Muswell Hillbillies

 

 "Muswell Hillbillies"は、RCA移籍第1弾として1971年11月に 発表されている。移籍の理由は、アメリカでのライブが解禁になったこともあり、レイがアメリカでのレコード売上げを伸ばしたいと考えたからだろう。ただ し、その目論見はRCA時代末期になってようやく達成されたのだが。

 本作のタイトル曲、「マスウェル・ヒルビリー」の一節を全体に敷衍して、本作を英国人から見たアメ リカへの憧れをテーマとしたコンセプト・アルバムと評する人がいる。確かに、サウンド面では、アメリカのフォーク、ブルース、カントリーを基としていなが ら、英国人が作ったアメリカン・ロックを感じさせる作品である。このサウンド指向は、前々作の「ローラ対パワーマン・・・」から始まっており、本作ではそ れを一層押し進めたものであると言える。しかもそれは、デイヴィス兄弟にとっては音楽的バックグラウンドと言えるものであったらしい。しかし、歌詞でアメ リカへの憧れに言及した曲は、M10とM12くらいである。他は、後戻りできない現代文明社会の歪を、様々な視点から歌にしたものが多い。

 もう一点、本作のサウンドが「映画」を意識していることも挙げておかねばならない。M3、M4、 M5で顕著だが、映画のBGMに相応しい雰囲気の曲が本作には多い。M12もそれに分類していいように思える。しかもその映画は、今現在の映画というより は、セピア色に褪せたフィルムである。

 上記のことから、レイは、英国人が憧れたアメリカは、過去のもので現存しないことを充分認識してい たような気がする。とはいえ、本作ではそのことを明言していないし、むしろ「分かってはいるけど、夢は捨てきれないんだ」と言っているようにも思えるので ある(M12)。そこで、「英国人から見たアメリカへの憧れをテーマとした云々」、といった不充分な言説がまかり通ってきたのだろう。

 しかし、そういった曖昧さを以ってレイを批判するのは、お門違いであろう。当時のレイは、労働者階 級の視点で多くの歌詞を書いていた。その労働者階級の人とは、革命に身を投じるような白黒決しなくては気が済まないタイプではなく、物事は灰色の方が多い と考えているタイプである。であるからこそ、本作でも高所から意見を述べる形ではなく、ある人のぼやきという形にして、曖昧さを残したのではあるまいか。

 本作の曲は全てレイが書いたものだが、レイはロンドン〜ロサンゼルス間を往復する飛行機をチャー ターし、それに乗り込んで曲を作ったとされている。もちろん、後から手直しを入れている可能性は多分にあるが、このような状況下で曲を作ろうとした動機そ のものは興味深い。これは憶測に過ぎないが、レイの頭の中には、現代文明の象徴である飛行機の中で着想を得た曲こそ現代社会に何らかの形で言及するものに なるだろう、という発想があったのかもしれない。

 

1. 20th Century Man

 アコースティック・ギターとドラムだけをバックに、とぼけた唄い方で始まる曲である。このとぼけた ようなショボイ唄い方は、本作での特徴でもある。

 2ndヴァースからはスライド・ギター(ドブロ?)が加わり、ルーツ・ロックの要素が強くなる。そ の後、ジョン・ゴスリングによるキーボードが加わって音の厚みが増すが、これは前々作の継承と言えなくも無い。

 20世紀の人である「僕」が、現代文明社会を皮肉ったものである。現代文明とは、機会文明と情報社 会である。また、自分は精神分裂病であり、それは20世紀の産物だとしている。「僕は20世紀の男だが、ここにはいたくないんだ」、「僕は20世紀の男だ が、ここで死にたくはないんだ」、これがこの曲を代表するこれはストレートな逃避願望である。この主人公に対立する存在として母親が配されていることは、 次の曲への布石だろうか。

 

2. Acute Schizophrenia Paranoia Blues

 ブラスとホンキートンク・ピアノが印象的なスローな曲。酔っ払って唄っているかのようなボーカル も、米国南部ロックを思わせる。ストーンズの「ホンキートンク・ウィメン」と良く似たフレーズも入っている。

 歌詞はM!1に呼応するものである。M1では、精神分裂病は20世紀の産物だとしていたが、ここで の主人公は、「急性の」精神分裂妄想症に設定されており、正反対のことを唄っているようであるが、それはカモフラージュであろう。本当は、「みんな精神を 病んでいるが、発症しないだけのこと」、とレイは主唱したかったのだと思う。何故ならば、「精神分裂病、僕はかかった、君もかかった/どうしようもないの さ/急性の精神分裂病は」というフレーズが何度も繰り返されるからである。更に、「僕の父親でさえ、親友を失ったことがある/親父も急性の精神分裂病だっ たのさ」という歌詞も登場する。これは戦争で親友を失った(深読みすれば、自分だけ逃げ出したのか、敵に親友を売ったのか、そういったことがあったのかも しれない、フィクションとしてだが)ことを仄めかしているのだろう。結局、誰でも精神を病んでしまうことがあるということであり、それは社会状況のせいで ある、というメッセージが隠されているのだと思う。

