King Crimson "In The Court Of The Crimson King"
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キング・クリムゾンのデビュー・アルバムである「クリムゾン・キングの宮殿」は、ロック史に残るアルバムであると思う。このアルバムは、キング・クリムゾンの他の作品に比べ、メディアに取り上げられる機会が多いが、その理由としては、プログレッシブ・ロックの幕開けを飾った作品であることもそうだが、同時に全英1位になったことが大きいと思う。特に、あの「アビーロード」を引きずり落して、という注釈が今でも必ず付くことは、非常に面白い。それなら、「クリムゾン・キングの宮殿」を1位から引きずり落した作品は何なのだ?
一般に、本作を熱っぽく語る人は、プログレに通じているのだろう。だが、あいにく筆者はプログレは苦手な方である。それよりも前に、「プログレ」というジャンルを前提とする話に異論がある。何がプログレで何がそうではないと分類する基準はどこにあるのだろうか。
いや、むしろこの解説は、プログレを敬遠している人や、プログレ全盛期に生まれていなかったような人に読んでもらいたくて書いている。逆に、プログレに詳しい人は、「何をこいつは書いていやがる」と怒るかもしれないが、作品をけなしているわけではないことだけは、承知していただきたい。
アルバムは全5曲から構成されている。クレジットを見ると、当時のメンバーは5人だが、M1、M3、M4は全員の共作であり、残り2曲は、イアン・マクドナルドとピート・シンフィールドの二人の作品となっている。筆者には、キング・クリムゾン=ロバート・フリップのワンマン・バンドという先入観があったのだが、少なくとも本作に限っては、それは完全に誤った認識であったことになる。
その点は、本作を聴けば明らかであろう。むしろ、演奏面ではピート・シンフィールドを除く4人が対等に渡り合っている。誰それがリーダーシップを取ったとか、そういう作品ではないことは明白だと思う。
さて、本作を通して驚異的なのは、今聞いてもサウンドが全く古くないという点である。例えば、メロトロンの使用は時代を感じさせるはずなのに、古めかしさは全く伝わってこない。特に秀逸なのが、マイケル・ジャイルズのドラミングであろう。かつてのロック・ドラミングは、太い音でガンガン叩きまくるのが主流だったが、90年代後半のダンス・ミュージック、エレクトロニクス・ミュージックを経て、むしろ細い音で細かく刻むようなドラミングの良さが再認識されているように思う。つまり、「過去の名盤」としてではなく、永遠の名盤として捉えられるべき作品であることは、強調しておきたい。
メロディとサウンド
この曲は、本作中異色の存在である。他の曲が割と静かなのに対して、この曲だけがアグレッシブである。
ボーカル・パートは、正直言って、それほど興味が持続する箇所ではない。メロディは単純だし、2、3回聞く分には面白いだろうな、という程度である。マイケル・ジャイルズのキック・ドラムは秀逸であるが。
それよりも、この曲の凄いところは、インストゥルメンタル・パートである。恐らくはモダン・ジャズを下敷きにしているのだろうが、変拍子、めまぐるしく変化するテンポなど、何度聞いても飽きることが無い。しかも決して堅苦しくなく、ポップであるという点も重要だろう。特に、ドラムン・ベースに興味を持った人ならば、この曲はすんなりと受け入られると思うのだが。
エンディングでは、ギターや金管楽器で叫ぶような音を出しているが、この音からイメージされるのは、狂気よりも混沌である。
歌詞
この曲の歌詞は、各ヴァースの最終行にタイトルが登場するが、前の歌詞とのつながりが見えず、唐突である。
歌詞をざっと眺めた場合、大抵の人は、
「21世紀になると人々は皆精神を病んでしまう、という前提のもとに書かれた歌詞だろう」
と推測するのではないか。だが、ここでは"man"という単数形が使われているのである。従って、この説は破棄されねばならない。
となると、最終行とそれ以外は互いに独立したものであると考えた方が良さそうだ。結論として、"21st Century Schizoid Man"というのは、この歌詞を書いた人の署名ではないか、と思うのである。強引であることは否めないが。なお、「私は精神を病んでいる」と名乗る精神分裂病者がいる可能性は低いから(むしろ、自分自身が病んでいることに気づかないらしい)、この人は、他人から「精神分裂病者」というレッテルを貼られており、それに対して自虐的にこんな署名をしたのだ、と考えられる。
では、この人は何故「精神分裂病者」というレッテルを貼られたのだろうか。それは、歌詞中に出てくる、幾つかの映像的描写が原因になっていると思う。ファシズムはすぐ近くまで来ているのに、大衆が気付かない状況になっている。そこで、この人が近未来のことを予想して語ったために、狂人扱いされてしまったのである。あるいは、体制側のプロパガンダとして、この人物を精神分裂病者扱いするように仕向けたかもしれない。
それでは、もう少し詳しく見て行くとする。
Cat's foot iron claw
Neuro-surgeons scream for more
At paranoia's poison door
Twenty first century schizoid man.
