くるり 「図鑑」
くるりは、1999年にメジャーデビューし、同年にアルバム「さよならストレンジャー」を発表している。それから1年と経たない2000年2月に、2枚目のアルバム「図鑑」を発表した。そして翌月の2000年3月には、もうシングル「春風」を発表している。ところが、このシングルは「図鑑」からのシングルカットではなく、新曲である。レコード会社としては、もう少しアルバムを引っ張りたいところだろう(よく認められたものだ)。
前作はとっつきにくいが、一度はまると容易に抜け出せないアルバムであった。また、「虹」や「東京」といったシングルヒットしてもおかしくない曲があった。しかし、逆にこの2曲のおかげで他の曲の印象が薄れがちになった面もあるし、「ランチ」、「東京」、「りんご飴」といった曲群によって70年代フォークの現在版といったイメージも強く残ってしまったような気がする。しかし本作は、先行してシングル発表された2曲は今までと全く印象の違うもので、かつ2曲とも全く毛色の異なるものだし、更に他の曲もバラエティに富んでいる。つまり、「○○派」だの「○○系」といった、ある意味お手軽な言葉が見つからない、オリジナルなアルバムに仕上がったのである。もちろん要素に分解すれば、元ネタはあるのだが、その組み合わせ方が独創的なのだ。
本作の全体的な特徴について述べる。第1は映画音楽的なサウンドである。M1「イントロ」ではクラシック調のBGM的なサウンドが聞けるし、M3「青い空」ではスパイ映画風のギター・リフが聞ける。また、M5「惑星づくり」やM14「ガロン」ではSF映画風のサウンドが聞ける。このうちM14以外は曲のイメージを直接的に伝えるような音作りであるが、M14はそうではない。
第2は、第1とも重複するが、音響へのこだわりである。共同プロデューサとして何曲かにジム・オルークがクレジットされているが、本作を作る以前に、リーダーの岸田繁は、ノイズなどを積極的に取りこむ、いわゆる音響派に魅せられたという。本作では、至る所に効果音が使われている。前作でも効果音は使われていたが、比重は決して高くないし、共同プロデューサが佐久間正英ということもあって、整合間のある使い方であった(例えば「ブルース」)。しかし、本作での効果音の使い方は、実は「効果音」と呼ぶのが相応しくない。メロディなどの曲の印象を壊すために使われていることもしばしばである。そういった文脈からすれば、前作の「傘」が本作とのつながりを明確に見せた曲と言える。
第3はメロディである。前作でも、少しばかり強引な移行をするメロディが見られたが、本作ではそれが一層強く出ている。それは曲を盛り上げるためではなく、むしろ破壊するかのような展開が多い。結果として時に聞き手の神経を掻きむしるか、逆撫でするように聞えることがある。しかし、それが新鮮に聞えるのである。
第4はリズム・セクションが逞しくなったことである。ドラマーの容貌からは想像しがたい、テクニカルなドラミングが随所で聞ける。
第5は歌詞に見られる変化である。前作でも婉曲的で詩的な表現は見られたが、それが本作では一層複雑化し、脈絡の無い歌詞が平然と並べられている。文体(?)が変わっているのではない。平易な口語調である(M15「宿はなし」を除く)。しかし、それが何故だか不思議な感覚、新鮮な感覚で受け止められるのである。
アルバムはオルゴールの音で幕を開ける。M1「イントロ」である。すぐに「虹」のイントロが始まるが、2小節でしぼむ様に消えてしまう。これはお遊びでもあるだろうが、前作を置き去りにする宣言という意味合いがあるのだろう。
M2「マーチ」は突然ハードな演奏で始まる。そこに変な効果音を混ぜている。
歌詞は、僕と君という存在自体に確信を持てないでいるのに、それを強引に割り切ろうとする姿を唄っているのだろう。「僕と君しかいない世界で/・・・/傷を作っては愛す」などは前者であり、「今は昨日じゃなくて明日だと云う事/信じるだけなのさ」が後者に相当すると考えられる。特に後者の下りは、一寸他には見当たらない表現だ。大方の作詞家達なら、「今は昨日じゃなくて、紛れも無く今日だと云う事」と書くか、または「今ではなく明日を信じて」と書くところ、「今を明日だと信じるだけ」と唄っているのである。文脈からすると、「明日のことは明日考えれば良いや」ではなくて、「明日には世界が終わってしまうかもしれないけど、今が明日だと信じれば、世界が終わっていないと信じ込むことが出来る」という意味ではないだろうか(解釈自体も強引なのは承知しているが)。
M3「青い空」は、1999年夏にシングルとして発売された曲である。これも中盤まではハードな曲である。歌詞の方も「とぼけるなよ」、「腰を挙げな」といった、今までのくるりには見られなかった「吐き捨てるような台詞」が登場している。拳を構えて言っているようにも思えるが、それは先ほど挙げたバックのリフの成せる業かもしれない。だが、決して一部ハードボイルドに氾濫するタフガイ調ではない。「こんな事は云いたくないのさ/何かが違うと考える頭は真っ白に」これは何回も繰り返されるから、この曲の主題だと判断して良かろうが、自責の念を感じながらも相手を攻撃してしまう、という二重の自己嫌悪を表しているのである。
曲は東洋民謡調のインストで唐突に終わる。
