲を聞いていた方が頭に入りやすいし、論理的にではなく直感的に歌詞の良さが分かるのではないだろうか。

  

 M1「想うということ」は、イントロからして90年代前半の英米ロック風のギター音が聞けるスローな曲である。歌詞の一部に「です」体が使われ、このバンドにとっては珍しい歌詞である。

 歌詞は、明日引いては未来について前向きな姿勢が出ている。例えば「君が何かを想って/ぶつかるなら/明日にはええ/明日には消えそうです」である。しかし、肝心の何を想うのか、何が明日になると消えるのか、全く言及されていない。勝手に解釈して欲しいということなのだろう。恐らくは悩みや理不尽なことだとは思うが。ともあれ、歌詞は確かに前向きではあるが、世間に数多ある、言われた方にとっては重荷にしかならないような体育界系精神主義の世界とは全く異なるものである。

 しかし、このバンドが未来への前向きな姿勢を唄うことは、少々驚きであった。どちらかというと過去を引きずった歌詞を書くバンドという印象が強いからである。

 

 M2「Reverb」は上記の通り今年先行シングルカットされた曲である。本人達も言っているが「珍しくアップテンポ」である。リバーブというタイトルが付いていながら、リバーブを掛けないギターがイントロなどで使われている。筆者はニルヴァーナを思い出してしまった。中盤のギターソロも、ギターソロという形式は70年代であるにせよ、音は90年代風である。また、この曲のグルーブ感は、M1もそうなのだが、ベースが鍵を握っているようだ。もちろんドラムも90年代以降のダンサブルな感覚を備えてはいるのだが。

 この曲の歌詞も言葉が削られており、状況設定が判然としない。男女のことを唄っており、女の方の気が離れてしまっていることまでは確かなのだが、別れてから時間が経っているようでもあり、今まさに別れようとしているかのようでもある。

 

 M3「ナポリを見て死ね」はフィードバックギター(サステナーを使っている可能性もあるが)が使われ、全体的にブルースやハードロックの要素が大きい、スローテンポな曲である。それでもサビはグレープバインらしいメロディラインをもっている。エンディングはブルースやハードロックに加えてサイケデリック・ロイックの要素も聞ける。

 歌詞は全体的に良く分からないのだが、「えせブルースにしてうたう」だの「偽ブルースは成功しそう」とうフレーズからは自己嘲笑的なものが窺える。多数の在米黒人のように、一生抑圧されることが決まっている人生を背負った人達から生まれたブルースを、形だけ借りてきて唄うことへの自己懐疑なのだろうか。そういえば、対象としている相手の姿が不明確であることもこの曲の特徴であるが、これも今までの彼等には見られなかったタイプの歌詞である。

 

 M4「空の向こうから」は、キャッチーなイントロ、70年代歌謡曲風のメロディ、を持った曲である。恐らく、本作中最もシングルヒットする可能性がある曲だとは思うが。

 歌詞は別れた相手に対するメッセージという体裁を取ってはいるが、この相手というのが不明である。どうも男女関係とは思えないのだ。むしろ、母親が相手ではないのかと思える。例えば、「どうかねえ?/誰かに似てきたろ」、「ヒマあったらば/今度さ/話に行こうかな」、「今はあなたの夢 叶えましょう」、「曲がっちゃいませんよ」といった一連のフレーズは、別れた彼女というよりは、母親に向かって言っていると考えた方がすっきりするのだ。すなわち、「誰かに似てきたろ」の誰かとは父親のことである。

 

 M5「ダイヤグラム」はアコースティック・ギター1本をバックにして曲が始まり、やがて他の楽器が加わる。形式としては珍しいものではないが。

 ストリングスが薄くかぶることでドラマチックな印象を聞き手に与えているし、リードギターとストリングスのバランスは絶妙である。

 歌詞は、身の回りのあらゆる価値観に対して不信になった男が、彼女に宛てたメッセージであるようだ。これも例によって性別は不明瞭である。しかし、そんなことはどうでもいい。重要な点は、主人公が価値観への不信を嘆くのではなく、「揺れていたいんだが」としている点にある。つまり、価値観の揺らぎや世の中の歪みをありのまま受け入れようとする姿勢と、希望は捨てないという姿勢という、両者の間を行ったり来たりすることこそに価値を見出しているのである。

 

 M6「Scare」はモロにR&Bやファンクの影響が窺えるアップテンポな曲である。テナーサックスとギターの掛け合いやボーカルのフレージングなどは70年代初期のストーンズを連想させる。だが、ストーンズと異なるのは、ギターでトリル奏法を使ってグルーブ感を出していたりするところだろう。

 歌詞には、彼等にしては珍しく社会性が見られる。
「墓石は大袈裟にまるまる太らして/世界一周を終えたらすぐ入れば/ええ確かに言いました 他に考えなどねえ/そうこうしているうちに誰かが/もうど真中を迷走して/生残るとはねえ」
 罵倒している相手は、ずるいことをして更に上を目指す権力者だろう。墓石を大袈裟にするなどという行為は、権力者でもなければしないことである。「死んじまえ」を遠回しに言っていることは明らかだ。でも、結局この権力者は、やはり他の怪しい奴に出しぬかれてしまったようだ。政治批判というよりは、音楽業界批判のようにも聞える。

