King Crimson "In The Wake Of Poseidon"

 

Contents

[1]アルバム全体

[2]余談

[3]各曲解説

1. Peace - A Beginning

2. Pictures of a City
 (including 42nd at Treadmill)

3. Cadence and Cascade

4. In the Wake of Poseidon
 (including Libra's Theme)

5. Peace-A Theme

6. Cat Food

7. The Devil's Triangle
 a)Merday Moon  b)Hand Of Sceiron  c)Garden Worm

8. Peace - An End

 

[1]アルバム全体

 キング・クリムゾンの2ndアルバム、「ポセイドンのめざめ」は、前作「クリムゾン・キングの宮殿」に比べると、一般的に評価が低い。代表的な意見が、「『〜宮殿』の二番煎じに過ぎない」というものだ。二番煎じという評価が酷だとしても、契約消化のために制作したという印象は拭い去れないようが気がする。

 本作は、前作のように、バンドが一丸となって制作したアルバムではない。ロバート・フリップとピート・シンフィールドの二人が核となって制作したアルバムである。前作において、フル回転の活躍をしたと考えられるイアン・マクドナルドは既にいなかったし、他の創立メンバーであったマイケル・ジャイルズとグレッグ・レイクの二人は、参加しているとはいえ、本作を制作する動機を充分持ち合わせていたとは考えにくい。一方、ロバート・フリップ自身も、アルバムを構成するには、まだ経験不足だったように思える。結果として、前作で使われたアイデアや、あるいはそれ以前から持っていたアイデアを、そのまま使わざるを得なかったのではないかと思える。

 実際にCDを聴いてみても、前作のようにメンバー全員が対等に渡り合ったと思える演奏ではない。あたかも、ロバート・フリップが楽譜を起こし、それを見た他のミュージシャンが演奏しているという印象が強い。たとえ、各々が、自身のアイデアを付加することはあったとしてもである。

 本作は、全8曲から構成されている。例によってというべきか、M2とM4には "including" というクレジットがある。M7は3曲から成る組曲である。全曲にロバート・フリップの名がクレジットされているが、当時の正規メンバーは、フリップ、シンフィールドの二人なのだから、これは当然のことであろう。また、M1、M5、M8は、「平和」という同タイトルの曲だが、これを3分割して、冒頭、中間、最終に配置した理由は、まずは曲数稼ぎのためであり、次に来るのが、コンセプト・アルバムに見せかけるためであろう(話題作り)。しかし、本作は本当に見せかけだけのコンセプト・アルバムなのだろうか? そうではない、というのが筆者の考えである。

 まず、先に挙げた「平和」の分割について再検討しよう。分割した理由は上記の如くであったとしても、無造作に曲を並べたわけではない。1曲めから通して聞くと、M1は静、M2は動(内部では少し複雑だが)、というように、静と動が交互に繰り返されているのである。途中を省略するが、M6が動であり、M7は静(無音)に始まり動で終わっている。そして最終のM8が静なのである。

 つまり、静と動という対立するものを並立させているということで、これはすなわちタイトル曲の歌詞の延長である。となると、「見せかけだけ」とは言えなくなる。

 結局、フリップ=シンフィールドの二人は、本作にテーマ性を持たせることを企図したのだが、素材が揃わなかった(契約やメンバーの問題)ということは言えるであろう。

 音質自体は、リマスターCDを聴く限りだが、前作に比べると良い。録音機材が良かったのか、マスター・テープの保存状態が良かったのか、分からないけれども。

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[2]余談

 米国産電気CAD・計測システムの社名や商標として、本作から採られたものが3つある。 "Cadence" に関してはケイデンス・デザインシステムズ社があるし、"Cascade"に関してはカスケード・マイクロテック社、"Libra"に関しては現アジレント・テクノロジー、旧HP-EEsof社の"Libra"という高周波シミュレータがある。揃いも揃ってクリムゾンの2ndから採っている理由は、全くの不明である。

 

[3]各曲解説

1. Peace - A Beginning

メロディとサウンド

 殆どアカペラで唄われる曲である。

歌詞

 タイトルに即して、「私の名は平和」という歌詞がある。私は大洋、私は山、私は川、という句が登場する。そのどれもが地球上に天然に存在し、かつ人間より遥かに巨大な存在である。素朴な自然神信仰のような印象を受けるが、これはキリスト教のような一神教とは最も遠い信仰である。深読みをすれば、「一神教こそ争いの元」という主張が込められているようにも思える。それはともかく、「平和は本来の地球の姿」という意味が込められているのであろう。

 