猫の足音は非常に静かであり、かつ柔の象徴である。それに対して鉄の爪は、何かを引っかけば大きな音が出るだろうし、かつ剛の象徴である。性質が正反対なものを併記しているのは何故だろうか。一つ考えられる説としては、両者の性質を兼ね備えた「怪物」が誕生したということである。
神経外科医が複数で登場するのは、その怪物を誕生させるのに複数の力が必要だったのではないか。つまり、組織的な生体改造実験である。だとして、「もっと」という台詞の対象は何であろうか。これも仮説だが、一体成功したので、更に複数の怪物を生み出そうと言うことではないか。
さて、次は「パラノイア」すなわち偏執症である。生体改造実験に取り付かれた者を表していると考えられる。恐らくは、先の神経外科医のパトロンなのであろう。
さて、上では、猫の足と鉄の爪について、生体改造実験だという説を述べた。しかし、これについては、また別の見方が成り立つ。すなわち、湾岸戦争で有名になった「ステルス爆撃機」のようなものの隠喩と考えるのである。ステルスがレーダーにかかりにくいこととを、猫の足音(音がしない)に喩えているのである。
Blood rack barbed wire
Polititians' funeral pyre
Innocents raped with napalm fire
Twenty first century schizoid man.
どれを取っても、ファシズム台頭を象徴する描写である。だが、21世紀と銘打った割には、有刺鉄線というアウシュビッツ収容所の象徴を持ち出したり、ナパームという60年代の兵器を持ち出したのは、一寸残念である。1stヴァースや3rdヴァースでは、もっと巧妙に抽象的に表現しているというのに。
Death seed blind man's greed
Poets' starving children bleed
Nothing he's got he really needs
Twenty first century schizoid man.
「死の種子」とは、兵器そのものかもしれないし、核兵器がもたらす放射線かもしれない。個人的には後者を採用したいのだが。
次の「盲人の貪欲」は、もちろん視力を失った人を指しているのではなく、将来のことを全く考えられない独裁者のことであろう。
次の「詩人達の飢えた子供らは血だらけ」、という一節からは、詩人とは、軍国体制から見たら非生産的な存在でしかない、という考えが見て取れる。だからこそ、その子供らは飢えたり、殺されたりするのだろう。確かに、散文に比べて、詩で国威を発揚することは難しい気もする。
続いて、"he"という単数形代名詞が登場する。これは、詩人達を指しているのでも、その子供達を指しているのでもない。となると、該当するのは、「貪欲な盲人」だけである。
メロディとサウンド
前の曲から一転、叙情性にあふれた静かな曲である。その落差自体も楽しめる。これは、ケルト人の伝統的フォーク音楽を下敷きにしているのだろう。フルートの調べが素晴らしい。それにしても、1stヴァースにおいて、2人でボーカルを取っているのは何故なのだろうか。
歌詞
この曲の歌詞には、"straight man"、"late man"の他に「私」、「君」そして「風」が登場する。風は人物ではないが、擬人法だとすれば、「登場人物」として扱ってよい。問題は、「私」や「君」が、一貫していないことであり、これがこの歌詞を難解にしている最大の原因だと思う。詳細は以下に記すが、全体としては、コミニュケーションが完全に破綻しており、ちぐはぐな状況が描かれている。
Said the straight man to the late man
Where have you been
I've been here and I've been there
And I've been in between.
