George "Polyserena"

 

01. Release
02. Breaking It Slowly
03. special ones
04. Rain
05. Truth
06. Bastard Son
07. Strange Days
08. chemical dreams
09. Sellout
10. Run
11. Breath In Now
12. That's When You Come To Me
13. Spawn

 

 ジョージは、オーストラリアのブレスベン出身のバンドである。キャリアは6年くらいになるそうだが、本作がファースト・フルアルバムであり、また日本でのデビュー作となる。メンバーは5人で、このうちタイロンとケイティのヌーナン兄妹が中心となって曲が作られている(ギターのニック・スチュワートも作曲に関わっていることが多いが)。

 だが、このヌーナン兄妹が共作という形を取ることは全くない。いずれの曲もタイロンあるいはケイティの単独名義か、タイロンとニックの共作、ケイティとニックの共作(更にクレジットが追加されている曲もある)である。また、タイロン作品ではタイロンがリードボーカルを取り、ケイティ作品ではケイティがリードボーカルを取っている。バンド活動を続けるうちに複数の対等なソングライターを抱えるというのは、珍しいケースではないが、デビュー期からそうである点は珍しい。これは、作曲に関する習熟度が、メンバー間でマチマチになるのが普通だから、と考えれは納得が行く。レノン=マッカートニーは例外だが、初期ビートルズにおいて、レノンとマッカートニーそれぞれの作品に際立った差が見られたわけではない。マニアが聞けば違いが分かる、という程度であろう。

 ところがジョージの場合、タイロンとケイティの作品には、あまりにも違いが大きい。しかも、バンド側はその差を敢えて際立たせようとしているようにも、筆者には感じられる。こういうことは、マスコミが「バンド不仲説」を書き立てるのに、格好のネタを提供していることになりがちで、普通はしないものである。その点も実にユニークだ。

 本作は既にオーストラリアで1位を獲得していることからも分かるように、決してとっつきにくいものではない。むしろ、ポップス・ファンであればだれでもすんなり溶け込めるような出来上がりである。だが、薄っぺらい「産業ポップ」ではないこともまた確かである。西欧クラシック、ジャズ、ロック、スカ、そしてノイズ、ダンスやエレクトロニカといった雑多な音楽が、本作には詰め込まれている。しかも、実験的であるのに、決してマニアックではなく、ポップだ。

 では、歌詞についてはどうであろうか。これも、タイロンとケイティとではかなりの違いがみられる。ケイティの書く歌詞は、性急であり、挑発的である。特に、「あなた」に対しては容赦をしないようで、すぐにでも行動を求めるといった歌詞が目立つ。もちろん、自分自身に対しても、強くなることを同時に求めている(でなければ、単なるアジテーターに過ぎない)。

 一方、タイロンの書く歌詞は、表層的には非常に穏やかである。批判精神も多分にあるが、その対象は第三者である。それに対し、「あなた」への非難や挑発は殆どない。また、自分自身を弱い者と捉えている向きがあるようだ。

 ただし、どちらが歌詞を書いたに関わらず、体制批判と解釈できる歌詞が多いことも確かである。ただし、英国人とは異なり、婉曲した表現を好むようだ。

 ところで、本人たちはインタビューにおいて、「クラシックとポップスの融合」と語っているようだ。だが、本作にみられる貪欲さはそのレベルを超えていると思う。どうも、本人たちも、自己の音楽性に関する分析が出来ていないようではあるが、そんなことはどうでもいいだろう。問題はCDなどの作品そのものなのだし。それに、無自覚な人たちの生み出す作品の方が、却って面白いという事例は多々ある。

 

 それでは、各曲ごとに見て行く。

 M1 は、パーカッションによるイントロで幕を開ける。この曲とM12のイントロがパーカッションなのだが、もしかしたらアボリジニの音楽に関係があるのかもしれない。  この曲はケイティ単独名義の作品である。オーバードライブ気味のギターリフが印象的だが、ギタリストのニックの趣味(レッド・ツェッペリンの大ファンらしい)がそのまま反映されたのであろう。メリハリのあるキャッチーな曲であり、アルバムの冒頭に持ってきたのは正解だと思う。

