Jethro Tull "Aqualung"
01. Aualung
02. Cross-eyed Mary
03. Cheap Day Return
04. Mother Goose
05. Wond'ring Aloud
06. Up To Me
07. My God
08. Hymn 43
09. Slipstream
10. Locomotive Breath
11. Wind Up
本作「アクアラング」は、ジェスロ・タルにとって4枚目のアルバムで、彼らの代表作の一枚であることは間違いない。その後一枚で1曲形式のアルバムを2作発表するジェスロ・タルであるが、それらは幾らなんでも初心者にとっては遠慮しがちな作品であろう。従って、ジェスロ・タル作品中初心者に勧められるものとしても、本作は妥当であろう。発表は1971年である。この1971年という年は、ザ・フーが「フーズ・ネクスト」、レッドツェッペリンが「W」を発表した年でもあり、ロックがピークを迎えた年であると言っても、過言ではあるまい(1969年も凄いけど)。
本作を巡っては、コンセプト・アルバムだという意見に対し、リーダーのイアン・アンダーソンが否定したとの話がある。しかし、コンセプト・アルバムか否かという判断は、聞き手がそれぞれ下せば良いことだと思う。作る側あるいはそれを宣伝する側が何を言おうが、最終的には、受け取る側が個々に判断して構わないはずである。
では、筆者の意見はどうかというと、「聞き手の一部に対し、コンセプト・アルバムと思わせるように仕向けた作品」であると考えている。
まず、ジャケットに印刷された「言葉」を見てみよう。 そこには9か条に及ぶ「言葉」が載っており、聖書のパロディとしか思えない内容になっている。例えば"1"は、
「人は初め神を創った/神は人に似せられて創られた」
である。ユダヤ教系宗教信者からすれば、冒涜以外の何者でもないだろう。しかし、全体としては人類の傲慢さを(人が神と成りて地上を支配した)批判していると思えるのである。そして、本作においては、現代キリスト教批判と思える曲が幾つかある。
次に、"4"において「アクアラング」という名称が登場するが、ここでは人が創った「劣った人」とされている。SF的に解釈すれば、水中で生活する人類と考えられなくもない(註)。でなければ、「何らかの補助用具に頼って生活せざるを得ない人」、更に一般化すれば社会的弱者を指していると考えられる。この「アクアラング」という単語は、タイトル曲M1の他にM2でも登場するが、それらをトータルに解釈すれば、後者の解釈の方が妥当だと思える。
M1はまだしも、M2において「アクアラング」なる単語を使う必然性は全く無いし、ジャケットに上記の言葉を載せる必然性も無い。なのに、「アクアラング」という単語を使ったということは、コンセプトがあるかのように、聞き手を錯覚させる狙いがあったとしか考えられないのである。
(註)本解説文を読んだ人の中に、安部公房の「第四間氷期」を知っている方はどれくらいいるだろうか?
