Arthur Or The Decline And Fall Of British Empire

 

 "Arthur Or The Decline And Fall Of British Empire" は1969年に発売されている。邦題は和訳そのもので、「アーサーもしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」である。アーサーというのは或る労働者階級の男である。
 シングルカットされた "Victoria" や "Shangri-La" はそこそこヒットしたが、アルバムの方は全くと言っていいほど売れなかったらしい。元々はグラナダTVのドラマのサウンドトラックになる予定だったが、計画は頓挫している。もし放映されていたら、どのような評価・売れ行き見せたのだろうか?

 また、このアルバムはストーリーに沿って進行しており、曲の途中で調子が目まぐるしく変わること、語り手が複数であることから、「ロック・オペラ」の一つに数えられる。残念なことに、録音完了から半年もたって発売されており、The Whoの "Tommy" に遅れをとってしまった。

 

1. Victoria

 ヴィクトリアとは勿論あの大英帝国の女王のことである。レイ・デイヴィスの次女もヴィクトリアという名前だが、この曲ではあくまでも女王のことを指している。歌詞は、すべて主人公アーサーの語りになっている。以下に主要な部分について記す。

(1)古き大英帝国への賛美
  要約すれば、「昔は良かった」である。

(2)愛国心の表明
  「この国に生まれて幸運だった/おれは貧しいが自由だ/大きくなったら、この国のために闘おう/英国を没落させないために」が、それである。ここから、この曲の時代設定は、アーサーが少年の頃であることがわかる。

(3)植民地政策への賛辞
  かつて英国が植民地としていた国を挙げ、ヴィクトリアはそれらを全て愛した、と唄っている。同時に、「金持ちから貧しい者まで」も全てを愛したとも唄っている。歴史の授業で習ったのか、親または祖父母から聞かされたのか分からないが、アーサーは英国の栄光の歴史という虚像を信じているのである。

 

2.Yes Sir, No Sir

 舞台はアーサーの軍隊生活時代に移る。"Sir" は文脈からして、軍隊での上司であろう。

 冒頭でアーサーは、「私は何をするのか/何処へ行くのか/何を言うのか/どう振舞うのか」と上司に訴える。その次に、「自由を下さい」と上司に訴える。

 それが終わると、語り手がくだんの上司に交代する。アーサーに向かって、「過去の夢や野心は捨てなさい」だの「あんたは役に立たない、戦力外だ」と告げるのである。

 それを聞いたアーサーは再び上記のように訴える。それが終わると、曲調がガラリとかわり、語り手がまた上司になり、説教を始める。

 更に曲調が変わり、こんどは軍隊の幹部とおぼしき人物が登場する。今度は、この幹部が先の上司に説教する場面になる。内容は「部下の動機付けをしっかりやれ」と言っていいだろう。この場面は、「彼らが死んだらメダルを与えよう」で終わる(ここで笑い声が入る)。

 曲の最後はまたもアーサーの上司への訴えになる。殆ど絶望状態で、「死なせてください」とまで言っている。

 総じて、軍隊という組織の矛盾や人間性無視について唄っている曲だと言えるだろう。

 

3. Some Mother's Son

 ある母親の息子が戦死したことについての曲である。歌詞中には、
「戦死したのに墓が無い」、
「戦死した兵士達の顔写真が皆そっくりだ」
というフレーズが登場し、軍隊が人間を一つの駒としてしか扱わないことが描かれる。

 最後は、息子の写真を花で飾るシーンになり、「息子は昔と変わらない/息子の記憶はいつまでも残る」で締めくくられる。この辺りは、レイ・デイヴィスがたびたび用いる文句であり、レイはそういう人なのだろうと改めて納得させられる。

 なお、ここに出てくる「息子」とは誰のことなのか、明らかではないが、アーサーの息子と考えられるし、資料からもそう推測して間違い無いだろう。

 

4.Drivin’