 歌詞は、名詞を連ねた(すべて独立で並列な価値を与えられている)ヴァース部と、タイトルにもある「解放される用意が出来た」というコーラス部から成り立っている。ヴァースの"thank you"の相手は特定されていないと受け取るべきであろう(神とも違うような気がする)。

 M2 はタイロンとニックの共作である。まるでAORのような優しいボーカルで英国調のメロディを唄っている。だが、ドラム・パターンは90年代後半に隆盛となったダンスビート風だ。こういった試みは、一歩間違えると流行の尻馬に乗った安直な作品になってしまうが、ここではそうならずに、非常に面白いアンバランスさを感じさせている。また、控えめなキーボードが良い味を出している。

 歌詞は、行き過ぎた資本主義が招く社会問題への言及(公害、貧富の格差)のようだ。だが、歌詞から受ける印象は、アジテーションではないし、皮肉でもない。「静観」というのが一番近いか。

 M3 はケイティとニックの共作である。アコースティック・ギターに乗せたボーカルは、ケイト・ブッシュに似たスタイルを取っており(いや、他の曲でもケイト・ブッシュに似たところが目立つが)、口承文学風である。中間部のホルンとトランペットが良い。

 歌詞は、「女から男への三下り半」という形を取った、社会批判のように思える。主人公が三下り半を叩きつける(?)のは、相手への幻滅が理由となっている。しかしここでは、他でよく見られるような幼児的な一方的非難ではなく、自分が成長したから、相手の駄目さが分かってきた」という点が重要だと思う。

 M4 は、タイロン単独名義の作品である。ゆったりとしたテンポの曲で、タイロンのボーカルも雄大なスケールを感じさせる。メロディは「ありがち」に聞こえてしまうが、アレンジはありそうでなさそうな気がする。

 歌詞は、体制から抑圧されるカップルについて唄われているようだ。"rain"はもちろん「涙」のメタファーである。この曲の歌詞は非常に分かりづらくなっている。それは、主人公と彼女のうち、どちらがより弱い人間なのかはっきりしないことにある。冒頭と終わりでは主人公が救いを「君」に求めているのに、中盤では、彼女を見守る主人公という設定になっているのだ。もっとも、それがこの歌詞のポイントであることも確かであろう。ある人間が常に強いという設定には無理があるからだ。

 M5 は、ケイティ単独名義の作品である。ケイティのボーカルにドラムとベースが加わるくらいのシンプルな編成である。恐らく、ケイティのボーカルだけに聞き手を集中させるために、このようなシンプルなアレンジになったのだろう。

 歌詞は、真実を求める作者の姿を投影したものであろう。確かに、言わんとすることに反論する気はないのだが、あまりにも説教臭く、聞かされる方がうんざりするのではないか、と個人的に思う。タイロンの書く歌詞とのバランスの上では丁度いいのかもしれないが。

 M6 は、タイロン、ニックとMチャリスという3人による共作である。冒頭にはエレクトロニカ+ダブが引用されている。中盤になると、ストリングスが加わり、少々大仰になる。このパートはバッキングがザ・キュアーを連想させるが、ボーカル・スタイルもどこかロバート・スミス風だ。

 歌詞は、"bastard son"すなわち、他人のろくでもない息子への批判がテーマになっているはずなのだが、歌詞の大半は文学的で何を言いたいのか、他人にはさっぱり分からない内容である。

 M7 はケイティとチャリスの共作である。静と動の全く異なる雰囲気のパートをつないだ曲である。静のパートではクラシック調のメロディの奥でシンバルがリズムを刻んでいるが、これもあまり聞いたことのないアレンジだ。
 だが、この曲での一番の聴き所は、ダブル・トラック録音されたケイティのボーカルとバッキング・ボーカル(タイロンが取っているらしい)であろう。

