The Doors "The Doors"

 

1. Break On Through (To The Other Side)
2. Soul Kitchen
3. The Crystal Ship
4. Twentieth Century Fox
5. Alabama Song (Whisky Bar)
6. Light My Fire
7. Back Door Man
8. I Looked At You
9. End Of The Night
10. Take It As It Comes
11. The End 

 

 本作はドアーズの1stアルバムである。発表は1967年である。個人的には2ndの方が好きだが、世間では最高作に挙げる人が多い。全11曲中カバーはM5とM7の2曲で、他はオリジナル曲である。フェイド・アウトで終わる曲が一つも無いのだが、何か理由でもあったのだろうか。

 本作を聴いて第1に印象付けられるのは、レイ・マンザレクのオルガンとジム・モリソンのボーカル・スタイルであろう(これらについては後述する)。しかし、ドアーズのサウンドの核はベース・サウンドにあると思う。ドアーズにはベーシストがいなかったが、これは彼らがベースを軽視していたのではなく、正反対にベース・サウンドに並々ならぬ関心を持っていたためである。最適なベーシストに出会えなかったのだ。その代わり、ギタリストのロビー・クリーガーがギターの低音弦を使ったり、あるいはレイ・マンザレクがベースを弾いたりしているのだが、本職のベーシストがいる他のバンドよりも遥かに面白い結果を生んでいる(ザ・フーは別として)。

 次にレイ・マンザレクのオルガンについてだが、メロディ楽器としてよりも、そしてコード楽器としてよりも、まずは音響楽器として使われているところに注目すべきであろう。奇妙な音階を奏でていることが殆どだが、それがメロディとしての面白さを狙っているとは思えないのだ。むしろ、「響きそのもの」を重視していたとしか思えない。更に、特筆すべきなのは、ドラムやギターとの整合性の悪さである。まるでバラバラのアンサンブルなのに、それが心地よく響くのだから、本当に不思議である。

 3番目に、ジョン・デンズモアのドラムについてである。当時はまだロック・ドラミングというのが確立されていなくて(だから面白いんだ、とも言える)、ジャズのスタイルを持ちこんだドラマーが多かった。ジョン・デンズモアも基本的にはジャズの影響が強いドラマーと言えるだろう。M1やM6で顕著だが、2拍子系を得意としているようだ。フィル・インでの変なもたつきがあるなど、テクニシャンの部類には入らないと思うが、ロックのフィールドにおいては、それもまた個性である。

 そういったオリジナルなサウンドの上に乗っている、ジム・モリソンのボーカルは、これまた唯一無比の存在である。音程が不確かな所もあるのだが、まず声そのものが素晴らしい。囁くような、あるいは語り掛けるような歌唱も良いし、思い切りシャウトするときの声量も迫力充分である。ジム・モリソンはデビュー前から演劇や映画に関心があったというが、確かに、彼の歌唱は演劇がベースになっているのだろう。中でも朗読劇には相当入れ込んでいたのではないだろうか。

 つまり、ジム・モリソンは自己を表現するタイプだと思われがちだが、実際はそうでもないと思う。どちらかと言えば、演じる歌手に近く、その時々に応じて声を使い分けているのではないか、と思うのである。ちなみに、この系譜に入るのは、ロジャー・ダルトリー、レイ・デイヴィスである。

 さて、ドアーズというと上記の独創的なサウンドの他に、歌詞の面でも評価が高い。本作においても、M2の「ソウル・キッチン」という単語そのものやM11の幻想的な歌詞は、評価出来る。その一方で、大ヒットしたM6、あるいはM8はそれほど優れた歌詞とは言えないと思う。だが、ここで考慮しなければならないのは、「誰が歌詞を書いたのか」である。作詞作曲のクレジットは、カバー以外は「ザ・ドアーズ」となっており、全ての歌詞をジム・モリソンが書いているわけでは無さそうなのだ。本作は上記の通り、即興をレコード化したと考えられ、それ故にいちいち個人名のクレジットを載せることが出来なかったのだろう(する気もなかったかもしれない)。従って、歌詞のレベルに差が出てくるのも当然なのかもしれない。