 日常の様々な重荷から解放されるためドライブに行こうと、恐らくはアーサーの友人がアーサーを誘っている曲である。日常の重荷として、家族や親類や借金取りが挙げられている。しかし、この箇所には不思議なところが2点ある。1点は、友人が「母親は誘っていいよ」と言っていることでり、もう1点は父親が登場しないことである。家族には、母親、兄弟達、姉妹達とが登場するのにである。この歌詞から、アーサーは大家族の出身であることが分かる。レイ自身も大家族の出身なのだが、レイが父親を嫌っていたという話を聞いたことが無いので、この作品が作者レイ自身の過去を投影したものではないことになる。

 強引に推測するしかないのだが、アーサーの父親も遥か昔に戦死してしまい、後に借金と沢山の兄弟姉妹が残され、アーサーは彼・彼女達を養わねばならない状況にあったのだと考えてもいいのではないか。

 この曲の面白い所は後半に出てくる。友人が「帰りは遅くならないよ/そんなに遠くには行かないさ」と言うくだりである。どうこう言っても、明日の仕事や家族のことを気に懸けないではいられない、労働者階級の思考パターンがここにあるのだろう。

 

5.Brainwashed

 タイトルは「洗脳された」である。誰かがアーサー(とは明記されていないが)に向かって、「あんたは(体制に)洗脳されているんだ」と非難する曲である。語り手は、資料からするとアーサーのもう一人の息子なのかもしれない。
「あんたは、いかにもヒューマンのようだが、自分自身を持っていない」
「仕事、家族、車を得たけど、それは誰かがそう仕向けたに過ぎない」

 途中に、政治家や官僚批判(奴等は汚いねずみだ)を含み、最後はまたアーサーへの非難に戻る。
「悪口は言えるが、立って行動しないじゃないか」
「社会保障、減税、みんな洗脳なんだ」

 言葉はきついが、一面の真実を突いているだろう。これらの非難に対するアーサーの態度は歌詞中には出てこないが、レイはあえて省いているのだろう。また、省くことによって、アーサーは何も言えなかったと解釈してもいいだろう。

 

6.Australia

 オーストラリアを賞賛する曲である。「(成功する)機会が有る国」とか、「階級問題が無い」などと手放しで誉めている。当時(1960年代)、先住民差別問題が解決済みだったわけではないから、レイがこの曲によって、オーストラリアを賞賛しているとは思えない(それほど無知なはずが無いとおもうのだが)。この曲は、美化された宣伝文句と捉えるべきだろう。

 実はこの作品の設定では、息子夫婦がオーストラリアに移住することになっている。とすると、この曲は前の息子の非難に対して、登場しない語り手が、反語的に反論しているのだとも考えられる。

 

7.Shangri-La

 シャングリラとは地上の楽園のことだが、ここではアーサーが引退後に住んでいる家のことである。1stヴァース、2ndヴァースでは、語り手が不明である。しかし、二人称形式なので、ナレーションではない。敢えて言うならば、神の声なのだろうか。あるいは、アーサーの自問自答なのかもしれないが、位置的には「神」であることには変わりが無い。

 ここでは、永年働いたことへの報償として、アーサーには今、家や車、揺り椅子が与えられたと唄っている。労働者階級として無難に勤め上げたことへの賞賛という観点から唄われているのである。

 3rdヴァースになっても、語り手は「神」の位置にあるのだが、アーサーの少年時代に物語が移動する。そこでは、アーサーが借金返済に追われていると唄われている。M4の解説で述べたことだが、そこでは、父親が早くに亡くなったことが暗示されている。そんな状況の中、アーサーは不平を言わず働いたとなっているのだが、実は、
「不平を言うことが恐かった/そういう風に(体制に)コントロールされたから」
であることが示されている。M5の「洗脳」からの流れであろう。ここまでは、ミドルテンポで曲が進み、神のアーサーに対する暖かい視線が中心に据えられている。