 

 M7「ポートレート」は、彼等らしからぬ明るく軽快な曲である。70年代のポップス、特にピアノ曲を思わせるようなメロディもある。クラビネットというアイデアはプロデューサーの根岸孝旨が出したものなのだろうが、一風変わっていて面白い。

 歌詞は、タイトルつまり肖像画を描くための「絵具」を、恋愛感情や人間関係のメタファーとして扱ったものである。例えば「色を付けずに暮している」、「あっけなく/混じり合うものさ」などの表現が代表的である。歌詞の中に「ですます体」、「普通体」、「文語体」を混ぜているが、こういう表現は、現代の小説には見られても、ポップ・ミュージックの歌詞では、あまり目にすることがない。

 

 M8「コーヒー付き」は、彼等ががアルバム中で試みる「息抜き」のような存在である。ファルセットボーカルは矢野顕子を思わせる(故意にやったことだと思う)。短い曲ではあるが、ビブラフォンやパーカッションを使ったりして、遊び心に富んだ作品と言える。

 歌詞の方も大した意味を持ってはいないと思う。効果音としてコーヒーを啜る音やカップを置く音が使われているし、タイトルからして、どこかの喫茶店のランチタイムに彼女といるときの心情を唄ったものらしいのだが。

 

 M9「リトル・ガール・トリートメント」は、ペイブメントを連想させるようなイントロで始まる曲だが、その後の展開はペイブメントとは似ても似つかない。どちらかと言えば暑苦しく感じる。しかし、サビメロは70年代ポップス風である(これも変わった展開である)。

 ドラムのパターンは、彼等の「君を待つ間」(1stアルバム収録)と良く似ている。

 歌詞は、タイトルに出ている「リトル・ガール」との恋愛について唄ってはいるのだが、主人公が一方的に入れ上げているように思える。その上、一番と二番の歌詞とでは別の日の出来事を唄っているようだし、もしかしたら別の女性なのでは、とも思ってしまう。

 なお、タイトルの「トリートメント」にはさしたる意味は無い。最初の方に登場する「撫で付ける髪に違う香りがする」というフレーズから思いついたのであろう。

 

 M10「羽根」は上記の通り、本作中一番早く発表されている。70年代を感じさせるキャッチーなリフとメロディを持った曲。全体的に音のヌケが良いが、恐らくこの曲だけはレコーディングの時期が異なるせいだろう(即ちアルバム収録に際し録り直してしないに違いない)。

 歌詞は独白形式である。スターとしての自分の無力さ、不安定さ吐露している歌詞のようだが、ニヒリズムではなく、どうにかしようとする姿勢が窺える。それはサビに端的に現れている。
「繰り返す誇らしい心で/また何かを忘れても/舞い上げる片道の羽根で/世界をそっと見下ろす」
キーワードは片道の羽根であることは間違い無いと思う。上がったらいつかは降りなければならないが、降りる時にも羽根は必要である。無かったら墜落してしまうからだ。結局、スターとは非常に脆い存在であることが描かれているのである。同時に、「世界をそっと見下ろす」という下りからは、スターとして英雄気取りになることを拒否しようとする姿勢が見て取れる。

 

 M11「Here」はタイトル曲でもあり、本作中で最も良い曲ではないだろうか。スローテンポでボーカルの感情も大いに込められており、シングルカットしてもおかしくないと思う(がカットされていない)。ブレーク時のギター、ベース、ドラムの爆発的な音など最高だ。また、ドラムは、ジョン・ボーナムを髣髴させるようなフィルインがあるし、とにかく本作中で一番だと思う。

 歌詞も本作中もっとも文学的であり、レベルが高いと思う。冒頭の「柔らかな手」が次の「生まれたこの気持ち」に懸かるなどは、まるで掛詞の領域である(新生児の手は柔らかい)。
 特に何かを主張するという若者風の歌詞ではなく、どこか人生の下り坂にかかった人間が(と本人が思っている)、過去を全て受け入れることが出来るような心境に達したさまをそのまま唄っているようだ。

 

 M12「南行き」は、モロに70年代初期のストーンズ("Sticky Fingers", "Exile On Main Street")を思わせる、ブギ色の濃い曲である。女性コーラス、カウベルやサックスの使用は、まさに当時のストーンズ。今、こういった曲を聞きたいのなら、ストーンズの新作ではなくこちらを聞いた方が良い。ただし、女性コーラスの一部に腰砕けになる歌詞が含まれているので要注意。

 だが、グレープバインはやはり単なる物真似ではないと思う。サビのメロディは日本人ならではの者があると思う。

 歌詞は、アメリカ南部に憧れる貧乏青年の歌かと思いきや、そうでもなさそうである。南というのは主人公が思う理想郷なのであろう。そこに行くためには、なんでもやってやるという宣言のような歌詞である。全編男言葉ではあるが、例えば売春をして金を貯めようとしている少女の歌のようでもある。

 

 

(2000-6-12)

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