Lora Versus Powerman And The Moneygoround Part1
"Lora Versus Powerman And The Moneygoround Part1"は1970年に発表されている。前年にはウッドストック、ワイト島といった、大規模のロックフェスティバルがあった。また一方で、ミュージシャンの早世、ビートルズの解散といった出来事が相次いで起こっていた。一方、キンクス側では、数年間続いたアメリカで活動禁止が解け、ツアーが出来るようになった。そういった時期に発売された作品である。
前作、前々作は全てレイの作品で占められていたが、本作では全13曲中レイが書いたものが11曲、デイブが書いたものが2曲収められている。本作よりキーボード奏者としてジョン・ゴスリングが加わったせいで音の厚みが増している。また、ここ何作か英国的なものへのこだわりが強かったキンクスであるが、今作はアメリカ南部嗜好が強くなっている。特に、ジョン・ゴスリングのキーボードは南部の匂いを強く感じさせる。もちろん、M7のようなトラジコミカルな曲もあるし、キンクスしか出せない楽曲、サウンドともいえると思う。
一方、デイブ作品では、久々のハードなギター・リフが復活している。M2などはAC/DCを思わせるようなリフ主体の曲である。もちろん、当時AC/DCは存在しなかったから、こう言う表現は妙なのであるが。こういった変化は米国ツアー解禁とも密接な関係があるのだろう。また、少し前より台頭してきたハードロックとも無関係ではあるまい。元々元祖ハードロック・バンドとも言われるキンクスであるから、「そういうサウンドは俺達のほうが先鞭をつけたんだ」との思いがあったかもしれない。
さて、周知のことであるが、本作もコンセプト・アルバムである。主人公はロックに見を投じた若者であり、彼がスターになって行く過程での業界裏側事情、そして挫折と新たなる決意、などがストーリー展開されている。実名でマネージャーやプロデューサーが登場するなど、自伝的要素が強い。
邦題は、「ローラ対パワーマン、マネーゴーランド組第1回戦」となっており、まず、この邦題だけで笑わせてもらえる。
1.The Contenders
少年が母親に向かって自立宣言する場面からこの曲は始まる。「世界の外がどうなっているか見てみたいんだ/この生活から抜け出したい/今すぐに自由になりたいんだ」 である。世界の外といっても、ここでは家という狭い社会を指していることは明らかである。
この後少年は、「高速道路の建設者」といった、いわゆる堅気の職には就きたくないと宣言する。その後に、「個々がばらばらでは大したこと無い存在だが、連帯すれば何かを成し遂げられるんだ」 という、当時のヒッピー・カルチャーにも似たことを言う。
最後は、「ファシズムの指導者や罪を負った聖職者にはなりたくない/僕は勝者になりたいんだ」 である。ここのフレーズは、ストーンズの「悪魔を哀れむ歌」からヒントを得たのだろうか。
2.Strangers
このアルバムにはデイヴ作品が2曲収められているが、そのうちの1曲がこれである。歌詞は前の曲を受け継いでいるが、前の高らかな宣言から後退したような印象もある。というのも、冒頭が「君が何処へ行こうと気にしない/僕は自分の世界を葬り、自分の時間を葬ってしまった/僕は何処へ行き、何を見るのだろう/多くの人々が僕の後をついてくるのが見える/僕が年を取ったら死ぬことを怖れるだろう/だから君の行く所には何処へでもついていく/君が手を差し延べてくれれば」となっているからだ。M1で勝者になることを決意しておきながら、ここでは、主人公の不安が現われている。「君がどこへ行こうとついて行く」では主体性が感じられない。
この曲の主題は、「僕らはこの道を進む他人同士/僕らは二人じゃなく一人なんだ」であることは明らかであるが、この後「君」が一度も登場していない。どうもアルバムがストーリーにそって展開させているとなると、ここに持ってきたことには疑問が残る。M12の後に持って行った方がよかったのではないだろうか。そうすれば、挫折感を味わった後、再起の決意をする時の支えとして「君」を発見した、とすることが出来るだろうに。
3.Denmark Street
デンマーク・ストリートとは、ロンドンの音楽出版社が集まった通りである。歌詞は、音楽で身を立てたいと思う少年を二人称の立場から描いている。とはいえ、少年と真向かいの所から語っているのではなく、いわば神の視点である。このあたり、映画の手法が取り入られているような気がするが、映像制作に多大な関心があったレイ・デイヴィスならば、それも当然だろう。
