J. Mascis + The Fog "More Light"
1. Same Day
2.Waistin
3. Where'd You Go
4.Back Before You Go
5. Ground Me To You
6. Ammaring
7.All The Girls
8. I'm Not Fine
9. Can't Take This On
10. Does The Kiss Fit
11.More Light
Jマスシスは、1980年代後半から90年代前半にかけて、オルタナティヴ・ロックバンドとして影響力を誇った、ダイナソーJrのリーダーであったわけだが、当時においてもメロディ・メーカーとしての力量は抜きん出ていたと思う。もしも、Jのボーカルがヨレヨレでなく、カート・コバーンのように正統的な上手さがあったら、ニルヴァーナやスマッシング・パンプキンズとまでは行かなくても、もっとレコードが売れたことであろう。実際、「ホエア・ユー・ビーン」は英国チャートではトップ10入りを果たしてもいた。とはいえ、ダイナソーJrの場合、狂ったようなギター・サウンド、ドラミングに対して、ボーカルのヨレヨレ具合のミスマッチが魅力であったことも確かではあるのだが。
本作は、J.マスシスがダイナソーJrとしての活動を停止後、初のソロ・アルバムである。ザ・フォグというバンド名を冠しているが、バンドとしての形式は保持されていない。それよりも、アルバム・タイトルの「モア・ライト」に引っ掛けて、「霧」というバンド名を追加しただけのことだろうと推測されるのである。
ダイナソーJrの末期の作品は良いものだったし、新しい試みを取り入れたりしていたのだが、どうも筆者としては満足できなかった。作品からは迷いのようなものが感じられたし、無理に無理を重ねているようにも思えた。それは、ダイナソーJr=J.マスシスのようなバンドでありながらも、マーフやマイケル・ジョンソンといったメンバーが去って行ったことと何らかの関係があったのかもしれないが、よくは分からない。
しかし、本作は違う。一言でいえば「Jマスシス、復活」だろう。一聴して、「バグ」や「グリーン・マインド」時代を思い起こさせるような、J.マスシスが感じ取られたのである。特にM1でいきなりJ.マスシスが唄い出すという構成は、「ワゴン」を思い出させてくれる。そうは言っても、当時受け取った感覚とはかなりの隔たりを感じたことも確かである。気になって、昔のアルバムを聞き返してみたのだが、不思議なことに、当時はあれほど暴力的に感じたサウンドが何故かポップに聞こえたのだ。やはり、時代は流れているのである。
こう書くと、本作はまるで過去の焼き直しのみに終始しているように受け取られてしまいそうだが、それは本意ではない。本作は、「王道J.マスシス」と呼んで差し支えない、ポップなメロディとノイジーでありながら開放感溢れるなギター・サウンドを基底に置きながらも、紛れもなくダイナソーJr末期を通過したアルバムである。このことについて、もう少し詳しく述べる。
(1)メロディ
上記の通り、本作中の曲は、最後に収められたタイトル曲(M11)を除いて、どれもメロディがポップであり良質である。「バグ」や「グリーン・マインド」を超えていると思う。この過去の2作品においても確かにメロディは良いのだが、ちょっとダラダラした感覚があるのは否めなかった。しかし、本作にはメリハリがある。やはりポップなメロディとメリハリ感とは切り離せないのではないかと思う。このメリハリ感は、特にスローな曲において効果を発揮している(M2)。
なお、M11に関しては、メロディ云々で判断すること自体間違っていると思える。何故なら、この曲はまるでジェット機のようなノイズ・ギターを主体としており、ボーカルはあくまでも脇役(この曲だけ故意にくぐもった音処理を施している)であるからだ。それにしても、タイトル曲だけ異質というのも、何か意味深である。
(2)コーラス・ワーク
本作にはガイデド・バイ・ヴォイセズのボブ・パラードがコーラスで参加している。ボブ・パラードがビートルズ・マニアであることは、知る人ぞ知ることであるが、なるほど、コーラスワークは今まで以上に決まっている。ゾンビーズやホリーズのようなボーカルの掛け合いが聞けるM8は、ポップなメロディをより強く押し出すことに成功している。
(3)ギター・サウンド