"straight man"は先にやってきた者、"late man"は後から来た者であるという点は、割合一致しているようだ。続く、「君は何処にいたの?」も、"straight man"が語り手であることは明らかだろう。問題はその後の「私はここにいたし、あそこにもいた/両者の間の至るところにいた」である。"straight man"が「君の姿を私は全く見掛けなかった」との意味で言ったのか、それとも"late man"が、先の問いに対して答えたのか。ただし、後者の説を採ると、「先に来た者」という称号が崩壊してしまうという問題が生じるのだが。
I talk to the wind
My words are all carried away
I talk to the wind
The wind does not hear
The wind cannot hear.
このパートにおける「私」は、素直に読めば、"straight man"なのだろう。このパートでの鍵は「風」である。風に話しかけても聞こうとしない、聞くことが出来ない、とされている。だが、大の大人が風に話しかけるなんてことはしないだろうから、ここでの「風」とは、不特定多数の隠喩だと考えて間違いは無いだろう。いうなれば、「のれんに腕押し」である。
I'm on the outside looking inside
What do I see
Much confusion, disillusion
All around me.
ここでの「私」は、前のパートの「私」と同一と考えて良いと思う。「外側から内部を見る」という行為は、自分の内面を見つめることでもあり、同時に、現実社会を一歩離れたところから見つめ直すということでもあるのだろう。
You don't possess me
Don't impress me
Just upset my mind
Can't instruct me or conduct me
Just use up my time
またしても、「君」が登場する。ここでの「君」は、既出の"late man"なのだろうか。だが、"straight man"が"late man"に対し、「君は何の印象も私に与えない」だとか「君は私を導いてくれない」などと不平を言っていることになり、明らかにおかしい。となると、ここでの「君」は、"straight man"ということになる。一方の「私」は、"late man"であるかもしれないし、不特定多数なのかもしれない。
メロディとサウンド
本作中、最も情緒的な曲だと思う。ひょっとしたら、ムーディー・ブルースの「サテンの夜」にヒントを得ているかもしれない。
静かなアコースティック・ギターだけのバッキングと、キーボード類を駆使した壮大な演奏とを行き来するアレンジになっている。だが、この曲は、バックの演奏云々よりも、「歌もの」として捉えられるべきだと思う。グレッグ・レイクのボーカルが本作中で最も冴えている。
歌詞
この曲の歌詞は、前の2曲と違い、「私」以外の人物が登場しないため、割合すっきりしている。
The wall on which the prophets wrote
Is cracking at the seams.
Upon the instruments of death
The sunlight brightly gleams.
When every man is torn apart
With nightmares and with dreams,
Will no one lay the laurel wreath
As silence drowns the screams.
冒頭に「予言者達が書き記した壁がひび割れ」という歌詞がある。わざわざ予言者達と複数形にしてあるのも、ある意味では用意周到であり、「幾多の警告がなされたのに、それらは全て無駄であった」ことを強調したいのであろう。ここでは、戦争によって多くの人が犠牲になったことが描かれている。「死の道具の上で太陽は輝き」という言いまわしには、戦争を起こした人間なんて、太陽系全体と比べたら小さな存在でしかない、という意味が隠されている。
なお、最後の行に"drowns"という単語があるが、これには「音が消える」という意味もあるらしい。"silence"と対句になっているのだろう。
Between the iron gates of fate,
The seeds of time were sown,
And watered by the deeds of those
Who know and who are known;
Knowledge is a deadly friend
When no one sets the rules.
The fate of all mankind I see
Is in the hands of fools.
このパートの前半は、歴史を振りかえっている場面のようだ。ある人達の偉業によって、人類が救われてきた、とされている。
ところが後半の"knowkedge"からは、現在の悲惨な状況に視点が移動する。まずは、「知識は危険な友人」である。例えば、科学技術と軍事技術は表裏一体ということだろうか。その後は、「掟を定める者がいなければ、人類の運命は愚者の手に委ねられることであろう」である。肯けなくは無いのだが、掟を定める者自身が愚者であったことも、過去幾度と無くあったはずだが。
Confusion will be my epitaph.
As I crawl a cracked and broken path
If we make it we can all sit back and laugh.
