Radiohead "Kid A"

 

01. Everything In Its Right Place
02. Kid A
03. The National Anthem
04. How To Disappear Completely
05. Treefingers
06. Optimistic
07. In Limbo
08. Idioteque
09. Morning Bell
10. Motion Picture Soundtrack


 

  レディオヘッドが前作"OK Computer"から3年半振りに新作アルバム"Kid A"を発表した。前作は、その発表当時において彼等の最高傑作であるばかりでなく、1997年のベストに値するアルバムであったと思っている。そして、本作である。正直なところ、「彼等の最高傑作」と断定したい気持ちがある一方で、それは軽率ではないかと思う自分がいる。そして、一抹の不安が頭をよぎるのも確かだ。それは、「こんな作品を発表したら、レディオヘッドの次作が生まれ得ないのではないか」ということである。それ程、本作は怪物的なアルバムだということでもあるのだが。

 まず、実際にCDを手にとって見れば分かることだが、本作には制作に関するクレジットが最も奥まった箇所に記載されている。まるで、わざと人目に触れることを避けるかのようにである。しかも、前作ではメンバーの名前を作曲者欄の載せていたのに、本作では"Radiohead"と記載されているだけである。非常に匿名性にこだわっていることが分かる。

 次に実際にCDを再生してみると、前作までのバンド・イメージであった「ギター・バンド」は何処にも存在しないことが分かる。確かに、ギターは使われているのだが、メイン楽器とは言えない。むしろ、プログラミングを主体としたサウンドである。それだけでなく、ギター、ベース、ドラムに関しては、音をループにして使っていることが殆どである。もしそうではなくて、あれらが実際の演奏を録音しただけだとしたら、それこそ「ババ・オライリィ」以来の驚きだろう。

 更に、ボーカルにおいても、人間の生の声の魅力は大半の曲で排除されている。もともと、トム・ヨークのボーカル・スタイルは、「クリープ」が大ヒットしたせいで、情念型と思われているフシががあるが、実は高音を主体とした内省的なタイプである。そして、そこから湧きあがって来る感情は、怒りではなく諦観であったと思う。しかし、本作では、例えばM1のように、声をコンピュータで切り刻み、ループさせてみたり、M2のように低音をこれまたループさせていることが目立つ。そしてそこから聞き取れるのは、感情ではない。まるでマントラの類である。一般的な認識からすると、人間不在とも言えるだろう(あくまでも、「一般的」であって、哲学的な意味合いではない)。

 そういった、サウンドの変化と密接に関連することだが、いわゆるメロディのある曲は少ない。細切れのフレーズ、それに伴う細切れの歌詞。ストーリーや言葉そのものによる表現は、本作では放棄されていると見ていい。なにしろ、英文歌詞を日本盤CDに添付することが、バンド側から拒絶されているのである。

 以上が本作のおおまかな特徴であるが、本作が聞き手に突き付けていることは、「ロックの終焉」という事柄には収まらないものだと思う。むしろ、人間観そのものではないだろうか。その意味では、前作で"OK Computer"と公言して無機質な「媒体」を許容し、本作では"Kid A"と称して、人間そのものが無機質な存在に他ならないことを公言しているようにも思える。つまり、前作を更に押し進めた結果が本作でもあると言えよう。両者には断絶があるようでいて、実はつながってもいるのである。

 同時に、本作によって「レディオヘッド」というバンドの存在そのものが問われることも確かである。上記の通り、クレジット皆無というジャケットからは、レディオヘッドのメンバーが誰と誰であるとか、そんなことは問題にすらならないことが表されている。

 以下、各曲ごとに見て行く。

 M1"Everything In Its Right Place"の不穏なイントロ、そして切り刻んだような、高音のボーカル・ループが聞こえてくることにより、本作の印象が決定付けられる。もはやメロディはここには存在していない。どこか宗教音楽にも似ている。そして、キーボードの音色はまるでMIDI音源のようである。