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2. Pictures Of A City

メロディとサウンド

 ジャズの即興演奏、特に静と動の対比をモチーフにした構成になっている。アルバム全体が静と動の対比から成り立っていることは既に述べたが、してみるとこの曲は「入れ子」構造になっているという考えも成り立つ。曲全体としては「動」なのだけれども。

 開始後3分半に聴けるロバート・フリップのギター演奏はまさに超絶モノで、おそらく3本のギターをオーバーダブしていると考えられる。殆ど金管楽器のような暴力性を帯びた響きである。このソロ・パートとエンディングは、"21st Century Schizoid Man"中のフレーズに酷似している。

歌詞

 タイトルを直訳すれば、「ある街の絵」である。ピート・シンフィールドの頭の中に浮かんだ絵を言葉で置き換えているのだろう。従って、物語を綴るのではなく、単語の羅列が続いて行く形式になっている。その場合、韻を踏むなどして、リズム感を出すことが重要だと思うが、実際、1stヴァースと2ndヴァースでは周到に単語が選ばれている(3rdヴァースだけは、少し雑な感がある)。この、短い単語を連ねるという歌詞は、鮮烈なイメージを聞き手に叩きつけることを意図しているような気がする。もちろん、グレッグ・レイクは、シンフィールドの意図を正しく読み取っており、一つ一つの単語をメリハリを付けて唄っている。

 歌詞の内容だが、邦題にもなっている「冷たい街の情景」というよりは、もっと退廃的なイメージが強い。まさか、前作の最終曲「クリムゾンキングの宮殿」の前編ではないと思うのだが。

 

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3. Cadence And Cascade

メロディとサウンド

 アコースティック・ギターをバックにゴードン・ハスケルが歌っている。残念ながら、グレッグ・レイクと比べると表現力に乏しい。他に、フルート、メロトロンも途中から入ってくるが、フルート(メル・コリンズによる演奏)のフレーズは、どうしても"I Talk To The Wind"を連想してしまう。また、左右チャンネルの楽器のバランスがあまり良くない。

歌詞

 Cadenceには「リズム」、「抑揚」、「音楽における終止形」などの意味があり、Cascadeには「(段々)滝」という意味があるが、それ自体が意味を持っているようには思えない。性別も不明である。

 例えば、1stヴァースでは、明らかにJadeを男性として扱っている("his"という代名詞が当てられている)のだが、"jade"には、「あばずれ女」という意味があり、性別が錯綜している。

 さて、タイトルのケーデンスとカスケードだが、2ndヴァースにて彼女達が高級娼婦であることが明かされる。一方のジェイドは見かけ倒しの男として描かれており、途中でメッキが剥げ落ちたことになっている。しかし、そうなっても何故かケーデンスとカスケードの二人はジェイドに尽くすことをやめないのである。最も象徴的なのが、最終ヴァースでの「カスケードは彼の『名』にキスをした」である。実体ではなくて、名前=肩書き、表層的なものにかしづいているということであろう。

 以下、こじつけと批判されても仕方のないことだが、思ったことを記す。

 ケーデンスとカスケードというのは、ロバード・フリップとピート・シンフィールドの二人なのではないか。"courtesan"の語源は宮廷女であるらしい。宮廷=王(King)の住む所である。一方、ジェイドは、レコード会社の契約担当者、ツアー・マネージャーなどを指しているのだろう。どちらにしても、バンドメンバーが脱退するまで疲弊しても、契約の関係上、レコード制作やツアーをこなさなければならなかった自分たちを娼婦になぞらえたとしても、おかしくはない。であれば、"Cadence"という音楽用語が人名として使われていることにも、多少の意味を見出せる。

 

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4. In The Wake Of Poseidon (including Libra's Thema)

メロディとサウンド

 アルバム・タイトル曲だけあって、本作中で1、2を争う良い曲だと思う。構成も見事である。イントロが"Epitaph"に似ている点が、ある意味玉に傷だけども。

 演奏で一番目立つのが、マイケル・ジャイルズのドラムである。非常に荒々しく、テクニカルなキース・ムーンといった感じがする。

歌詞

 歌詞は、ポセイドンとの関連性は乏しく、サブタイトルの「リブラ」をモチーフにしていると考えていいだろう。リブラとはギリシア神話に登場する「天秤」が語源であり、世界(=地球)が、対立する2つのもののバランスによって存在していることを表現しているようだ。よってキーワードは、"balance of change"と"world on the balance"だと考えていいだろう。

 ところで、対立する2つのものとは具体的には何か。ここで引き合いに出されているのは、例えば(1)真剣さと不真面目さ、(2)嘘の演技と本当の痛み、(3)宗教を後ろ盾にした正義と無宗教のイノセンス、(4)被支配階級による反乱とシラケ、などである。どれをとっても、善と悪のような単純な区分けではないし、ましてや勧善懲悪ストーリーになっているわけでもない。あるいは「止揚」を提言しているわけでもない。

