Soap Opera
"Soap Opera"は、RCAでの5枚目のア
ルバムとして1975年に発売されている。元々は、1974年に英国のグラナダTVで放映されたドラマ「スターメイカー」(レ
イ・デイヴィス主演)のために書かれた曲(9曲)があり、それに3曲追加された計12曲としてアルバム化された。ドラマのための曲といっても、BGMでは
ない。これらの曲は、全体で一つのストーリーを持っっている。
グラナダTVといえば、1969年のアルバム「アーサー、もしくは大英帝国の衰退並びに滅亡」も、元はといえば、グラナダTVに依頼されたドラマ(結果
的にはお蔵入りになってしまったが)用の曲からなっていることを、ファンならば思い出すであろう。
それだけではない。「アー
サー・・・」の前作は「ヴィレッジ・グリーン・プリザベイション・ソサエティ」であるのに対して、「ソープ・オペラ」の前作と前々作は、
「ヴィレッジ・グリーン・・・」の続編である「プリザベーション・アクト1&2」という奇妙な因縁があるのである。主人公が平凡な一市民と
いうのも共通しているが、これはレイの作風がそうなので、あえて「共通点」と言う必要はないだろう。
ストーリーについては後述するとして、本作の音楽面について述べておく。一言でまとめてしまえば、
「50年代のR&B、
R&Rをベースに、パイ後期に顕著だったレイ・デイヴィスらしい曲調を混ぜ込んだ作品」
となるだろう。例えばM1は「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、M3は「20th フライト・ロック」が元ネタになっているように思える。つまり、曲
を聴いていると、途中まではロックンロールであったのが、いつの間にか別の音楽に変わっているという具合だ。
ただし、そういった曲調展開が成功しているかといえば、そうは言い難いような気がする。どの曲も悪くはない。佳曲が揃っている。しかし、「セルロイドの
英雄」だとか、それ以前の「ローラ」、「ヴィクトリア」、「アニマル・ファーム」といった、「コンセプト・アルバム中の曲でありなが
ら、単独でも輝いている曲」というのが、本作には残念ながら見られないような気がする。
結局本作は、キンキー・マニアの程度を判断する試金石なのではないか。本作が大好きと言う人は、かなりヘヴィなキンキー・マニアであり、そうでもないと
言う人は、中度のマニアあるいはファンなのだろう(そして筆者は後者に属するのだと思う)。
■ストーリーを追う
(1)初めに登場するのが、「スター」である。本人曰く、「どんな平凡な人間であっても、私(別名スターメイカー)にかかればスターになれる」そうだ(M1「きみもスタアだ(スターメイカー)」。
そして、「スター」は、とあるサラリーマンの家(夫婦で住んでおり、子供や双方の親はいないという設定になっている)のチャイムを押す。時間帯は夜のよう
だ。
(2)ドアを開けたのは妻のアンドレアであった。「スター」はアンドレアに対し、「夫(ノーマン)の代役を務めさせてくれ」、と申し出る。アンドレアが明
確に承知したとは思えないのだが、何事もなかったかのように「スター」はその家に居座ってしまう。
それにしても、本物のノーマンは何処へ行ったのだろうか?
