Ride "Carnival Of Light"
01. Moonlight
Medicine
02. 1000 Miles
03. From Time To Time
04. Natural Grace
05. Only Now
06. Bird Man
07. Crown Of Creation
08. How Does It Feel To Feel?
09. Endless Road
10. Magical Spring
11. Rolling Thunder
12. I Don't Know Where It Come From
「カーニバル・オブ・ライト」は、ライドにとって3枚目のアルバムである。発表は1994年。プロデューサーは、1曲だけジョージ・ドラクリアスで、他はジョン・レッキーである。また、エンジニアとして、「あの」ナイジェル・ゴドリッチが参加している。ついでながら、この二人の音の好みは、非常に近いと思う。筆者は、本作がライドの最高作だと思っている。確かに、前作の延長線上で制作されたアルバムではあるが、完成度としては前作を上回っていると思えるからだ。
本作では、前作と異なり、作詞作曲両方のクレジットが載っている(前作は作詞者だけのクレジット)。収録されているのは12曲だが、内訳は、マーク・ガードナー単独作が2曲、マーク関係の共作が2曲、ローレンス・コルバート作品が1曲、カバーが1曲、そして残りの6曲がアンディ・ベル作品である。しかも、アルバムの前半にはマーク・ガードナーの曲が並び、後半にはアンディ・ベルの曲が並んでいる。これは、考えて見ると不思議なことである。複数のメンバーが詞曲を作るバンドの場合、作者が割とランダムに並ぶように構成するものである。理由は幾つか考えられるが、アルバムの前半は聞いても、後半をあまり聞かないリスナーが少なからず存在するので(途中で飽きる、時間が無くなるなど理由は様々である)、不公平を避けるというのが、一番大きいのではないか。ということは、本作はあたかもマークを優遇しているような構成になっているのである。
逆の見方をすれば、本作のレコーディングが終わった時点で、アンディとマークとの間には溝が出来ていたようにも思えるのである。先ほどは触れなかったが、両者の作品には明らかな差異が認められる。両者の作品とも、先人達への憧れという共通点があり、それは前作から踏襲されているのだが。
では、両者の作品の差異とは何かといえば、それは黒人音楽への傾倒ということであろう。話を前作に移すと、前作は、60年代ロックから影響されて出来た作品であった。ただし、決して単なる60年代ロックの単なる模倣では無いと思う。シーケンサーが使われるなど、あくまでも90年代だからこそ生まれた作品の一つであろう。だが、そういった、ある意味での90年代らしさは、黒人音楽的な感覚に乏しいことの表れでもある(今更、言うまでも無いが、60年代英国ロックの大半は、黒人音楽の感覚を取り込むことに執心であった)。
そして本作である。マーク関係の作品は、M1を除くと殆ど初期ザ・バーズであり、非常に洗練された感覚がある。だが、厳しい見方をすれば、前作の延長線止まりと言えなくもない。もちろん、曲の出来は前作を超えているし、特にM3における歌メロの崩し方などは、成長の産物である。また、先ほど除外したM1では、タブラを使ったりしていることからして(実はアンディ作品のM11でもタブラを使っている)、マーク自身は決して以前のレベルで良いなどと考えていたわけではなかろう。
一方、アンディの作品である。例えばM6では、人の話し声をSEとして使ったり、殆どアカペラに近いボーカルを取り入れているし、M11はラーガ・ロック風なアレンジのイントゥルメンタル曲だ。M12には子供の合唱隊が使われている。その一方で、M7ではモータウンのリズムを取り入れているし(そういえば、当時ネオモッズ・ブームがあったような記憶がある)、M8やM10のギター・ソロ(デイブ・デイヴィス風)にはブルース感覚がある。M9は黒人ソウル風と言えなくも無い(キンクスの「スクールボーイズ・イン・ディスグレイス」中のある曲にも似ているが、パーカッションは現代R&B風だ)。つまり、M7〜M10を聞けば、当時のアンディは、黒人音楽的な要素を、ライドに積極的に持ち込んでいたことが分かる。正確に言えば、60年代の白人達が解釈した黒人音楽と言うべきであるが。プロデューサーとして、ブラック・クロウズの1stなどを手がけたジョージ・ドラクリアスを1曲だけだが起用したことは、その追加証明にならないか。
そしてそのことは、自身の作品のみにとどまらない。マーク作品においても、M5のようなストーンズ風ギター・ソロを入れたり、M3のエンディングには、これまたストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」に似たフレーズを入れたりもしている。だが、こういったアンディのやり方は、マークが許容できることだったのだろうか。