 ここで、ロビー・クリーガーの名誉のためにも一言触れておくが、ドアーズがアルバム、シングル両方で売れたのは、ロビー・クリーガーのポップセンスに依るところ大なのである。

 

 

1. Break On Through (To The Other Side)

 1曲目にアップテンポでスリリングな曲を持ってきたことは大正解だろう。ジャズ風のシンバル・レガートによる2拍子系ドラミングとエレクトリック・ギターとの絡みが素晴らしい。この2つの楽器のアンサンブルは、最近の革新的なダンス・ミュージックに対しても、ダンスのフィールドで充分渡り合えると思う(既にサンプリングされている可能性大)。一寸引っかかるのが、ジム・モリソンのボーカルが、あまりにも「若さゆえの突っ走り」に過ぎていることか。

 歌詞は、あまり幸福とは言えない過去に決別し、「向こうへ飛び出そう」という宣言であろう。しかし、「向こう側には明るい未来が開けている」という楽観的な歌詞とは思えない。何故なら、"Seek it"という歌詞が途中で繰り返されたりするからだ。つまり、簡単に幸福が見つかるとは主張していないのである。

 

2. Soul Kitchen

 クリームに「ストレンジ・ブリュー」という有名な曲があるが、それとこの曲とは雰囲気が似通っていると思う。ボーカルには2トラックを使って、メインとバックを入れているようだが、両者の定位が殆ど同じであることが不思議である。

 歌詞は、一見、求愛しかも甘える男の求愛のようであるが、実はそうでもなさそうである。歌詞の冒頭と終わりは、夜の街角に立っている主人公による独白である。すなわち、
「帰る時間だということは分かっているが、俺は一晩中ここにいたいんだ」、
である。その一方で、
「君のソウル・キッチンで眠らせてくれ/君の優しいストーブで暖めてくれ」、
という歌詞が中盤で2回繰り返されている。キーワードは、タイトルでもある、「ソウル・キッチン」である。少々こじつけではあるが、台所は調理をするところであり、ある意味生産の場である。ここから「台所」は「子宮」の隠喩になっていると考えられる。つまり、胎内回帰願望が唄われているようだ。

 従って、この歌詞には、母親に甘えたいと思う気持ちと、その手から離れたいという気持ちとのアンビヴァレントな感情が見えるのである。もちろん、ラブソングだとして間違いということではない。ただし、相手に母性を求める恋愛感情であることは確かであろう。

 

3. The Crystal Ship

 ジム・モリソンの語るようなボーカルが魅力的な曲である。この曲では、オルガンではなくぴアノがメインで使われていて、違った味を出しているのが良い。なお、サビ以外は、メロディが先で後から歌詞を付けたように聞こえる。

 この曲でも、「君の優しい雨で包んでくれ」という、M2とよく似たフレーズが登場する。「雨」は恐らくダブル・ミーニング的隠喩であろう。M2と同様に相手に母性を求めるような歌詞であるが、更にM1とも関連付けて考えると、どうしても幼年期の問題(虐待とまでは行かないが)とそのトラウマということを連想してしまう。

 

4. Twentieth Century Fox

 本作中初めてギターで始まる曲であり、最もR&B色が強いと思う。

 ところで、このタイトルを目にすると、ハリウッドの映画制作会社との関係は如何に、などと考えてしまう。歌詞は、この曲だけが3人称形式である(他の曲は、"I"と"you"が中心である)。率直に言って、何が言いたいのか分からない。

 