(3)「スター」が床に就く。このあたりのことがM2「平凡な人々」であ
る。
ところで、凡人をスターにするということと、スターが凡人の代役を務めることは、一体どこが関連しているのだろうか。「スター」によると、代役を務める
のは「調査目的」なんだそうだ。ということは、この凡人を転職させてスターにする(歌手や俳優)というのではなく、サラリーマンを務めさせながら有名人に
するということなのだろう。
(4)翌日の朝、「スター」は身支度を整え、ラッシュの地下鉄に乗る。ラッシュでもみくちゃにされる人々の悲哀を唄ったものが、M3の「ラッシュ・アワー・ブルース」で
ある。
(5)9時から5時までの仕事をこなし(M4「9時から5時まで」)、
パブで酔っ払い(M5「仕事を
終えた夕暮れ時」、M6「酒はよき友」)、街
角でネオンサインを目にする(M7
「ネオンのまぶしさ」)。ここで、「スター」から「これは現実なのか、幻影なのか」という疑問が口をついて出る。ストーリーの展開を表す言葉に「起承転結」というのがあるが、それに則ってい
えば、M1が「起」で、M2〜M6が「承」、そしてM7以降が「転」となるのであろう。
(6)「スター」は、酔っ払った挙句、夢を見る。休暇で海辺に行き、人妻に恋をするという話である(M8「ホロディ・ロマンス」)。
(7)「スター」は家にたどり着く。アンドレアが出迎えてくれる。夕食を巡ってのちょっとした喧嘩が表のストーリーで、裏では、「スター」の苦悩が唄われ
ている(M9「全て君のため」)。
(8)夕食後、「スター」が、「ノーマンのオフィスにはうんざりさせられた」とぼやいたことが発端となり、夫婦喧嘩が始まる。ここでアンドレアは、「あなたはスターなんかじゃない。
ノーマンそのものなんだ」と驚くべきことを言う。これまで、「スター」がノーマンの身代わりを務めていたとされてきたのに、一体これはどういうことだろう
か。どうも、アンドレアは「スター」自体がノーマンの頭の中で生み出された「幻影」であると言いたいようなのだが。
(9)アンドレアが暖炉の上の壁にアヒルを飾ってあることを「悪趣味」とぼやく「夫」(M10「アヒルの壁掛け」)。
ここに至っては、もはや「スター」なのか「ノーマン」なのか、歌詞カード上でも不明確になっている。
(10)ようやく、ノーマンは我に帰ったらしい。今までやっていたことは「スターごっこ」であったことを認めたのである(M11「群衆の中の顔」)。そして、凡人として堅実に生きていかねばならぬことを自覚するのである。
しかし、ことはそう単純ではない。M11の最終ヴァースの歌詞はこうである。
「本当の自分以外の人間になるのだけは耐えられない
ねえ皆さん教えてくれませんか?
僕は一体何者なんでしょう
選ばれし特別な人間なのか
それともただ単に群衆の中の顔に過ぎないのか」
これは、レイ・デイヴィスによる聞き手への問題提起である。すなわち、人間個々人は、特別な存在なのか。それとも、「群衆の中の顔」、もっと嫌らしい表
現を使えば、「工業規格品サンプルナンバー○○」に過ぎないのか。
(11)ストーリーは既に終了している。「エピローグ」に相当するところで、M12「ロックよ永遠なれ」が
流れる。ドラマであれば、配役やスタッフの名前が字幕となって流れる場面である。M12においてレイ・デイヴィスが主張していることは2点あって、
(a)
栄光の座についたロック・スターに対しても、そうでなかった人たちに対しても、区別することなくたたえよう。
(b)誰も音楽を止めることはできない(タイトルと殆ど同じ)、
である。
ザ・フー(というよりはピート・タウンゼンド)が、"Long Live
Rock"、つまり「ロックよ長生きしてくれ」と唄ったのに対し、ザ・キンクス(というよりはレイ・デイヴィス)は「奴ら音楽を止めることは出来ない」と
唄ったのである。
■
全体を通して
しばしば、本作のコンセプトは「全ての人がスターなんだ」、と言われる。しかし、「スター」と言う際のニュアンスについては、おろそかにされがちだ。レ
イの言いたかったことは、スター=有名人(Celebrity)ということではない。むしろ、スター=星ということで、「輝いている人」というニュアンス
だと思う。それは同時に、「人間、生きているだけで素晴らしい」といった甘ったるい言説とも異なるものではないか。上記(10)でも若干触れたように、
「個人として精神的に自立する」ことが前提となっているとしか思えない。
(2003-10-11)
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