The La's "The La's"

 

 

  The La'sは、1980年代末にデビューし、たった1枚のアルバムを残して解散してしまった英国リヴァプール出身のバンドである。ベーシストのジョン・パワーはその後キャストを結成し、2ndアルバム以降は地味ではあるが活動を続けているらしい。一方、作詞・作曲、ボーカルを担当していた、リーダーのリー・メイヴァースは、何をしているのだかさっぱり分からないまま10年が経過してしまった。おそらく、復帰することも無いだろう。だが、ここで取り上げる"The La's"というアルバムは、発表後10年を経過してもなお色褪せない作品である。

 当時、英国ロックファンの多くは本作を聴いて狂喜したに違いない。しかし、リー・メイヴァースは本作のプロデュースに不満で、「このアルバムは買うな」とまで言っていた。最後の曲M12を除くと、曲の良さを25%も引き出せていないそうだ。しかし、それならば何を傑作というのか、という問題が発生するのだが、未だに誰にも答えは出せていない。もちろん、リー本人にもである。

 今聴き返してみると、確かにプロデューサーが勝手に後から音を追加したようなところもあるし、ボーカルの録り方にも荒っぽいところを感じる。これはメンバー達が途中で録リ直しを拒絶してしまったためであろう。しかし、そういう面を差し引いても、本作は名盤であると思う。まず何と言っても、リー・メイヴァースのメロディ・メーカーとしての才能であろう。その次はビート感覚になると思う。ドラムはそうでもないのだが、ベースとギターは、1950年代のR&Bやその影響を受けて出来た1960年代のブリティッシュ・ビート感覚を90年代初期に蘇えらせることに成功した。3番目に来るのが、リーのボーカル・スタイルで、黒人のR&Bやブルース歌手の模倣の域を脱してはいなかったが、当時「英国バンドのボーカルはどれもこれも弱い」という定評には当てはまらない存在であった。

 では、ザ・ラーズは当時の英国において特異な存在だったのかと問われれば、決してそんなことはないだろう。黒人音楽(あくまでも昔のである)のビート感覚という点からすれば、例えばザ・ストーン・ローゼズの1stの最終曲"I Am The Ressurection"の前半など、モータウンのリズムに近いものがあるし、メロディについても同期のバンドの殆どが重要視していたことである。

 さて、ザ・ラーズに関する誤解として、ネオアコ一派というものがあった。なるほど、アコースティックやセミアコースティック・ギターを多用した音作りから、そういう風に思う人がいてもおかしくは無いし、それによってザ・ラーズに関心を持つ人が増えたとしても悪いことではない。しかし、上記のビート感覚という点からして、ネオアコとはかなり隔たりがあるのではないだろうか。

 次に歌詞に関してだが、ラブソングといえるのはせいぜいM5だけである。他は、ブルースの歌詞を、80年代に少年期を送った人間なりに解釈したようなものが多い。何が本家のブルースの歌詞と違うかというと、まず女性が出てこないこと(M8には一応出てくるが)、そして強がる男ではなく、弱さを正直にさらけ出しているところだと思う。

 では、各曲毎に見て行く。

 M1"Son Of A Gun"は、アコースティック・ギターをベースにした、パーカッションが印象的な曲である。アコースティックと言っても、アルペジオでなく、カッティングが主体であり、弾むようなビートが良い。特にイントロは、アルバムの開始という雰囲気を良く表していると思う。

 歌詞は、ある男の人生についてである。そのある男は、明言されていないが、テロリストなのだろう。まるで、語り部による物語という体裁である。語り手は、態度をわざと曖昧にしているが、このテロリストに対して共感を抱いているのだろう。

 

 M2"I Can't Sleep"は、これぞ正調ブリティッシュ・ビートと言える曲。コーラスの掛け合い、(エレクトリック)ギター、ベース、ドラムのサウンドが良い。ボーカルはブルースのフレージングからの影響であろう。例えばジョン・リー・フッカーだとか。

 歌詞は、ドラッグ礼賛と受け取られても仕方がないだろう。当時はレイブ・パーティが盛んだっが、ザ・ラーズとレイブ・パーティにはあまり関係性がなかったはず。

 

 M3"Timeless Melody"は、リーの意志がそのままタイトルに現れた曲。ビートは硬質なのに甘いメロディという組み合わせは、少なくともこの曲においては、決してミスマッチの良さとして表現されているのではない。ギター・ソロは粘っこくてワイルドだ。

 歌詞は、メロディへの絶対的信頼を唄ったもののようで、裏返しとして、「言葉さえも僕を裏切る」という歌詞が登場する。だからといって、本作の歌詞がいい加減に作られているわけでもないのだが。

 

 M4"Liberty Ship"は、ボ・ディドリーのアコースティック・バージョンという趣の曲で、ベースとアコースティック・ギターが打ち出すビートが良い。キーボードが入っているが、プロデューサーが後から勝手に追加したのだろう。

 歌詞は、自らを船員あるいは水兵に喩えた主人公が、人類のために自らを犠牲とする、という内容である。元々はトラッド・ソングから来ているのかもしれない。しかし、「人類のため」というのは、極めて現代的である。少々おおげさな気もするが、ジョン・レノン的でもある。

 

 M5"There She Goes"は、リーの最高曲というだけでなく、80年代末から現在においても、英国ロックの名曲トップ10に入る曲だと思う。他の曲でのリーのボーカルが比較的ラフなのに対して、この曲では実にセンシティブである。ただし、こういう「名曲」に対しては、得てして「もっと良いアレンジが出来るのではないか」との疑念を持ってしまう。