5. Alabama Song (Whisky Bar)

 ワイルとブレヒトによる共作のカバー作品である。「次のウィスキー・バーを教えてくれ/さもないと俺達は死んでしまう」、「次の女の子を教えてくれ/さもないと俺達は死んでしまう」といった歌詞は、ブルースにも通じるような気がする。ドアーズのイメージとは異なり、英国庶民向けの歌劇で唄われる曲の一つのように聞こえる。こういう選曲からして、ドアーズはキンクスのファンだったんだろうな。

  

6. Light My Fire

 ドアーズの代表曲といえば、これである。邦題の「ハートに火をつけて」もセンスの良さを感じる。「て」で終わるという不安定な語尾が、そう感じる原因だが。

 曲は、非常にインパクトの強いイントロとアウトロがボーカル・パートを挟み、それらボーカル・パートが長いインスト・パートを挟む構造になっている。インスト・パートを初めて聞いた時は、その長さに呆れてしまったものだが、繰り返して聞くと、その魔力にすっかり洗脳されてしまった。

 歌詞は性急な求愛を表現しているが、この曲の中での歌詞の重要度は高くは無いだろう。そういえば、エド・サリヴァン・ショーでは、"Higher"という歌詞を唄わないように注文を付けられたらしい。しかし、それはドラッグを連想させるからという理由だったという。だが、作詞者は、ドラッグと性の両方に掛けたのだと思う。

 

7. Back Door Man

 ハウリン・ウルフのカバー作品である。ボーカルの資質の違いからか、オリジナルとは全く違った印象がある。ギターだけはブルースのフィーリングが残っているのだが、オルガンとドラムは、全く別ものである。

 「バック・ドア・マン」とは不正をはたらく男といった意味があるらしい。「男どもは分からないが/小さな女の子は理解している」という一節から、ロリコンの男の歌なのだろうかと思ったが、どうなのだろうか。

 

8. I Looked At You

 メロディは、ビートルズっぽい。ドアーズ調ロックンロールと呼んで良いだろう。

 この曲の歌詞は非常にシンプルで、「君と一緒に進む/戻ることは出来ない/遅すぎるからだ」ということを唄っているだけである。「ドアーズは1枚目にして頂点を極めてしまった」、とはよく言われることだし、音楽的なインパクトに関してならばその通りなのだが、歌詞に関する限りはどうであろうか。言葉を削ぎ落とす、といえば聞こえは良いが、これはそのような努力による産物とは言えないと思う。

 

9. End Of The Night

 詩の朗読に音階を付けたような曲である。ジム・モリソンの資質が見事に現れている。どこか、キング・クリムゾンの1stを思わせるような雰囲気もある。共通しているのは、詩のイメージを音楽化するという点にあるのだろう。

 M8のところに述べた、「言葉を削ぎ落とす」という形容にふさわしいのは、むしろこちらの方であろう。歌詞は概ね、「夜の終焉」を祝福するような内容だが、一点だけ変な箇所がある。それは、「明るい真夜中に向けて旅をしよう」という歌詞である。結局、「夜」とは「闇」であり、辺りが見えない状況の隠喩なのだろう。

 

10. Take It As It Comes

 この曲はポップだ。映画のサウンド・トラックに使うのにも適しているような気がする。

 歌詞は、邦題の通り「チャンスはつかめ」が主題となっているようだ。やはり前の曲群と全く同様のモチーフが現れているようだ。同じことを何度別の言い回しで唄っているに過ぎないとも言える。ただ一つ異なるのは、「愛を続かせたいならば、あまり速く動くな」という歌詞があることで、これは「生き急いだジム・モリソン」というパブリック・イメージとは正反対である。

 

11. The End 

 10分を超える長い曲である。第一、イントロだけでも1分弱もあるのである。しかし、アレンジが上手く施されているので、途中で飽きるような出来ではない。東洋民謡調の音階、テンポチェンジ、エコーのかかったバスドラやスネア、そういったインスト・パートにおける数々の工夫には頭が下がる思いだ。ラジオで流れるドアーズの曲と言ったら、M6なのだろうが、ドアーズの神話性を高めたのがこの曲なのだろう。