 では、一体この歌詞によってシンフィールドは何を言いたかったのであろうか。個人的には、それは前記の"balance of change"だと考えている。対立する2つのものによって変化が引き起こされる。停滞よりも変化を良しと考えたのではないか、と推測されるのである。

 

 ちなみに、邦題の「ポセイドンのめざめ」は、辞書を見る限りは誤訳のように思える。「ポセイドンの跡を追って」あるいは「ポセイドン(の支配)の結果として」がより正しい訳のようだ。

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5. Peace-A Theme

メロディとサウンド

 アコースティック・ギターの独奏であり、非常に穏やかである。

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6. Cat Food

メロディとサウンド

 楽曲の質や演奏という点からすれば、本作中での最高作と言えると思う。ただし、クリムゾンの曲としては「異色」の部類に属するのではないか。メロディはブリティッシュ・ビート風だし、それを印象付けているアコースティック・ギターでのコード・カッティングも、ロバート・フリップらしくない。そうは言っても、キース・ティペットのピアノや、ロバート・フリップのエレクトリック・ギターの演奏などは、ジャズ風でありクリムゾンらしいとも言える。

 途中に妙な笑い声やSEが入っており、エコーの掛かり方からしてもスタジオ・ライブ風の趣がある。本人達がまるで楽しんでレコーディングしたかのような雰囲気があるが(だからこそ、クリムゾンとしては「異色」に聞こえるのか?)、実態はそうでもなかったようだ。

歌詞

 ここでのキャット・フードとは、要するにジャンク・フードのことであろう。冷凍食品を売り込みに行くス−パーマーケット女史、合成物のビールを好み、缶詰の即席カレーなら自信のあるウィンドウ・ショッパー女史、寓話(あるいはほら話)がラベルに書かれたお菓子に執心のイエロー・スタンパー女史、といった3人の女性が描かれている。

 3人称の視点で労働者階級の人々を笑うという内容は、レイ・デイヴィスやジョン・レノンが先鞭を付けていることであり、シンフィールドの独創とは言えない。逆にシンフィールドからすれば、この歌詞のことを「習作」と思っていたのではないか。ただし、例えば2ndヴァースで"hopper"と"brew"という単語を組み合わせている点など、前出の二人の域をすでに脱している箇所もある。

 

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7. The Devil's Triangle

メロディとサウンド

 3曲から構成された曲なのだが、曲の分かれ目がはっきり分かるわけではない。もし、分かるという人がいれば、それはライブ音源などを聞いた経験があるからに違いない。

 この曲の演奏は、メロトロンを使ったオーケストレーションや、それにフルートやサックスを加えた分厚い音が魅力的である。また、後半の混沌としたサウンドや、即興芸術とでも呼ぶべき演奏も、これが後に"Lark's Tangue In Aspic"(邦題「太陽と戦慄」)で開花したことを思えば、非常に興味深い。しかしながら、今現在において敢えて指摘したいのは、開始直後の無音パートに続く「マーチング」のようなドラム演奏である。これぞ「ドラム・ループ」の先駆けであろう。

 

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8. Peace - An End

メロディとサウンド

 M1の変奏と考えていいだろう。M1と違うのは、途中からアコースティック・ギターが加わることと、ファルセットと地声のデュエットが聞けることである。ただし、ここでのファルセットの出来は良くない。女性ボーカルを使った方が良かったのではないかと思うのだが、ロバート・フリップはパーマネントなボーカリストを捜していたのかもしれない。結局、グレッグ・レイクは去ってしまったのだが。

歌詞

 3つのヴァースから構成されている。1stおよび3rdヴァースは、2行で1文になっており、"Peace is"(平和とは)で始まっている。更に、3rdヴァースにおいては、各2行の最後の単語が、次の文"Peace is"の補語になっている、という周到さである。

 内容についてだが、1stおよび3rdヴァースでは、「平和とは何か」について書かれている。M1では、平和を自然になぞらえていたが、ここでは、M1とつながりがあることを印象付けるためか、自然から始まってはいるが(平和とは海と風の言葉)、主として人間の行いが取り上げられている。正直言って、どれもあまりにも素朴な行為である。

 なお、M1の所に一神教云々について書いたが、ここでは、「平和とは友人としての敵の愛」となっていて、(シンフィールドは)必ずしも本来のキリスト教を批判しているのではなさそうである。

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(謝)本文章を書くに当たり、一部のウェブサイトに載っている対訳などを参考にしました。URLを敢えて書きませんが、有難うございます。 

(2002-2-11)

 

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