その後、少年が、音楽出版社の社員(恐らく重役なのだろう)の前で演奏する場面になる。この社員は「好きな音楽じゃないね、それに君の髪は長すぎるよ」と、この少年に否定的な態度をとった後で、「誤ったと言われるのが嫌だから契約してやる」という話になる。これは、ビートルズとの契約を蹴ったデッカのエピソードを連想させる。
続いて、少年は曲や歌詞を練り、音楽プロデューサーのところに行って、再度演奏する。このプロデューサーは、「君の音は気に入らないが、契約してやる。そして街で流れるようにしてやる」と少年に言う。レコード契約成立である。
4.Get Back In Line
この曲は、タイトルにも現れている通り、「仕事が欲しい」と願う場面を描いている。 歌詞は、「上手く行かない時には、現実世界に向き合うことは難しい」で始まる。この少年はレコード契約をしたまではいいが、それだけでは食べて行けないので、他に職を探さねばならないのである。それが「現実に向き合う」ということである。
そんなところにユニオンマンという者がやって来る。この人は少年の死活を左右する存在だと言うのだが、一体何者なのだろうか。「組合の人」と考えるべきか、分からないが、少年はその人がやってきた時「太陽が輝き始めた」というのだから、仕事を見つけてくれる人なのだろう。どんな仕事なのかは分からないとしても。この辺、筆者が英国の労働事情に明るくないので、確かなことは言えない。
5.Lora
オールド・ソーホーという繁華街で、少年がローラというゲイと会った時の逸話である。最後の方までゲイだという表現は隠されている。この曲の冒頭で、「コカコーラの味がするシャンパンを飲んでいたら、彼女がダンスを申し込んできた」という表現があるのだが、これに続けて「彼女」は、「暗い茶色の声で『ローラ』」と名乗っている。コカコーラと暗い茶色の声という表現が対句になっているのである。
その後ローラの誘いに乗って、少年はローラの自宅に行く。ただし、何処からがローラの自宅での場面なのか、はっきりしない。「彼女を押しのけ/ドアに走って/転んでしまう」ところは、まだソーホーでの出来事のような気もする。というのは、この場面の最後にローラと目が合い、決心したことになっているのだから。もちろん、決心したのがローラの自宅に着いてからと解釈しても構わないだろうが、ローラと目が合った後から、歌唱法が変わっていることを考えると、前者の説を採りたいのである。
曲の最後で、少年は殆ど開き直りのような宣言をする。「僕は、世界一の男らしい奴じゃないが/自分が何であるかわかっているし、男だし、ローラもそうなんだ」というフレーズである。ここに来て、ローラがゲイであることが明示されるのである。その前のフレーズでは、少年が女性とキスしたことさえなかったとされており、つまり初体験がゲイとであったのである。それにしても、この曲はアルバム全体としてのストーリーから、かけ離れた話題を提供している。音楽業界にはゲイが多いという事実を暗示しているのだろうか。
6.Top Of The Pops
イギリスの有名な音楽番組からそのままタイトルを拝借している。少年の曲がヒットチャートで25位に入ったことから、歌詞が始まる。かれは有頂天になって、「母や姉に報告に行くんだ/ズボンをプレスして、靴を磨いて/ロックンロールの神様にだってなれるかもしれない」と言う。
その後のスターになっていく状況が描かれる。メロディ・メーカーがインタビュ−に来たり、女性が少年を見つけて叫んだりしている。しかし、少年はその一方で、これらを「狂った夢のよう」とも捉えている。これは、レイの心境がそのまま現れたところであろう。引き続いて、「レコードが売れている間は、以前は面識も無かった友人が出来るが、売れ行きが下がったら、みんな去って行くのだろう」 とも言っている。実体験かもしれない。
最後は、事務所の社長らしき人物が「君のレコードがNo.1になったぞ」と叫んで終わりとなる。
7.Money-Go-Round
勿論、メリーゴーランドに引っ掛けた造語である。レコードが売れて印税が入ってくるはずなのに、何処かに流れてしまう、ということを唄っている。「金は天下の回りもの」である。この曲では、キンクスのマネージャーや音楽出版社の社長が実名で登場する。それまでにレイは訴訟を起こしていたのだが、実名を出された側は逆提訴しなかったのだろうか。アルバムが売れていたら、提訴したかもしれない。