 ところが4thヴァースになると、突然テンポアップし、いわゆるロック・サウンドに豹変する。このヴァースを要約すると、アーサーの老後の生活への批判ということになる。だが勿論、アーサー一人を批判しているのではない。ヴァースの前半では、シャングリラが、政府の老後政策によって作られた住宅であることが仄めかされる。ここでの批判者は、
「この通りの家はみんな似ている/煙突も、車も、窓枠もみんな似ている」
と言っている。M2辺りに出てきた、個性無視の風潮は軍隊に限らない、と手厳しい。後半では、
「保障を考えるのは恐ろしすぎる/この小さなシャングリラでの生活は幸福ではない」
というフレーズが出て来る。アーサーにしてみれば、「小市民の幸福」なのだろうが、それはそれで体制による洗脳なのだ、と批判したいのだろう。もしかすると、アーサーの家にやってきた、彼の息子の台詞なのかもしれない。それをアーサーが回想している場面と解釈した場合の話であるが。

 その後、「シャングリラ」を連呼するフレーズが反復され、また2ndヴァースへと戻って行く。息子が喧嘩を売って、帰って行った後の情景と捉えるべきだろうか。

 

8.Mr. Churchill Says

 タイトルは勿論、チャーチル首相を指す。ただし、この曲ではチャーチル以外に、ビーバーブルック、モントゴメリ、マウントバトン、ヴェラ・リンといった人が俎上に挙げられ、彼・彼女等が言う(現在形なのである)ことを、歌にしている。例えば、チャーチルは、
「我々は最後まで血塗られた戦争を闘うんだ」
である。1930年代以降の歴史に通じていないと論評は困難である気がするが、この曲は、レイが何らかのメッセージを入れたものではなく、アーサーがTVを見ているシーンを表しているのではないだろうか。

 この曲では、最後の方にレイによるラップが入る。ラップを使った意図はわからないが。

 

9. She Bought A Hat Like Princess Marina

 1stヴァースは、ある労働者階級の女性(と推測される)についての物語である。この曲は、3人称でつづられているので、語り手はナレーターと言っていいだろう。まず、タイトルをそのまま唄うことから幕が開く。とにかく、この女性は至る所で「マリーナ王女がかぶっているような帽子」をかぶるのである。でも、彼女は貧しいので、競馬(アスコット競馬と言い、イギリスでは競馬は上流階級の趣味の一つらしい)を見に行けない、と唄っている。でも、彼女は気にしないのである。

 2ndヴァースはある男性について物語である。この男性も何故かアンソニー・エデン(誰だが不明だが、上流階級の人だろう)がかぶるような帽子を買っている。でも、彼も労働者階級の人間らしく、「ロールスロイスやベントレーといった車は買えないし、セカンドハウスも買えないと唄われる。それは家族を養うために稼ぎの殆どを使ってしまうからだそうだ。それでも彼はその帽子をかぶって、上流階級の人間になった気分を味わうのである。

 ここまでは、クラシック調のメロディにヴォードヴィル風のボーカルを乗せていたのだが、ここで曲調がサーカス風(?)に突如変わる。と言っても、実はテンポを変えているだけのようでもある。ここ等辺りに、レイの非凡さがあるのだろう。

 もっとも、曲調が変わっても、言っていることまでは変わらない。このアルバム中の今までの曲とは趣が少しばかり異なる。

 

10.Young And Innocent Days

 昔を懐かしむ曲であることは、タイトルから容易に想像がつく。恐らく語り手はアーサー自身であろう。最後の方で、「君の顔のしわを見る」という句が出てくるが、ここで初めてアーサーの妻に言及されている。この後に続く歌詞が、
時は過ぎ、何事も置き換え得るものは無い」
であるが、これは意味深である。単に、「お互い年をとったね」と言いたいのか、「昔の君は綺麗だったなあ」と言いたいのか・・・・