 もう一点、重要な歌詞は、「急性の精神分裂妄想症ブルースには治療法が無い」という一節である。こ れはが何度も繰り返されている。左様、キレてからでは遅いのである。とはいえ、この一節が、エディ・コクラン作の「サマータイム・ブルース」のもじりであ ろうし、それはある種の「受け狙い」に違いない。前年、ザ・フーが「サマータイム・ブルース」のカバーをレコード化しているが(ライブ)、それに対するお ちょくりもあったような気がする。20代後半になっていたレイからすれば、10代の悩みだけが深刻なのではないだろう、と言いたかったのかもしれない(因 みにザ・フーは、本作と同年に「フーズ・ネクスト」を発表し、20代の苦悩や問題について斬り込んでいる)。

 

3. Holiday

 前述したことであるが、映画のBGMのような穏やかな曲である。まさに「休日」である。

 歌詞は、労働者階級のささやかな贅沢といえる休日をのんびりと過ごす人物の心情を唄ったものであ る。主人公は、休日だからといって、どこかのリゾート地に出かけて行くなんてことはせず、どこかの閑静な田舎で過ごしている。金の問題もあるから、こうい う過ごし方しか出来ないのだといえばそれまでだが、バブル時代を経過した日本人にとっては、感情移入出来るのではないか。

 

4. Skin And Bone

 ブラスとピアノが印象的な軽快な曲。エレクトリック・ギターのフレーズも米国南部ロック的である。 面白いのは、女性コーラスが入りそうなパートを男性のファルセットで代用(?)している所か。

 歌詞は、肥満のアニーが怪しげな栄養管理士に騙されてダイエットし、骨と皮だけになってしまったと いう顛末を唄ったものである。やせることで得られるものへの幻想を斬り捨て、過激なダイエットへや拒食症への警告をしているとも取れなくは無い。エンディ ングは、コミカル且つ皮肉な歌詞になっている。

 

5. Alcohol

 初のマイナー調の曲。タンゴのリズムを利用している。バックの演奏はブラスが中心であり、サーカス の楽隊のようでもある。

 この曲の歌詞もM4と同様に3人称形式である。ただし、サビのパートでは主人公の独白ではあるが。 社会的抑圧(それは妻の野心も含まれる)からアルコール依存症に陥った男の顛末を描いている。

 

6. Complicated Life

 バックの演奏は、エレクトリック・ギターによるスライド奏法、アコースティック・ギター、ピアノが 中心でああり、思い切りレイドバックしている。バック・ボーカルは恐らくデイブであろう。パブでビールを引っ掛けながら、皆で唄うのに相応しいメロディで ある。

 歌詞は、精神的ストレスから胸や心臓の痛みを訴える男が主人公である。医師(カウンセラー?)の進 めもあって、主人公は出世競争などから退くことにするのだが、そのために職を失い請求書(電気やガスか?)だけが増えて行くといった、現代社会ならではの 問題を見事に描いていると思う。というのは、ロックの歌詞は概して「今の状況から抜け出したい」ということばかり唄っており、抜け出した後にどうなるのか については沈黙しているからである。それに対してレイは、現代社会は「複雑な人生を強いるもの」という大人の視点を導入しているのである。

 

7. Here Come The People In Grey

 典型的なロックンロールのリフとアル中風のボーカルスタイルがミスマッチで面白い曲である。

 歌詞は、主人公に、財産を没収し、主人公の自由権を奪うという通告が来たことを唄ったものである。 灰色の服とは公務員の象徴であろうか。ところで、主人公の設定は全く不明であり、税金を滞納している貴族(「サニー・アフタヌーン」の別バージョン説)な のか、犯罪者(政治思想犯?)なのか明らかではない。

 また、この曲の歌詞は、当時のキンクスとしては異例である。それは、「灰色の服を着た奴等と闘うん だ/たった一人の革命だ」という一節があることである。

 

8. Have A Cuppa Tea

 アコースティック・ギターとピアノで始まり、途中からエレクトリック・ギターが加わっている。「紅 茶」は英国文化の象徴でもあるが、メロディは喜劇のBGM風であるのに、演奏がカントリーみたいである。この曲にもパブで合唱するようなパートがある。

 英国での言い伝えに「紅茶は万病の薬」というのがあるそうだが、この歌詞などはまさにそうである。 登場人物は婆さんと爺さんというのも、およそ他のロック作詞家なら書きそうに無い。CMソングとしても使えそうである。

 

