Everybody's In Showbiz

 

 "Everybody's In Show-biz"は、RCAでの第2弾として1972年8月に発表されている。キンクスとしては初の2枚組であるが、1枚目はスタジオ録音盤、2枚目はアメリカのカーネギーホールでのライブ盤、と変則的な構成である。CD化されるにあたり、1枚にまとめられたが、これはどうかと思う。やはり、レコードのように、M10"Celluloid Heroes"で終わった方が、聞いていて統一感があると思う。

 スタジオ録音盤の方は、基本的には前作を継承したような曲が並んでいる。つまり、アメリカのフォークやブルースを基本とした曲調である。ただし、キンクスといえば、英国らしさが特徴であるのに、本作からはあまり英国っぽさは感じられない。英国らしさを感じるのは、せいぜいM4とM9である。つまり、よりアメリカ寄りになったということだろう。本作では上記のアメリカ産音楽に加えて、カントリーの要素も加わっている。

 一般に、前作の方が評価が高いが、本作も負けていない。そして、前作よりもとっつき易いという点は指摘しておきたい。特にM10は、キンクスの数多い名曲の中でもトップクラスに位置するであろう。逆にいえば、前作はマニア向けと言えるのかもしれない。

 本作は、制作に参加するミュージシャンが増え、管楽器(トランペット、フルートなど)が活躍しているのが、以前の作品との大きな違いであろう。とはいえ、単に音を足したアレンジではないし、凝ったアレンジでもない。確かに音の厚みは増しているようだが、分厚くもないし、程良いと思う。これは、プロデューサーでもあるレイがそもそも録音技術を駆使した曲、凝ったアレンジを好まないためであろう。それゆえに、ライブ盤との落差が小さくなっており、これは正しい選択だと思える。

 本作のスタジオ録音盤は、タイトルが表しているように、「ショービジネスの世界に生きる自分」、をテーマとしたアルバムであろう。しかし、ヒロイズムやスター礼賛ではないところが、レイ・デイヴィスらしいといえる(デイヴ・デイヴィスも1曲提供しているが、これも本作のコンセプトに沿った曲である)。ここに登場するのは、芸能人になってしまった「普通の人」である。だが、その一方で、いかにも昔の歌手のステージといった歌唱も聞けるので(ホンのさわり程度なのだが)、レイがショービジネスを完全に否定しているとも思えない。しかし、歌詞の内容を考えると、単なる憧れではなく、皮肉と解釈することも出来る。一筋縄で行かないところが、「キンクス=ひねくれ者」の面目躍如ではあるが。

 別の見方をすれば、本作は「ローラ対パワーマン・・・」の続編でもあるのだろう。「ローラ・・」は、ミュージシャンに成り立ての若者の視点で描かれていたが、本作は、ミュージシャンになってから結構立った者の視点で描かれている。その差は、以下のように現れている。

(1)「ローラ・・・」ではデイヴのハードなギターが結構聞けたのに対し、本作ではハードな音はどこにも無い。トランペットでさえも柔らかいサウンドである。
(2)「ローラ・・・」では、世の中と闘う武器としての音楽が前提となっていたのに対し、本作にはもはや「闘い」は無い。あるのは、「日常」である。

 これらを、どう考えるべきだろうか。「年を取って寛容になった」、「当時RCAと良好な関係にあった」、という説明だけでは済まされないような気がする。むしろ、「ロックの挫折」が本作では顕在化しているように思えてならない。「もはや、ロックは完全にビジネスに組み込まれた」との認識を、レイが持ってしまった故に、本作が誕生したのではないか。そして、対処法として、レイが選択したのは、「出来る範囲のことをやる」ことだったのだろう。

 しかし、レイは更に人の裏をかくようなことをやっている。それは、ライブ盤の選曲である。カバー曲も取り上げられてはいるが、キンクスのオリジナル曲のリストを見ると、M15、M19以外は、どれも「ちょっと危ない歌詞」を持った曲である。ライブ当日は、他の曲も演奏していたらしいから、レイが敢えて「危ない歌詞の曲」を選んで収録したことになる。つまり、表向きは業界に負けた振りをしていながら、裏でおちょくっているのである。

 


1. Here Comes Yet Another Day

 軽快なロックンロール調の曲。ドラムはタイトでかつ凝ったリズム・パターンを叩き出している。トランペットが奇妙な味を出しているが、これは他の曲でも同様である。

 歌詞は、ホテルを転々とするツアー生活における朝の倦怠感と、芸能人としての義務感(観客を楽しませる)に煩悶する人間の心情を一人称で唄ったものである。

 

2. Maximum Consumption

 前作から始まったおとぼけ路線の曲で、米国南部ロックからの影響が強い。

 歌詞は、芸人として生きるために大食いをしなければならないと思い込んでいる人間のことを一人称で唄ったものだが、「このままでは潰れてしまう」との恐怖感が裏にあることも吐露されている。この「旺盛な食欲」は、貪欲に利益を上げようとするショービジネス界そのものを表しているようにも思える。

