| 1月3日の読売新聞に、芸能人(元作詞家)の永六輔のインタビューが載っていた。その内容をやや乱暴に
要約すると、「日本の伝統はもっと世界に誇っていい」であろう。しかし、そこで語られていることは、あまりにも粗雑である。今回は、その点を批判すること
にする。 [1]宗教観といえない宗教観 永六輔はまず、「日本では異宗教が共存している。これを もっと誇りに思っていいはずだ」 と語っている。これ自体にはさしたる問題はないように思える。だが、その続きがお粗末である。 「日本における行事のルーツは、
神道(初詣など)、仏教(葬式など)、キリスト教(クリスマス)、そして儒教(お年玉)、と多宗教に渡っている」
これが、異宗教共存の根拠なんだそうである。まず、「儒教は宗教かよ」と突っ込みたくなったが、こちらも譲歩し、一応よしとしておく。問題なのは、永六 輔が挙げた一つ一つが、初詣を除けば、現代ではもはや宗教を意識した行事になっていないことにある。「形骸化」という言い方もできる。形骸化自体は、批判 すべきことではない。だが、例えば、現に宗教的対立のある、中東や東南アジ アの人たちに向かって、このような言い方が通用するとは、とても思えない。これでは、 「宗
教上の対立を克服するためには、『形骸化』が近道です」
と提言しているよ
うなものだからだ。もちろん、最終的には「形骸化」によって克服される可能性はある。しかし、外国人に向かって発すべき言葉ではない。 そもそも、この人は、神道や仏教が多神教(仏教自体は無神教だが、日本に伝わった時のという意味で)であり、儒教は神とは関係がなかったために、それら が共存できたことを理解しているのだろうか。豊臣秀吉に始まるキリスト教弾圧の歴史についても分かっているのだろうか。明治期の廃仏毀釈についてはどうな のか。更には、かつてのイスラム教国では、キリスト教徒が少なからずいて、両者が共存していた史実(それがたとえ、徴税のためであったとしてもである) を知っているのだろうか。 |
| [2]算盤を復活させれば・・・ 次の提言は、 「日本の小学校では、 計算機を排除し、算盤を復活させよ」 であった。そうしないと日本はダメになるそうだ。 まず、永六輔が「計算機を小学生に使わせるのはダメ」としている根拠だが、「ポッと答えが出てしまうので、計算力が身に付かなくなる」ということで、こ ういう批判は昔からあることだし、私も絶対反対ということではない。 だが、算盤を使った場合は、そういう問題は発生しないのだろうか。永六輔によれば、「珠算というものは、頭の中で暗算したものを算盤玉に置き換える作 業」であり、よって上記のような心配は無用なんだそうだ。 ハテ、暗算が出来るのであれば、算盤を使わなくてもいいだろうが。答を紙に書くだけで済むではないか。わざわざ算盤が登場するまでもない。となると、提 言そのものが無意味になってしまう。 結局、永六輔は、問題点を取り違えているのである。中学校以降の「数学」まで考えてみても、算盤は使えなくても何も困ることはない。筆算ができれば問題 ないのである。筆算が本来の計算で あって、算盤は道具なのである。 どうも、「永六輔は小学校の算数イコール小数の加減乗除の計算だと思っているのではないか」、という気がするのである。分数の計算だとか図形の面積計算 が、小学校で行われていること自体知らないのではないか、とまで疑わざるを得ない。だからこそ、算盤を復活させれば、日本の子供の学力が向上すると思った のであろう。 だとすれば、昨今問題になっている、「π=3と教えるのはダメ」という意見の本質的な意味も、この人には分からないだろう。せいぜい、「易しい計算ばか りしていてはダメ」と捉えているのではないか。 |
(2004-1-12)