But I fear tomorrow I'll be crying,
Yes I fear tomorrow I'll be crying.
「混乱こそ我が墓碑銘」、この一節はあまりにも有名である。主人公は平和のうちに死ねるとは思っていないのだろう。戦死する覚悟なのだと思う。それは続く行に表されている。「我々が上手く成し遂げれば、座って笑うことが出来るだろう/しかし、私は明日を恐れ泣き続けるであろう」である。
メロディとサウンド
ボーカル・パートは2分少々なのに、その後10分近くも延々とインストゥルメンタル・パートが続く。ボーカル・パートはM2同様にケルト系フォークを下敷きにしていると思う。
ボーカル・メロディは素晴らしいし、バックの演奏も素晴らしい。ここだけでこの曲が終わっても全く不満は無い。だが、本作を現在という視点から見た場合、残りのインストゥルメンタル・パートの方が重要な気もする。というのは、このパートだけ抜き出したら、まるで音響派の作品のようにも聞こえるからである。勿論、制作当時のメンバーは、ジャズの一形態だと思っていたのだろうが(即興あるいはハプニング)。
歌詞
「童話仕立て」とでも呼んだらいいのだろうか。この曲の歌詞は、アルバム中最も物語性に富んでいる。タイトルは「月の子」であるが、これは月からやって来た魔法使いの子供のことだろう。ただし、月から狂気という連想により、「頭のおかしな子供」という意味にも掛けてあるような気がする。
Call her moonchild
Dancing in the shallows of a river
Lovely moonchild
Dreaming in the shadow
of the willow.Talking to the trees of the
cobweb strange
Sleeping on the steps of a fountain
Waving silver wands to the
night-birds song
Waiting for the sun on the mountain.
木々に話しかける行為は、魔法使いならば不可能ではない。続く行では、「夜鳥の歌に合わせて銀のステッキを振る」とされている。本当は、「月の子」が指揮者で、それに合わせて鳥が歌うのだろうが、これも魔法使いならではの行為である("wand"を使うのは、魔法使いの証拠である)。なお、西欧では、「銀」が月の色を表す単語らしい。
She's a moonchild
Gathering the flowers in a garden.
Lovely moonchild
Drifting on the echoes of the hours.Sailing on the wind
in a milk white gown
Dropping circle stones on a sun dial
Playing hide and seek
with the ghosts of dawn
Waiting for a smile from a sun child.
この2つのパートのうち、後半は最初から最後まで、何故だか太陽に関連したことばかりである。まず、「乳白色」自体が、太陽の色に近い(西欧では太陽を白色と表現するらしい)。間違っても、夜のイメージではない。次の、「日時計」は太陽が無ければ役に立たないし、「夜明けの精霊」も、太陽が無ければ夜明けがやって来ない。最後の「太陽の子」は、そのものずばりである。
それにしても、「月の子」と呼ばれながら、彼女は太陽やその子(の笑顔)を待つとされていて、これはとても哀愁を感じさせる。主役的な存在が次の主役を待つというのは、運命を黙って受け入れるということでもあるのだし。
(まさか、60年代のカルチャーがムーンチャイルドで、70年代のそれがサン・チャイルドだというわけではないだろう)
5. The Court of the Crimson King
メロディとサウンド
壮大なシンフォニーのようなパートと、アコースティック・ギターやフルート、メロトロンを使った静かなパートが交互に繰り返される曲。ボーカル・パートは静かな方に属する。加えてコーラスの付け方から考えて、この曲のアレンジはザ・フーの「トミー」にヒントを得ているような気がしてならない。出来上がったもの同士には、かなりの相違が見られるけれども。
歌詞
この曲の歌詞には色を表す形容詞が多数登場する。タイトルの真紅を除いて順に書くと、perple, black, (ever)green, gray, yellowである。また、"prism"も白色光を7色に分解する道具であるから、これも色を表す言葉としてカウントできる。つまりは、ピート・シンフィールドが色彩のイメージを歌詞にしようとして出来上がったものなのだろう。なお、"crimson"には「血生臭い」という意味もあるので、「クリムゾン・キング」が暴君であることも仄めかされている。
更に、各パートの後半は、必ず音楽に関係する内容である。最後のパートは踊りであるが、踊りは音楽と切っても切れない関係にあるのだから、これも音楽の一形態であると考えていいだろう。そしてそれらは全て邪悪なものに関係しているようだ。
The rusted chains of prison moons
Are shattered by the sun.