さて、残りのメンバーのうち、ローレンスについて述べる。当時のライブを見た人は、「下手」と一蹴していたそうだが、筆者には何とも言えない。しかし、ライドがデビュー当時から他の轟音ギター系バンド達と一線を画していたのは、ローレンスの手数の多いドラミングであったことは確かであろう(筆者がキース・ムーンの大ファンだから、という理由は当たっていないと思う)。前作の「ツイステレラ」など、ローレンスのドラムがなかったら、もっとつまらない仕上がりになっていたであろう、と筆者は断言する。
話を本作に戻す。本作でのローレンスは、今まで以上に多彩な活躍をしている。ヘビーな曲調では、よりヘビーに叩いているし(M1やM6)、M9では現代R&B風のパーカッションを披露している。何よりも、M12での表情豊かなフィルインは最高だと思う。なお、M4はローレンスの作品だが、初期ザ・バーズ風の曲に若い頃のピート・タウンゼンドが割り込んできたようなアレンジになっている。
本来ならば、スティーブについても述べるべきだろうが、正直なところ、影が薄すぎる。省略させていただこう。
一方、歌詞の方はどうであろうか。まずはマーク関係の作品について述べる。
M1は、「感覚がワイルドになって/僕らは空に触れる/僕の目には天国が映っているようだ/月光の薬が僕を活かせてくれる」、といった、あからさまにドラッグを連想させる歌詞であり、かつドラッグを肯定する内容である。
一方、M3では"Angels"という単語が登場する。文脈上、これをコカインの隠語だと解釈できなくもないが、こちらは、ドラッグに依存していることに対する不安が仄めかされている。両者は相反しているが、例えば酒や煙草をやめたくてもやめられない人がいるように、ドラッグに対するアンビヴァレントな感情は、理解は出来る。
また、M2やM5では、人生や人間関係が変化しつつあることへの不安や、それでも前を向かなければならない、といったことが唄われている。学生気分の延長でライドを続けることが出来なくなったことが、歌詞に表れたのではないかと思う。
そういえば、M1でも「神が味方であることを認めたい」という歌詞が登場するし、M3の"Angels"をそのまま天使と取れば、この2曲においても、運命に操られる自分に対する不安が表れていると解釈することが出来る。
次は、アンディの作品について述べる。M6は非常に持って回った表現になっているが、結局はラブソングではないかと思う。"Me and Ide"という歌詞があるが、"Ide"は"Ida"の誤植だと思う。つまり、アンディ夫人である。それにしても、歌詞に「イーダ」という固有名詞を登場させ、しかも内ジャケットにまでアンディとイーダがプール上で寝そべっている写真を使ったのは、どうかと思う。こういったことがマークからすれば、ライドの私物化に見えたのかもしれない。
M7もラブソングであろう。何やら、有名人同士の恋愛が描かれているようで、これも私小説過ぎるかもしれない。ただし、こちらを批判するつもりは全くない。それにしても、「君は創造の極致だ」、というのは大げさだなあと思い、少しだけ笑ってしまったが。まさか、ジェファソン・エアプレインの同名曲が気に入ったから拝借したのではあるまい。
M10は「何故僕らは終わりのない旅を続けているんだ?」 というフレーズが発端となって出来た歌詞だと思う。終わりのない苦しい旅とは、何の隠喩だろうか。そして、「僕ら」とは誰のことか。どうしても、筆者は、僕ら=ライド説に傾いてしまうのだが。
M11は、おとぎばなし風の歌詞に思える。マジカル・スプリングは、人間を超えた能力を持つ妖精のように描かれている。一方で、マジカル・スプリングというのがドラッグの隠喩であることも否定できない。
M12は、ライドにしては珍しいというべきか、社会性のある歌詞のようだ。「僕はそれが何処の出身なのか知らないよ」というフレーズを合唱隊に唄わせているのは、見えない大衆を表現していると考えられ、無関心な大衆を表しているのだろう。このフレーズは、作者の発言ではないのである。だが、ここでの作者=アンディの意図は、無関心な大衆への批判では無く、「作者自身も、こういった大衆と寸分変わりないレベルである」、という所にあると思う。
しかし、それは筆者の解釈に過ぎない。これを「大衆批判の歌」、と受け取る人がいても不思議ではない。例えば、ライドのメンバーはどうであったか。今までのライドは、社会問題に言及するバンドではなかったから、戸惑いを感じたかもしれない。
本作を最後にマークはライドを脱退してしまい、結果として、ライドはもう一枚アルバムを発表して解散した。こうして分析すると、ライド分裂の萌芽が、本作に生まれていることが分かる。息の長いバンドは、上記のような変化を受け入れて行くものだが(例えば、キンクスやザ・フー)、ライドにはそれが出来なかった。残念なことであったが。
(2001-10-7)