1. Aqualung
4つのパートから構成されており、各パートそのものよりも、曲の構成が素晴らしい。なお、4つのパートとは、(1)ハードロック風のギター・リフ主体のパート、(2)アコースティック・ギター主体のスローなパート、(3)警戒でアップテンポなパート、(4)ギターソロ・パート、である。
(1)シングルもしくはダブル・ノートのリフである。ボーカル・メロディも同じラインで唄われている。
(2)一転して、ボーカルが奥に引っ込み、アコースティック・ギターによるコード・カッティングが始まる。この世が終わってしまったような、暗黒で静寂なイメージを喚起させる。母0カル・メロディよりも途中から参加しているピアノによる「裏メロ」が素晴らしい。
(3)英国伝統の寸劇とは、このようなものなのだろうか。英国の伝統文化に疎い身としては、勝手に想像してしまう。同じメロディの繰り返しでありながら、バックのアレンジが変化に富んでいるので、飽きることが無い。なお、中央から聞けるのは、ウォッシュボードであろうか。
(4)前のパートからスローダウンして始まるギターソロだが、物凄いテクニックが披露されているわけではない。しかし、曲のつながり、必然性から導かれたような雰囲気を持っている。レッド・ツェッペリンの「天国への階段」のギターソロと同様の評価が得られても、おかしくないと思う。
曲は、この後(2)、(1)のパートが繰り返されて終わる。(2)のリピートだが、何故かアンダーソンの笑い声が聞こえる。ジェスロ・タルの場合、アコースティック・ギターがメイン楽器のパートでは、アンダーソンの笑い声が入っていることがたびたびある。あたかも、小ホールでの弾き語りライブの再現のようである。
この曲の歌詞に対する最大の疑問は、「そもそもアクアラングとは何か」である。冒頭に書いたように、「何らかの補助用具に頼って生活せざるを得ない人」だとすれば、前半部で描かれる男達がそれ(アクアラング)に相当するのだろう。
また別の解釈も考えられる。ただし、M2やジャケットの「言葉」とのつながりは無くなってしまうのだが。
主人公は(元)潜水夫で、友人「アクアラング」は潜水用具である、つまり擬人法が使われていると考えるのである(実際、"deep sea diver"という歌詞も登場する)。だとすると、前半部の三人称形式での語りは、上位の視点(神または神の使い)から主人公を描写していることになる。途中に何度か挟まれる「ヘイ、アクアラング」は、主人公の台詞ということになろうか。
ところで、歌詞カードでは最後になる、「そして春の狂気のように花々が咲き乱れる」とは、一体いかなる意味なのであろうか。この歌詞はあまりに唐突である。残り少ない人生で、もう一花咲かせようという決意のようにも読めるが、何の根拠が示されるわけでもないし、やけっぱちとしか言いようがない。
犬の鳴き声らしきSEが冒頭に入っているが、これは単なるお遊びだと思う。その後、フルートとベースによる長いイントロになり、次第にテンポアップして行く。ジェスロ・タルのリズム隊は、堅実であまり独創性が無さそうに聞こえてしまうことが多いが、この曲でのリズム感覚は素晴らしい。
ボーカル・パートは、イントロのトラッド・フォーク調とは打って変り、ハード・ロック調である。このように、フォークとハードロックを1曲中に混ぜてしまうのが、ジェスロ・タルの大きな特徴の一つであり、魅力であると思う。
曲は、"Oh Mary・・・"で締めくくられるが、これはM1と同一の指向である。これなども、「コンセプト・アルバムと思わせる試み」の一つなのであろう。
歌詞の冒頭は、ある意味ナイーブとも言える社会観が出ている。「誰も好き好んで貧乏人、物乞いや泥棒をしているわけではない」 ということだ。イアン・アンダーソンの社会観そのものとは言えないだろうが、全く異なる意見だとは思えない。
その後、タイトルでもある、「斜視のマリー」が登場するのだが、いきなり「契約書にサインせず、いつもゲームをしている」と唄われるので、悪女なのかと思ってしまう。しかし、続く歌詞を読めば、マリーは豊かな家の出身だが、貧しい者のために尽力していることが分かる。契約書にサインをしないのは、相手が狡猾だからだと考えられる。であるから、マリーはゲームをするのである。
アコースティック・ギターをバックにアンダースンが弾き語るような曲。ギターは、アルペジオを弾くか、またはメロディを弾いている。アンダーソンの歌唱は、M1、M2と異なりジェントルである。