 M2はアルバム・タイトル曲の"Kid A"である。ピアノによるイントロは、オルゴールのような音色である。ボーカルは不自然に低く狭い音域であり、マントラを唱えているかのように聞こえる。同時にドラムは1台のキットを延々と叩いている。これではまるで、仏教の儀式ではないか。

 M3"The National Anthem"は、ドラムンベース以降のロックという文脈が適当な曲である。ところが、その一方でシンセサイザーは、例えばピンク・フロイドの「原子心母」を連想させるような音を出している。途中から入ってくるホーン・セクションも然り、「原子心母」である。プログレとダンスロックの融合、などとレッテルを貼るのはよろしくない。そもそも、キング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」だって、中間のインスト・パートはベースにジャズがあり、ドラムンベースはジャズを下敷きにしているのだから。

 M4"How To Disappear Completely"になると、初めてメロディらしいメロディをトム・ヨークが唄っている。しかし、それも前半だけのことである。後半になると、ファルセットで"Ah..."という声(ヴォイス)を出しているだけになる。後半の「ヴォイス」とシンセサイザーとのコンビネーションは、何か陶酔するような感覚をもたらしている。

 M5"Treefingers"は、しばしば「エイフェックス・トゥインに影響されたアンビエント・テクノ」と評されているが、筆者がエイフェックス・トゥインに通じていないため、そのあたりは分からない。そういう筆者にとって、この曲は、「雅楽を現代ヨーロッパ人なりに解釈したもの」に聞こえてしまうのだが。というのは、一音一音が長く伸ばされているせいだろうと思う。

 M6"Optimistic"とはなんと皮肉なタイトルなのだろうか。エレクトリック・ギターのカッティングはひたすら冷たい感触を持ち、ドラミングはフィルインを効かせてはいるが実に機械的である。この点、本作に共通するサウンドなのだが、その一方で過去の作品において顕著だったトムのシャウト(ちょっと、U2のボノに似ている)も聞ける。終盤は昔のソウル風でもあるが、このパートはアルバムの「幕間」的役割なのだろう。

 というのは、M6から曲間を空けずに、M7"In Limbo"に入るからである。これが実に自然な流れとして受けとめられるのだ。しかし、メロディは無い。エフェクトが深くかかったボーカルと、ギター音のループである。つまり、M4とM5、M6とM7は対になっているのである。

 M8"Idioteque"は、イントロがブレークビーツのようである。右チャンネルからはノイズが聞こえる。このイントロが約1分続いた後にボーカル・パートに入るのだが、ここでもバッキングはメロディやコードを鳴らしていない。単なる「音」の連続である。しかも、このバッキングは、後からダビングしたことがあからさまである。「テクノロジーの産物」を明示しているかのようだ。

 M9"Morning Bell"は、ブレークビーツの変形版といったドラミングが特徴である。ファルセットのボーカルはここでもメロディを唄わず、次第に呪文のようになって行っている。

 M10"Motion Picture Soundtrack"は、M9から少し間を置き、リードオルガン風の音で始まる。まるで、キリスト教の教会音楽のようだ。ここまでの曲に、東洋宗教を思わせるサウンドが幾つかあったが、何故ここでキリスト教風なのだろうか。

 だが、そんなことよりもこの曲には2度の無音部分があることの方が興味深く思える。1度目は大体曲開始後3分15秒後からの約1分、2度目は5分10秒後から最後までである。最後の無音と言うのは殊に異様である。シークレット・トラックを後から抜いてしまったように思えるではないか。シークレット・トラックなる嗜好は、ニルヴァーナが広め、CD時代、90年代だからこそ有り得た(それ以前のアナログ時代では、レコード演奏中に溝が見えてしまうので、シークレットたり得なかった)。「彼等は本作でそれ(90年代)を葬り去ろうとしたのだ」、なんて解釈することは「深読みにも程がある」、だろうか。

 

 

(2000-10-28)

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