 

3. Unreal Reality

 冒頭と終わりにおいて、50年代以前の歌手のステージのようなもったいぶった歌唱が聞けるが、全体としてはロックンロール調の曲である。トランペットが特に強調されたアレンジである。後半には、ホンキートンク・ピアノが活躍する。

 歌詞は、今生きている世界に現実感がないということから始まるのだが、哲学的な議論が起こるわけではなく、「それは各自の好みの問題だ」と結論されている。確かに、安易な結論のようではあるが、21世紀になった現在では、現実と非現実との明確な境界が危ぶまれている(いわゆる脳の認識の問題である)のであるから、レイは直感的に未来を予見したとも言える。

 また、おそらく、ショービジネス界そのものが虚構の世界だという思いが、この曲を作る動機になっているのであろう。それが、上記のもったいぶった歌唱につながっているのだと思う。

 

4. Hot Potatoes

 ドラムソロのイントロに続いてアコースティック・ギターが入ってくる。ドラムソロを使う場合、大抵はアグレッシブな曲調になるが、この曲はスローテンポであり、アコースティック・サウンドである。パブで合唱するのに向いている曲であるとも言えるだろう。

 歌詞は、収入の少なく妻に頭の上がらない男が主人公になっている。前半では、「焼きジャガイモだけで充分だ、お前の愛が欲しいだけだ」、と唄っていたのに、終盤になると、「ジャガイモにはうんざりだ」、と心境が変化している。だが、結局は諦めの境地に達したのか、最後には、「熱いジャガイモでいいや」、と元のさやに戻るところが愉快である。

 ところで、"Hot Potato"には、「困難な立場、問題」という意味もある。となると、妻というのは、事務所の社長を別人に喩えたものと考えられるし、「焼きジャガイモ」は事務所が見つけてくる仕事のメタファーと考えることも出来る。

 

5. Sitting In My Hotel

 ピアノをバックにレイが唄うテンダーな曲。ポール・マッカートニーの作風に近いかもしれない。途中からオルガンとトランペットが加わってくるが、正直言って、これらの楽器が加え無かった方が良かったと思う。

 歌詞は、スターとなった主人公の独白である。ホテルの7階に座りながら通りを見下ろす、という現実の場面と、友人達について思いを巡らせる場面が交互に繰り返される。ホテルの7階という舞台設定は、一般人との隔たりを表していることは言うまでもない。

 友人達について思いを巡らせる場面は、「友達が今の僕を見たら」、というフレーズから始まっている。「仮定法過去」で書かれているところからして、「友達に会いたいのだが、そうはいかない」ことを、主人公が認識していることが表されている。つまり、この主人公は、スターとしての生活に居心地の悪さを感じてはいるが、それを放棄する意思はないのである。これを更に裏付けるものとして、友人達が取ると思われる態度が最後に異なっていることが挙げられる。1、2回目では、友人達は主人公のことを理解できず、冷淡な態度を取るだろう、と主人公は想像するのだが、最後の3回目では、「僕を理解しようとするだろう」となっているのだ。しかし、結局のところは、理解されるとは思っていないようである。

 

6. Motorway

 カントリー調の曲。グラム・パーソンズから影響されたような雰囲気があるが、キーボードの使い方が個性的だと思う。

 タイトルの"motorway"は英国の高速道路を指すそうだが、この曲では徹底的にけなされている。主人公は"motorway"を旅していることになっているが、これはつまるところ、英国ショービジネス界への批判なのだろう。わざわざ英国の高速道路と明言したのは、レイが英国への見切りを付けたことが裏の意味にあると見ていいと思う。

 

7. You Don't Know My Name

 この1曲だけがデイヴの作品である。米国南部の香りのするロックンロールであるが、アコースティック・ギターとフルートをメインの楽器に使っているところは、ジェスロ・タルの例を挙げるまでもなく、キンクスの音楽的基盤に英国フォークがあることを表している。とにかく、フルートが良い。

 歌詞は、M6の続編であるかのように、旅する者の物語である。大半は、旅の途中で思ったことを唄ったものであるが、その中に挟みこまれた、「あんた(達)は俺の名前さえ知らない。それなのに、どうやってあんた(達)は俺を信じることが出来ると言うんだ(出来るはずがない)」、という捨て台詞が特に印象に残る。スターというだけで擦り寄ってくる輩が実に多く、そいつらはただ人気者に近づきたいだけなんだ、と言いたいのであろう。

 

8. Supersonic Rocket Ship

 軽快な曲。ちょっとばかりカントリーの要素も感じられる。皮肉な見方をすれば、朝のTVでかかるのに持ってこいだ、とも言える。アコースティック・ギターのハイ・フレットを2台使ったライン(左右両方のチャンネルから聞こえるが、ダブルトラックではなく、別のフレーズである)が印象的である。英国ではシングル・カットされ、トップ20に入るヒットとなっているが、シングル向きの曲とは思えない。それなら、M10をシングルに選んだ方が絶対良かったのに。