 歌詞は、表面的には、片想いの心境を唄ったもので、本作中唯一ラブソングに入ると考えられる。しかも彼女は、決して主人公の手に入れられる人ではないらしい。更に、この女性に関する人物描写や、彼女の何処に惹かれたのかという点が一切省略されている。加えて、「彼女が僕の名を呼ぶ/彼女が僕のtrainを引っ張る」という一節も意味不明だ。ここでは、思いきり飛躍した解釈を提示しよう。

 まず、"train"だが、通常の意味では列車ではあるが、「裾」という意味もあるようだ。もしも、その意味で使われているとしたら、相当奇妙なことである。「彼女が袖を引っ張る」ならいい。だが、裾だとしたら、二人には相当身長の差があることになる。ということは、この歌詞に登場する「彼女」は幼児であると考えられる。したがって、このヒロインは「僕」の娘であり、しかも幼い時に死んでしまったのではないか、と考えられるのである。だからこそ、記憶がおぼろげであり、よって人物描写が一切無いのである。

 

 M6"Doledrum"は、アコースティック・ギターでビートを打ち出している曲。コーラスワークが特に良い。パーカッションは後から追加したのかもしれないが、効果音としては秀逸である。

 歌詞は、ドールドラムという街から抜け出したいと願う青年のことを唄ったものである。ジ・アニマルズの「朝日のない街」と全く同様の心境のようだ。例えば、「95歳もドールドラムで見ることになるのか」など、その最たる一節であろう。 

 

 M7"Feelin'"は、M6とは逆にエレクトリック・ギターを中心としたサウンドである。しかも、この音が60年代そのままである。

 歌詞は、"Feeling"つまり何らかの感覚に襲われる自分について唄ったものなのだが、その感覚が主人公にとっては気持ちが悪いものでありながら、主人公を後押しするものなのだそうだ。

 

 M8"Way Out"は、3連符のリズムを持った曲。ギターの一音一音の粒が細かい。ギター・ソロのフレーズは、中期ザ・フーに近い雰囲気がある。

 この曲の歌詞も、「ここから抜け出してやるんだ」ということが主旨になっていて、M6と共通するものがある。

 

 M9"I. O. U."は、ガットギターを使っている。これもM2と同様に60年代前半のブリティッシュビート感覚に溢れた曲である。

 なおタイトルは、"I Owe You"の書き替えである。つまり、「僕は君に依存する」ということか。

 

 M10"Freedom Song"は、ここまでの曲とは異なり、スローな曲である。これも60年代のビートルズやストーンズを髣髴させる曲であるが、パーカッションだけは80年代中期以降を経た感覚である。ベースが何より良い。

 歌詞は、タイトルが「自由の歌」となっているのに、自分達が体制側に敗北したことを認めているようである。

 M11"Failure"は、ノイジーなギターと混沌としたドラムが印象的な曲。今現在聴くと、ブレークビーツの感覚に近いような気がする。手拍子が入るところは、60年代風だが。

 歌詞は二人称形式で書かれているが、新人が二人称形式で歌詞を書くことは珍しい。ここに登場する「君」は、実際は作者そのものであるのだろう。

 歌詞は、「君は失敗を捨ててしまうことなど出来ない」で幕を開けるのだが、これだけを読むと、「君」は作者自身の投影なのかな、と思ってしまう。しかし、2ndヴァース以降を読んでみると、「君」が家族と向き合えずに自室に引きこもる様子が描かれており、なんだか、フランツ・カフカの「変身」を元ネタにしているようにも思えた。ただし、「変身」の結末のような残酷物語では決して無いのだが。

 

 M12"Looking Glass"は、他の曲が2分近くの長さなのに対して、これだけ8分弱という長い曲である。アコースティック・ギターに誘導されて、リーの繊細なボーカルが始まる。しかし、次第に迫力を増して行く。後半になるとテンポアップし、混沌とした状態に移って行くのだが、ベルベット・アンダーグラウンドとの関連性は定かではない。この曲は他に比べてライブ感覚に溢れているし、しかも小ホールで録音したかのようなボーカルの息遣い、ギター・サウンドが聴ける。リーがM12以外は全てゴミと言っていた理由は、この辺に鍵があるのかもしれない。

 歌詞は、大意としては、
「過去の歴史を無視して生きていくことは出来ないが、時代は流れているのだから、それに囚われるべきではない」、
ということなのだろう。そして、タイトルの「鏡」は、自分や社会のもう1つの姿を写し出すものの象徴であろう。 だが、文脈としては否定的な扱いをされているようだ。どちらかと言えば、「虚像」に近いと思う。サビのパートでは、「鏡の中では、僕は皆を知っていて、皆は僕を知っている」となっているからだ。更に、直後に「鏡は割られる」とされ、引き続くヴァースでは「割られた鏡はそこで地面に眠る」なのである。

 この歌詞は、本作に続いてザ・ラーズが何枚ものアルバムを残せていたら、象徴的なものとなっていたであろう。本作で提示された音楽は、60年代のブリティッシュ・ビートを基調としているし、それを90年代の感覚で表現しようという意欲が感じられないこともないが、まだ60年代の音楽に頼り過ぎているような面が強い。そして、それは2nd以降の課題となったはずであった。

 更に惜しむらくは、リー・メイヴァースとジョン・パワーが非凡なドラマー(例えば、ストーン・ローゼズのレニ、ニルヴァーナのデイヴ・グロールといった人達)に出会えなかったことである、と個人的には思っている。

 

 

(2000-11-23)

 

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