M4「ミレニアム」は一寸とぼけた感じのする曲である。シングルカットしても良いようなキャッチーなメロディを持っているが、シングルカットの予定は当面無いようだ。イントロは、ギターリフが2小節進んだところで一度中断しているが、これはリハーサルでの失敗をも故意に取り込んだものだろう。ボックスセットなどではよくある例だが、オリジナル作品ではあまり見られないと思う。
M6「窓」は、90年代米国オルタナティブ・ロックとエレクトリック・フォークを融合したようなアレンジで、70年代フォークのようなメロディを唄っている。歌詞の方では、「浅い夢の中何か夢を見ていたよ/何の夢かは思い出せないよ」や「僕等は何もしない」という歌詞に妙に引っ掛かりを覚える曲である。M4もそうなのだが、一言で表せば「虚無感」だろうか。
M7「チアノーゼ」はアルバム中最も不可思議なリズムを持った曲である。歌詞は自己嫌悪に満ちている。ところが、最後の方で何の脈絡も無く、「ロックンロールという言葉死んでしまえ/革命という言葉とともに」という歌詞が登場し、これには少々驚かされる。もちろん珍しくもない物言いではあるのだが。他者との連帯など信じない、という意味だろうか。
M8「ピアノガール」はピアノをバックに懐かしめのメロディを持った美しい曲。であるが、歌詞の方は自己嫌悪がこれまで以上に激しい。「人だって平気でだますし」や「人だって平気で刺すかも」と言いながら、これは決して開き直りではない。最後の一行は「お願い私をだまして」なのである。
ここに最も静かな曲を配置したのは、アナログ・レコードのA面の終わりというか、前半の終わりという意図があるのだろう。中ジャケも、この次にメンバーの顔写真(しかもどこか変である)が挟まれている。
M9「ABURA」は短い(1分30秒)インスト曲。実験的なものなのだろう。
M10「屏風浦」はギター、ベース、ドラムをメインにしたフォーク調の曲。中盤でのピアノとアコースティック・ギターのアンサンブルは絶妙である。屏風浦の恐らく名前も知らない少女のことを唄った歌詞は、他の曲に比べて毒はさほど無い。ただ一行「情には流されずに笑う」というシニカルな物言いを除いて。それよりも、「Do I wanna はずれたボタンを/戻してしまったクールダウン」というフレーズが、くるりにしては珍しく性衝動を遠回しに言っているようで興味深い。
M11「街」は昨年の11月にシングルとして発表されたもので、ゲストでDr.Strange Loveの根岸孝旨(Grapevineのプロデューサ)がドラムで参加している。インディーズ・バンドのような、クリーンではない音を出しているのは何故だろうか。曲はいきなり「この街はぼくのもの」と絶叫調で始まるのだが、途中は静かに丁寧に唄っている。歌詞は、まるで戦争勃発のためにシェルターに避難した主人公の心情を表現したかのようだ(想像が飛躍し過ぎかもしれない)。けれども、くるりは悲惨さを唄わない。「青すぎる空を飛び交うミサイルがここからは見えない」虚無な感情を歌にするのである。
M12「ロシアのルーレット」は、ドラムが異様とも思えるほど単調な曲。どうもわざと平板にすることを狙ったように思える。それとコントラストを成しているのが、1stヴァース終了後の米国オルタナティブ・ロックのような狂乱なインスト・パートである。歌詞はとても平常な精神状態とは思えない人物を一人称の視点から書いているが、普通だったらこれは三人称で書くだろう。何故なら、作詞者=主人公と思われる可能性が高いからだ。それにしても、「必要なのは愛だけさ愛だけさ/笑うなよ 殺すぞ」とは、一見矛盾しているようだが、こういった事例は掃いて捨てるほど存在している、過去も現在も。
ところで、最後の「身を削り言葉にして/あなたの脳幹にロシアンルーレット」という歌詞は、本作全体を表しているのだろうか。つまり、脈絡の無い言葉を並べることで、どこに毒を仕掛けているのか分からなくしているという意味で(考え過ぎか?)。
M13「ホームラン」はアップテンポで陽気な曲である。ちょっと昔のアメリカンポップスのようでいて、奇妙なフレーズが続いている。歌詞は業界とのコミニュケーション完全拒否が主題になっているようである。「ホームランボールは飛んでくるはずはないから」は○○賞、紅白出場といった栄誉は(今時栄誉だと言い張っているのは、大手マスコミだけだが)、自分たちには関係がないという意味にも取れる。最後の方では、「窓を破ったボールを僕等は投げ捨てるでしょう/記念になんてならない」とも唄っている。
M14「ガロン」は英語のナレーションが使われていて、前述したがSF映画を意識したかのようである。エレクトロ・ミュージックを大胆に取り入れているし、後半にはドラムン・ベースまで使っている。全体としての不整合さは、アルバム中一番か。
M15「宿はなし」は、個人的には本作中一番安心して聞けた。ソウルフラワーユニオンの奥野真哉がアコーディオンで参加しているせいか、曲調・アレンジも沖縄・中国民謡を思わせる。歌詞も他の曲と比べて救いがある。例えば最後の一節である「鈴の音は抱いた体の/腫れた傷だけを癒そうぞ」である。もちろん、「宙ぶらりん千のこころは/さざれ石すら動かせず」といった、無気力で虚無な自分たちを表したフレーズも登場するのだが。ところでここの一節は、昨年の国歌・国旗制定法成立に触発されて思いついたのだろうか。
(2000-5-1)