 

11.Nothing To Say

 アーサーの娘から父に宛てた手紙である。娘がオーストラリアに移住してから送ってきた手紙と解釈すべきであろう。
「昔、貴方は私のパパで、私は貴方の誇りだった/今では私にも子供がいて、年を取って行く/会話をする時間はないし、何も話すことは無い」
である。最後の「何も話すことは無い」はタイトルそのままであり、この文句が何回にもわたって繰り返される。娘の言いたいことは、別々に暮らすのが最良の選択肢だということであろう。

 3rdヴァースになるとアーサーの台詞になる。
「俺達は世界が変わるだろうなんて思いもしなかった/でも時は過ぎ/物事は同じではいられないのだろう」
と、アーサーは時代が変わったことを嘆き、それでも「仕方の無いこと」と諦めている様子が窺われる。

 それが終わると、またも娘の手紙になり、最後の方は殆ど嫌味になっている。

 

12.Arthur

 アーサーへの応援歌と言えるだろう。語り手は "we" と言っているが、この「我々」とは一体誰なのだろうか。複数形であるから、神の視点ではないと思える。隣人達だとしたら、歌詞の内容に合わないし。これは、聞き手が勝手に解釈するように、という意味が隠されているのだろうか。 曲調はアップテンポで軽快である。まさに、ロック・オペラのエンディングに相応しい雰囲気である。

 歌詞の内容は、全体を総括するようになっており、若い頃の野心、体制によってそれが挫折したこと、それでも努力して生活条件を向上させたことなどを挙げ、「人生が楽だったら楽しめたのにね」、とアーサーに同情している。

 歌の最後は、
「アーサー、君を助けたいんだ/理解したいんだ/君を気に入っている人だっているんだ/気付いてくれよ」
といった歌詞が反復される。その後、インストゥルメンタルが続き、締めくくられる。


<総評>

 このアルバムでは、前作、前々作と異なり、ロックサウンドが支配している。とは言え、1964年当時のキンキー・サウンドとは全く異なる音である。これは、キンクスが単に「昔に戻った」のではないことを明らかにしている。また、アコースティック・サウンドに飽きたから、ロックサウンドに変えたのでも無い。必然的にこのサウンドを選択したのである。

 その根拠は、このアルバムでは「古き良きイギリス」を歌っていないからである。このアルバムでは、二つの意見を異にする人間の視点から物語が進行する。一つは、アーサーという、小市民として無難に生きてきた人間からの視点である。こちらは、「古き良きイギリス」を懐古する言葉が頻出する。その一方で、彼の息子と思しき人間からの視点があり、こちらは、そういった小市民的発想を徹底的に批判するとともに、イギリスの階級問題や労働者の思想統制(ファシズムのような強烈な統制ではなく、空気のような、自発的と思わせる統制手法である)を批判しているのである。

 では、結論はどうなのか。最後に「アーサー」というタイトルの曲を置いていることから、労働者階級に対して「立ちあがれ」などとメッセージを送っているのではないことは、はっきりしている。どちらかというと、彼等に対する共感に力点を置いている。それでも、異なる見解を並列し、聞き手に考えさせていることは、当時の「考えるロック」の範疇に収まるとみなせる。つまり、キンクスは時代性を失っていたわけではないのだ。只、視点が「革命」ではなく、一介の労働者への愛情となっており、当時の雰囲気とは違ったポジションにいたことも否定できないだろう。

 だがしかし、きっぱりと述べておく必要がある。この時代のキンクスは、「懐古主義」と捉えられ、レコード・セールスも伸び悩んだ。この「懐古主義」というレッテルが、あまり当たっていないことは、上記の解説によって少しは分かって欲しい気がする。それは、また時代を経て、この時期のキンクスのアルバム群がいずれも高く評価されていることからも、理解できるのではないだろうか。

(2000-4-13)

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