「週間宝島」の7月24日号には、「
ビジネスマンの三大能力実力テスト」
という特集が載っていたので、野次馬根性から買ってしまった。この特集に関しては別途触れるとして、同誌の70〜71ページに載った、
西川りゅうじんの「ビジネス巌流島」
なる記事を槍玉に挙げることにした。
断っておくが、私は西川りゅうじんという人物のことは、殆ど知らない。
マーケティング・コンサルタント
なる肩書きを知っていた程度であり、どのような思想の持ち主かといった点については、完璧に無知であった。恐らく私が、「マーケティング」に殆ど関心がないせいだろう。
しかし、上記の記事を読んだ私は、西川のあまりにも偏狭な考え方に反感を抱いたのである。
この記事は、西川と木村剛という人との対談になっている。タイトルが
米国製グローバル・スタンダードはマヤカシだ
となっていていることからも分かるように、記事の殆どが、いわゆる「グローバル・スタンダード」を主張する企業経営者批判に充てられている。
なるほど、
「アメリカン・スタンダード」を「グローバル・スタンダード」などと言うな。
という主張に異を唱える気は、私にもない。しかし、西川がこの記事中で言っていることは、「主張」の域を超えた「煽り」にしか、私には思えない。
例えば、こんなことである。
その1:敗戦コンプレックスから抜けきれないまま第2の敗戦を迎えても、自らアメリカの精神的植民地になって喜んでいる究極のマゾ国家!
まるで昭和10年代である。おまけにびっくりマーク付きではないか。「貴様らは帝国臣民として恥ずかしくないのか」とでも言いたそうだ。確かに、「アメリカの言うままでは駄目だ」という点は、変だとは思わない。しかし、それを、「敗戦コンプレックス」だの「マゾ」という言葉で裏付けようとする点は、全く納得できない。
その2:アメリカン・スタンダードを自己保身の道具にした責任逃れ経営者は即刻退場させるべき。売国奴に天誅を!
前半の「責任逃れ経営者」を糾弾する下りについてならば、私も同意見である。ただし、企業経営者だけでなく、官僚や政治家あるいはエコノミストも同罪であるはずなのに、その点に踏み込まないのは、どうにも理解できない。例えば、竹中平蔵氏のような人物については「お咎め無し」なのか。
後半の「売国奴に天誅を!」については、
ギャグであることを祈るばかりである。
右翼じゃあるまいし、そんな言葉を使うなよな。おまけに「びっくりマーク」まで。読者を笑わせる以外には効力が無いぞ。
その3:(前略)米国企業が全てフェア・プレーヤーだというのは幻想。
一体、どこの誰がそんなことを主張しているのか。米政府に圧力をかけたりして不当なことをする米国企業が存在することくらい、一寸でも頭の働く人なら知っていることだ。米国が日本よりもフェアに見えるのは、企業ではなくて、チェック機関の努力によるものであることも、同様である。もっとも、最近ではチェック機関そのものも疑われ始めたようだけど。
要するにこの男、
アンチ米国企業意識を煽っているだけ
なのである。底が浅い。
その4:しかし、私は日本人を信じています。(中略)総合的に見れば、今でも日本ほど緻密で効率的なビジネス環境はない。
いやあ、知りませんでしたよ、そんなこと。何だか訳の分からない肩書きを持った人達の「はんこ」がなくては、何事も動かないのが、日本の大企業の多くだとばかり思っていました、私は。
この記事の後ろ約1/4は、「ミクロの視点から見よ」、「人が時代を変えるのだ」と言った主張が繰り広げられている。ここでの論旨自体には、それほど違和感は覚えない。しかし、細かい所で、西川はやってくれている。
その4:君が代の歌詞にあるように、さざれ石が巌となる。
文脈からして、西川は「ちっぽけな1人の人間のすることが、大きなものを動かすこともある」とでも主張したかったに違いない。だが生憎、君が代の歌詞にあるのは、単なる「望み」であろう。西川の主張とは、対立の可能性はあっても、補強にはならないのである。
その5:ニーズでなくウォンツを喚起する必要がある
やれ、アメリカの精神的植民地だのと叱責しておきながら、ご自分は英単語を使うのである。だが、一般の日本人にとって、"needs"と"wants"の区別が付くとも思えない。手元の英和辞典にも載っていなかったぞ。
そりゃ、「必要なもの」ではなくて「欲しがるもの」と書くよりは、英単語を並べる方が韻を踏んでいて、何となくカッコ良さそうにも思えるが、それだけである。
その6:日本は歴史的に右脳の感性的発想と左脳のシステム的発想の両方に優れているし、欧米に負けないオリジナルな文化的集積も厚い。
何を証拠にそんなことを主張するのか。どちらかといえば、「日本人は右脳優先で、左脳が司る論理的思考力は後回し」というのが、一般に流布している説だろう(私がこの説に100%賛成しているわけではないが)。もしかして、「漢字仮名交じり文章」がその証拠?
それから、「欧米に負けないオリジナルな文化的集積」なんていうのは、日本だけのことではない。そんなことを敢えて口にすること自体が、「西欧の文化という視点から他者を見る」という呪縛から抜け出せないでいる証拠にも思える(私が呪縛から解放されているとは言わないが)。
<記事を読み終えて>
あれこれ言ってはいるけど、その中身は大したことは無い。要するに、
「日本人は優秀だ。自信を持てば道は開ける」
「アメリカの言いなりになるな」
と主張しているに過ぎず、決して目新しい意見でもなければ、何ら具体的な提言を伴った発言でもない。強いて挙げれば、
ナショナリズムを煽っているだけ
である。ただし、その煽り方は巧妙だが。
しかしこの男、本当に単純な愛国心から、このようなことを主張しているのだろうか。そうだとしたら、哀れな奴だが、私にはそうは思えない。むしろ、
マーケティングという観点からナショナリスト的発言を繰り返している
ように、思えてならないのだ。まあ、マーケティングされた愛国心ということ自体、これが初めてというわけでもないが。
(2002-7-13)
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