「子供」は隠れ蓑に最適か 

 藤子・F・不二雄氏が他界してから6年近く経つのだが、相変わらず新作と称する映画が発表されているし、TVアニメも継続されているようである。
 私は、原作者が他界した場合、遺作の発掘を除き、新作を作るべきではないと考えているが、これは少数の意見なのであろうか。

 原作者が亡くなった直後、アニメを続行することを望むような論調が、TVを中心にして多数派であったような記憶がある。その理由の第一は、「子供の夢を壊さないために」であったようだ。
 しかし、何度も書いているように、TVでの論調というのは、たった一人か二人の主張が、あたかも大多数のものあったかのようにすり替わってしまう危険性がある。別に、「ドラえもん」の継続について、視聴者アンケートを取ったわけでもなかろう(そんな話は聞いたことがない)。

 そもそも、原作者が亡き後に、新作と称して、原作者以外の者が作品を作リ続けることは、まず第1に「原作者への冒涜」であると思う。原作者の創造力を馬鹿にしているのである。そういう意図はなくとも、結果として馬鹿にしているのである。しかし、他人が原作者と同等レベルの作品を続けることが出来るか、甚だ疑問である。

 とはいえ、現在の制作サイドからすれば、「相手は子供であるから、たとえレベルダウンしたとしても分からないだろう、とタカを括っているのかもしれない。うがった見方ではあるが。

 第2に、これは子供達を騙す行為に他ならないと思う。だれであろうが、人間は必ず死ぬのであり、人気アニメの原作者とて例外ではない。それをごまかして継続するというのは、子供達に対して、「死」に目を向けさせないようにすることである。何故、そのようなごまかしをするのか。「死」や「老い」を子供に分からせることも「教育」の一つではないのか。

 結局、「子供の夢を壊さないため」などと綺麗ごとを並べ立ててはいるが、実は、人気アニメを継続すれば、視聴率が取れるし、映画の収益や関連商品の売上げも継続できる、といった「企業の論理」に本音があるのだろう。

 なるほど、アニメというのは、原作者よりもアシスタントの力に負うところが大きいという話も聞く。生前からのスタッフが食いっぱぐれないためには、「ドラえもん」を継続することが最も確実であったかもしれない。それを他者としての私が批判する資格は無いのかもしれない。それでもしかし、と思うのである。やはり子供達には、「最早、藤子・F・不二雄さんはいないんだよ」と分からせる方が大事なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

(2002-3-31)

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