Bloc Party "Silent Ararm" 

 

 1. Like Eating Glass
 2. Helicopter
 3. Positive Tsnsion
 4. Banquet
 5. Blue Light
 6. She's Hearing Voices
 7. This Modern Love
 8. The Pioneers 
 9. The Price Of Gasoline
10. So Here WE Are
11. Luno
12. Plans
13. Compliments

 

  ブロック・パーティは2004年にデビューした英国のバンドで、本作「サイレント・アラーム」は、1stアルバムになる(発表は2005年初頭)。フランツ・フェルディナンドの元にデモテープを送ったことがデビューのきっかけとなったこともあってか、現在英国でのニュー・ウェーブ・リバイバルの一派にくくられてしまう可能性もあったが、実際のところ、そういう安直な現象は、このバンドに対しては少ないような気がする。後発のカイザー・チーフスやマキシモ・パークのお陰で、そういった呪縛から解放されているのかもしれないが。

 もちろん、ブロック・パーティの音楽がフランツ・フェルディナンドと同様に、ニュー・ウェーブやダンス・ミュージックから多大な影響を受けていることは確かだし、一元的ではないリズムの組立てなどは両者に共通するところであろう。だが、フランツがどちらかといえば観客を(殆ど無意識のうちに)躍らせることを重視しているのに対し、ブロック・パーティは、どこか観客と距離を置いているようにみえる。自らの音楽を社会に対する警鐘(であるからこそ、アルバムタイトルが「サイレント・アラーム」であるというのは、こちらの勝手な思い込みに過ぎないかもしれないが)と考えているようにも思えるのである。

 そのように思わせる最大の要因は、派手に暴れまくるドラムであろう。「けたたましい」と言った方がいいかもしれない。とにかく、ギターよりも遥かに目立っている。しかもM1に顕著なように、ただ単に叩きまくりというわけではなく、微妙に変則的な拍を多用しているのが特徴である。

 ただし、念のためだがブロック・パーティは、ドラマーのエゴイズム満開バンドというわけでない。あくまでもリズム・アンサンブル(そんな言葉が市民権を得ているのか疑問だが、うまい表現が思い当たらない)重視のバンドであり、ベースやギターと一体になってこそのドラムである。

 次にボーカルについて述べよう。特にメロディ重視のバンドではないようなので、いわゆるシンガーというスタイルからは程遠い。デヴィッド・ボウイに影響を受けたようなスタイルが聴ける曲もあるものの(M6) 、これは例外のような気がする。アルバム全体を通して聴くと、様々なスタイルに挑戦しているようにも思えるので、まだ「成長途上段階」と考えるのが無難か。ただ、現段階で、このボーカリストが他の同期のボーカリスト達との間に差異を見出せるのは、M2、M3などで聴ける「詩の朗読風スタイル」ではないかとも思える。 

 

 では、歌詞はというと、先ず断っておかねばならないのは、単語が通常使われない意味で使われていたり(こんなことを書いているが、実は自身があるわけではない)、隠喩が多用されていたりして、歌詞の意味を理解するのは難しい。それでも敢えて大まかなことを述べると、主として個人的な生き方がメインテーマになっているようである。であるから、当然社会との関わりについても言及されている。読み方によっては、殆どが社会性を帯びた歌詞とも取れるだろう(政治的スタンスが明確な曲はM2くらいだが)。一方で、なんとかラブソングと言える曲も、M5、M7、M11と少ないながらも3曲ほどある(もっとも、今のポップ・バンドがストレートにラブソングを唄う方が少ないのだが)。

 

 アルバムはM1のギターのつんざくようなイントロで幕を開ける。あたかも「警告」を発しているかのような不穏な音である。その後やかましいドラムが入ってくる。上に述べたように変則的なビートであり、他の楽器を圧倒している。

 歌詞は、家(house)が自分達の暮らす街の隠喩ではないかと推測しているのだが、だとすれば、貧民街の住人の苦境を唄ったものと考えられなくもない。

 最後のパートは、"We got crosses on our eyes / been walking into the furniture"の反復なのだが、この意味がよく分からない。前半は、十字架⇒イエス・キリストが背負わされたもの⇒苦難という意味に取れるから、まあいい。問題は後半である。対訳も「歩いて家具の中に消えていく」と直訳していて、これではさっぱり意味が通らない。そこで辞書を引いてみると、"furniture"には「染み付いた考え方」という意味があるようだ。であるならば、このパートは「僕らは苦難を目に浮かべながらも、(結局は)染み付いた考え方の方に歩いている」と取るべきだろうか。つまり、現状のままではダメだと分かっていながら、古い考えから抜け出せない自分達のふがいなさを唄っているのではないか。

 

 M2はニューウェーブ風ダンス・チューンに、詩の朗読風のボーカルが乗っている曲。ブレークが入ったりと、リズムは凝っている。後半は殆どインストゥルメンタルで単純な歌詞の反復である。

 歌詞はアメリカ志向の人間(あるいはその風潮)に対する反論だろう。

 

 M3は、ベースと打ち込み主体の曲で、めまぐるしく変化するフレーズが特徴である。

 

 M4は、2台のリズムギターとドラムがシンクロしてリズムを刻む一方、ベースとボーカルがユニゾンを奏でるという曲。

 歌詞は、国家権力と個人との関係の「あり方」について唄ったもののような気がする。また、ザ・フーの「無法の世界」を連想させもする。

 

 M5は前半と後半で全く異なる調子の曲で、前半は、タイムを刻むだけのドラムにささやくようなボーカルが乗る穏やかな曲調だが、後半はドラムのフィルイン主体の激しい曲調である。

 

 M6はダンスビート主体の曲で、ボーカルはデヴィッド・ボウイから影響を受けたようなスタイルである。ギターが耳障りにも聴こえるが、これが実は好いのである。

 

 M7は静かなイントロで始まる曲。左右に振り分けられたボーカルが交互に聴こえる。ベースの押し出しは強烈だがギターはおとなしめである。恐らくこのギターは12弦だろう。一方相変わらずドラムはフィルイン決めまくりである。

 

 M8はあまりドラムが強調されておらず、ギターも敢えて単調にした曲である。

 歌詞は、かつての植民地政策、そして最近のイラク侵攻に対する批判のようにも取れる。

 

 M9は人の速歩のようなリズムにニューウェーブ風ボーカルが乗っている曲で、めまぐるしくフレーズが変化している。

 

 M10はギターのアルペジオで始まる曲で、その後に変則的ビートを叩いているドラムが入ってくるという、あまり他に見当たらないスタイルである。

 

 M11は速いビートの曲だが、とにかくドラムが凝っている。通常スピードのテープで録音したドラムパターンを(これとて空打ち多用という凝ったパターンなのだが)、他の楽器と合わせる際にテープを早回ししたかのような出来上がりなのである(多分、ハードディスク録音の可能性もあるから、「テープ」という表現は不適切かもしれないが)。

 

 M12は全体的におとなしめでフレーズも単純な曲。

 

 M13はクラシック、ピンク・フロイド、音響派、といった音楽からの影響を感じさせる。フレーズ自体はゆったりと進行するが、混沌とした印象を与える曲である。

 

(2005-8-27)

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