Mansun "Six"

(Part one)

 1. Six
 2.Negative
 3.Shotgun
 4.Inverse Midas
 5.Anti Everything
 6. Fall Out
 7.Serotonin
 8.Canser

(Interlude)

 9. Witness To A Murder(Part two)

(Part two)

10. Television
11. Special/Blown It(Delete As Appropriate)
12. Lgacy
13.Being Girl

※日本盤には14曲目にボーナストラックとして"I Care"を収録

 

  マンサンは1997年にデビューした英国のバンドである。本作"Six"は彼等の2枚目のアルバムであり、1998年に発表された。当初は特に本国のメディアから相当叩かれたらしいが、結局は1998年を代表するアルバムとして残ることになった。もとろん、私も本作を1998年のベストだと、ずっと思っている。買った当初の感想を一言で表せば、「圧倒された」であった。

 このアルバムの一番の特徴として、曲調が目まぐるしく変化することが挙げられる。そうでないのは全13曲中、M4、M7、M9、M12の4曲だけで、他の曲では全く異なるフレーズ、テンポが次々と繰り出されている。よく言われる、Aメロからサビメロ経の展開といった生易しいレベルではない。本作では全く違ったフレーズ、普通ならば別の曲にしてしまうものを1曲に収めているのである。このあたりはむしろ、60年代末〜70年代初期のプログレッシブ・ロックとの共通性が見られる。例えば、ジャケットにも書かれているように、アルバム全体を"Part one"、"Interlude"、"Part two"と区切っているところもそうである。私も本作を一言で表現するならば、「パンクもしくはニューウェーブをプログレッシブ・ロック風に展開したアルバム」と言うだろう。パンクの特徴とも言える攻撃的かつ性急なビート感覚、あるいは前作からの路線とも云える80年代の英国ニューウェーブのダークかつ猥雑な感覚、それらをまるでルール違反(ロックにルールがあること自体がそもそもの間違いなのだが)するかのように、1曲あるいは複数曲の中で曲調が展開されている。ひたすらわがままに、ひたすら怪物を作ることを目指した野心作であるように、私には思える。

 当然のことながら、本作はいわゆる「売れ線アルバム」ではない。シングルに向いてそうな曲はM13のみである。本人達も「ラジオ・フレンドリーな曲なんて書きたくなかった」とも言っている。確かにとっつきにくいかもしれない。しかし、ポップなセンスは至る所に見られるのである。

 なお、本作でギタリストのチャド・スミスが単独で書いた2曲は、どちらも、先に挙げたあまり激しく展開しない曲である。

 2番目の特徴として、ギター使い方が絶妙であることが挙げられる。前作がシンセサイザーに偏りすぎたかのような印象があるのに対し、本作ではギターに比重が置かれていることは確かであろう。それによって、アレンジは全体として攻撃的になったとも言える。しかし、轟音ギターを聞かせるわけではない。むしろ、オーケストラを意識したかのような扱いである。あるいは、音響にこだわった奏法とも言っていいだろう。かといって使用したエフェクタの種類はそれほど多くないようだ。

 また、キーボード類もかなり使われているが、これも凝った使い方をしている。ギターの無いパートでは、ハープシコードやピアノといった古くからある楽器を使っているが、シンセサイザーはギターを弾いているパートで出てくる場合が殆どであり、しかもギターを押しのけるような振る舞いはしていない。むしろ効果音として使われているのである。つまり、アレンジ自体はライブ感覚を意識してか、シンプルなのだが、非常に凝ったサウンドであるという、一見非常識な試みが見事に成功しているのである。

 3番目の特徴としては、これが欠けたらマンサンとは言えないと誰もが思うであろう、ポール・ドレイパーのボーカルである。基本的には中性的な歌声の持ち主であり、それがまたUKニューウェーブの頃の歌手達と共通している。一方でポールの場合はヴォコーダを通した声やファルセットを多用していたりする。つまり声の使い分けをしているのだが、特異なのは、それを1曲の中で何度も反復させたりすることである。

 一方、ベースとドラムは、殆ど縁の下の力持ち的役割に徹している。それほど凄いところを見せつけるわけではない。ではあるが、M6ではドラムン・ベースのような音を出しているし、M8では心拍音のようなドラミングも披露している。なお、あくまでも私見であるが、ドラムン・ベースと心拍音には共通性があると思っている。

 4番目の特徴には歌詞を挙げたい。本作にはラブソングは1曲も無い。どちらかというと、世間に向かって悪意や憎悪感をむき出しにしている傾向がある。ただし、「誰それを打ちのめせ」という歌詞でもない。世間と和することが出来ない、自分個人のことを表現している。
 例えばM1では、「人生はどうしたって妥協の産物だ」と唄い、M2では、「僕は下の方を見る/ネガティブに感じる/ネガティブに見える」と唄い(「下の方」と「ネガティブ」はもちろん呼応した単語の選択である)、更に、M5では「全てに反対だ」と唄っている。

 一方、社会に目を向けた歌詞も多い。M3は道家思想(タオイズム)を題材にした内容だから、当然アンチ現代社会である。また、M8では、はっきりしたカトリック教会批判を歌にしている(ポールはインタビューでもカトリック教会批判を何度となく口にしている)。

 更に、社会性のある歌詞ながら、一人称や二人称にすることで、ストレートな物言いを避けたような曲もある。M10は、マルチメディア社会での個人の尊厳が失われることを嫌悪しながらも、それに操られて行く人間を唄っている。ここでは一人称歌詞にしているが、実際は誰の身の上にも起きていることであり、社会性のある歌詞だと思う。また、M12では「君があの世に行くとなったら金は要らない」とか「君が死んだら忘れ去られるだけ」といった歌詞が唄われており、これを彼女に向けた歌と解釈すれば、悪意に満ちた男の言い分となってしまうが、ここでの"you"は、資本家や成金へ向けられている。英語だから単数なのか複数なのかはっきりしないところを逆手に使っているのだろう。

 本作のことについて当の本人達は、「新しいことをやっているとは思わない」とのコメントを残している。なるほど、私が知る範囲では、The Whoの"Quadrophenia"も、曲展開の多さや、攻撃的なハードロック、シンセサイザーの多用といった、本作に通じるようなアプローチをしている(もちろん大傑作である)。あるいは、同じくThe Whoの"Who Are You"なども、ギターを音響楽器に近い形で使っている。また、フレーズ単位で聞いて行けば、80年代UKニューウェーブそのままかな、と思える部分もある。しかし、それを組み合わせて1曲とする手法は、少なくともメジャー・シーンでは前例が無いのではないか。

 90年代におけるロックの困難性は、「新しいと思っていても、常に前例がある」ことだろう(余談だが、The Whoの"905"はこの90年代での現実を1978年に唄っている)。全く斬新なサウンドというのは、もはやロックでは幻想でしかない。課題にすべきは、先行例をどのように組み合わせるかである(60年代から既にロックはそういう代物であったという説も非常に説得力を持っているが、ここでは言及するのを避ける)。その意味において、本作は、マンサンを90年代後半を代表するバンドの1つに押し上げた傑作なのである。

(2000-4-23)

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