この曲の歌詞に登場する「君」は、注意力が散漫になっている人物であろう。ズボンの上に煙草の灰を落としてしまうという下りから、そう推測できる。それは、「君」の年老いた父親が入院していることが原因らしい。「君」は不安なのである、看護婦からまともな待遇を受けているだろうかと。
最後は、「彼女は君にお茶を出し/君の署名を求めた/なんという笑い話だろう」である。日本人からすると、一体何処が笑えるのかさっぱり分からない。「取り越し苦労」ということだろうか。なお、前曲における「マリーは契約書にサインしない」とう一節と対照的であるという点には、留意すべきかもしれない。
4. Mother Goose
トラッド色が本作中で最も強い曲。まるで民謡そのものだ。フルートとアコースティック・ギターがバッキングを務めているが、途中からエレクトリック・ギターが加わり、ハードな音を出している。このアンバランス加減が面白い。
タイトルの「マザー・グース」は英国に伝わる童謡だが、それとどのような関係があるのか分からない。歌詞は4つの話から成り立っているが、それぞれに関連性は無い。英国の伝統文化に疎い身としては、意味不明である。
アコースティック・ギター2本をバックにアンダーソンが唄う、フォーク調の曲。メロディの良さは実に素晴らしいし、アンダーソンのボーカルも良い。途中からピアノとストリングスが加わっている。ピアノは地味だが非常に良い味を出している。
長年暮している夫婦における、夫の感慨を歌にしたもののようだ。アンダーソン夫妻のことが、そのまま歌詞に出てしまったのではないか、と指摘することも出来よう。実際のところはどうだか知らないけれども。
6. Up To Me
冒頭、左右のチャンネルから笑い声が聞こえる。この曲でもフルートとアコースティック・ギターで始まり、途中からエレクトリック・ギターが加わっている。エレクトリック・ギターは、メロディやリフを奏でるのではなく、実験的要素が強い。フルートとアコースティック・ギターでリフを奏でているパートとフォーク調のメロディを持ったボーカル・パートが交互に繰り返されている。この、フルートでリフというのもジェスロ・タルの特徴である。アンダーソンにとっては、フルートはもう一本のギター、あるいはピアノなのだろう。
"up to+代名詞"というイディオムには、「○○の所まで」、「○○の責任だ」という、二つの意味があるが、それを使い分けて作った歌詞である(他の意味もあることはあるが)。歌詞の内容の方は、男と女がいて、恋愛の駆け引きをしていることが唄われているようだ。しかし、その中に現実とは距離のある幻想物語が紛れ込んでいて、ややこしい。例えば、「銀の雲を買おう」がそうである。
7. My God
本作中、最もプログレ色が強い。クラシック調のメロディ、ハードなギター・リフ、フルートとアカペラでの合唱などなど、幾つかの異なる要素が順繰りに演奏されて行く。例えば、M1などと比べると、要素分解してしまうと、筆者にとっては退屈なのだが(プログレの洗礼を受けていないためかもしれない)、重要なのは曲の組合せ、流れということであろう。
歌詞はいきなり、「人々よ」との呼びかけで始まる。呼びかけている者は誰なのか、明らかにされていない。もちろん、神ではないことは確かである。「彼」が登場するが、「墓から復活した」とされているので、「彼」はイエスだと考えられる。ただし、キリスト教のある大きな宗派では、イエスは神と同格であり、ここでもそういった社会通念を前提としている。
しかし、単純な神への信仰をモチーフにした歌詞ではない。逆に、批判しているのである。
「彼は何の神でもない/もしも貴方達が分かることが、それで全てならば/貴方達は全ての神である」
知られている通り、キリスト教は一神教であるため、「貴方達は全ての神」などと口にすることは、根本的な批判である。いや、多神教であっても、このような物言いは許されないことである。要するに神の否定だからだ。
ところが、次のパートに行くと、「彼は貴方達と私の中にいる/だから彼に心を尽くして頼るのだ/そして貴方達の救済のために彼を呼んではならない」
となっており、真意は神の否定では無いことが示されている。
この後、英国国教会へのあからさまな批判が歌詞中に登場する。しかし、結局アンダーソンが主張したかったことは、
(1)神の名を使って、救済などと嘘の主張をするな
(2)自分の生き方は自分で決めるべきだ
の2点だと思う。
8. Hymn 43
割合ポップな曲調である。このタイトル、歌詞を抜きにすれば、シングル・カットされても可笑しくない仕上がりである。ロックンロールをジェスロ・タル風に料理した曲といえば、分かってもらえるだろうか?