この曲における主人公の批判は痛烈である。「彼等は聴いたことのない歌から金を受け取る/彼等は音を知らないし、歌詞を知らない」である。そんな状態で、主人公は弁護士の所に相談に行く。そして、神経衰弱の限界にまで達しながらも、最後まで戦うことを宣言する。
と言っておきながら、「もしも僕が今までに(正当な)報酬を受け取っていたら、それを使い果たすには年を取ってしまうだろう」とも言うのである。このフレーズは解釈の割れるところである。「それだけ、多額の報酬を受け取れたはずなんだ」と言いたいのか、「いくら受け取っても、使いきれないだろうから、別にいいんだ」と開き直りたいのか。その後の歌詞の展開では、金は天下の回りものだから、勝者はいない。僕は生き延びられればいいんだ」となっていることから、多分後者なのだろう。
8.This Time Tomorrow
「明日の今ごろは何処にいるのだろう」と自問自答する曲である。ヒット曲を出して世界ツアー中の様子を唄った曲だと考えられる。「僕は太陽を置き去りにし/雲が悲しく通り過ぎるのを見るだろう/7マイル下方の(地上)世界を見て/世界は大して大きくないと思う」という歌詞が出てくるが、前半は、世界ツアーを経験しての孤独感を表している。例えば太陽は家族、雲はファンあるいは友人のメタファーとも取ることが出来よう。後半は、世界を支配下に置いたような気分を表しているのかもしれない。
その後は、「世の中のことなんてどうでもいい」という気分が支配的になる。「何処へ行くのか分からないし/分かりたいとも思わない」や「下の世界での出来事など僕には関係無い」と言った歌詞が頻出するのである。スターは、人間としての感情を捨てなければやって行けない、というレイの思想面が表された曲だろうか。
9.A Long Way Form Home
この曲での「君」は主人公であり、「私」は特定されていないが、M3と同様に神の視点である。前半は、現在の少年の姿を描写している。「君はあの鼻垂れでみすぼらしかった少年時代から遠く離れてしまった/君は大成功した」や「君は年をとったし、考えるようになったから、賢くなった/お金で何でも買えるようになった/君は導いてれる人が不要になった」がそれである。
一通りの説明が終わると、「でも君は家から遠く離れている」というフレーズが出てくる。要するにこの曲の主旨は、「商業的な成功を収めても、家から遠く離れている状態では、幸福とは言えないんだよ」、なのだろう。このあたり、”Village Green ・・・"というアルバムから一貫した主張のようにも思える。
10.Rats
これが2曲目のデイヴの作品である。冒頭からしていきなり、「僕は街を徘徊する敗者」である。自分を虐げる者達を「ねずみ呼ばわり」している。ところで、前の曲まで主人公はスター扱いだったのだから、「ねずみ達」はひがみ根性で彼を虐げるのだろうか。それとも、既に主人公は落ちぶれる(一発屋?)段階であり、だからこそ寄ってたかって主人公をいじめるのか、断定は出来ない。ただ、主人公は「あいつ等は僕や君のように、人々のためになることを何一つ成し遂げていない」と言っていることから、どうも一般市民をねずみ呼ばわりしているのでは無さそうである。むしろ、業界に集まってくる人達を指しているような気もする。
曲の最後の方は、ある特定の男を指して、不満を漏らしている。「あいつは以前は暖かく優しかったのに、今では縦じま模様の脳みそになっている」である。
11.Apeman
タイトルを直訳すると「類人猿」である。主人公が内省するシーンである。「僕は社会に適応しているが/周りの人間たちは抜け目なさを増幅させている」 ロック・スターの周りの搾取する人間たちへの批判なのだろう。続いて、「僕はいわば動物園のおりの中の動物のようなもの/エイプマンなんだ」となる。つまり衆人看視の堅苦しさについて唄っているのである。
このように、1stヴァースではスターとしての自分を唄っていたのだが、2ndヴァースになると視野が広がる。人口爆発や飢餓、ファシストに溢れかえる世間を見据えた歌詞に変わるのである。そして、主人公の結論はというと、「どこか遠い島に行って、エイプマンとして暮らしたい」なのである。革命とか変革などと言い出さないあたりは、レイらしいと言える。
その後バックの音は変わりないのだが、「語り」に入って行く。前作でもラップに近い手法を取り入れているが、元々レイのボーカルスタイルには、語りが似合う。そこでは、「人間は進歩し都市を作り上げた/そして、交通渋滞を引き起こした/でも、機会があれば/裸になってジャングルで暮らしたい」と唄われる。
12.Powerman
