へりくだる言い回しは嫌いだ 

   
 日本語の言い回しには、「へりくだる」というものがある。全般的に私はこの表現が嫌いだ。へりくだった 表現は、一応は相手を立て、自分を低い位置に置いたことになっている。だが、本当にそうだろうか。
 そこで今回は、へりくだった言い回しのうち、特に私が嫌っているものを挙げて批判することにした。

[1]つまらないものですが・・・
 お土産などの品物を差し出す時に使われる表現である。この場合、受け取る側がありがたく思うかどうかは、渡す側には分からないはずで、となると「つまら ないもの」という価値判断を渡す側がするのは、おかしいことになる。もっとも、渡す側は、本当につまらないものを渡しているつもりは全くなくて(そうであ れば、ハナから渡さない)、「相手 は大喜びしないまでも、そこそこありがたがるだろう」と、勝手に思い込んでいるのである。なんか、傲慢な気がする。


[2]粗茶ですが・・・
 これも、[1]と似たようなものである。これも本音では、粗茶など出していないという自負が ある上での言動である。更には、「出された側に『わざわざ私のために気を使わせてしまって済みません』と言わせない心遣いなのだ」という屈 折した心理も伺える。


[3]愚息
 自分の息子を紹介する時に使われる言葉である。何故わざわざ「愚かな息子」と表現する必要があるのだろうか。こういう場合には、息子を愚かだと思っていないことが、暗黙の了 解として成立しているのである。本当の愚かな息子(例えば犯罪者)に対しては、愚息という表現は使われないからだ。
 しかし、「愚息」と紹介された者が、エリート社員だったり、大学の助手だったりして、対して紹介する相手がうだつの上がらないサラリーマンだったり、さ ぼってばかりいる大学生だったりすると、これはもう完全に嫌味である。
 
 そういえば、私が大学在学時に、ある講座で使われていた教科書には、「愚息○○(慶応大学三年生)にはプログラミングのチェックをしてもらった」という 前書きが載っていた。「愚かな息子」と書いておきながら、そのすぐあとに「慶応大学」などというブランド名を併記してあるのには、大いに笑わされた記憶が ある。もっとも、今となっては、W大だのK大などという名を出すと、却ってよからぬ疑いを持たれる可能性もあるな。


[4] 何もできませんが
 何事かを依頼された時に使われる表現である。「微力ながら」という言い回しをする人もいるが、こちらに対しては、さほど反感を抱かない。だが、「何もで きませんで」とまで自分を貶めた言い方をされると、嫌味でしかない。「何もできない」と思っているのならば、辞退すればよいのだ。だが、言った本人の本音 は違う。
 「俺は有能だ。俺が参加したからには、みんなを仕切ってやる。だが、そう言ってしまうと『傲慢』と思われるので、あくまでも謙虚だという姿勢を、初めは 見せておくに限る。」

 これも私の経験だが、独身寮にいたころの寮長が、会社のある部長から電話がかかってきて、こんなことを言っていた。しかし、その寮長たるや、傲岸不遜の 極みのような人物であった。



 
 
 
 
 
 

  

(2003-12-26)

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