歌詞は、賛美歌のパロディ、しかもブラック・ユーモア満載の、である。英国風ユーモアといえば、パロディあるいは風刺とブラックな味わいが特徴だが、この歌詞などまさにそれである。前曲では、イエスを利用している勢力を批判していたのだが、ここではイエスそのものを相当過激に茶化している。例えば、こんな調子である。
「彼(イエス)にとっては、自分の石を転がすことは難しいだろう」
"rolling stone"は職業を転々とする者のことだから、イエスが転職するのは相当難しいというのも分かる(2000年近く前の人が転職するはずがないが)。なお、この行は他の解釈も成り立つので、これは一例にすぎない。
9. Slipstream
いきなり、ボーカル・パートで始まる(バックにはアコースティック・ギターが使われている)、フォーク調の曲。。所々にボブ・ディランを連想させるものがあるが、「影響」ではないだろう。エンディングの奇妙なSEが"slipstream"なのだろうか?
タイトルは辞書によると、"slip stream"の2単語が本来の綴り方らしい。意味は「プロペラの後方に出来る空気の流れ」だそうだ。だが、ここではモノやカネの流れのメタファーとして使われているようだ。
なお、ここでも神への批判が出ており、「君」は神になけなしの金まで搾取されるとされている。
ピアノによるクラシック風イントロに始まり、次第にジャズ、そしてブルースへと変わって行く。バンドのメンバー全員が演奏に加わると、完全にホワイト・ブルースになっている。エレクトリック・ギターあたりを使い、蒸気機関車の音を模している。フルートのソロ・パートは、まるでピアノのようだ。フレーズ的には、M1のギターソロに似ているような気がするのだが。
タイトルが「機関車の息」("locomotive"単独では単なる機関車である。ただし、"breath"が付いているから、蒸気機関車という訳は正しいと思う。しかし、「あえぎ」という邦題はかなり飛躍した訳だと思う)だからといって、主人公が蒸気機関車になっているわけではない。主人公は、いつも負け犬な男Aである。しかも、これから更に過酷な運命に向かおうとしているのである。
おそらく、ここでは人生を列車に喩えている。その男は乗客であり、彼にとって、人生は制御不可能なものであるらしい。もちろん、アンダーソンは一般論として、運命を自分で好転させることは不可能だとか、運命に委ねよなどと主張しているのではないだろう。
「オールド・チャーリーがハンドルを盗んだから/その列車は止まらない/遅くすることも出来ない」
この一節は象徴的である。チャーリーに特別な意味があるか知らないが、主人公の運命はチャーリーに完全に握られてしまったことは確かである。なお、チャーリーは悪魔だと解釈することも出来るし、一人の人間と解釈することも出来ると思う。
11. Wind Up
かなり低いボリューム・レベルで始まり、次第にボリュームを上げて行くというアレンジになっている。アルバムの最終であることを意識したような、メロディとテンポである。途中に、アメリカン・ハードロックのようなリフのパートが挟まれているが、メロディだけはいかにも英国風である。
歌詞は、前半は、子供の頃通っていた日曜学校に対する批判である(アンダーソンが通っていたかどうかは不明だし、重要でもない)。「彼らの神」、「この神」という句が登場し、あたかも「俺はあんたたちが信仰する神を信じない」と言いたそうだが、わざわざ"God"と大文字にしている点が面白い。アンチ・キリスト教ならば、"god"で良さそうに思えるのだが。ということは、アンダーソンは、アンチ・キリスト教ではなく、アンチ教会ということを強調したかったのかもしれない。
一方、後半になると時代が現在に飛ぶ。例えば、「何故、貴方達は敢えて私を”父”の子だと言うのか/ただの誕生の偶然に過ぎないのに」という歌詞がある。これが、"Father"と大文字で綴った場合、それはキリスト教における神なのだが、それなら前半と同様に"God"にしておけば良いはずだ(歌のリズムが崩れるわけでもない)。つまり、ここでは「ただの誕生の偶然」が重要なのであろう。つまり、受精ならびに誕生は、かなりの偶然を伴ったものであることを引き合いに出しているのである。「生まれてきたのは、偶然なのに、何故『神の子』であることを強要されなければならないんだ」、という不満である。
結論として、この曲のテーマは「信教の自由」だと解釈したい。
(2001-12-9)