| 「私は食べ物の好き嫌いがありません」 と、自慢げに語る人がいる。好き嫌いがないこと自体は、どこかに行ったときに困ることがないだとか、食糧事情が悪いときに困らないといったメリットがある。しかし、わざわざ他人に向かって自慢することなのだろうか? そもそも、食べ物の好き嫌いがあることが、そんなに悪いことだろうか? よく、「好き嫌いなく、何でも食べましょう」というスローガンが、子供に向かって半ば強制的になされることがある。確かに、発育のためには、好き嫌いがない方が好ましいのかもしれない。だが、子供に対するスローガンは、「好ましい」という程度を超えて、しばしば「でなければならない」という風になってしまう。行き着く先は、 「だからお前は駄目なんだ」 「だから体が弱いんだ」 といった言葉の暴力である。 ここでは最早、その子供が「何故それを嫌うのか」について、大人たちが考えることは放棄されている。初めて食べたときの味付けがひどかったのかもしれない。初めて食べたときに、素材の鮮度が悪かったのかもしれない。親が嫌いなので、食わず嫌いのままかもしれない。あるいは、本人でも分からないことの積み重ねが原因となっているかもしれない。そういったこと一切が、考慮の外に置かれるのである。「他人に対する思いやりの心を持て」と説教する大人自身が、他人に対する思いやりに欠けているのである。 ここで、「子供と大人は違う」と反論する人が出てくることであろう。しかし、私自身の狭い交流関係からしても、他人の食べ物の好き嫌いをあげつらう人は、概して他人への配慮に欠けた人が多いと思えてならず、従って、「子供に対しては別」という意見は、納得しかねるものがある。 何だか論点が分かりにくそうなので、まとめると、「自分は食べ物の好き嫌いがない」と自慢する人は、それにとどまらず、好き嫌いがある人を蔑む傾向にあるということである。 大きなお世話である。 |
(2003-3-9)