宣伝効果無しの広告

 昨今は日本語ブームのようである。そのルーツをたどると、大野晋という言語学者の著した「日本語練習調」に行き着くのだろうが、この本はロングセラーを記録したものの、社会現象とまでは至らなかったように思う。やはり、社会現象となったのは、斉藤孝著の「声に出して読みたい日本語」がベストセラーになったことがきっかけだと思う(この辺の認識は、本論と関係ないのだが)。
 さて、ブームが訪れると決まって登場するのが、 「便乗企画」 である。しかも、次第にレベルダウンしたものが登場するようになる。どうも「ブームの法則」のようでもある(考えてみれば、ネタ切れになるのだから当然といえば当然なのだろう)。 

 そんな中で、10月19日付けの朝日新聞朝刊に載った本の広告にこんなものがあった。
「失われた日本語、失われた日本」 林秀彦著、草思社
上記のように、一連の日本語ブームへの便乗を狙った企画であることは、読まないうちから分かるが、そのことはひとまず置いておく。ここで指摘したいのは、この本の新聞広告の可笑しさである。
 

 まず、その広告にはタイトルの右脇にこんなことが書かれてある。
この国はもう、日本語を使ってはいないのです。
 なんだとさ。

 「ぎゃはははは。やってくれましたな」
というのが、第一の感想である。言葉を使うのは人間であって、国家ではない。それを言うのなら、「日本人はもう、日本語を使ってはいないのです」と書くべきだろうが。あるいは受身にして、「日本(国)では、もう日本語が使われてはいないのです」と書いてもいいが。
 いずれにせよ、この者(著者だか宣伝担当者だか分からないが)が正しい日本語を使うことが先だ。

 しかし、上記の文法的ミスを脇に置いてみた場合、この主張はそれなりに説得力があるのだろうか。もしも、「ある」とした場合、今の日本で使われている言語は一体「何語」なのだろうか。私は言語学をかじったことも無いので、これ以上の追求はしないが。

 さて、この本を通じて著者が訴えたかったことは、以下のように書かれている。
 かつて日本人の暮らしを彩り、豊かな心を育んだ味のある言葉・表現を死語にしていいのか?
 この文を念頭に置いて、同じ広告内に載っている「主な内容」について考えてみよう。これが結構笑えるのである。

・ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む
???? (絶句)
・日本国民必読英雄伝
 なんで、英雄伝が素晴らしい日本語の伝承につながるんだ? だが、問題はそれだけではない。「英雄」は普遍的な存在ではなく、時代や社会的階層によって捉えられ方は変化する。どうも、著者はそのような程度のことも分かっていないようだ。
(この著者、中大兄皇子は英雄で蘇我入鹿は極悪人、と単純に思っているような人物なのではあるまいな)
・割烹着の母親のまな板の音
 個人的には「母親」ではなく「母」の方が音韻感覚としてはしっくり来るが。それと、「の」が乱用されているようにも感じる。また、炊事=母親という単純な連想は、性差別発言と取られても仕方が無い。
・「下駄を預ける」とはどういう状態か?
 今だって「下駄を預ける」という言い回しをすることがあるが。
・「少年倶楽部」の中の美少年と美少女
 訳が分からない。美少年や美少女でないと美しい日本語を操れないとでも(←勘ぐり過ぎですか?)
・この国の美意識が結晶した「切ない」という言葉
 「結晶した」という言い回しは、あまり使われないが、まあいい。問題は「切ない」に類似する表現が日本語以外には存在しないのか、ということだ。

 さて、この本の思想的背景について考えてみたい。つまり、 かつての日本人は本当に豊かな心を持っていたのだろうか。 ということだ。もしも今と比べてということであれば、私はそんなことは絶対に無いと思う。差別なんて昔の方が圧倒的に多かったとしか思えない。話が飛ぶが、恐らくここで言われている「豊かな心」とは、 ムラ社会の中での同朋意識を、豊かな心と錯覚している に過ぎないのだと思う。つまり、自分(達)と同じだと思える者に限って親身になる(この言葉自体象徴的だが)という習性(?)を美徳と錯覚しているのである。  
 結局、著者の林秀彦という人は、「昔は良かった」式のノスタルジーに浸りたいだけなのではないか、と私は思う。氏が少年時代に読んだ本、その中には「英雄伝」や「少年倶楽部」が多かったのだろうが、そういった類の本が、いつまで経っても最高のものに思えてしまうのかもしれない。一種の老化でもあるのだろう。哀れなことで、それを出版という形で世間にさらす必要などないだろう。まあ、本人はそうは思っていないこともほぼ確実であろうが。

 もっとも、こういう類の人たちが「新しい歴史教科書をつくる会」などに利用されていく可能性は、「なきにしもあらず」であろう

 それにしても、なんでこんな広告が新聞に載ってしまったのだろうか。出版社の宣伝担当部門のセンスを疑うぞ。

 
 
 

 
 

(2002-10-20)

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