シロップ16g 「コピー」
01. She Was Beautiful
02. 無効の日
03. 生活
04. 君待ち
05. デイパス
06. 負け犬
07. (I Can't ) Change The World
08. Drawn The Light
09. パッチワーク
10. 土曜日
シロップ16gは日本のインディーズ・バンドであり、本作「コピー」が1stアルバムになる。3ピースのギター・バンドであり、ギター、ベース、ドラムという最小編成でありながら、非常に豊かな表現力を感じる。真っ先に挙げたいのがボーカルで、声質、歌唱法ともにオーソドックスだが、良く通る声であり、歌詞は聴き取り易い。時折ファルセットが混じるのだが、これも良い味を出している。
二番目に挙げたいのがギターで、M1で聴けるキーボードのようなトーンは、一聴しただけで聞き手を引き込む力を持っている。その他の曲では、時にノイジーな音を聴かせたり、ギター・ソロを聴かせてくれる。確かに、これらのギター・トーンは、新しいものとは言えないが、決して借り物レベルではない。
ベースはギターの派手さに隠れがちだが、攻撃的なベースラインは、バンドサウンドを厚くすると伴に、絶妙のグルーブ感を醸し出しているように思う。本作がインディー・レーベルから出ている割には、まるでメジャー・レーベルで制作したような感触(例えば、インディーズにしばしば見られるショボさは無い)があるのは、もしかするとベースのせいかもしれない。
一方、敢えて難点を挙げるとすれば、ドラムだろう。ギター、ベースに比べると、どうしても拙く聞こえてしまう。
次に、メロディと歌詞について述べる。作詞作曲はボーカル兼ギターの五十嵐隆が担当している。
基本的には、「歌」重視のバンドなのだろう。恐らく、歌詞をきちんと聞いてくれることを望んでいると思う。その歌詞なのだが、常識的な人間が聞いたら、目をむくに違いない。作者自身が、社会性を放棄し、人格が崩壊しているとしか思えない、悪意に満ちた内容なのである。反体制とか反社会的という類ではない。ここで歌われている歌詞は、「救いようのない」という形容が相応しく思える。
だが、そのような見方は、「いわゆる常識人」の観点から一歩も離れられていないのではないか、という疑問が生じる。むしろ、常識人なら心に抱えていても口に出さないだけではないのか。そういった共同欺瞞を、敢えて五十嵐隆は歌詞という形で世に出した、と考えられなくもないのである。
何故なら、社会などどうしようもなく、他人はロクでもない、と五十嵐隆が本気で思っているのだとしたら、何もバンドを組んでCDなど発表する必要はないわけである。たとえ、インディーズであったとしても、スタッフはいるし、音楽雑誌のインタビューだって受ける必要も生じる。後者は拒否することも可能だが、現に本人達は幾つかのインタビューに応じている。また、ウェブサイトだって存在するのだ(そこでも「壊れた人格」なるイメージを撒き散らしている)。
話が飛躍するが、五十嵐隆が本作において提示したのは、「思考停止になるな」ということのようにも思える。確かに、悪意に満ち、挑発的な内容の歌詞ではあるが、「死ね」だの「バカ」だのという直接的な表現を使っておらず、むしろそこにはブラック・ユーモアのセンスを感じる。
ここで思い出すのは、モリッシーである。モリッシーが書いた歌詞は、自分の惨めな境遇(「ヘッドマスターズ・リチュアル」、「ゼアズ・ア・ライト」などなど)、世間から疎まれる輩への共感(「優しいフーリガン」だの「万引き達よ団結せよ」)がテーマになっていることが多い。中には、「ガールフレンド・イン・ア・コーマ」のように、自分の彼女が昏睡状態にあることを、まるで浮かれ気分で歌っているような曲もある(「それはシリアスなんだよ」と言いながら、モリッシーの歌からは、全くシリアスさが伝わってこないという代物)。とにかく、ネガティブな歌詞ばかり作っていたのだが、その創作動機は何だったのだろうか。敢えて物議を醸し出すことで、曲がりなりにも世間とのコミニュケーションが取っていた、ということであろうか。そして、もしかしたら、五十嵐隆もそういった動機で歌詞を書いているのかもしれない。
一方、メロディだが、M1のような耽美的なメロディの曲や、M3、M5、M7のようなキャッチーなメロディの曲もあるのだが、M2やM6のように、歌詞のおさまりがあまり上手くいっていないように思える曲もある。言い替えれば、メロディが歌詞に負けているということだ。ただし、ボーカルの声そのものの良さもあり、後者が駄目ということではない。この点も、モリッシーと共通するものがある。
また、エンディング近くで歌われている歌詞には、内容が意味不明である箇所が多い。削った方が良いと思えなくもないが、逆に、ひねくれた感覚を出すためには、これはこれでいいのではないかとも思える。なんとも情けない論評だが、個人的には、「ポップ・ミュージックにヘンな所があるのは、大いに結構」、という立場なので、勘弁願いたい。
いずれにせよ、結論を出すには早計であることは間違い無い。それに、解釈は人それぞれである。シロップ16gだって、本作やライブが話題になって、世間との関わりが増えれば、また歌詞の内容が変化することだって、充分有り得ることなのだから。それは、歌詞とメロディのバランスという点に関しても同様である。
ところで、本作のタイトル「コピー」であるが、これもまた含みのある言葉である。アマチュアやカバー曲中心のバンドならばともかく、オリジナル曲だけでCDを作るバンドが、自らの作品を「コピー」と名付けることは、自虐的である。
以上が本作に関する総論である。以下に、各曲毎に歌詞の極く一部について述べるとする。