9. Holloway Jail

 出だしは、アコースティク・ギター1本をバックにレイが唄う、アメリカン・フォーク調の曲である。 途中に、エレクトリック・ギターや女性コーラスが入ってきて、アメリカン・ロック風になるが、終盤ではプログレッシブ・ロックの要素も聞ける

 固有名詞が出てこない女性が、フランキーという悪人に騙されて刑務所に入ったことを唄ったもので、 「ホロウェイ刑務所」というのが実在するのか、筆者には分からない。歌詞に拠れば彼女は窃盗の罪で服役したことにされているが、同時に終身刑なのだそう だ。ちょっと理解しかねるものがある。もしかすると、刑務所自体が比喩なのかもしれない。つまり、この女性はフランキーに弱みを握られ、一生それを背負っ て行く羽目に陥ったと考えるのである。日本企業ならばありそうな話であるが、英国ではどうだろうか。

 この歌詞は、彼女が服役してからだいぶ年数が経った時という設定になっているようだ。彼女は服役前 は綺麗だったのに、今ではすっかりやつれてしまったとされている。ところで歌い手はこの女性の彼氏なのだが、やつれて行く彼女に対して無力である自分を嘆 いたり、あざ笑ったりする描写はどこにもない。ただ、彼女のことを唄っているだけである。この情けなさは、どことなくブルースの歌詞の世界を思わせる。 

 

10. Okulahoma U.S.A

 この曲もアメリカン・フォーク調である。ピアニカのような音は、実際の所何が使われたのだろうか。 アルバムのエンディングのような雰囲気も持っている。

 歌詞には、労働者階級の僕らと彼女が登場する。僕等は、日々の労働に疑問を持ちながら、とり敢えず 働いている。一方の彼女は、ボロ屋に住みながらオクラホマでの生活を夢見ているという設定である。しかも、夢のせいで仕事に身が入らないらしい。そんな彼 女を、「僕」は叱ったり説教するわけでもなければ、一緒になって「いつかオクラホマに行こう」という調子の良いことを言うわけでもない。淡々と労働をこな しているのである。観察するレイ・デイヴィスの真骨頂であるが、こういう歌詞は、他の曲といっしょにすることで生きてくるのだとも言える。例えば、「アー サーもしくは・・・」のように。

 

11.Uncle Son

 本作中もっともスワンプ・ロックに近いような曲だと思う。 

 この曲の歌詞に登場する「アンクル・サン」も平凡な労働者階級の男である。そんな男に対する者とし て、リベラリスト、保守主義者、社会主義者が挙げられており、こちらは理想社会の実現を声高に説いている。しかしレイは、理想社会を主張する人々よりも平 凡な一市民に共感しているようだ。シニシズムかもしれないが、70年代初期と言えば、ロックによる社会変革は不可能という現実が付き突けられた頃でもあっ たのである。ザ・フーの「無法の世界」のように、「革命なんて信じられない」という視点がここにあると思う。ただし、キンクスはそれを声高に叫ばなかった だけである。

 

12. Muswell Hillbilly

 この曲はミュージカルのエンディングのような雰囲気があり、アルバムの最終曲に配置したことは正し い選択だと思う。バックの演奏はアコースティック・ギターとピアノが中心であるが、ベースが力強い点が、他の曲では聞けない特徴である。ボーカルも粘っこ いスタイルになっているパートがあり(ただし、ミック・ジャガー程ではない)、これも他の曲とは異なる特徴である。

 歌詞は、マスウェル・ヒルに移住しようとする少年の心情を唄ったものである。この移住は自ら決意し たものではなく、「奴等が移住させた」となっており、歌詞の後半を読むと、再開発という名目で新興住宅地に移転させられたことが分かる。主人公は、田舎を 破壊して都会に作り変えたり、人々を画一化しようとする体制に反発しており、「コックニー・アクセントを守るんだ」という意地を見せている。

 この曲の歌詞の中で最も有名なのが、「僕はマスウェル・ヒルビリーの少年/でも心は古い西ヴァージ ニアにある」である。英国労働者階級出身の少年として、アメリカへの憧れを唄ったものと解釈されているが、その憧れの対象は、あくまでも"old"なので ある。従って、単純なアメリカ賛美ではない。もちろん、昔のアメリカが良い所であるのか、それは移民の出自次第であるが。

 つまり、この一節を独立させるのはまずいのではないか、ということである。全体に通じるテーマを見 出すべきであり、それが、「何が起きようとも、自分のバックグラウンドを守るんだ」なのである。

 従って、キンクスとしての音楽的バックグラウンドを守るということで、本作ではルーツ色の濃い仕上 がりになったと考えられるのである。だが、同時に先程のフレーズは、活動拠点をアメリカに移したがっていた当時のレイの心境を唄ったものだと解釈すること も可能なのだが。

 

(2000-7-16)

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