 歌詞にも、タイトルの"strange days"は登場するが、さして重要な役割は与えられていない。むしろ、「金で買えない大切なものを追求して行くことが大事だ」が作者の伝えたい「言葉」なのではないか。

 M8 は、タイロンとニックの共作である。スローな曲でストリングスが導入されている点については、従来からあったことだが、左チャンネルから聞こえる打楽器の音は、紛れもなく「エレクトロニカ」からの影響だ。

 歌詞はドラッグを連想させる。といっても、昨今のドラッグをキメて踊り明かす(60年代のモッズも同様であった)という趣旨ではない。むしろ、ヒッピーの思想に近い(ドラッグによる平和、覚醒)内容である。タイトルに"chemical"とあるのだから、マリファナなどではなく・・・

 M9 は、ケイティ単独名義の作品である。ギターノイズが使われたり、パーカッションとベースがスカビートを叩いたりとやりたい放題(そこまで行かないか)である。メロディは決してキャッチーとはいえず、どこかブルースの影響を感じさせる。

 歌詞は、消費社会や過度な情報化社会への批判であろう。同時に、そういうことに対して盲目的な一般大衆への批判にもなっている。

 M10 は、タイロン単独名義の作品である。イントロは非常にキャッチーで、ヒットを狙った作りかなと思わせるのだが、ボーカル・パートは決してキャッチーとは言えない。もちろん、メロディ時代は非常に良いのだが。

 歌詞は、好戦的な体制への批判(核戦争により人類が滅亡するとの警句とも取れるフレーズがある)とラブソング(こちらは、逃げ出さないでくれ」との哀願)が同居している。これをカム・フラージュと取るか、聞き手に選択権を委ねていると取るか・・・

 M11 は、ケイティ単独名義の作品である。エレクトロニカ風イントロに始まり、ボーカルが加わる。M9と同様に、クラシック調のメロディの中に、ブルージーな要素が含まれている。ハープシコード風あるいはハモンド・オルガン風のキーボードも良い。

 歌詞は、「今という瞬間を大切にしよう、正直に生きよう」といメッセージである。興味深いのは、自己愛と他者への愛が1曲中に同居していることで、普通はどちらかについてのみ唄うものなのだが。

 M12 は、タイロン、ニックとCカールトンという3人による共作である。打ち込みのドラムとキーボードにイントロが実に奇妙だ。元は別の曲だった二つのものを一緒にしたような印象がある。前半は、戦前ジャズ調、後半はレッド・ツェッペリン(ドラミングがジョン・ボーナム風の無茶フィルインである)と書けば分かり易いかもしれない。k例ティのバッキング・ボーカルが良い。

 歌詞は、メタファー尽くしのラブソングになっている。しかし、タイトルが「君が僕の元に来るとき」なのに、歌詞中では「僕が君の元へ行く」あるいは「僕は君の手を取る」ことになっており、整合が取れていない。不可解である。

 M13 はケイティ単独名義の作品である。本作中最もロック度の高いアレンジである。ケイティのファルセットは本作中一番の高音であり、一体どこを振動させているのか不思議に思うくらいだ(例えば、マライヤ・キャリーのそれに近い)。

 この曲の歌詞も「時間を無駄にしてはならない」というメッセージが含まれているようだ。「若者にとって時は太陽だ」という一節があるが、ここからは、多様な解釈が可能である。「一番重要なもの」、「やがては沈むもの」などなどである。それに対し、老いることのむなしさや恐怖が挙げられてもいる。

 

 なお、日本盤にはボーナストラックが収録されている。タイトル曲もその一つだが、「無造作」の感は否めない。曲間を開けるなどの工夫が欲しかった。

 

 

(2002-9-8)

 

 

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