昔からのファンであれば、J.マスシスが凄いギター・プレーヤーであることは周知であろう。本作においても、カッティングにしてもソロにしても、相変わらず誰も真似の出来ないような演奏である(M3、M4)。加えてマイ・ブラディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズの参加によって、ギター・サウンド自体がヴァラエティに富んだ仕上がりになっている。M11もそうだが、M6は好例である。この曲では3度もギター・ソロが入るのだが、3度とも異なるサウンドにしているのだ。個人的には、最後のソロの音が管楽器のような音色であり、ハーモニクスのような音処理が施されていて、一番面白かったのだが。
また、ギターの音色という点では、上記のM6の他にM7も非常に気を配っていると思う。好き勝手にギターを弾きまくるというイメージの強かったJ.マスシスだが、やはりダイナソーJr.での試行錯誤を経て、こういった丁寧な音作りに開眼したのであろう。
(4)キーボード類の多用
これが、(5)と並んでダイナソーJr.末期を通過したアルバムであることを感じさせるポイントである。M2やM5では、暴力性よりも浮遊感や優しさが感じられる。M2のキーボードの使い方は、音響派とのつながりまで感じさせる。そうはいっても、M5ではシンバルを多用し、リズム面では攻撃的なのだが。
(5)ビート感覚
元々J.マスシスはドラマーであり、奔放なスタイルを得意としていたのだが、本作ではドラマーとしての凄さを見せつけるアレンジはあまり無い。これは正直なところ残念ではあるのだが、代わって、タメのあるリズム・アクセントが効いている曲(M3)や、90年代後半のブレークビーツ以降のビート感覚が出ている曲(M9)が耳に付く。ケヴィン・シールズは一時期ジャングルにハマっていたことがあるそうなので、それと関連性があるのだろう。
以上が曲やアレンジ面での本作の特徴である。続いて歌詞について述べるのだが、正直なところ、これまでJ.マスシスの書いた歌詞をまともに読んだことが無かったので、過去の作品との対比は出来ない。よって、本作内でクローズした話となる。
かつてのインタビューで、ミニアルバム「ワゴン」の歌詞について聞かれた時、J.マスシスは、「似たり寄ったりのことを何度も書いているだけ」と答えたことがある(クロスビート誌上)。その時は、怠け者のテキトウな受け応えにしか思えなかったのだが、今回本作の歌詞を読んでみて、その応えがまんざら嘘でもないことが分かった。確かに、どの曲にも似たようなキーワードが散りばめられている。
特に多いのが、「時間を無駄に過ごす」という句である。M2はタイトルがそのままだし(ただし、綴りはわざと「ウエスト=腰」の動名詞に変えてある)、M3でも同様なことが唄われている。その一方で、M8では「待つことにうんざりした」や「霜になることにうんざりした」と唄われ、M7、M9では、「無駄には過ごしたくない」と唄われているのである。M2、M3においても、前後関係から判断すれば、「無駄に過ごしたくない」というのが本音のようだ。確かに、かつてのJ.マスシスには怠け者というパブリック・イメージが付き回ったが、今ではそれが不正確である例が幾つも知られている。ということは、J.マスシスの中で「怠け者」に対する強迫観念があるのではないかとも思える。
それがストレートに表面に出てしまったのが、M10かもしれない。この曲には、「僕は暢気過ぎるんだ」という歌詞が登場する。その暢気さ故に恋愛が上手く行きそうにないことが仄めかされている。文脈的には、自らの性格について開き直っているようにも思えるし、逆に自己嫌悪であるようにも解釈できる。
このような心境は、タイトル曲の"More Light"でも同様のようだ。1stヴァースの歌詞に「僕は一晩中起きている」という一節があるのだが、これは一見、M1やM2における「眠っていた(る)自分」とは正反対である。しかし、自分から進んで起きているわけではなく、何か強迫的なものがあって、眠れないらしいのである。
このように、アルバム全体として、現状に対する嫌気が唄われていると言って間違いないだろう。同時に、その原因を社会のせいにしていないところも特徴である。これは、J.マスシス自身が比較的恵まれた環境に育ったことも無関係ではないだろう。そして、そんな中流育ちとしての宙ぶらりんな心境は、現状への打開策にもそれらしいものが感じられる。即ち、「もっと光を/僕を光で満たしてくれ」である。「光」はポジティブな響きを持ってはいるが、それを自ら勝ち取るのではなく、与えられることを願っている。自身の無力さを認めたようなものである。先行する曲の幾つかにおいて、努力という単語が出ているのだが、締め括りとして、かつタイトルとして、「もっと光を」と唄ったのであるから、これを結論としても、あながち間違いではあるまい。
(2000-11-8)