 アレンジが上手いだけでなく、ジム・モリソンのボーカルも素晴らしい。中間部の朗読調のボーカルは、彼ならではの出来である。それだけでなく、冒頭と終わりの、"This is the end…"の唄い方も興味深い。冒頭では普通に唄っているのに、終わりでは囁くように唄っているのである。歌詞について後述してあるが、両パートでは絶望の度合いが違うと思えるので、それが反映されたのかもしれない。

 歌詞は、まるで預言書(あるいは予言書)のような内容である。この曲は、映画「地獄の黙示録」に使われたことでも有名だが、なるほど、「黙示録」的な言葉で語られていると言ってもいいだろう。

 まず、冒頭からして、「これで終わりだ」である。何が終わるのかといえば、苦労して練った計画、立ちはだかるもの、安全と驚きである。つまり、考える時をも奪うような混乱が待ち受けているということなのだろう。「君はこれから起こることをイメージ出来るかい」という歌詞も、預言者のようである。このヴァースでは、近未来社会への絶望が唄われていると考えられる。更に、「向こう見ずに見知らぬ者の手を必要とする」という歌詞があるが、見知らぬ者とは、神ではなく、それに敵対する悪魔のようにも思える。あるいは、いかがわしい新興宗教か。

 2ndヴァースは、幻視したものの描写である。あるいは、人間の無意識下の描写とも言える。巨大な蛇に乗って古代の湖に行く、という歌詞が登場するが、「蛇」は性的なイメージを与える動物であり、これは3rdヴァースにつながっている。また、「邪悪」の象徴でもある。つまり1stヴァースとの関連性において、邪悪なものが世界を支配するという意味が隠されているように思える。

 続いて、「西に行くのが一番だ」という歌詞が登場する。ジム・モリソンがキリスト教圏の人であることを考慮すると、西方は決して良い所の隠喩ではない。何故なら、エデンは(イスラエルから見て)東方にあったとされているからである。つまり、西方はその反対で、神の祝福など期待できない土地を表しているように思えるのだ。

 その後の「青いバスが俺達を呼んでいる」、というのも聖書的、黙示録的である。元々は「蒼ざめた馬」なのだが、これを現代風に書き換えたのではないか。つまり、「死が俺達を呼んでいる」ということなのだろう。しかも、この「死」は、「悪魔が支配するもの」として捉えるべきだと思う。

 3rdヴァースでは、殺人者が登場する。この殺人者は、夜明け前に起き上がって、両親の寝室へ行き、「父さん、あんたを殺したい/母さん、あんたを・・・」と叫ぶ。エディプス・コンプレックスを仄めかしていることは間違いないだろう。もちろん、意識下に抑圧された欲望であることは、唄い方からしてはっきりしている。何も父殺しや母子相姦を実行すると宣言しているのではないだろう。だが、前のヴァースと関連付けると、悪魔が支配する世界では、かようなことも現実化する、と読めなくもない。

 最後のヴァースでは、再び「これで終わりだ」と唄われている。「君を自由にするために、そいつが傷つける」というのも救いようのない歌詞である。更に、「俺達が死のうとした夜は終わりだ」という歌詞が登場するが、これはもっと救いようがない。道徳的に生きることを守るため自殺(キリスト教特にカトリックでは自殺は最大級の「罪」らしいが)まで企てたのに、それさえも失敗に終わってしまったということなのだろうか。つまり、「俺達は皆、罪を背負って生きていかねばならない」という絶望感の現れと考えられるのである。

 この曲は、ベトナム戦争に出征した兵士達に、特に好まれたという話を聞く。確かに、60年代以前の米国は、道徳的には非常に厳格な国であった(とはいえ、それは全て白人社会内の規範ということであり、ネイティブや黒人に対して道徳的であったわけではない)が、戦場というう死が支配する場は、まさにこの曲に唄われる世界のようなものであったのではないか。

 

 

(2001-4-7)

 

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