I walk a road, horizons change
The tournament's begun.
The purple piper plays his tune,
The choir softly sing;
Three lullabies in an ancient tongue,
For the court of the crimson king.
「月の牢獄の錆びた鎖は太陽によって粉砕された」である。文学的表現ゆえに、意味が分からない。もしかすると、夜が終わり太陽が出たことを言っているに過ぎないのではないか。ここでの「私」は、野原のような視界の開けた所を歩いているとされているが、宮殿に向かっていることは間違い無い。
次の行の「騎馬戦が始まった」というのは、「私」にとっては「着くのが遅かった」という意味が込められているのではないか。恐らくは、「クリムゾン・キング」が死闘を命じたのだろう。
The keeper of the city keys
Put shutters on the dreams.
I wait outside the pilgrim's door
With insufficient schemes.
The black queen chants
the funeral march,
The cracked brass bells will ring;
To summon back the fire witch
To the court of the crimson king.
「城門の鍵の保管者(=門番)は、夢にシャッターを降ろす」である。これまた良く分からない表現である。ここでの「夢」は、睡眠中の現象ではなく、「私」の願望であり、具体的には、宮殿に侵入し世界を作り直すことであろう。だが、それは門番によってさえぎられてしまったのである。そして、「私」が持っていたものは、単なる夢でしかなかったことは、「巡礼者の門の外で、不充分な計画のまま待つ」という一節からも明らかにされている。
The gardener plants an evergreen
Whilst trampling on a flower.
I chase the wind of a prism ship
To taste the sweet and sour.
The pattern juggler lifts his hand;
The orchestra begin.
As slowly turns the grinding wheel
In the court of the crimson king.
庭師の行為は、目的や動機などが意味不明である。「花を踏み付ける一方で、常緑草を植えている」のだが、単なる美への冒涜のようでもあり、「クリムゾン・キング」への忠誠のようでもある。
次に、3行目の「私は、プリズムの船の風を追いかける」と、4行目の「酸いも甘いも味わうために」は、視覚と味覚とを対句にしたのだと考えられる。プリズムがここでは、7色、転じて「全ての色」の意味で使われており、その一方で「酸いも甘いも」は、不快なものから心地よいものまで全てを表していると考えられる。前のパートと関連付けると、「私」が自己の無力さ、未熟さを認識したのだろう。とはいえ、ヒーローもののように、修練に励もうとする姿は浮かんでこない。むしろ、したたかに生きることを選び取ったように思える。
On soft gray mornings widows cry
The wise men share a joke
I run to grasp divining signs
To satisfy the hoax.
The yellow jester does not play
But gentle pulls the strings
And smiles as the puppets dance
In the court of the crimson king
1行目は、「柔らかい灰色の朝に未亡人達が泣く」であるが、動機は何なのだろうか。処刑された夫を思い出して、なのだろうか。「朝」という時間帯、しかも複数形であることは意味深である。例えば、この未亡人達は、強制的に「クリムゾン・キング」の側室にさせられたのではないか、とも想像できる。ただし、そうなると、何故未亡人達が自殺しないのか、という疑問が涌くのだが。
2行目には、ジョークを言い合うことで、「クリムゾン・キング」から弾圧されることを防いでいる賢者達の様子が描かれているのだろう。
3行目で、「私は預言を得るために走る」とされているが、その目的が4行目の「悪ふざけを満足させるために」となっていて、一見したところ、さっぱり意味が通らない。まず、満足させる相手は誰なのだろうか。神と解釈することも可能だが・・・。それを置くとしても、ここでの「私」は、道化者宣言をしているようである。
「私」は、歌詞の最初の方では、あたかも正義の戦士のように登場しながら、その後自己の無力さを痛感し、結果としては道化者と成り果てている。飛躍するが、「ロックで世の中を変える」というスローガンに対し、シニカルな視点から書かれた歌詞のように思えるのである。
(2001-6-17)