アルバムタイトルのパワーマンがここに登場し、全て揃ったことになる。直訳すれば「権力者」である。曲は主人公が語り手となって始まり、権力者の一般論であり、「権力者は、貧しい身分から出発し、頂点に上るまで上昇することを止めない/それは古くから繰り返されてきたストーリー/それは古くからの夢」と、唄われる。
2ndヴァースになると、誰かに向かって皮肉を言う。「あんたも金が欲しいのなら、奴の子分になることだ/あんたはつまらないものしか手に入らないようになったのだからね」である。一方主人公は、この権力者の奴隷に成り下がることを拒絶する。理由は、「僕には信仰があるから」である。ここにおける信仰とは「音楽」に対してであろう。
その後、歴史上の権力者達の実名が載ったフレーズがでてくるが、この曲における批判対象である「パワーマン」は、それらとは違っていることが、その後の歌詞で明示される。違いを強調するために、彼等の実名を出したのだろう。
さて、「パワーマン」の振る舞いは、何が今までと異なるのか。それは、闘わず、銃を使わずして大金を手に入れた点にあるのだそうだ。これこそ、資本主義全盛下における権力者の姿であり、その指摘は的確である。もっとも、資本主義社会での権力者が「闘っていない」という意見には異論があるだろう。ビジネス戦争という言葉もあることだ。しかし、この曲で主張したかったことは、武力に依らない制圧ということへの警告なのだと思う。今でも武力による富の奪取は非難対象となるが、法律の抜け穴を駆使して富を得ることは、「仕方の無いことじゃないか」というムードが溢れている。しかし、両者に本質的な違いがあるというのだろうか。それはまた、第3世界への執拗な武器売り込みに、大企業が大きな役割を果たしていることを考えれば、誰でも納得出来るのではないか。
ところがこの曲では、このように権力者を批判しておきながら、「彼等を打ち倒そう」などと言い出さない点が、レイ・デイヴィスたる所以である。結局は、「僕は貧しいし不自由だけど、彼女がいる」となるのである。彼女がいるからOKだと言っているのである。また、ここまでの歌詞は、上記のとおり一般論と言えなくもない内容であった。しかし、最後の方に来ると、「パワーマンは僕のお金を搾取するし、出版権を握っている」となる。ここに来て、やはり音楽業界への批判なんだな、と納得させられるのである。
13.Got Be Free
この曲はいきなり1曲目のイントロから始まる。そして、「静かに、可愛いベイビー、泣かないでくれよ」となるのである。これは、アルバムのトータル性を充分意識してのことだろう。
ここで、主人公が彼女に向かって語りかける設定かな、と聞き手に思わせておいて、後は殆ど主人公の一人舞台の演説に終始している。「自由になりたい/歩きたいように歩きたい/欲しいものを手に入れたい/自由にものを言いたい/したいことをしたい」 そして、"Apeman"からのつながりであろう、「鳥のように、ミツバチのように/虫のように/クモやハエのように/自由になりたい」という歌詞を挟んでいる。
だが、主人公は決して、ただ自由になりたい、と叫んでいるわけではない。「どうすれば良いか分からないけど、努力しよう」なのである。単なる厭世主義ではないと言えるだろう。しかし、このフレーズが登場するのは、中盤に1回きりである。故に、その意図が相対的に低下し、とにかく自由になりたいと叫んでいるような印象を与えていることは否定できない。この点が惜しいような気がする。
<総評>
冒頭に述べた通り、この作品が発表された時期は、ロックの転換期であったことになる。世間では、泥沼化したベトナム戦争と、ヒッピーを筆頭とする「愛と平和」という雰囲気(ウッドストックはこの延長線上にある)があった。そうした中でのビートルズ解散である。レイ・デイヴィスは、これら一連の事件から、このアルバムを作る動機を得たのではないかと思う。一言で表せば、主流ロック界への違和感である。その一つが、ロックの産業としての面が前面に立ち始めたことである。ウッドストックが無料だったのに、ワイト島ではギャラを巡るトラブルが発生したことは象徴的だろう。この作品では、ミュージック・ビジネスへの批判があからさまに提出されている。
もう一つは、そういった足元の問題点を置き去りにしておいて「反戦」を主張することへの批判、ではないだろうか。つまり、レコード会社も兵器産業の下請けだということだ。こういった足が地に着いた観察眼というのが、キンクスひいてはレイ・デイヴィスの真骨頂なのだと強く思う。
(2000-4-25)