M1は、歌詞自体も短く、本作の中では、比較的まともと言える内容になっている。しかし、"She was beautiful"と歌われるとき、この彼女は最早この世の人ではないのではないか、と筆者は想像してしまうのである。
M2は、歌詞の冒頭が「本気出してないままで終了です/後はほうきで掃いて捨てる/それをどうして悲しいという」、である。
大抵のポップ・ソングでは、こんな救いようのない歌詞にはしないだろう。「本気出してないまま終了した」のならば、次のチャンスに賭けるとか、そういった内容にするはずだ。でなければ、他人や社会に責任を転嫁したり、あるいは過度に自分を責めたりする。なのに、ここでは、上記のように続けているのである。開き直りという次元ではない。最初から、作者=僕は、本気を出すつもりなど毛頭ないのである。
M3は、CDの帯に書かれた言葉の元になっている。2ndヴァースにおいて、「君に存在価値はあるか/そしてその根拠とは何だ/涙流してりゃ悲しいか/心なんて一生不安さ」、と唄われている。最初の2行からして、「無茶苦茶だ」、と思わず言い出しそうになる。疑問形になってはいるが、相手が存在価値の根拠を示すことなど不可能であると、作者は確信しているからこそ、相手に向かって疑問を突き付ける形を取っているのである。何故なら、作者にとっての普遍の真理とは、4行目の「心は一生不安」なのだから。
M4は、第1、第2ヴァースの歌詞を読む限り、ラブソングの類かと思えてしまう。第1ヴァースでは、「君」を待っていると唄い、その君は雨の中で笑っているとされている。しかし、第2ヴァースではそれは蜃気楼であったことが明かされる。
しかし、ここまでなら遠くに行ってしまった彼女のことを忘れられない男という設定の歌、と解釈できる。決して珍しい歌詞とは言えないだろう。
問題はその後である。「時計壊れた/後の責任は放棄/すべては ほら/もう劣化されない」、と続くのである。「時計が壊れた」というのは、「二人の共有する時間は永遠に止まった」という感覚の隠喩であろう。だからこそ、「もう劣化されない」のだ。
M5は、恐らく本作中一番のヘンな歌詞と言えるだろう。歌詞中の登場人物が錯綜しており、1、2回読んだだけでは良く分からない(と思う)。第1ヴァースは、男女二人の会話である。「・・・・夢見たいだな、こんな暮しは/働かないのに偉そうね」 ところが、続くのは、誰だか分からない奴が出てきての捨て台詞である。
だが、大抵の聞き手に強い印象を残すのは、「君は死んだほうがいい」という歌詞だろう。だが、決してこれは「お前を殺してやりたい」という感情から発せられた言葉ではない。どちらかといえば、「一度死んでみたら目が覚めるんじゃないの」というニュアンスが込められているように思うのである(転生を信じるのならともかく、死んだらお終いなのだが)。これが軽やかなメロディに乗っていることにより、一層効果を上げているように思える。この点は、他の曲についても当てはまることなのだが。
M6は、「負け犬」ということなら、ベックの「ルーザー」だとか過去に幾つか例がある。しかし、それらの歌詞にはどこか救いがあるような気がする。例えば、「負けるが勝ち」ということわざが表しているようにである。しかし、この曲は違う。「もしも僕が犬に生まれたなら/それでもう負け」なのである。まるで、封建時代の身分制度の不条理をそのまま現代に持ちこんだようだ。いや、今でもそういった問題は尾を引きずっているのだが。
M7は、「僕は世界を変えられない」である。70年代以降、音楽で世界を変えるというスローガンは何度も敗北して来た。しかし、この歌詞は、そういった「ロックの敗北」を体験した者が作った類ではない。勝敗を決するために闘うことすら前提に無いのだから、絶望感は深い。
こういう感覚に対し、「かつて若者だった人」は、「最初から逃げるとは情けない」、と言うかもしれないが、そういった批判こそが、対岸の火事的感覚から生まれたものであるような気がする。
M8は、「詞」というよりは「詩」と言った方がいいだろう。前後に脈略があるとは思えない言葉が綴られている。「死にたくない」というフレーズが冒頭と終わりの方に登場するが、これだけ絶望感を撒き散らしておいて、「死にたくない」と言うのも、一見理解しがたいように思える。「絶望の果ては自殺」ということならば、確かに常識の範囲内であったが、作者の価値観は違っていて、「死ぬことすら、かったるい」のかもしれない。これは、決して特異な意見だとは、筆者は思わない(ただし、世代感覚といった言葉を持ち出すことはしない)。
この曲は、エンディングの歌詞が挑発的で、個人的には大変面白い。「すべては愛/そりゃまあ/ただ言ってるだけなら同感/そんな訳ないが」
(M5と同様に)ここでも、作者は直接的に「そんな訳ねえだろう、ふざけるな」とは綴っていない。これにより、「そんな訳無いが」に重きを置くか、「ただ言っているだけなら同感」に重きを置くかによって、解釈が微妙に異なってくるからだ。それに、ユーモアも感じ取ってしまう。
M9は、「多分楽したいのです/これからもしたいのです」という歌詞で始まる。そして、「世界がどうなっていようと/明日がどうなってようと/僕は楽したいのです/いつまでもしたいのです」という歌詞が続く。投げやりで救いようの無い歌詞である。
M10は、「土曜日なんて来るわけない」というフレーズが全てを語っている歌、と考えられる。土曜日とは楽しさの象徴(それがたとえつかの間の楽しさだとしても)だとすれば、ここでは、楽しむということへの期待など、はなから持っていないということである。
(2001-10-21)