 歌詞は、超音速ロケットのパイロットが、乗客に対するアナウンスする場面を描いている。このロケットはある種のユートピア世界を体験出来る場であるとされている。すなわち、流行を追いかけて疲弊することや階級差別がない世界である。この曲が英国でスマッシュヒットとなったのは、曲調の軽快さもさるところながら、「階級差別のない世界」というのが、リスナーに訴えかけるところがあったのではないだろうか。

 なお、科学的な見地からすれば、超音速というだけでは地球は脱出できないし、光よりも速く飛ぶことなどもちろん不可能である。

 

9. Look A Little On The Sunny Side

 パイ後期以降のキンクスお得意の曲調である。寸劇のBGMにぴったりだと思う。M8からの流れが実に自然である。

 歌詞は、レイ自身を励まそうとするような内容である。大意は「別の見方をして前向きな気分になろうよ」であるが、これは「ヘイ・ジュード」の一番の歌詞とも相通じる。だが、「ヘイ・ジュード」と決定的に異なるのは、この曲では、「君は何も間違っていない。だから、今のままでいいんだ。問題は考え方だけだ」と唄われていることであろう。つまり、自己弁護と取れなくもないのである。裏返してみれば、NMEを代表とする英国音楽プレスへの辛らつな批判のようにも読めるのである。

 また、この歌詞はモリッシーあたりが書きそうでもある。ただし、モリッシーだったら、もっと悪辣にするだろう。後にレイはザ・スミスを絶賛するのだが、こういう歌詞を読むと、両者に共通点があるな、と得心するのである。

 

10. Celluloid Heroes

 本作から1曲を選べと言われたら、文句無くこの曲を挙げる。キンクスはRCAを離れて後も、この曲をずっとライブで演奏し続けている。それだけ、レイにとっても愛着のある曲であることは確かである。メロディ、アレンジともに簡潔で、6分を超える長い曲なのだが、聴いていて飽きるようなところはない。ピアノのフレーズは目立ちにくいがとても良い。だが、やはり、レイのボーカルそのものが何より素晴らしい。驚くほど歌詞を丁寧に唄っており、一単語一単語の発音にまで気を使っていることが分かる。

 歌詞は、「誰もが夢追い人そして誰もがスター」で始まる。これだけならば、とりたてて述べることはない。だがその後、

「誰もが映画の中に生きている」
という歌詞が続く。これは、スター=映画であるとの解釈も成り立つが、逆に、
「社会そのものが虚構のようだ」、
と解釈することも出来る。M3の主題が反復されているのである。

 続いて、実在した映画俳優を幾人も例に挙げて、彼(女)らをユーモラスにそして優しげに唄い上げて行く。このパートの歌詞は、ハリウッド大通りに刻まれた彼(女)らの手形のことを唄っているに違いないと思うが、普通ならば手形などではなく、ポスターなどの顔が描かれたものを取り上げるはずである。にも関わらず、コンクリートに刻まれた手形を取り上げたということには、「踏み越していく」という行為が鍵を握っている。すなわち、スターに対して上に立つということであり、これが、冒頭の「誰もがスター」という歌詞につながっているのである。

 そして、それらの間に挟み込まれた歌詞が、
「ハリウッドの大通りを歩けばスター達に会える/知っている人や殆ど名も知らぬ人に/名声のために働き、悩み、奮闘した人々/成功した人もいればそうでない人もいる」
である。ここでは、ハリウッドの名を借りてはいるが、ミュージシャンは売れようが売れまいが、それが価値の全てではない、ということが念頭に置かれていると考えられる。

 その後のパートで興味深い歌詞は、
「(1)僕の人生が止まることのないハリウッドの映画だったらいいのに/
(2)セルロイドの悪漢とヒーローによるファンタジーの世界だったら/
(3)セルロイドの英雄達は痛みを感じないし、決して本当に死んだりしないから」、
であろう。スター願望などではなく、現実逃避であることは明らかであろう。しかし、少しばかり言及しておくことにする。
 (1)では、「止まることのない」とされているが、休息のない生活を望む人が現実逃避願望を抱くだろうか。疲れて休みたいと思う自分を嫌悪しているのだろうか。
 (2)は、現実社会は、悪と正義とが明別出来ないということで、これは今となっては、その通りだと言える。ただし、1972年当時にこの歌詞を書いたという事実は、レイの先見性を示すものである。もしかしたら、「オルタモントの悲劇」に触発されたのかもしれない。
(3)は、確かにその通りであるが、どことなくシニカルである。しかし、ここまで思考が飛躍するだろうか。ここでの「僕」は、歌詞前半部における語り手、すなわち仮想の「君」を相手にしている人と同一なのだろうか。

 ところで、この曲を「人生の応援歌」だと評する人がいる。確かに、「誰もがスター」という一節からは、そう解釈できないことはない。ただし、それは、「人生に甘い夢を抱いてばかりいてはいけないよ」、あるいは、「特別な人間なんていないんだ」、といったメッセージを読み取った上での話だと思う。

 

(2001-1-26)

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